※裏舞台5※王家の守護者
※(レオニード将軍視点)
緑の匂いがする。濃い草木の匂いだ。側には水辺があり、水面はまるで磨かれた鏡のように星々の光を写している。
「強ぇなぁ、これほど苦戦した奴は初めてだ!」
弾けて落ちた武器を拾い上げると、私は地面に脚を投げ出している男へと差し出した。荒げた息は時間と共に落ち着きを見せ、滴る汗は身体を冷やしていく。
男は武器を受け取ると、精悍な笑みを浮かべた。男の私から見ても、魅力的なその笑顔には一点の曇りもない。きっとこの男は未来にーーいや、現在にも憂いなどないに違いない。
「……お前は人間だ。俺とは違う」
この男と私とでは身体の造りが違う。筋力をはじめ、私は人間にないモノを持っている。そもそもただの人間では私相手には敵わない。ぼんやりとその様な事を考えていると、男は私の顔をジッと見上げーー
「お前も人間だろう?」
ーーと、言った。さも『当たり前』の事を口にするように、真っ直ぐと。情勢も常識も無視して。しかも、相手を気遣って嘘を吐いているようにも思えない。本当に、真実、そう思っているのだ、この男は。
純真無垢な瞳が射抜く。真っ直ぐに見据える男の目に、私は喉を詰まらせた。鷹のような金色の瞳が、宝石のように煌めいている。
魅入られ、思わず詰まらせていた喉を動かし、乾いた舌にどうにか言葉を乗せる。それは違うと。しかし、男の返事はやはり常識とは違うものだった。
「違う。俺はーー」
「亜人だって言うんだろ?それがどうした、お前が亜人なら俺だってそうだ。この地では妖精の血を持つ奴なんてゴマンといる。そうだろう?」
男の射抜くような目線に耐えきれず、私は思わず顔を逸らした。すると男はフッと口元を緩めて苦笑し、後頭部をポリポリと掻いた。
「ま、お前ほど力のある人間は稀だろうがな?」
男は何の反動もなく自然な動作でその場に立ち上がり、そのままぐんと伸びをした。先程までの疲労はもうない。
男の向こう、東の山裾から光が漏れ薄づき始めている。その朝焼けを背に男は振り返ると、突如私に向かって手を突き出してきた。
「俺はこの地を治める王となる。……お前も手伝ってくれるだろう?」
何を言っているのだ、この男は。ーー私はその言葉を喉奥に押し込めつつ、突き出された手と男の顔を交互に見比べた。男は精悍な容姿に絶対的王者の笑みを浮かべている。男は私が己が誘いを断るとは微塵も思っていない。そう感じられた。
「……亜人など率いては良からぬ噂が立とう」
「ハッ!流言のひとつやふたつ、どうという事はない。言いたい奴には言わせておけば良いだけのことだ」
「私はお前の役には立てない。足手纏いになる」
「俺に勝っておいて何だ?もしかして、それは新手の照れ隠しか何かか?」
減らず口を叩く男の様にムッと口を尖らせ「私は口が立たない」と言えば、「そりゃ、違ぇねぇな!」と肯定され、最早反論など浮かぶものではなかった。
「なぁレオ。俺には絶対に裏切らない味方が必要なんだよ」
口では敵わぬと不貞腐れるように目を眇める。すると男は一つ首を竦めるとその巫山戯た雰囲気はそのままに、目に赤く燃ゆる炎を宿し始めた。
「俺はこれから国取りをする。当然、周囲は敵味方で溢れるだろう。だから……だからこそ、お前のような者が側にあって用心棒となってくれたならば、俺としては心強いのだがな?」
「……なるほど。用心棒か」
「そうだ。お前に政治的なアレコレなんざ、ハナから期待しちゃいないさ!」
腹芸など出来ぬだろうが?ーーそう面と向かって言ってくるこの男の事を、不思議と嫌いにはなれない。何故ならば、私と正面から話をしようとする人間など、これまでに一人としてなかったからだ。
このように明け透けに物を言う男であっても、その心に嘘偽りないのだとしたら、これ程清々しいものはない。
「お前には俺の背を守って欲しい。これからずっと、俺の側でーー……」
真っ直ぐに伸ばされた手。真っ直ぐに見つめられた紅い緋い瞳。俺は男の眩しい表情に心浮かされたように、その男の手を取った。
その日から、私は男の綺羅星のような人生を追った。
男はあの時言った言葉を実行し、望む結果を得た。
各部族を統治下に置き、国が興り、人が集い、他国と並び立つ国としての体裁を整えた。男は王となり、部族という単位は貴族となり新興王を支えた。そして国として機能し始めた頃、再び領土を広げるべく、今度は他国へ侵攻した。領土は着実に広がりゆき、交流は盛んとなり、国は豊かになったかのように見えた。なのに……
「俺は、失敗したかも知れん」
ある時、男は自分にそう漏らした。
私には男が何を指して『失敗』したかが分からなかった。
これまで男は自分のしたい事を成して来た。それが一度として叶わなかった事はない。
あれ程荒れていた土地は平定し、五月蝿かった各部族の長たちは男を王と崇めて従った。中には嫌々従っている者もいるようだが、反乱を起こす程の力はない。所詮、裏で嫌味を言うだけだ。恐れる必要は何もない。
子も産まれた。男の意志を継ぐべき子が。幼児の頃から聡明さの光る男児は、既に未来を嘱望されている。男の興した国ーーライザタニアの未来は明るい。そう思われていたのに、なぜ、この男はそれ程幸せそうではないのだろうか……?
