想いと誓い2
『ジークさんの『想い』……そして『願い』は何ですか?』
アーリアの問いにジークフリードが拳を強く握りしめながら答えた。
「この国に巣食う闇を排除することだ……!」
ジークフリードの瞳には強い意志が宿っていた。その視線は鋭く、アーリアを通り越して何処かを睨みつけている。そこに宿るのは悲しみ、憎しみ、恨み、そして殺意……
「俺はーー私はアルヴァンド公爵家三男、ジークフリード・フォン・アルヴァンド。アルヴァンド公爵家は王と王家の盾にして劔。アルヴァンド公爵家は建国以前より王と王家に代々仕え、違わぬ忠誠を捧げてきた」
アーリアはジークフリードの告白に驚愕した。公爵家とは貴族の中でも最上位に値する。王家の血を引く者が公爵家を興したり、公爵家から王家へと姫を送り込んだりする由緒ある血筋だ。アーリアのような平民には雲の上の存在。普通に生活をしていたら関わり合いになることなどまずないだろう。
だがそんな事よりアーリアは『なぜ公爵家の騎士が獣人となってしまったのか』という事の方が気になった。ーーそして何より、ジークフリードによる告白が事実なら、この事はアルヴァント公爵家にとって隠しておきたい醜聞であるはず。これをアーリアなどに話してしまっても良いのだろうか。
『この話、私なんかが聞いてしまっても大丈夫なんですか?』
「アーリアには事の全容を聞いてもらいたい。そして判断してほしい」
『わ、わかりました』
アーリアの疑問と不安とが手を通じてジークフリードに伝わったのだろう。ジークフリードは一つ頷くと話を続けた。
「約二年前、『東の塔』に《結界》が張り直された事により、隣国からの脅威が一先ず収まった。それが起こったのはその少し後の事だった」
ジークフリードはゆっくりとした口調で昔語りを始めた。
「私はその頃、近衛の一員として陛下や王家の皆様の警備や王宮の警備等を行なっていた。その日、私の所属する小隊は宰相殿から『宝物殿の警備をせよ』との命令を受けた。その際、『北の国エルテスから不戦条約の証として魔宝石が贈られてくるの為の警備だ』との説明を受けた。私たちは何も疑う事なく、命令通りに宝物殿の警備の任に就いた」
ジークフリードは自身の記憶を元に当時の事をアーリアへ話して聞かせた。
「その日の午後、予定通りにその魔宝石が魔導士長の手によって運ばれてきた。魔導士長が宝物殿の錠を開け結界を解いて中へと入ろうとしたその時、その男は現れた」
『その男って……』
「その男こそ私たちに《禁呪》を掛けた魔導士バルドだった」
『っ……!』
「奴は忽然とそこへ現れた。そして魔術を使って易々と魔導士長を殺害し、魔宝石を奪った。ーー私たちは何もそれをただ眺めていただけではない。バルドを拘束すべく剣を振るった。だがその時、俺たちは訳の分からない術をその身に受けた」
『《禁呪》……』
「その術を受けた騎士たちは耐え難い苦しみを受けながら、その身を人間から亜人へと変えられてしまったんだ」
抗う術もないまま近衛が、国の最高峰の騎士たちが易々と魔導士一人に敗北した。この事実は騎士たちの心に深い傷を残した。
ジークフリードはあの当時の事を思い出すだけで、悔しさで気が狂いそうになる。
近衛とは何者にも膝を屈してはならない存在なのだ。敵を前にして逃亡などあり得ない。
「生き残った俺と小隊の騎士たちは全員、獣人へ変えられた。そして更には禁呪《隷属》によって、バルドの手下へと堕とされたんだ!」
ジークフリードは自分の爪が掌に食い込むほど握りしめた。目の前が怒りで真っ赤に染まっていく。
「私ーー俺たちは国から追われる身となった。魔宝石を奪った魔導士バルドとその仲間の獣人としてッ!」
『何故……⁈ 事態を知る者は他にもいたんじゃないの?』
