王都、クーデター3
柿渋色のローブを翻し、一人の老貴族が前へ進み出た。身に纏う衣服の色は落ち着いていて派手さこそないものの、上質な絹糸で織られた一品もの。同色の糸で紡がれた刺繍が、陽の光を浴びて輝く。
「バルドレード公爵!」
モッドレ伯爵の背後から現れたのは、それまで沈黙を守ってきた第二王子殿下派閥の貴族、バルドレード公爵であった。
バルドレード公爵は第二王子殿下派閥の中でも特に権力と地位を有している貴族であり、第一王子殿下派閥の者であっても決して無視できない人物でもあった。
王族に次ぐ爵位、王都の西に広がる豊かな領地、そして財政を司る財務省長官という地位。加えて、バルドレード公爵家は建国当時からある部族が名を変えた古参貴族の一つ。建国以降に没落した貴族が多い中その地位を保ち続けており、新たに設けられた貴族たちとは格が一つも二つも違う。影響力の大きさからも、その動向には常に注目を浴びる人物であった。
バルドレード公爵は現王が病床についた後も、政権を手にした第二王子殿下を支持続けてきた。公爵は古参貴族にしては古い慣習に固執しておらず、第二王子殿下の出す新たな政策にも懐疑的ではなかった。寧ろ積極的に支援してきたとも云える。
そんな大物貴族の登場に、モッドレ伯爵をはじめ他の貴族たちも一段と注視を深める。
「バルドレード公、そなたに発言の許可を」
「感謝致します」
仕える第二王子殿下に代わり、兄である第一王子殿下が答えた。第二王子殿下自身も目答し、バルドレード公爵に許可を与える。こうして、発言の許可を得たバルドレード公爵は、堂々とゼネンスキー侯爵へと向き直った。
「私にも聞かせて頂けませんか?ゼネンスキー侯爵、貴殿の考えというものを」
年長者であり、しかも爵位も上であるバルドレード公爵は、如何なゼネンスキー侯爵からしても格上の人物。ゼネンスキー侯爵は思考をすぐに切り上げ、「何をお聞きになりたいのですか?」と笑みを浮かべた。
「ゼネンスキー侯爵、貴殿は先程こう仰いましたな?『明るい未来とは、尊い犠牲の上に成り立つもの』『【始まり】をこそ糺すべきだ』と……」
「ええ」
「では、貴殿の指す『始まり』とは『何』でしょう?」
コツ。バルドレード公爵が一歩踏み出す。
一方、相対するゼネンスキー侯爵は一歩も引かず、銀縁フレームを鼻上に押し上げた。
「『始まり』ですよ。この様な歪な状況を作り出した元凶、とでも言いましょうか」
「ほう、元凶ですか」
バルドレード公爵が白い髭を撫でる。皺のある目元が揺れ、まるで面白い余興でも見る様子は綽々としており、感情が読めない。年を経て尚、佇まいは若い時と変わらない。いや、年を経た分の貫禄は、年若い者を圧倒するだろう。
「では、その元凶とは……?」
バルドレート公爵の踏み込んだ問いに対し、ゼネンスキー侯爵は不敵に、いや、怪しげに微笑んだ。
「現王アレクサンドル!」
ーピシャ!ー
硝子窓の外、晴天に稲妻が奔る。次いでドオンと轟音。
遠く近く、ゴロゴロと低い太鼓の様な音が響いてくる。
外の様子が騒がしいのは気のせいか、それとも心境がそう思わせているのか。
高々と宣言するかの様に手を伸ばすゼネンスキー侯爵。侯爵の言葉を聞いた者たちは戦慄し、恐怖に顔を歪めた。
現王アレクサンドルとはライザタニアの国主であり、ここに集まる者たちが本来忠誠を捧ぎ仕えるべき人物だ。他国との戦いに明け暮れ、多くの国を蹂躙したライザタニア王は、他国のみならず自国の者にも恐れられている。『狂気の王』。現在では『狂気の王子』と名指される第二王子殿下だが、現王アレクサンドルに比べればまだ可愛く感じられるだろう。それ程に、現王と近しいライザタニアの貴族からすれば、名を聞いただけで恐れを抱く人物なのだ。
