混乱と騒乱の合間に4
結論として、可愛い甥っ子と姪っ子の『お願い』に負けた叔母(仮)のアーリアは、子どもたちの先導で狭い通路を進んでいた。ソアラが手書きの小さな地図を確認し、アベルが魔法を駆使して安全な道を探していく。時折、銅像や彫刻の仕掛けを作動させたり、させなかったりして、4人は順調に歩を進めているように思えた。
「いいの?あんな安請け合いして」
アベルがソアラを伴い通路の先を確認する為に場を離れた隙に、リアナはアーリアへと問い掛けた。アーリアは確かにお人好しだが、決して頭が悪い訳ではない事を知っていたリアナだからこそ、アベルたちの身勝手な願いに付き合うアーリアを意外に感じていた。
自身をアーリアと名乗るシスティナの魔女姫アリアは見た目よりもずっと現実主義で、魔導士らしく無駄な事を好まない性質の持ち主で、何より姫とは名ばかりの質素さを好む。華美な装飾、食べきれぬ程並べられた食事など、これまでも何かと拒否を示してきた。
仕事には生真面目な程の姿勢を持ち、仕事をしないどころか守秘義務すらも守れぬ修道女をリアナと共に追い出した事もある。その際には相手が言い逃れできないようにキッチリ証拠を集めてだ。
ルスティアナ侯爵に何かしらの思惑があるのは分かるが、何も子どもを伴って逃げる必要はない。子どもだからと悪びれもせず、自分を利用しようとする者を相手にする必要などないのだから。
だからこそ、アーリアの性格をある程度掴んだリアナは、今回に限って合理的でないアーリアの行動に訝しんだ。何故、子どもたちの戯言に付き合うのだろうかと。
「うん。これ以上無茶されても困るし、それに……」
「あ、成る程ね。目の届く範囲での無茶なら対処も可能だわ」
アーリアが子どもの言葉に絆されている訳ではないと知り、リアナはホッと胸を撫で下ろす。子どもに甘い事に変わりはないが、少しは対処を考えているのだろうと結論付ける。
「ねぇリアナ。現王陛下って子どもたちの戯言に耳を傾けてくださる様な方かしら?私は現王陛下は戦好きで好戦的な……」
「戦闘狂?」
「そう聞いた。第二王子殿下以上の狂気を兼ね備えた方だと。そんな陛下が、幽閉から救われたくらいで子どもの話を聞いてくださるかな?」
「……難しいでしょうね。無礼者と罵られるーーいいえ、最悪、処罰されるでしょうね」
リアナの知る情報にはライザタニア王アレクサンドルという人物は、『要注意人物』として記されてあった。
大陸の大国同士、エステル帝国とライザタニア王国の間にはある程度の交流があった。交易も盛んで、政治的な繋がりも深い。現に、リアナの育ったルスティル公爵領で作られたワインを優先的にライザタニアへ流していたし、リアナの実姉はライザタニアの名のある公爵家に嫁いでいる。
その流れでリアナは現王の噂もある程度得ていた訳だが、その中には『血を好む戦鬪凶』という物騒なものもあり、信憑性の程は定かではないが、現王が他国に執拗な侵攻を仕掛けている事は真実なので、虚偽とも考え難かった。
「貴女、どうするつもり?このまま現王陛下を見つけられたとして、本当に幽閉先からお救いするの?」
ジトリ。リアナな視線がアーリアの顔に刺さる。
「うーん、どうしようかなぁ?と言うか、そもそも私にそんな事ができるのかな……?」
「ア、アナタねぇ……!」
戯けた顔してそっぽ向くアーリア。リアナの口から文句と共に思わず溜息が出る。緊張感があり過ぎても疲れるが、急に気を抜かれるような事を言われるのも疲れるもので、知らず緊張していたリアナはゲッソリと肩を下げた。
「まぁ、緊張していたら良いってものでもないわね。それよりも、そもそも本当に、こんな場所にいらっしゃるのかしら?王族の幽閉先にしては場が整っていないわ。暗いし、汚いし、カビ臭いし……」
定期的に掃除がなされているのかネズミの死骸の類はない。けれど、どうしても鼻につくカビ臭さは拭えず、齎される清潔感は低い。通路によっては人工的な小川も流れており、湿気っぽさもある。元公爵令嬢たるリアナには耐え難い場所なのだ。
「この地下通路って、王族専用の隠し通路だよね?」
「でしょうね。十中八九、有事の際に王族を王宮からお連れする為に作られた特別な通路よ。だからこそ、何故あんな子どもたちが知っているのか不思議だし、信頼性が低いわ。機密性を重視する場所だからこそ、こんな場所に現王陛下を幽閉しておけるとは思えない」
