反撃はできるうちに3
※(ゼネンスキー侯爵視点)
ーザパアァァァン……!ー
水飛沫と共に湖底へ消えていった自称側近貴族ども。
断末魔の様な悲鳴が聞こえた気がしますが、きっと気のせいだでしょう。妖精族の血を引きし誇り高いライザタニア貴族ともあろう者たちが、そんな情けない悲鳴をあげる筈がないのですから。
「き、貴様ァ!こ、この様な真似を、ごほっ、して……」
「くそっ、何故、私がこの様な、目に……」
「ごぼっ。お、おのれ、おのれおのれぇぇ……!」
水泡が上がり、水底から側近貴族たちが這い出してきた。口から水と文句とを吐く。憎々しげに魔女殿を睨みつけてはいるものの、その顔はには随分と余裕がない。
「許さんぞッ!貴様など……」
「てい」
「へ?」
水を滴らせながらも剣を構えた側近貴族たちの身体に、再び銀色の光る鎖が巻き付いた。銀色の鎖の先には手を翳した魔女殿。魔女殿は爽やかな微笑みを浮かべ、手を振り下ろした。
「ま、まさか……⁉︎」
「なっ、こ、ひぃ……⁉︎」
「なんっ……⁉︎」
鎖が引かれ、側近貴族らの身体が宙を舞う。銀色の鎖はグンッと伸縮し、弧を描いて目的地へと誘った。
ーザパアァァァァンン……!ー
パラパラと水飛沫が降り注ぐ。
「ハハハ、何と豪快な!」
観客から拍手喝采が贈られる。惜しみない称賛。手で膝を叩きーーいつの間にか、大理石製の彫像の一つに腰掛けているーー生き生きとした表情をお見せになるのは、我らが王ーーライザタニア王アレクサンドル陛下。
陛下の性質がシュバルツェ殿下の仰る通りなら、例え敵であろうと『強敵たり得る者』ならば、身分性別立場関係なく賞賛に値するのでしょう。現に、陛下は赤色の瞳を爛々とさせながら、魔女殿の魔術に食い入っておられる。
「ふん、愚か者共め」
対して我が主。苛立ち気に毒づかれるはシュバルツェ殿下。
殿下は魔女殿の所行には目もくれず、自身の側近を名乗る貴族たちの言動に大層ご立腹のようです。
「敵う相手かどうかも判断つかんのか?」
「たかが魔女、小娘だとタカを括っているのでは?」
「それこそ奴らのミスだ」
有責狙いで仕掛けた魔女殿もどうかと思いますが、そもそも簡単に挑発に乗る方が悪い。『言質を取られた』方が不利になるのは当然なのです。言わばこれは自業自得。助けの手を伸ばす必要性は、全く感じません。
「貴様ァ!タダでは、済まんぞっ……!」
「あれ?まだ元気があるみたい」
「貴様など、我が剣にかかれば……」
「じゃ、もう一回ね。そ〜れ!」
水飛沫再び。水泡を上げて沈みゆく側近貴族。三度目ともなると、なかなか上がって来ないものですね。
「学習能力がないのか?」
「危機管理能力も欠如しているかと」
「一度も戦場へ赴いた事のない奴らには、敵と対峙する事の意味が理解できていないのだろう」
「全く嘆かわしい事です」
眼鏡を濡らした水飛沫を軽く拭っていると、漸く側近貴族らが水面に顔を出した。
口から水と空気、ついでに悲鳴やら懇願やら怒声やらをあげる貴族たち。銀色の鎖に繋がれたまま地底湖に投げられ、引き上げられを繰り返しているので、既に顔面は蒼白です。
一方、隣ではシュバルツェ殿下がクツリとお笑いになっている。楽しそうで宜しゅうございます。
「まるで拷問の見本のようだな」
「ソーダネ」
「一体どこで学ばれたのだろうか?」
「サァ?」
魔女殿と付かず離れずの距離にいる近衛騎士の衣服着込んだ見知らぬ二人組ーー恐らく、隣国の工作員でしょうーーは、魔女殿への理解度が高いのでしょう。先程までは叫ばんばかりに心配していたが、今は静かに傍観に徹している。それでも、いつでも駆け寄れる様にはしているのは、ひとえに魔女殿への忠誠の現れではないでしょうか。