春の日差しに溶ける雪のような儚い表情を浮かべる。こんな表情はこの男には似合わない。夏の日差しを真正面から受けて輝く向日葵のような男が、こんな今にも溶けて消えてしまいそうな表情など。一体何が、男を蝕んでいるのだろうか。
「……お前は王だ。誰もお前の失敗を責めはしない。何を失敗したかは知らないが、失敗したのならやり直せば良いではないか?」
今現在、この国で男以上に権力を持つ者はいない。男はこの広大な領土を支配する王。数多くの領土を侵略した事から畏怖を込めて『侵略王』と呼ばれているが、その忌名さえ、この男を表すには弱い。男は何者にも抗い難い『何か』を持つのだから。
「お前は変わらないな?」
「……?」
問われた意味が分からず眉根を細めれば、男はハハッと笑って犬歯を見せた。
「純真で、無垢で、それでいて何者にも靡かぬ強い心を持っている。俺にはそれが羨ましい」
「……何を羨む事がある?俺は何も持っていない。意志も、欲望も、希望も、強い心も、何も……。だがお前は違う。自分の意志で、この国をつくったではないか。私はお前ほど強い者を知らない」
そんな男だから私は付いてきた。一番近い位置にいた。側にあり付き従った。自分に無いものを持つ者だからこそ、男が何を成すのか側で見てみたかった。惹かれた。なのに、何もかもをその手にした男が、何も持たない私を羨んでいる。何故だと思うと同時に、得体も知れぬ感情が胸に広がる。
怪訝な目を隠さず豪奢な椅子へ座る男へ視線を向ければ、男はフッと眉を和らげた。ーーその顔が、今もふとした瞬間に脳裏に浮かぶ。
あの日から暫くして男は王位を王太子へ移譲し、玉座から降りた。賢王と呼ばれる男が玉座を降りると言った時、多くの者が男の治世を惜しんだ。年齢的にも肉体的にもまだまだ活躍できると期待していただけに、男の早すぎる引退宣言に誰もが驚きを隠せなかった。
それは私も同じであったが、私があの男のする事に否を言う事はない。これまでもしたいようにしてきたのだ。これからだって好きなようにすれば良い。その時もそう思っていた。
だが、男が誰にもーー私にさえも行き先を告げずに姿を消した時、私は呆然とした。
『常に側にあって用心棒となれ』。そう言われた日から一日たりと側を離れた事はなかった。それどころか、いつからかあの男の側にいる事が当然となっていた。だからこそ、あの男の側に在れないことに愕然とし、必要とされなくなった事に絶望感を覚えた。
何処へ行こうとも構わない。何をするのも、何をしないのもどうでも良い。好きな事を好きなだけすれば良い。決して妨げにはならない。望むなら手助けだってする。ーーこれまでもそうして来たのに、あの男は私を置いて居なくなった。何処へ旅立ったのか、それとも何処へ向かったのか、何の言付けもないまま忽然と消えてしまった。
ーコツコツコツ……ー
磨かれた大理の床を歩めば、清水に広がる波紋のように音が響いてゆく。主人を失くした玉座の間は寒々しく、天井から差し込む陽光も心なしか弱々しく感じる。
「お前のいないここは、寒いな……」
呟いてから、その声が己の中から出た事に驚く。
王を守る護衛ーー今は近衛か、それになってからもう半世紀近く、この城で男の背を追ってきた。しかし、追うべき背が居なくなれば、もう、自分には何の役割もない。頼まれたのは男の用心棒であって、それ以上ではないのだ。しかし……
手元にある羊皮紙に視線を落とす。上質な紙の中には見慣れた筆跡で一言、こうある。
『あいつらを、守ってやってくれ』
男の言う『あいつら』とは誰か、具体的に書かれてはいないが、男の妃が産んだ子どもたちを指す事は容易に知れた。
『あいつらは未熟だが、あと数年かすりゃ何とかなんだろ?』
『あいつらは元気か?は?偶には面倒見に帰ってやれって?良いんだよ、俺なんか側にいなくても、子どもは立派に育つさ』
男は自分の血を受け継ぐ子どもたちを事あるごとに『あいつら』と纏めて呼んでいた。それが照れ隠しなのを見抜き、宰相が笑って揶揄っていたのを側で見ていた。だからこの『あいつら』もそうだと確信できる。ーーが、それなら何故、男は私に子どもたちを『守れ』と言うのだろうか……?