「誰だってそう思うだろう?でも現実はそうじゃなかった。……その時の事実を見て覚えている者は魔導士に殺されたか獣人にされたかの二択。だから、獣人となった者がいくら『自分は人間だ』と訴えても、まともに信じてはもらえなかったんだ」
それはそうだろう。人間が獣人に姿を変えるなど、誰が信じるだろうか。その目で見ていない限り嘘としか聞こえないに違いない。
「俺たちは何とか自分たちに起きた出来事、そして犯人の存在を知らせるべきだと考え、サリアン宰相殿へと訴えた。だが、宰相殿は俺たちの姿を見るなり『国家に仇なす敵』と認定し、聞く耳など持たず、問答無用で討伐を指示した」
ジークフリードたちは命かながら王宮から逃げるしかなかった。自分の同僚たちの強さを知っていたし、そのまま黙って殺される訳にもいかなかったからだ。
「それからは酷い日々だった……。バルドに指示され悪事に加担するなど、己の存在意義が、心が砕ける思いだった!何故、国王陛下に、王家に、国に忠誠の誓いを立てた俺たちが、その国に仇なす行いをしなければならないのかと!」
ジークフリードは拳を自分の膝へ叩きつけた。悲痛な叫びにアーリアは何も言えずに目を伏した。
「俺と共に獣人に変えられた者の中にはバルドに強く反発し、殺された者も多くいる。自分の行いに耐えられず自ら命を絶った者も」
ジークフリードはギリッと唇を噛んだ。噛んだ場所から血が滲み出す。
「俺はそれをただ見ている事しか出来なかった!己で己の命を絶つ事など到底できなかった! 獣人となり己の精神をどれだけ削られても……!それは俺には何をしても消せない『想い』があったからだ。ーー国を裏切り、人を裏切り、人の尊厳を踏み躙り、人の命、健やかな生活を奪う外道たち。その者たちを断じて許してはおけないッ!」
ジークフリードはそこでなぜか強く握り締めていた拳から、殺意を込めた瞳から、力を抜いた。それは自分のその強く握りしめた拳に、そっと添えられた手に気づいたからだった。
『ジークさんはバルドの他に……いえ、バルドの裏にいる人物が誰なのかを知ったのですね?』
「ああ……。この二年間考えてきた。バルドの裏にいるのはこの国の宰相だ」
ジークフリードは拳に添えられたその柔らかな手を見つめながら、息を整え怒りを沈めていく。
あの頃を冷静に思い起こせば、不可解な点が多々ある事に気付いた。まず、あの警備からしておかしかったのだ。
あの警備の命を出したのは宰相。そして碌に調べもせずジークフリードたちを敵と認定し討伐の命を出したのも宰相。
宝物殿で配備された騎士と魔導士ーーその数と死体の数を調べれば、行方不明者が誰なのかなど、すぐに分かったはずだ。だが、宰相は碌に調べもせず、獣人となった者たちを魔宝石を奪った魔導士の配下だと決めつけた。
ーあの男が、俺たちを……!ー
ジークフリードは獣人にされた後、どうにか自分の父に繋ぎを取ろうと画策した。バルドの目を盗み、危険を犯し、何度かの手紙のやり取りをした後、遂に父と会うことができたのだ。その時、ジークフリードはあの事件で己が『死んだ事』にされている事実を知った。
ジークフリードの父もあの事件の調査に不透明さを感じ取り、自らも危険を犯して調査していたそうだ。そうしている内に、死んだ筈の息子から手紙を受け取った。
そして漸く親子二人が出会った時、ジークフリードもジークフリード父も己の中の確信をより深めた。
ジークフリードの妹リディエンヌの『東の塔の魔女』抜擢事件に始まり、アルヴァンド公爵家を陥れる事件の数々ーー此処に至る全ての件であの宰相が裏で暗躍していた事を。そして、自分たちアルヴァンド公爵家を皮切りに、宰相の邪魔になる家の者たちが次々に排除されていることも知った。
『ジークさんの『願い』って……』
「俺の『願い』は、俺にかけられた呪いが解けた後、国に仇なす真の逆賊、あの宰相を断罪する事だ!」
(ああ、だから、私を騙してでもバルドの元から連れ出し、何としても《禁呪》を解いて貰おうとしたのね?)