そんな人物をゼネンスキー侯爵は敬称も付けず名指しした。
王族のーーいや、現王アレクサンドルを畏れぬ発言をするゼネンスキー侯爵は、勇者、はたまた蛮勇であろうか。現王アレクサンドルが目の前に在ったなら、即座に首を飛ばされても仕方ない行為に、他の貴族たちの目は苦々しく冷たい。
「何を恐れる必要があります?貴殿らは己が主をイリスティアン殿下、またはシュバルツェ殿下と定め、これまで玉座を賭けて戦ってきたではありませんか!その事が現王アレクサンドル陛下を蔑める行為になるのだと、気づいていなかったとは申されますまい?」
現王アレクサンドルが病床にあるをいい事に、第二王子シュバルツェ殿下は王都を手中に収め、国王の代理人として政治を行なってきた。また、第一王子イリスティアン殿下は居を東都へ移し、東部を拠点に王都奪還を狙い、着々と戦力を集めていた。両殿下は、現王アレクサンドルを慮って行動を起こしいたのではなく、どちらもがライザタニアの覇権を手にするが為のもの。誰一人として、現王アレクサンドルの復活を望んではいなかった。
自覚ある者は己が行動に非を認め覚悟の目で佇み、自覚ない者は己が行動に非を認めるを良しとせず挙動に目を漂わせる。
ゼネンスキー侯爵、そしてバルドレード公爵は前者であり、今更、現王アレクサンドルへの不敬を否定はしない。己が行動に信念を持っているのだ。
「成る程。貴殿は現王アレクサンドル陛下こそがこの度の内乱の元凶であると、そう申されたいのだな?」
バルドレード公爵が顎を再度一撫ですれば衣擦れが起こる。
「そうです。まさに、現王こそがライザタニアの国政を腐敗させ、二人の王子たちが争わざるを得ない原因をつくった元凶ではありませんか!」
元凶。そう言われてしまえば否定の要素はない。王族ーー取り分け国王という職務は、国の行末を左右するものばかり。例え貴族たちが上げてきた提案に基づいた決め事であっても、責任を取るのは国王。失敗も成功も、全ては国王に起因する。その論理でいけば、ライザタニアの現在の状況は全てが『現王アレクサンドルの所為』となるだろう。
「多少、強引な論理ではありましょうが、そう言えなくもありませんな……」
バルドレード公爵が『多少』と付けたのには、そこに公爵なりの忖度が存在する。国の行末を左右するのは、良くも悪くも国王である事には変わりがないからだ。だからと、周囲に侍る臣下たちに責任がないとは思わない。それどころか、支え導く者たちが原因となり、国王が間違った選択をしてしまう場合とてあるだろう。
「私も、我々貴族たちに責任がない等とは申しません。現に、現王を隠れ蓑に好き勝手に暴利を貪ってきた貴族も少なくありません。ーーが、それが何だと言うのです?」
ザッ。ゼネンスキー侯爵は長衣を翻し進み出る。
「暴利を貪る貴族が居れば問い質し、反省が見られぬなら処罰する。それを出来なかったのか、やらなかったのかは分かりませんが、本来国主としてやらねばならぬ事を怠った事は事実」
これは憶測ではなく、ゼネンスキー侯爵がこの数年に及び調べ上げた真実であった。
現王は治世の初めこそ内政に携わっていたが、それも年月と共に軍事活動に傾倒し、次第に政を疎かにし、遂には投げ出した。各領地が細々と行なっていた農地改革、鉱石の発掘、養蚕などへの支援が蔑ろになり、国力は目に見えて衰え始めてさえも、現王は最早、国内の情勢には目もくれなくなった。
戦争だけでは食い繋げない。飢える者は益々増えるだろう。貴族たちの中には、その状況に危機感を覚える者も存在した。現王に対して奏上した貴族も。しかし、それらの者の意見は取り入れられず、寧ろ中央から遠ざけられる事となった。
