復活の王1
※(ルスティアナ侯爵視点)
ついに、ついについに!この時が来たのだ……!!
私は目の前に広がる光景に胸が逸るのを抑えきれなかった。
水面に映る御尊顔は確かに現王陛下のもの。二年もの間見る事のなかった顔だが、見間違える筈はない。あの豊かな黄金の髪、燃える緋色の眼。氷水に封じられて尚放たれる威圧。開かれた相玉からは狂気すら感じられ、思わず身体に痺れが奔る。
彼こそが、自国のみならず他国からも『狂気の王』と名指せられるライザタニア王アレクサンドル、その人なのだ。
現王アレクサンドル陛下は戦いを好み、血を好み、他国へ戦を仕掛けては蹂躙の限りを尽くし、奪い尽くした。支配下に置いた領土からは人も物も、何もかも取り上げ、自国の、いや、己がモノとした。それはかつてその地の王族であっても同じ事で、どんな身分の者であっても奴隷として人間の尊厳まで奪っていった。
現王陛下の狂気はそこに止まらず、自国にまでその手は伸びる。気に入ったなら他人のモノでも己がモノとし、気に入らぬならばその場で切り捨てる。だからこそ、誰もが現王陛下の狂気を恐れ、傅き、耳心地の良い言葉を並び立てる様になったのは、当然の結果と言えよう。いつ何処で現王陛下の狂気が発動するか分からないのだ。我が身可愛さに、現王陛下に取り入ろうと考える者は後を立たなかった。
何を云う、私もその一人。
先に失脚したアーレンバッハ枢機卿と共に現王陛下の下へ足繁く通い、貢ぎ物を贈り、政敵の首を差し出して、現在の地位を得た。
『宮殿は政治とは切り離された組織である』とは、表向きのこと。愛と正義と奉仕の精神だけで成り立つ組織など存在しない。人が関われば衣食住が必要となり、金が必要となる。神殿の性質上、奉仕の精神がない訳ではないが、先立つ物がなければ運営自体が滞ってしまう。その為の献金なのだ。
貴族たちからの献金、王宮からの援助、それらを活動資金として神殿運営がなされている。幸い、神殿の信者は建国から現在まで一定数は維持されているし、貴族たちからの献金にも過不足はない。慎ましく生活するなら十分だろう。
だが、それになんの楽しみがある⁉︎
貴族に生まれたからには今ある現状に満足するのではなく、高みを目指すだろう。現王陛下を恐れ、地方に引き籠るうだつの上がらない貴族になどには一生分からぬであろうな。美味い食事、酒、肌触りの良い衣服、身を飾る宝石、豪奢な住まい、そして美しい女。地位が高ければ、それだけ身の回りの環境は良くなる、満足ゆく生活が送れる、望んだ状況を作り出せる。
貴族に生まれたなら、誰だってより良い環境を望んで行動するだろう。我らは選ばれし者ーー貴族なのだから。
そうして得た神殿のナンバー2である大司教という地位。
確かに豪奢な住まいも食事も衣服も女も、何もかもが手に入る地位ではあった。神殿の運営などという雑事は下々の者がするし、体外的には姫巫女を出しておけば信者たちは満足する。唯一の上司であるアーレンバッハ枢機卿の機嫌さえとっておけば、円満で贅沢な毎日が過ごせる。何もかも順風満帆。そう、一時は思っていた。いや、思い込もうとしていた。枢機卿が第二王子への叛逆罪でその地位を追われるまでは。
突如、転がり込んだ神殿のナンバー1という地位。
何者にも傅かず、頭を垂れず、抑圧のない地位。
嬉しくなかったかと言われれば嘘になる。しかし、五月蝿い上司が消え、この世の天下が自分のモノとなった様に思えたのはほんの一時の事だった。
地震災害の混乱の最中、王宮からの無理難題を押し付けられたあの日、私は此処が我が常世の天下でない事に気づいた。気づいてしまったのだ!