「ククク、いち魔女にして置くには惜しいな」
左側面から齎された言葉に意識を戻す。シュバルツェ殿下の表情は相変わらず氷の如くですが、魔女殿の持つ『ある種の才能』に賞賛を向けているのをその表情から読み取れます。敵であっても才ある者は認める。シュバルツェ殿下は確かに、現王陛下の気質を継がれているのでしょう。
「ほら見ろ、あの嬉しそうな顔を……」
「……。余程鬱憤が溜まっておいでだったのでしょう」
主に、シュバルツェ殿下、貴方の所為で。
そう思えど口には出さない。言わなくとも殿下は気づいておいででしょうし、そもそも魔女殿の誘拐を企てたのはシュバルツェ殿下と兄君であるイリスティアン殿下お二人なのです。彼らはそれを棚上げにはなさいません。だからこそあの様にシュバルツェ殿下、そしてイリスティアン殿下もこの事態を受け入れておいでなのでしょうから。
「あらあら、まぁそうなるわよねぇ~」
「殿下、素が出ておりますぞ」
「あらやだ。でも、益々惚れちゃいそうだわぁ」
森の妖精と見間違う麗しの第一王子殿下は、眉をハの字に歪めると片頬に手を置き身体をしならせた。これで性別が女性ならば『傾国の美女』たり得ていたに違いありません。しかし、彼はアレでも歴とした紳士。
あの容姿ならば、男女の差異など物ともせず傾国できたのではとの憶測が生まれた。『男女関係なく手球に取り、王宮を崩す傾国の王子』。嗚呼、イリスティアン殿下が常識人であった事を、ライザタニアは喜ばねばなりません。
そんな『あったかも知れない未来』を想像し背筋に汗していると、イリスティアン殿下の王子足り得ぬ言動に対し、側に控えていたシュバーン将軍がすかさず突っ込みを入れた。その冷静な態度とは対照的に、側近シュティームル伯爵を始め他の者たちは身を固くし、青褪めた顔をしています。
「どんな事態であろうと、主を差し出す訳にはまいりませんからね」
忠臣と名乗るならば。
忠臣であろうとするならば。
イリスティアン殿下の側近と部下たちは、イリスティアン殿下を主と認め、尽くしています。だからこその態度がああなのです。
ライザタニアのに属する者ならば、多かれ少なかれシスティナのーーそして魔女殿の逆鱗に触れています。現王陛下、第一第二王子殿下の王族陣始め、ライザタニアに属する者全てが報復の対象になるのですから。
現在、魔女殿の術がコチラに向いていないのは、暗に彼女の気まぐれ。たまたま獲物候補が名乗りを挙げたので、先にアチラを相手取っているに過ぎません。いつコチラに狙いを定めても可笑しくないのです。
「頑丈な人たち。あ、妖精の血をひくんだっけ……?」
麗しい少女が男たちを手球に取り、満面の笑顔を持って地獄の底へ叩き落としています。その異様な光景を食い入る集団は六つ。
一、シュバルツェ殿下と麾下の者(側近、騎士、兵士)
一、イリスティアン殿下と麾下の者(側近、騎士、兵士)
一、現王アレクサンドル陛下(単身)
一、隣国の工作員(騎士二人)
一、ルスティアナ侯爵とその共の者(神官、兵士)
一、その他(子ども二人と修道女一人)
その中でも、魔女殿に対し危機感を持っているのは、戦い慣れた兵士や騎士たちでしょう。
騎士たちは目の前で繰り広げられる寸劇に、固唾を飲んでいます。大の男、それも複数を手球に取る魔女殿の手腕に、恐怖を覚えているのでしょう。だからこそ、彼らは自らの主を守らんと身構える。強靭に晒されない様に守るのです。それは、魔女殿を知る近衛であっても同様。
「シュバルツェ殿下、お下がりください」
「決してその場から動かれませんように」
直属の近衛騎士二人がシュバルツェ殿下を庇って前へ出た。
手を剣の柄に掛け、いつでも抜刀できる様に腰を屈める。