アーリアはジークフリードのこれまでの言動の理由に思い至る事ができた。ジークフリードが魔導士バルドを裏切り、《隷属》に抗ってまでアーリアと行動を共にした理由を、アーリアは漸く理解する事ができたのだ。
「俺は宰相を断罪するために、アーリアには俺にかけられた呪いを解いてもらいたい」
『はい。私は当初の計画通りにジークさんの呪いを解くお手伝いを、いいえ、呪いを解いてみせます!だから、その後は存分に宰相を断罪してくださいね?』
アーリアはジークフリードの『想い』と『願い』を受けて、俄然やる気が出た。ジークフリードの『願い』を叶える為にも、何としてでも彼にかけられた呪いを解いてやろうと思った。だからその後はーー
『ジークさん、呪いが解けたら私を置いて行ってください。私はジークさんの足手まといにしかなりませんから』
アーリアはそう言い切った。ジークフリードの枷にはなりたくなかったからだ。ジークフリードの呪いが解ければジークフリードはアーリアを守る必要など無いのだから。
「そんな事はしない!アーリア、俺をみくびらないでくれ!俺はお前を『何者からも護る』と誓ったんだ。騎士は己の誓いを曲げたりはしない。俺の忠誠は王と王家に捧げられているが、今、護りたいのはお前なんだ」
ジークフリードはアーリアの右手を掬い上げた。アーリアの右手の甲に口付けを落とすと、唇はそのままに、目線だけ上へ向けた。すると、アーリアは赤面して固まっていた。
ジークフリードはその顔を見て、ほんの少し安堵した。アーリアに愛想つかされた訳でも、全く意識されていない訳でもないのだと分かって。ーーそう思えばこそ、ジークフリードはもう一度アーリアの前に跪いていた。アーリアの右手の甲に唇を落としたまま、誓いの言葉を再び口にする。
「アーリア。もう一度、俺にお前を護らせてくれ。お前を何者からも護ろう。俺の身勝手な誓いを、どうか受け入れて欲しい」
『ず、ズルイですっ!そんな風に言われたら断れません』
アーリアは赤面したまま情け無い声を出した。ジークフリードがアーリアの手の甲に触れている唇の感触にドキドキが止まらない。
アーリアもジークフリードに守って欲しくない訳ではないのだ。
一人になれば、勿論、生命の危機も増えるだろう。だがそれよりも、ジークフリードの二年前からの強い意思をーー『願い』を踏みにじりたくなかったのだ。だからこそ、ジークフリードを早々に手放そうと考えた。どう考えても、アーリアと一緒にいる事はジークフリードにとってデメリットにしかならないと思えたからだ。
だからこそ、アーリアは雰囲気に流されてジークフリードの『騎士の誓い』を受け入れてしまう訳にはいかなかった。
『ジークさん、本当にいいんですか?私といると、断罪から遠のきますよ?』
アーリアは念を入れて尋ねた。
「そんな事はない。お前は未だバルドに狙われているんだ。奴の裏には宰相がいる。このまま宰相の下へ出向いた所で、宰相が大人しく断罪されてくれる筈も無い。確かな証拠が必要なんだ。その為にもアーリアと共にいる事は、決して、無駄では無いんだ!ーー……とまあ、そんな風に理屈っぽく理由を述べれば、お前は俺の『騎士の誓い』をすんなり受け入れてくれるのか?』
アーリアはジークフリードの言葉に、睫毛を瞬かせた。そして挙げた素っ頓狂な声。
『え……? はぁ!?』
「なんだ、気づいていなかったのか?」
「な、なにを?」
「アーリア、お前は理屈に合った話や考えを好むだろう?ぼんやりとした感覚のモノを好まない。そんな所が魔導士らしいというか……」
『……』
アーリアには『ただ己が守りたいから守りたい』と言う感情的で感覚的な『想い』が通じない。それよりもまだ、打算と計算、利益と言った方が通じる。理屈が通っていないことを嫌う傾向にあった。
ジークフリードに言わせれば『見た目がぽわんとしている割に中身は堅い』という事だ。
世の中の年頃のお嬢さんのように感情豊かだったなら、ジークフリードにとってはどんなに楽な相手だっただろうか。言葉巧みに騙しても、相手は騙されているとは気づく事はなかっただろう。アーリアが世間にありふれた娘ならば、それこそジークフリードは手練手管を駆使しては罪悪感なく騙し切ったかもしれなかった。しかし、その場合は己の『想い』や『願い』を聞かせることなど、絶対になかっただろうが。
「そんなお前だからーー……」
ジークフリードはアーリアにこの結末を最後まで一緒に見届けてほしいと思っていた。それが自分勝手な願いと分かっていても、最後まで共にいてほしいと。
「アーリア。これからもお前を俺に守らせてくれ」
『どうなっても知りませんよ?私、責任取れませんからね!?』
どうなに自分が不利な状況でも、結局アーリアはジークフリードを受け入れてしまう。それはアーリアの甘さ。ジークフリードはアーリアの甘さ、いや弱みにまた漬け込んでしまった事に少しの罪悪感を持った。たが、これからはそれを後悔などしないだろう。