私は男の用心棒だ。それ以外の役割を与えられていない。今はその延長なのか、『近衛騎士団長』などという役職を与えられ、多くの部下を持つようになったが、それも私が望んだことではない。あの男が勝手に押しつけてきたのだ。それを一度も了承したつもりはない。だが、男はノラリクラリと私を言い包め、色々なモノを押しつけた。
『騎士団長ってなら部下は必要だよな』と、目の前に差し出された男たちは皆、国内の何処かから集めてきた亜人であったし、まだ亜人の力を制御できない男たちを訓練して使い物になるようにしろと命令してのもまたあの男だ。亜人部隊など側に囲っては誹謗されるであろうと諭した時も、『言いたい奴には言わせときゃいい』と突っぱねられた。ーーつまり、そういう男なのだ。
人の話を聞かず、自分のやりたい事だけをやり、好きな道をひたすらに突き進んでいく。
なればこそ、男にとって今回も同じ事なのだろう。
王を辞めたこと、王城から出て行ったこと、追い縋る者を置いていったこと、私に子どもたちを守れと命令を残したこと、全て、男が好きな道を歩む為に必要な措置だ。だから、誰も文句は言わない。勿論私も。
けれど……
男に置いて行かれた事実を目の当たりにしてから、私の胸にはポッカリと穴が空いたような気がしてならない。空いた穴からスウっと冷たい風が吹き抜け身体を冷やす。もう、ずっと心が冷たい。
「何故だ、何故お前は俺を置いて行った……?」
男は、あの時掴んだ手を離した。私は男の側にいて守る事しか、役割を与えられていなかったのに。それを放棄しては、最早、私に何の存在意義もないというのに。
あの男は私の心を知ってか知らずか、この手紙を残した。
きっとあの男は、自分が命じた事を私が反故にするとは、微塵も考えていないに違いない。そういう男なのだから。
だから私は男の背を追わず、未だ王城に留まっている。男に命じられたまま子どもたちを守る為だけに。
だが、いつまでここに留まればいい……?
窓の外、青く澄んだ空に雲雀が飛んでいる。高く、高く、天まで届くかのように翼を広げ、風を切って真っ直ぐと。まるであの男の生き様のように。
ーオォォオォオオオオオオ……!ー
地響きがする程の雄叫び。爆発。悲鳴。眼下で繰り広げられる衝突。血のうねり。今まさに歴史がつくられている。
あれから何年、いや、何十、何百という年月が経っただろうか。男の跡を継いで国王となった子どもの一人は、賢王であった父王の爪痕を追うように他国に侵攻をかけた。武力こそが正義。正義こそが富。そう言わんがばこりに領土を拡大し、見るみる内に国は世界へ向けて名乗りをあげた。
しかし、侵略を繰り返す内、国内外からの非難は大きく膨らみ、国力は増すばかりか逆に貧困に喘ぐ様になる。
そして近年、二代国王のさらに子孫たちは国内に乱を起こした。今まさに第一王子と第二王子の二陣に分かれ、国内を二分した戦いを行っている。
どちらの王子もが国を思って乱を起こした。ただ玉座を得たいが為に起こしたものではない。けれど、周囲は王子らの気持ちを真に理解している者ばかりではない。中には『王子の為』と言いながら私欲の為に動いている者もある。いくら計画的に起こした乱であろうと、全てが上手くいく筈はない。
『あいつらを、守ってやってくれ』
男は私にそう頼んだ。そう願った。自分のいなくなった後の子どもたちの行く末を、未来をーーこの国の明日を守って欲しいと。
あれ程力強い光を放っていた瞳が鈍い色を湛え、私を見る。あの日有無を言わさず引き揚げた手が、縋るように腕を掴む。側で数えた月日。刻まれた傷。交わされた言葉。告げられた想い。それらが時を超えて今現在まで、私を突き動かす原動力となっている。
目を瞑り、脳内であの男の言葉に『分かった』と返せば、男はあの時と同じようにニカリと破顔って頷いた。