「ば、化け物……!」
自称側近貴族が溢した言葉。彼らは漸く、自分たちが怒らせたのが『誰』かと云う事が分かったのでしょう。
魔術には高威力の攻撃を放てるという利点が目立ちがちですが、通常魔導士は単独では戦えません。魔術を行使するには儀式が必要であり、その僅かな時間、無防備な状態に晒されてしまうからです。
魔術の詠唱に邪魔が入れば当然術は中断され、行使できない。必然的に術者は前衛ではなく、後衛に付く事が推奨されます。本来、前衛職との一騎打ちなど出来ない。いや、出来ない筈でした。
しかし、魔女殿の魔術に限り、それらの常識は当てはまらない。
魔術の発動に必要な魔力の溜め、動作、詠唱。それが限りなく短時間で行使され、魔術の効果がほぼゼロ時間で発現している。詠唱に至っては省略されている様にすら見えるのです。
これでは、対処しようにもどんな術が襲ってくるか判らず、また、距離を詰める事も儘ならない。
「しかも、術の複数行使ですか……」
『魔術を発動中に二つ目の魔術を発動する事はできない』。
これはライザタニア軍に属する者の共通認識でした。
現に、これまで魔術を複数行使する魔導士と対峙したという記録はありません。魔宝具を使えば可能にはなるでしょうが、魔女殿にはその様子が見受けられません。
「我々は随分と危ない橋を渡っていたのですね……?」
「だが、これで皆も体感できた。以降、不用意な真似をする者は減ると思いたいが……まぁそれも『ここで滅亡を迎えなければ』の話だな」
「ええ。此処で学ばねば後がありません」
我々ライザタニアが侵攻をかけていた隣国システィナには、魔導士が複数存在します。中には、魔女殿に並ぶ術者ーーいいえ、それ以上の術者も存在する可能性も捨て切れません。
もし、そんな者たちが戦争に駆り出され、ライザタニアへ攻め入って来たら?
魔女殿の姿に、そんな『あったかも知れない』過去や未来を想像する事は容易く、誰もが震撼せざるを得ないのです。
「ま、アレでもアーリアは手加減している。でなければ、これ程叫べまい」
自国の滅亡が掛かっている正念場。にも関わらず、我が主のこの楽しそうな様子、余裕は何処から来るのか。この先の道筋が見えているからなのか、それとも……?
どんな道筋であろうと、それがシュバルツェ殿下の思い描く未来へと続く道ならば、私のすべき事は決まっています。
「ーー殿下、少々側を離れる事をお許しください」
「リヒャルト?」
「ケジメをつけて参ります」
シュバルツェ殿下へ頭を下げ、明確な許可を貰わぬまま身を翻す。向かう先は現王アレクサンドル陛下の御許。騒動の渦中とあって、皆の視線は魔女殿へ向いている今、静止の声は出ない。
「アレクサンドル陛下」
「む?」
天使の彫像の縁に腰掛け、完全に観客と化していた現王陛下は、自身の前に現れた私に視線を向けられた。無意識に向けられた威圧的な視線が全身に突き刺さる。
「陛下にお尋ねしたい議がございます」
以前の様な高圧的な態度は業を潜めている。現王陛下は突然の申し出に不快感を示されなかった。ただ、私の顔を見て多少驚いている感はありますが、それでも静止はなさいませんでした。
「申せ」
「は。我が妻の死について……」
緊張が疾った。自身にーーそして聞き耳を立てていた者たちに。今がどうであろうと、現王陛下がこれまで行ってきた事は消せません。暴君たらん現王を知るからこそ、この様な危険を孕んだ質問にはどうしても緊張せざるを得ないのです。
「私は妻の死が不当なものであったと考えております」
我が妻は無惨に殺された。ある令嬢を庇って。そしてその令嬢も、妻という守護を失って無情にも殺されてしまった。その殺害の理由とは『現王陛下の不況を買ったから』と公にされていました。