「じゃあ、アベルは誰にこの場所を聞いたのかしら?」
因みに、犯人は不良将軍ライハーンである。この件に関して実は前科アリのライハーン将軍だが、現状この2人の知るところではない。
「狭いし暗いし臭いし、早くこんな場所から出たいわ」
「アハハ、リアナって時々正直過ぎるよね」
「煩いわね。狭い場所は気が滅入るでしょう?」
「ま、まぁ……でも、今は彼らの言葉を信じるしかないし」
「だけど……!」
『なに?ソナタら現王を探しておるのか』
「何よアナタ、今更嫌になったの?」
『嫌とは言っておらぬ。現王と会いたくば、王家の花園へ続く地底湖を目指すがよいぞ』
「地底湖?地底湖って一体どこに……って、何故、アナタがそんな事知っているのよ?」
そうリアナがアーリアへ問い掛けた時、アーリアは蒼白な顔をしてフルフルと首を振っていた。リアナはそんなアーリアを見て怪訝に眉を寄せる。
「は?」
「私じゃない」
「え?」
「私じゃないの……」
「な、何が……?」
そこでリアナも気がついた。先程の声がアーリアのものではなかったのではないかと。とすると、誰が自分たちの会話に割って入ったのか。アベルもソアラの2人はまだ、通路の先で天使の彫像と睨めっこしている。そもそも、今の声は成人した男性のものだ。
「誰が……?まさか追手⁉︎」
「私たちの近くに人間の気配はないから……」
「じゃあ何なのよ!まさかオバケとでも言うつもり⁉︎」
彫像を前に順路の確認をしている子どもたちを眺めていたアーリアは、預けていた壁から背を離した。そして突如、自分たちの会話に割り込んだ誰かの存在にギクリと首を竦め、身構える。そこに、自分で言っておいて怖くなったリアナが身を寄せてくる。2人とも、オバケという非現実的な存在を信じている訳ではない。死霊を使役するネクロマンサーという職業が魔導士の中には存在するが、彼らが使役するのは死体から作ったゾンビであって、オバケではないのだ。
オバケなどという存在は確証を持って証明されていない。にも関わらず、オバケは概念として人間の間には浸透しており、その手の話は事欠かない。例に漏れず、アーリアとリアナの2人は、いくつかの逸話を知っていた。
「ちょっとリアナ、怖い事言わないでよ……」
「ば、バカね!オバケなんている訳ないでしょう!」
どちらの身体が震えているのか、くっついた身体からふブルブルと震えが伝わり、自然と声も裏返る。
『なに?我をオバケと申すか』
「「ひぃっ!」」
暗がりの先から石畳を鳴らす乾いた音。コツコツコツ。段々と音が近づいてくる。光を受けて伸びる影は人間のそれより小さい。足音と共に徐々に輪郭が浮き上がり、ついにそれはアーリアたちの前に姿を現した。
『久しいな、魔女よ。息災であったか?』
空を向いた一対の耳。長い艶やかな黒毛。毛足の長い尾。青く粒らな瞳。家犬ほどの大きさのあるそれは、二足歩行の不思議な猫、人はそれを『妖精猫』と呼ぶ。
「「ね、猫ぉぉぉ〜〜⁉︎」」
ヨォ!と気軽に片手を挙げた妖精猫と対峙した2人の少女は、場所と状況をすっ飛ばし、指を差し差し叫び声をあげた。当然、指差された妖精猫が不機嫌に眉を顰めたのは言うまでもない。
ーー数分後。
『なに?記憶が……?ソナタ、ほとほと運がないのではないか?』
二足歩行で現れた黒猫は、腰をぬかさんばかりに震え合う2人の少女たちを目の前に、人間の言葉で流暢に話し始めた。腰に手を当て眉を顰める姿など、大変、人間臭い仕草だ。とても隔絶した世界に住まう妖精とは思えない。
「アナタ、本当にこの方と知り合いなの?」
「知り合い、なのかな……?」
驚きも束の間、すぐに妖精に対する敬意を表し始めたリアナは、さすが『精霊王国』と名高い精霊信仰の信徒といえよう。
深い敬意を持って対応するリアナに対し、アーリアは挙動不審。突然現れた妖精猫に見覚えがなく、知り合いかと問われても答えはノーしかない。しかし、相手は間違いなく自分を知っていて話している節があり、即座に否定するのも憚られる。
すると、どうにもしどろもどろになるアーリアを不審に感じ始めたた妖精猫。魔女の身に起きた出来事を当人ではなく、修道女に問い質した。精霊の敬虔なる信者は妖精猫を無条件に崇め、信じ、少しも悪いと思わず、他人のプライベートをペラペラ語り始めたのだ。
『地震で頭を強打?記憶喪失?ふむ……』