『守ってやってくれ』
当たり前だ。今更なのだ。ここはお前の国だが、今はもう私の国でもあるのだから。何も気にする必要はない。だから……こんな手紙を寄越さなくても良かったのだ。
『あいつらを、守ってやってくれ。俺の大切な子らを』
視線を落とす。薄茶色の羊皮紙でできた包み。その中身は封筒だ。封筒には赤い蝋が落とされている。中には白い便箋が一枚だけ。内容は簡素。もう開かずとも覚えてしまった。
あの時受け取った物と全く同じ内容、同じ筆跡、同じ匂い。
どうやって居場所を知ったか、この手紙はシスティナに潜伏している時分に届いた。郵便局に潜伏していた部下のから手渡されたのだ。部下曰く、いつの間にか紛れていたとのこと。差出人はないが宛名には隊長である私の名が記されており、部下は困り果てた後、困惑したまま渡してきた。
よく届いたものだと感心する。手紙を配達する専門業者がいるシスティナだから、あるいは魔導国家の成せる技か。
兎も角、この手紙は確かにあの男からの物に間違いない。
この手紙を受け取った時、手紙から発せられる懐かしい匂いに驚くと共に、あの男がまだ何処かで生きており、そして未だ自国の情勢を気にかけている事を知った。
てっきり自国の事などサッパリ忘れて、何処かで好きな事をしているに違いないと考えていたのに、どこまでも面倒見が良い男だ。
「ふっ……」
それにしてもあの男、この手紙をどんな表情で書いたのだろうか。渋々か、それとも乗り気でか。今更ノコノコ顔を出せる筈もなく、それでもやはり自国の事であるからと苦悩して書いたのだろうか。男のなんとも言えない表情が想像され、場違いな笑いが口から漏れた。
「言われなくともだ……」
目を閉じれば今でも、朝焼けの中に浮かぶ男の顔がハッキリと浮かぶ。目鼻立ちの整った容姿、だが、どこか野獣を思わせるような容姿。誰もを惹きつけてやまない魅力的な笑み。もうあれ程の男に出会う事はないだろう。そう思ってきたが……
ージャリー
顔を覆っていた左手首を持ち上げれば、手首に嵌められた腕輪が重力に負けて眼前へ落ちてくる。刻まれた名を削るようにつけられた傷は、あの男との戦闘でついたもの。その傷を撫でれば、騒ついた心が少しばかり落ち着いてくるように思えた。
「ーー隊長、ご指示を」
視線を向ければ、背後に見慣れた顔が側にあった。もう何十年と共にある部下の顔が。顔を擡げていても部下がどのような表情をしているか想像がついた。それ程に長く共にある。
「殲滅しろ」
「は」
端的な指示。了承一つ。
姿を消した部下の背を追い、目を瞑る。
『守ってやってくれ』
勿論だ。例えこの国がどの様な未来を選ぼうとも、例え子どもたちがどの様な未来を歩もうとも、私はずっと側にあろう。否定し傷つける者から守ろう。王家に仇なす者から守ろう。例えそれがお前が育んだ国民であったとしても……
『来い、レオ!』
嗚呼、私を呼ぶ声が聞こえる。
温かな太陽の光の様な声がーー……
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裏舞台5『王家の守護者』をお送りしました。
謎に包まれた亜人部隊、様々な特質を持つ彼ら率いる隊長レオニードの過去が明らかになりました。
他の部隊とは異なる指揮系統のある亜人部隊ですが、彼らの使命は『何者からも王家を守護すること』。150年という年月を経ても、その想いは一欠片も変わりません。
【裏話】
当初予定していたレオニードという人物は、あの様な性格ではありませんでした。どちらかと言えば、ライハーン将軍の様な軽い感じの男をイメージしていたのですが、いつの間に、あんなムッツリになってしまったのでしょうか?謎です。
次話も是非ご覧ください!