妻の死にどれだけ疑問があろうと、その理由が現王陛下ならば、反論するだけ無駄というもの。逆に、こちらに反逆の意志ありと見做されてしまう。だからこれまで私は、家族を守る為にも疑問を呈する事はなかった。けれど、今はーーーー
「いくら時が経とうとも私の中にある獣は消えませんでした。それどころか私の中にある獣は大きく膨らみ、遂には子どもたちにも気づかれてしまいました」
大きな誤算。あれ程ひた隠しで来た感情が、よりにもよって愛する子どもたちにバレていたのです。
心の奥底に揺蕩うドス黒い殺意を見透かされていたのだと知って、純真な子どもたちにどれ程の負担を敷いてきたのかと、後から後から後悔が押し寄せてきた。
私と現王陛下との遣り取りを食い入る様に見ている子どもたち。修道女と他国の工作員二人が止めに入らなければ、この場に飛び出していたに違いありません。
子どもたちは、私の為に、こんな所まで来てしまった。
どれ程の危険があるか、考えなかった筈はない。
それでも、子どもたちは私の為にーー私のケジメのつかぬ感情を杞憂して、こんな所まで……!
「殺したいか?我を」
頭上に落ちてきた声に、無言で唇を噛み締める。
出来る事なら殺してやりたかった。愛する妻を殺したとされるこの男を。憤りの全てをぶつけてやりたかった!
しかし、愛する婚約者を殺されたもう一人の男が、それを成していない。主が為さない事を何故臣下が為せようか⁉︎
「リヒャルト・ラーナ・ゼネンスキー侯爵。貴殿に語る言葉を我は持たない」
「ーー!」
「ただ一つ持つとすれば、それは謝罪だ」
静かに落ちた言葉にハッと瞼を上げる。
「貴殿が恨みを持つのも当然。それだけの事を我はしでかしてきた。我の感知せぬ事柄であっても、この国で起きた惨劇ならば、それら全てに我は責任を持たねばならぬ。我はこのライザタニアの国主なのだから」
これまで耳にしたどの言葉より理性的な言葉に、心が、身体が震えた。現王陛下の語る言葉に虚偽を見出せず、主の言葉は真実なのだと、改めて思い知らされた。
陛下は彼女たちの事を忘れてはいなかった。
私の名をご存知だった。
ライザタニア国主として相応しい才覚をお見せになった。
いち臣下でしかない私とその妻の事を、陛下は記憶に留めておいでだった。この国で起こった全ての事象に責任を持つと仰った。憎くて仕方なかった陛下が、謝罪を口にされた。
辛く苦しい日々の、胸中に渦巻いていた感情がーー心の蟠りが、解けていく。
「彼女らの死を語るには、此処では場所が悪い」
現王陛下の声が、目線が上を向いて、騒がしい周囲を見渡した。
「もうすぐ地上ではライゼの花が咲く」
「っ、はい……」
「場は、その時に改めようぞ」
ライゼの花。ライザタニアの国花。白い四弁を持つ可憐な花は、妖精の国に春の訪れを告げる。間も無く、妻が好み、幾度となく贈った花が咲く季節が訪れる。
「今は貴殿は為すべき事を為せ、軍務長官ゼネンスキー侯爵」
「御意」
現王陛下の命令に膝をつき頭を深々と下げる。
新たな季節の訪れを望む王と王子たちに、この生命を賭けましょう。愛する子どもたちに未来を届ける為にーー……
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『反撃はできるうちに3』をお送りしました。
アーリアの反撃の最中、ゼネンスキー侯爵は現王アレクサンドル陛下へと対面を果たしました。
ゼネンスキー侯爵の中にはまだ燻る物はありますが、それでも前へと進む準備を始める事ができたようです。
次話、『反撃はできるうちに4』もご覧ください!