ジークフリードはアーリアの手を取って、一緒に立ち上がった。アーリアはまだ微妙な顔をしている。指摘した点に自覚がなかったからなのだろう。
その点も去ることながら、アーリアは『正解』を選べず、理屈に沿わない結果を選んでしまう自分の心が理解し難いと思っていた。アーリアは結局ジークフリードを手放せなかった。
後悔と安堵が心の中でせめぎ合う。
アーリアの手の冷たさに気がづいたジークフリードは、アーリアの手を自分の両手で包み込んだ。
「すまない。夏とはいえ夜は冷える」
『……! だ、大丈夫です』
ジークフリードはアーリアの両手を自分の両手で包み込んだまま顔を近づけると、ほうっと暖かい息を掛けた。
『 ーー⁉︎』
アーリアはその行為にドギマギして、頭の中を占めていた悩みや考えを思わず放棄した。
ジークフリードの唇がアーリアの手に軽く触れるその行為が、くすぐったくて、恥ずかしくて、もうどうしたらいいの分からなくなってしまう。自然と顔が赤くなっていくのが、自分でも分かった。
ジークフリードはアーリアのその様子がたまらなくおかしかった。顔に出さずに心の中で密かにほくそ笑む。
『〜〜〜〜! じ、ジークさん、実は面白がっているでしょう?』
「そんな事はない」
『ぜ、絶対、面白がってます!そんな感じがしますっ』
ジークフリードは『なぜバレたのだろう?』と思ったが『そういえば《契約》によって精神世界が繋がっているな』と思い出した。
口の利けぬアーリアと話ができるのは、アーリアの声がジークフリードだけに聞こえている訳ではなく、アーリアの心の声がジークフリードの頭に直接届いているのだと云う説明を、事前に受けていたのだ。
ジークフリードは観念してアーリアの両手を口から離したが、左手は繋いだまま離さなかった。
「アーリアは本当に可愛らしいな?」
『揶揄わないでください!どうせ私は世間知らずでから!』
アーリアが頬を膨らませてそっぽ向いた。
そんな姿も可愛いと思ってしまうなど、本人は知らないだろう。ジークフリードはそれを教えてやる気はなかった。
アーリアはプンスカ怒って浜辺から街に向かって歩き出した。ジークフリードは手を離さないように力を少し込めると、アーリアは握り返してきた。そのままアーリアに手を引かれるように歩いた。
「……バルドはアーリアを狙っている。初めはアーリアの持つ魔宝石を狙っているのかと思ったが、あの男からの命令は、お前自身をあの男の元へ連れて行くことだった」
『実は私、初めから魔宝石なんて持っていないんですよ?バルドも薄々気づいているはずです。なのに彼は何故か私自身を狙ってくるの』
「自身が狙われる理由が、お前には分からないと?」
『はい。だって私自身を狙うなら、今じゃなくても良かったじゃないですか?あの日まで、私は逃げも隠れもせずに魔宝具職人として過ごしていたんです。しかも一人暮らしをしていました。その時に連れ出せば良かったじゃないですか。その方が苦労が少ないでしょう?』
「そうだな……あ!狙わなかったんじゃなくて狙えなかったのではないか?」
ジークフリードの言葉にズンズン坂道を登っていたアーリアが足を止めてジークフリードへ振り向いた。
『どういう事ですか?』
「お前の近くには師匠がいたのだろう?住んでいたのが同じ街ではないとはいえ、目と鼻の先の距離だ」
『そ、そうかも……。師匠はあんな人だけど、すごい魔導士だから……』
「だからアーリアに手を出せなかった。だが、思わぬ事にアーリア自らが、師匠の下から飛び出した。だから……」
『あぁ!やっぱり不用意な行動で、自分自身の首を絞めたんだぁ〜〜!?』
アーリアは自分の頭を抱えて叫んだ。手を離したので、ジークフリードには言葉が伝わらなかったが、アーリアの言っている事は何となく分かった。
「もう過ぎたことだ。気にするな!気にしても仕方がないだろう?」
ジークフリードは再びアーリアの手を取った。
「大丈夫大丈夫」
ーーアーリア、俺がお前を護る。それに、お前には過保護で最強の師匠たちが、後背に控えているのだから。
今度はジークフリードが、落ち込んだり怒ったりするアーリアの手を引いて宿屋まで茶畑の間を歩いた。夜空は星が瞬き、月が温かな光を地上に届けてきた。アーリアの白金の髪がより美しく光を浴びた。まるで月の光のようだった。
今だけは『この幸せな時間が続いてもいい』とジークフリードはひっそりと思った。
お読みくださり、ありがとうございます!
ブクマ登録、本当にありがとうございます!感謝感激です!
少し長くなりましたがジークフリードの想いと願いでした。
粘着質なジークフリードにアーリアは今後どうするのかが気になります。