我が地位は、王宮の後ろ盾があってこそのもの。神殿は王宮のーーそれも、第二王子の支配下にあって、そもそも自由にできるモノなど何もないのだと。
考えれば、これまでもそうであったのだ。『王家の影』と呼ばれる神殿ではあるが、実質的には王宮の管理下にあり、国民の求心力を得る為のプロパガンダに過ぎない。全ては王宮の、そして王家の為に生かされてきたのだ。
先頃、私がアーレンバッハ枢機卿と連座で裁かれなかったのは、端に今回の件には関わりがなかったからだ。枢機卿に擦り寄っていたとは言え、全ての罪に関わっていた訳ではない。単に偶々、偶然、今回の件に限り関わりがなかったから、裁かれなかったに過ぎない。
それでも『ついで』に裁かれなかったのは、その方が王宮にとって都合が良かったからなのだろう。だからこそ私は生かされ、引き続き神殿の管理を任された。次の候補者の名が上がるまでの中継ぎとして。
では、次の候補者ーー神殿の支配権を持つ者が用意されたなら、私はどうなるのだろう?
そんなもの考えずとも分かる。王宮から新たな者が神殿の長へ指名された時、私は間違いなく失脚する。これまでの後ろ暗いアレコレを持ち出されたら、言い逃れなどできない。
今の神殿、そして私には以前の様な権力はない。権力はおろか発言力さえ取り上げられ、ただただ第二王子の言いなりになるしかないのだ。
そんな状況で、何ができる?
弁明さえ虚しく、首を切られるまで大人しく過ごしていろと云うのか?
愚かな!座してその時を待つなど出来はしない!
現状を打破できる可能性はただ一つ。第二王子よりも強大な権力を持つ者へ取り入ること。第一王子ではダメだ。ならば誰がいる?そう、幽閉中の現王陛下をおいて他におるまい。
思えば、現王陛下が玉座にあった頃の神殿、そして神殿に属する貴族たちは自由な権力を有していた。王宮の顔色を見る必要もなく、贅の限りを尽くせた。誰に咎められる事もなかったのだ。
そも現王陛下は政に興味がなく、神殿どころか王宮内への関心も薄かった。琴線に触れさえしなければ、極論、誰が何をしようと構いはしない。そんな方だからこそ、我々は自由であれた。特に第一王子が追放され、第二王子が現王陛下の下で補佐であった時などは、実に穏やかな日々であったものだ。現王陛下は戦に対してのベクトルは高かったが、その他に対しての意識が低く、戦争とは真逆のの立ち位置であった神殿にその視線が向けられる事はなかったのだから。
そんな日常が覆されたのは、第二王子が現王陛下を幽閉へと追いやり、政権を手にしてから。
これまで第二王子は、現王陛下と似た性質を持つ王子だと言われてきた。気に入らぬと他者を切り捨てる、他者の顔が恐怖に歪む様を好むなど、内なる狂気を多分に孕んでいた。
確かにそれらの狂気は父王と似通っており、親子だと言わざるを得ない。しかし、その他の部分は現王陛下などとは比べるべきも無いほどに正常であった。無闇に戦いを起こす事も政治を疎かにする事もなく、実にマトモな精神で政を行ったのだ。
これには王宮に出仕する貴族たちは肝を冷やしただろう。
何せ、現王陛下に仕えていた貴族らの殆どが、国の繁栄よりも、私腹を満たす事が重要だと考えていたのだから。故に、マトモな政治は行われず、国は戦争を産業とし、他国から掠奪しては簡易的な益を得ていた訳だが、その唯一の産業を第一王子は是としなかった。
気に入らぬと首を切られ、地方へ飛ばされた者も多い。その中には、第一王子のやり方に意義を唱え、国政を糺すべく動いていた者もいるという。今時珍しい官吏だが、そんな者とて首を切られるのだと安堵した貴族もいただろう。
だがその裏で、気に入らぬと斬り捨てられたのは、政を疎かにし、贅に腹を肥やした貴族ばかり。その事実に気づいた者は次は我が身と震えているに違いない。
そう、第一王子はマトモなのだ。狂気的な言動に惑わされ、未だに擦り寄ろうとしている貴族もいるが、私はそうはならない。
以前のような権力を取り戻し、自由を手に入れる為ならば、私は狂気を体現する現王陛下にすら首を下げようぞ。靴を舐めろと言われたなら舐め、友の首をと言われたなら迷わず捧げよう。我が家族ですら道具として使う事に躊躇いはない。その者とて、我がルスティアナ侯爵家の繁栄の為ならば、喜んで身を差し出すであろう。
現王陛下を幽閉からお救いできれば、その暁には側近の座も夢ではない。そうなれば、政に無関心な現王陛下を操り、国費を好きに使える様にやるやも知れない。突飛な予想だが、要は現王陛下さえ味方につければ、第二王子など何が怖いものか!
