反撃はできるうちに6
不意に襲った目眩にアーリアの意識は暫し明暗した。断続的に起こる頭痛を耐え、痛む額を手で覆い、ふらつく身体を何とか踏み留める。
「あっ……」
瞬間視界が真っ白になり、次いで闇が襲い、気づけば水面が間近に迫っていた。走馬灯の様に物事がスローになり、時間の経過が曖昧になっていく。あれ程騒がしかった周囲の雑音が遠くなる。
貴族らの叫び声も、嘆き声も、王子たちの嘆息も、何もかもが白く塗りつぶされていく。決して長くない瞬間を永遠にも似た時間に感じていたアーリアの視界に、琥珀の瞳を見開く青年の顔が映り込んだ。
ずっと会いたくて、けれどもう会えないと思っていたひと。家族以外の他者では唯一の特別。ただ一人、側にある事を望んだひと。
久方振りに見た青年の顔は数ヶ月前より精悍で、有体に言えば格好が良く、まるで知らない他人を見ている様な錯覚にチクリと小さな胸の痛みを覚えた。そんな身勝手な寂しさを覚えるアーリアの身体を、何者かの腕が支えた。
「大事ないか?」
間近で聞こえる低い声。
はっと目を開けば、赫い瞳と目が合った。
「あ、アレ、ク……?」
魔術を振う魔女のすぐ近く観衆の一人と化していた現王陛下の腕が、アーリアの身体を易々と引き上げた。
現王は自身をボンヤリと見上げてくるアーリアの頬に手を添え、その体温に僅かに眉を動かした後、「見かけによらず無理をする」と嘆息混じりに呟くと、アーリアを片腕で支えたままサッと背後を振り返った。
「ーー双方剣を収めよ。我に敵意はない。貴殿らの主に危害は加えないと明言しよう」
現王が敢えて明言を口にしたのは、アーリアを守る為に側に駆け寄った他国の騎士たちの為だった。
ライザタニア近衛の纏う衣を羽織ってはいるが、この2人が自国の者でもない事は明らかだ。
騎士たちはそれぞれ武器に指先を掛けており、己が主に危害を加えようとする者全てを牽制していた。勿論、その中には現王陛下自身も入っている。現在はどうであれ、システィナとライザタニア、そして東の塔を守護する魔女とライザタニア王とは、ずっと敵対関係にあったからだ。
「感謝申し上げる、ライザタニア王陛下」
「うむ。ーーさぁ、貴殿らに花を返そう」
素直に武器を収めた黒髪の騎士。
謝辞を述べる騎士へと、現王は腕の中の少女を引き渡した。
「アーリア、平気?」
「……ュゼ……?」
引き渡された先は茶色の髪に琥珀の瞳を持つ騎士の腕。アーリアは久々に感じる護衛騎士の温もりに、思わずホッと息を吐いていた。
再会を望みつつも、どの面下げて再会するのかと悶々としていたアーリアは、護衛騎士から変わらない笑みを向けられて、瞬間的に涙腺が緩んだ。
ほろりと溢れた雫を騎士が親指で掬う。
潤む視界の中、「さ、飲んで」と差し出されたのは色違いの小瓶が2本。護衛騎士の心眼に驚きつつ、アーリアは受け取った体力、魔力回復ポーション、2本の液を交互に喉へと流し込んだ。
「アーリア様、お迎えに上がりました」
「ナイル……っ……ごめ、心配を、かけました」
「ご無事で良かった。参上が遅くなり申し訳ありません」
体力と魔力とを回復させたアーリアの足下に跪くナイル。
ひりつく喉を震わせ、アーリアは謝罪を口にする。緊張で表情を強張らせるアーリアを他所に、ナイルはアーリアが自身の名を呼んだ時点で、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「御父君をはじめ、システィナ王陛下並びに宰相アルヴァンド公も心配されておりました。早期の帰還が叶わず、誠に申し訳ございません」
周囲にいる敵国の者たちを前に、ナイルは騎士としての態度を崩さない。課せられた役割を遂行すべく、限られた言葉でアーリアに状況を知らせた。
アーリアもまた、ナイルの言葉を正しく受け取った。
システィナ所属の騎士としてナイルが口にした『御父君』、『システィナ王陛下』、『アルヴァンド公爵』との単語にアーリアは僅かに瞳を揺らすと、「皆様に感謝を」と口にした後、「でも」と言葉を続ける。
「もう少しだけ待って。まだやる事があるの……」
そう、アーリアが迎えの騎士たちを制したとき、素直に迎えに応じない魔女の態度に苛立ちを覚えたのは護衛騎士たちではなく、ライザタニアの貴族たちだった。
「おお、迎えか。丁度良い、さっさとお引き取り願おう!」
「誠に、邪魔者には早々に退散して貰わねば困る!」
「そもそも可笑しな事なのだ。この場に他国の人間が入り込んでいるのは!」