現在、第一第二の両殿下の下に集う貴族の中には、そうして現王に遠ざけられていた者も少なくない。だからこそ、ゼネンスキー侯爵の怒りに同情的で、積極的に批判の声をあげるのを躊躇う。心情的には支援したいと思う程であったのだ。
しかし、モッドレ伯爵寄りの貴族にとっては、ゼネンスキー侯爵の言葉は理解に苦しむ物ばかり。彼らにとっては美味い汁さえ吸わせて貰えるならば、頂点に立つ者が誰であっても然程関係がなく、加えてその者に媚び諂う事は決定事項。病床にあり現王不在とはいえ、未だ玉座は現王のもの。二人の王子のどちらもが玉座を手にしていない段階では、下手に動いては悪手となる。かと言って、支持を表明している王子殿下への忠誠を疎かにするのもまずい。さて、どうしたものかと考えあぐねていた時、バルドレード公爵による介入が行われた。助けに船という訳である。
「国政を行うには理想論だけでは何事も成さない。現に、ライザタニアは他国との戦争を繰り返し、領土を侵略の末、富を得た事により傍目には潤っているかに見えましょうが、そんなのは見た目だけの上っ面のみ。各地では暴動が起こり、飢饉による死者は膨らむばかり。ここ近年の餓死者は、戦争による死者より多い」
およそ2年前、病床の現王に代わり第二王子シュバルツェ殿下と共に国政を担う様になったゼネンスキー侯爵は、ライザタニアの隠されていた内情を目の当たりにし、愕然とした。
目ぼしい産業もなく、況して他国との貿易で財を成すのでもなく、どのようにしてこの国を盛り立てて行くと言うのか、最早滅びるのを待つばかりの国に、どうやって希望を持てと言うのか、と。
「腐敗の目を取り除く事は困難。全てを破壊して、その上に新しく築く他、方法はありません」
「イリスティアン殿下とシュバルツェ殿下。両殿下は国の為に立たざるを得なかった。内乱はその為の手段であった。貴殿はそう申されたいのか?」
ゼネンスキー侯爵が反応する前に、外野から「詭弁だ!」との野次が飛ぶ。モッドレ伯爵だ。しかし次の瞬間、モッドレ伯爵は叫んだ事を後悔する。多くの目が周囲から自分に鋭く向けられたからだ。
「現王アレクサンドルは国王としての責任を怠った。それが全てで、変えようのない事実。だからこそ私は言うのです。『始まりをこそ糺すべきだ』と」
成る程、とバルドレード公爵。
「つまり、貴殿は元凶である現王にこそ罪を問い、贖わせるべきだと?」
ええ、とゼネンスキー侯爵が顎を下げる。
「なれば、貴殿は如何様にして現王陛下に罪を問われるおつもりか?」
ゼネンスキー侯爵の訴えが分かった事で発生する現状への不可解さ。第二王子殿下の陣地に第一王子殿下を招き入れ、引き合わせ、その上で二人を戦わせるのではなく、内乱の元凶である現王に罪を問いたいとするゼネンスキー侯爵のやり口は、どうにもスマートとは思えない。この二者を集める必要がどこにあったのだろうか。
バルドレード公爵をはじめ首を傾げる貴族がいる中、裏切りとも呼べる身勝手さを示す部下に、シュバルツェ殿下は不可解さを微塵も覚えてはいない様子。実に堂々とした佇まいで耳を傾けている。ゼネンスキー侯爵に招かれたとされるイリスティアン殿下もまた、侯爵の行動に疑問を持ってはいない様子であった。
「心配は無用だバルドレード公。私は彼の訴え、その全てを知って此処にいる」
チラリと視線を受けたイリスティアン殿下が微笑む。そしてその笑顔をそのまま弟王子へと向けた。
「お前もそうだろう?シュバルツェ」
「……ええ」
玉座の間に集う全ての者の視線が、シュバルツェ殿下へと集まった。驚愕に目を見開く者、難しげに眉を潜ませて黙る者、中には口と目を見開いたまま立ち尽くす者もいる。