容姿のみの第一王子も然り。二人纏めて追放、いや、処刑すれば後顧の憂いはない。現王陛下を貶めたーー私を貶めた罪により、反逆者として私自らが手を下してやろうではないか!
「おお、我が王よ……!」
清水の中に現王陛下を見つけ出すなり私は駆け出し、水面の縁で膝をついた。
ああ、間違いない。あれは現王陛下そのお人だ。水の中に封じられて尚、あの様な強烈な存在感を放つ者など、現王陛下以外にはおられない。
「さぁ、姫巫女をこれに」
「は」
兵士に命じ姫巫女ーーいや、敵国の魔女を運ばせる。兵士に背を押され、魔女は多々良を踏みつつ私の側まで歩いてくる。
『人形のような女』。命じられるままに姫巫女の役割を熟す魔女を見てそう思ってはいたが、ここに来て様々な表情を見せる様になった。迷い、焦り、そして怒り。七色に揺らめくあの瞳ーー帝国人は『精霊女王の瞳』と畏れているらしいが、アレに見据えられても、もう心が騒めく事はない。寧ろ、その渾名を頼もしく思う。この魔女が精霊に愛されているのが本当ならば、この水の牢獄など簡単に破れるに違いないのだ。
「きゃっ!」
魔女の腕を掴めば、魔女はあからさまに動揺した。
「ライザタニアの正統なる王、現王アレクサンドル陛下へ供物を捧げます!さぁ、お受け取りくださいませ!」
「な、何をっ……!」
非難の声をあげる魔女を無視し、私は魔女の腕を強引に引き寄せ、湖の縁に立たせた。そして、その小さな背を突き飛ばそとしたその時、ゴウン!と形容し難い音が起きた。
ゴウン、ゴウンと金属が擦れるような、岩が押し出されるような、水車が回るような音が頭上に響き渡る。消して小さな音ではない。思わず、魔女を突き落とすのを躊躇ったぐらいには驚いた。
予測に反して怪奇音は長く続かず、視線を頭上へ向けた時には、怪奇音は怪現象を引き起こしていた。
「なっ……⁉︎」
天井が消えた、いや、先程まで天井であった場所にポッカリと大穴が空いたのだ。しかも、そこから光が降り注いだかと思えば、悲鳴や怒声を挙げながら人が降ってくるではないか。
ザバンッと水柱を上げ、水面へ飛び込む人影が一つ二つ三つ……。中には知った顔がいくつもある。その誰もが貴族であったが、王宮に勤める官吏もいれば、この場にあるには違和感を持つ地方貴族もいる。あれは、第一王子のやり方に意義を唱え、第一王子陣営へ下った貴族ではなかったか。
「素直に落ちていくとは、貴様ら、随分と良い趣味をしているではないか……?」
聞き覚えのある声にギクリと背筋が凍る。冷え冷えとした狂気を含む絶対零度の嗤い声。眼に宿る狂気。離れていてさえ感じる畏怖、威圧感。現王陛下を彷彿とさせるそれらを発したのは、第二王子シュバルツェだ。
シュバルツェ王子は天井に空いた大穴より、腰に手を当て悠々と降りてくる。身に纏う風、あれは魔法の力であろうか。
側には第二王子の腰巾着、ゼネンスキー侯爵の顔もある。
ゼネンスキー侯爵は眼鏡の弦に手を掛けつつ、落ちていった貴族たちをまるで塵でも見るかの様に見下ろしていた。
「あらやだ。あの子たち、何の対策も取ってなかったのね?」
「殿下、お控えください。素が出ておりますぞ!」