幾度となく湖面へ叩き落とされていても、まだまだ元気の余っている貴族たちの主張。誰も魔女の暴挙を止められぬのなら、この場から退出してもらうしか逃れる術はないとばかりに、貴族たちは衣服や髪からボタボタと水を滴らせつつ、唾を吐き吐き叫ぶ。
「……ライザタニア王陛下、発言の許可を頂けますか?」
一通り、落第貴族たちの意見を見聞きしたナイルは、反論するより先に最高責任者へと許可を求めた。
主である塔の魔女を迎えに参ったとはいえ、ナイルはいち騎士。主と交わす言葉はあっても、他国の国王の前で貴族たちと言葉を交わす権利を持っていない。
だからこそ許可を求めた。
その一連の動作は貴族社会であればごく当たり前の事ではあったが、そんな当たり前の事すら失念していた貴族らにとっては驚きの行動である。貴族たちは一様に顔を青く、或いは赤くして、ナイルを睨みつけた。
他国の騎士と自国の貴族、その双方を見比べ、面白げに眉を動かした現王陛下は口元に笑みを浮かべると、「許す」と一言許可を下した。
「『この魔女にしてこの騎士あり』か。なかなかに面白い」
現王陛下の言葉に返答せず一礼のみ返したナイルは、主を相方の騎士に任せると、尚も主を罵倒する貴族たちへと向き直った。
「……我が主はシュバルツェ殿下からのご招待を受け、ライザタニアに滞在なされている。加えて、行動の自由にも許可を得ておいでだ。それを邪魔者とは聞き捨てならない。抗議させてもらおうか」
ナイルの威圧にたじろぐ貴族。亜人でもないタダの人間に臆したとあれば恥でしかない。
ライザタニア貴族としての矜持か、それとも負け惜しみか、腐敗貴族は瞳をギラつかせると犬歯を剥き出しにした。
「許可だと⁉︎ そも、シュバルツェ殿下が他国の魔女を招待していたなどとは、我々は知らされていない。そちらの認識が間違っているのではないか?」
「信頼されていないから、知らされていないだけでは?」
「何だと⁉︎ 騎士風情が不敬であるぞ!」
「不敬なのは貴殿らだ。王族方の言葉を歪め、身勝手に事を進めるなど、臣下として自覚が欠けているのではないか?」
淡々と抗議を重ねるナイルの言葉には明確な嫌悪感が混じっている。
本来なら、他国の貴族相手にここまで反論しない。気分を悪くしない言葉を選ぶのが普通なのだ。常識あるシスティナ貴族のナイルがその事を失念していたとは思えない。
ならば、なぜこの様な挑発めいた言葉を並べるのか。
それはただ、常識ない貴族らを他と同列に並べたくないからに他ならない。仕えるべき主君を利用し、己が利益のみを求める貴族たちに感じるのは、不快感のみであった。
加えて、彼らは己が主を罵倒し侮辱した。ここに無事な姿があるのは保護したシュバルツェ殿下の配慮であり、それがなくば今頃、主の無事な姿を見れなかったであろう事は、ここにある腐敗貴族を見れば明らかであった。
「我々はシスティナ王陛下より、事前にこの度のライザタニア訪問を知らされていた。両国の歩み寄りとして我が主『東の塔の魔女』アーリア様は招かれたのだ」
「嘘をつくな!そんな筈はない。魔女は捕虜にと連れられて来たのだ。確かに我々は鎖に繋がれた魔女を見た。貴様らは我々が虚偽を述べていると言うのか⁉︎」
ナイルの口からスラスラと出てくる新事実に、腐敗貴族らは勿論、観衆の半数は驚きを露わにしている。
斯く言うアーリアもそうで、内心心底驚いていたが、自分に向けて投げられたリュゼのウインクを見て、空いていた口を閉じた。そうしている内に、ナイルは早々、王子へと匙を投げていた。
「シュバルツェ殿下、彼らはこう申しておりますが……?」
視線を受けたシュバルツェ殿下は一瞬、現王そっくりの笑みーー本人は否定するに違いないーーを浮かべ、表情をすぐに社交用へと切り替えると、手を胸に恭しく頭を下げた。
「我が国の者たちが失礼した。魔女殿に対しても礼を失する言動ばかり、臣下に代わり謝罪しよう」
「シュバルツェ殿下⁉︎ 我々はッ……」
「黙れ。ーーどうやら、私は彼らに虚言癖があると思われているらしい。此処にはライザタニアの者ばかり故、私が真実魔女殿を招いたとする証拠がない。それでも信じて頂けるなら良いのだが……」
新たな事実が目の前で捏造られていく。『拉致』は『招待』へ、『捕虜』は『客人』へと。拉致された筈の敵国の魔女の立場が正当化され、王家の客人としての立場を得ていく。状況に納得いかぬとばかりに、腐敗貴族らの狼狽は強い。
「……殿下。彼らは何もシュバルツェ殿下が虚偽を仰られているとは申しておりません。ただ、『真実とはほど遠いのではないか』と申しているだけではございませんか?」