敵対する第一王子イリスティアン殿下と通じ、本陣である王都王城へ招き入れたゼネンスキー侯爵の裏切りとも呼べる行為を、シュバルツェ殿下は眉一つ動かさずに肯定してみせた。独断で動いた部下の行動に、一定以上の理解を示したのだ。
気に入らぬ者を容赦なく斬り捨ててきた狂王子が、裏切り者に見せるにしては不可解すぎる行動に、周囲の感情が追いつかない。
「ゼネンスキー侯爵は我が右腕として、そして良き友として我を支えてくれる忠臣。侯爵が何を思って行動したのかは、理解できているつもりだ」
擁護とも取れる言葉にゼネンスキー侯爵の眉が僅かに動く。
「……そうですか。では、最後に問います。貴殿はイリスティアン殿下と共謀し、病床にある現王陛下相手に、どのように罪を問われる?」
そもそも、現王は病床にあるというのは、第一第二王子の両殿下が言い出したこと。病床にあるという現王を見た者は、二人の王子以外にない。
果たして本当に病床にあるのか、それとももうこの世の人でないのか、はたまた何処ぞで幽閉されているのか、王子たちの他誰も知らないのだ。これではどの手段を用いて、現王に相対するべきかも分からないではないか。
「……皆はずっと疑っていたな?我がもう現王陛下を弑したのではないかと。その疑問に答えよう。答えは否だ」
「では……?」
「現王陛下は生きておいでだ。まぁ、元気かと問われたなら、どうだろうなとは思うが……」
「は?それは一体……」
皆の視線が集まる中、シュバルツェ殿下は空の玉座へと歩み行く。そしてその背に回ると、彫刻の施された背もたれへ手を触れた。
「まぁ、見るが早いだろう。その為にリヒャルトは此処へ皆を集めたのだろうし……」
言うなり、シュバルツェ殿下は皆の頭に疑問符が浮かぶのを無視し、当初からの計画にあったかの様な動作で軽く手首を翻した。
「「「え……?」」」
カチリ。何かのボタンが押される音に次いで、ガコンと重い閂が外される音が鳴る。そしてーー
ーゴウン!ー
突風が足下から噴き上げる。次に襲ったのは浮遊感。恐る恐る足下を見下ろせば、そこには既に床は存在せず、皆一様に真っ暗な宙に放り出されていた。
「「「ひぃっーーーー⁉︎」」」
声にならない悲鳴。怒号。罵声。闇の中に堕ち行く身に、死の影がちらつく。中には走馬灯を見た者もあっただろう。だがそんな時間も瞬く間。闇を抜け、光が足下から差し始め、やがて地上が目下に広がった。
見えたのは青。空の青ではなく、波のたたぬ穏やかな水面の青だ。水面の中央にはキラキラと輝く水晶が鎮座する。その曇り一つない水晶の中に人影を見る。黄金の髪と紅い瞳を持つ美丈夫。頭には金の冠。手には黄金の錫杖がーー
「現王陛下!」
そう叫んだのは自分か、それとも他人か。
水面が間近に迫る中、現王の彫像を前に人影が視界に入る。金糸で彩られた王族より派手な衣装を身に纏う神官と、神殿の兵士が二人。神官の手により、今にも水面に落とされんとする巫女。それを阻止せんと叫ぶ子どもが二人と、慌てて追いかける一人の修道女。巫女に駆け寄りながらも、空から降ってくる大勢の人間に驚く近衛騎士が三人。
「役者は揃った、と言う事か……」
シュバルツェ殿下は眼下を見下ろしながら、予期せぬ状況に驚きつつも微笑むイリスティアン殿下と、難しそうに眉を寄せるゼネンスキー侯爵を見定めて、ハッと息を一つ吐いた。
明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします
『王都、クーデター3』をお送りしました。
バルドレード公爵とゼネンスキー侯爵との対話。
その内容に王子たちは驚くどころか理解を示すばかりで、裏切られた筈のシュバルツェ殿下は何故か得心顔。
玉座の間から落ちた先にて、いよいよ現王との対面。
ゼネンスキー侯爵の思惑は叶うのでしょうか?
次話も是非ご覧ください。