冷静を通り越して、不気味な程奇妙な声に視線を向ければ、そこには金の髪を棚引かせる美丈夫の姿が。天の神の彫像を型取ったかのような麗しい容姿、あれはまさか第一王子イリスティアンではなかろうか。何やら女の腐ったかの様な言葉が聞こえたが、きっと聞き違いだろう。隣にいる堅物は双刀将軍シュバーンに違いない。
「アーリアを離せよ、生臭坊主!」
「お兄様の言う通りですわ!」
「あ、こら、アナタたち待ちなさい!」
何処から現れたか、ゼネンスキー侯爵家の小倅共と修道女が怒気も露わに駆けてくる。周囲の状況が目に入っていないのだろう。上空から降りてくる途中であった保護者が唖然とし、次いで注意喚起をしているが、その一つも耳に入っていない。
「はァ?セイ、何なのさこの状況」
「あ〜、結果オーライ。ベストタイミングってヤツかな?」
「リュゼ、状況などこの際気にしてはおれん。アーリア様は何処だ?」
また別の扉から姿を現したのは、兵に処理を命じた筈の隣国の工作員共。人数が四人から三人に減ってはいるが、その中の一人には見覚えがない。それどころか、三人ともライザタニア軍の衣服を身に纏っているのはどういう了見か。
「何故、いや、『何』が起こっている?」
今まさに『現王陛下復活』という場に乱入した者たち。
その誰もが私にとって天敵であり、現王陛下を使って蹴落とさんと考えていた者ばかり。それどころか、隣国の工作員に女子どもまで混ざっている。
現王陛下を囲み、第一王子、第二王子、隣国の工作員、子ども二人に修道女。まるで謀ったかの様に勢揃いした者たちに、私の怒りは振り切れた。
「巫山戯るな!我が覇道の邪魔をするではないわッ!」
私の怒りは腹から喉を通り、口から飛び出していく。怒声は天井のなくなった宙に響き、木霊し、人々の注目を集めた。
第一王子は目を見張り、第二王子の目は細められる。二人の王子たちは、私の側に魔女の姿を見つけて、揃って不機嫌に目を眇めた。
第二王子がこの魔女に対して、隣国への牽制としての捕虜とするには過ぎる対応をとっている事は知っていた。もしかすると、噂通り魔女に懸想しているのだろうかと懸念したことも。
だとすれば、実に寧ろ好都合だ。愛する者が苦しむ様を見れば、あの絶対零度の表情にも歪みを生じさせるかも知れないのだから。
「は、はは、アハハハハ!陛下、軍神と名高きライザタニア王アレクサンドルよ!貴方様に精霊に愛されし乙女を捧げます!今こそ、お目覚めくださいッ!」
歪な笑い声が木霊する。私は本能に従い現状を無視すると、握ったままになっていた魔女の腕を引き寄せ、困惑する魔女を突き飛ばした。誰の静止も意味を持たず、魔女は重力に従って水面へと落ちていく。ザバン、と小さな水柱が目の前に立ち昇ったのを見て、私は私の細やかな願いが叶った事を確信した。
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ありがとうございます(*'▽'*)/
『復活の王1』をお送りしました。
ルスティアナ侯爵の思惑に関わりなく、周囲の状況は整いつつあります。混乱の最中に揃い踏みした顔ぶれ。果たして、侯爵の念願は叶うのでしょうか?
次話もぜひご覧ください!