「おぉ、バルドレート公!」
貴族らの手助けとも呼べる発言をしたのは、これまで沈黙を守ってきた老官。白銀の髪を撫でつけ、銀縁のモノクルを鼻に掛けた老練な貴族は、両腕を長い裾に隠していた手を胸に当てると現王陛下に向けて一度腰を折り、シュバルツェ殿下と腐敗貴族らの間に立った。
「システィナの者より直接話を聞ければ真偽の程は分かりましょうが、如何せん、すぐに手配できるものではございません」
アーリアはこの時知り得ていなかったが、この老紳士はライザタニア建国の際からある名家バルドレート公爵家の当主であり、王家も無視できぬ権力を有する大貴族であった。
公爵の発言力は大きく王族も無視し切れぬ存在で、そんな大物貴族が後ろ盾に着いたなら、何も恐れる事はないと言わしめる程であった。
バルドレート公爵の出現にソワソワと浮き足立つずぶ濡れ貴族たち。虎の威を借る狐のように、バルドレート公爵の後ろから『そらやれ!』とばかりに期待を膨らませた。
「ーーでは、ご本人に聞いてみましょうか?」
当然、膨らんだ風船はいつか萎むもので、ずぶ濡れ貴族たちの期待に鋭い針を射し込んだのは、先頃『天敵』に昇格した敵国の魔女であった。
「魔宝具などと言うまいな?あれは声のみで相手の顔が分からぬ。誰と言われても信憑性に欠ける」
顎を撫でるバルドレート公爵に、アーリアはニッコリと微笑む。油断できぬ相手だが不思議と嫌悪感は抱かない。
「よくご存知ですね?声を届ける魔宝具は確かに相手の顔が見えない。その性質上、こういった公の場では相応しくないでしょう」
「システィナ程ではないが、魔宝具はこの国にもある。だからこそ分かるのですよ。『魔宝具では信憑性が欠ける』と」
「私も同感です。相手からの信頼を得る場でその様な魔宝具を使うわけには参りませんもの」
魔宝具は痒い所に手が届く便利道具だが、公の場では用いにくい。本来、政は『人と人との繋がりを大切にする』ものだからこそ、顔の見えぬ相手とは信頼関係を結ぶ事は不可能。故に、声を届ける魔宝具は信頼のおける相手にしか渡さないもので、主にプライベートで用いられている。
アーリアは会話の最中、視線をナイルへと向けた。するとナイルは落ち着いた面持ちではっきり頷いた。『どうぞ』とも言わんように。これで予測は確信へと昇格した。後は実行するのみだ。
「では、どうすると?異国の魔女よ」
「皆様が納得できる方法を取るまでです」
「ほう、納得できる方法ですと……?」
モノクルの奥で瞳が細まる。
「ライザタニア王アレクサンドル陛下、魔宝具の使用許可を頂きたいのですが」
今度はアーリアが現王陛下へと頭を下げた。
「許そう。使うのは攻撃系の魔宝具ではないのだろう?」
「勿論です。『東の塔の魔女』の名において、人に危害は加えないと誓いましょう」
「うむ。先に駄々を捏ねたのは我が国の者だ。自身の言葉に責任を取る意味でも、そなたの取った行動に文句など言わない。そうであろう?」
「勿論でございます、陛下」
現王からの視線を受け、頭を下げるバルドレード公爵。
アーリアは現王陛下の許可を得ると、周囲が騒がぬ前にと行動に移した。
ゴソゴソとスカートのポケットを漁り、取り出した萌黄色の巾着袋。袋の中から赤、青、黄、緑、白の五つの宝玉を手に取り、それを一つずつ床の板目に沿って置いてゆく。
北に一つ、北東に一つ、南東に一つ、南西に一つ、北西に一つ。2メートル四方に五つの宝玉を配置すると、アーリアは宝玉から2歩分下がり、手を翳した。
「ー星を紡ぐ 13の光ー
ー譜を紡ぐ 月の橋ー
ー駆け上がれ 宙にー
ー舞い踊れ 天をー」
魔力を帯びて輝く宝玉。光は五つの宝玉を結びつけ、五芒星を形作った。アーリアは隅々まで魔力が行き届いたのを見届けると、《力ある言葉》を紡いだ。
「ー天門よ開けー《転移》」
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『反撃はできるうちに6』をお送りしました。
魔力こそ大した消耗でないものの、体力を限界まで酷使していたアーリア。そんなアーリアへと伸ばされたのは、懐かしくも離れ難い人の手でした。
体力回復ポーション……甘ったるい桃味。
魔力回復ポーション……かろうじて青リンゴ味。
※効果はあるが果てしなくマズイとの意見を受けて改良されましたが、まだまだ課題の残る味となっています。
次話、『反撃はできるうちに7』も是非ご覧ください!