ペタリ。妖精猫の冷たな肉球がアーリアの額に添えられる。そのまま数十秒。妖精猫は再びフムと頷くと、『やはり記憶にまでは干渉できんな』とどこか諦め顔で手を離した。
『覚えておらぬものを一々責めたりせぬよ。人の不運を責めるなど、意味のない事であるからな』
「お気遣いを、ありがとうございます……」
黒い毛に覆われた小さな手が離れたのを、ほんの少し名残惜しく感じたアーリアは、そのままボンヤリ妖精猫の不思議な青い瞳を見つめた。
ふわふわと長い尻尾が揺れ、三角の耳がピクピク動く。細長い髭が上下し、丸い瞳が魔法の光を受けて青から金へ、金から青へ移りゆく。そのなんとも愛らしい姿に心が騒つくのを感じたアーリアは、きゅっと胸の前で手を組んだ。
『どうした、具合でも悪いのか……?』
「……ぃい……」
『ん?』
「か……かわいい……!」
『は?』
様子を心配した妖精猫が魔女の顔を覗き込んだ時だ。急に目の前が暗くなり、身体が柔らかな物で圧迫されたのは。
『〜〜なななな何をする⁉︎』
「可愛い可愛い可愛い!」
「ちょちょちょちょっと!アナタ、一体何をしているの⁉︎」
立ち尽くす妖精猫にガバリと抱きついたアーリアは、その柔らかな毛質に鼻を押しつけ、柔らかさと芳しさを堪能する。頬は上気し、桃色にそまっている。口からは「ヤバイ」「可愛い」「たまらない」等という本音がダダ漏れている。
一方、普段は大変大人しく、特異な行動などしないタイプの人間の常軌を逸した行動に、リアナは目を白黒させている。しかし、理性的な部分は冷静で、神の使者たる精霊ーーその化身とも呼ばれる妖精に対して、何をしているのか!と憤慨甚だしく、すぐさま妖精猫からアーリアを引き離しにかかった。が、それには精霊信仰者としての信仰心がリアナの行動を混乱させた。今すぐにでも妖精猫からアーリアをを引き離したいのに、恐れ多くて神の使者たる妖精に近づけないのだ。
「すごーい!ふわふわっ!」
『おいこら!離せ、離さんか!』
「失礼でしょう⁉︎ いい加減になさいよ!」
アーリアの胸中でもがく妖精猫と半狂乱で叫ぶ修道女。地下で繰り広げられる寸劇は、そう長くは続かなかった。騒ぎを聞きつけたアベルがソアラを引き連れて戻ってきたのだ。
「どうした⁉︎ 何か問題でもあったのか?」
「何かございましたの?」
追手か、それとも刺客か。緊張した面持ちで引き返してきた子どもたちは、目の前の光景に、ある意味驚愕した。何せ、そこには妖精王国と謳いながらも出会った事のない妖精が少女の腕に囚われていたのだから。
「なッ⁉︎ 妖精猫?」
図鑑の中でしか目にした事のない妖精猫の姿に、アベルは、そしてソアラは呆然自失。口をぽっかりと開けたまま立ち尽くす。
自分を揉みくちゃにする魔女。半狂乱に取り乱す修道女。呆然と立ち尽くす少年少女。
どうやら此処には真の意味での味方はないと悟った妖精猫。脳内にはこれまで生きてきた人生が走馬灯のように駆け巡る。他人の人生を振り回す事はあっても、振り回された事はなかった人生を。
この様に理不尽な状況にあって、初めて、自分の力では何ともならない状態というものを味わっていた。地位や立場、健康な肉体があってこそ自身の願いや想いを形に、そして行動に起こす事ができるのだという事を知った。いや、悟った。
ならばこれは罰だ。これまで犯した罪を神は見ていたのだ。なればこそ、自分にこの様な罰を下したに違いない。ーーと。一度そう思ってしまったらもう、そうとしか考えられない。
罰を甘んじて受けるとしても、妖精猫はこの状況からの脱出を諦めてはいなかった。『うら若き女性に抱かれながら猫可愛がりされる』という状況は、ある意味、男にとっては夢の様な状況だが、ものには限度というものがあるのだ。
『〜〜〜〜!えぇい!いい加減離れぬかッ!』
妖精猫は最後の力を振り絞り、声高く叫んだ。
ーーまた数分後。
「ーーは?知り合い?本当に知り合いなのか?俺、妖精猫なんて初めて見たんだけど⁉︎」
妖精猫からの猫パンチを受けたアーリアが漸く落ち着きを取り戻し、妖精猫を解放した後、人間たちは妖精猫と対峙していた。
なかでもアベルなどは興奮しきりで、妖精猫をキラキラした目で見つめている。ソアラも言葉にはしないが、アベルの言葉にしきりに頷き、感動を体で表していた。
『……して魔女よ。ソナタらは現王を探しておるとか?』
これでは話が進まぬ。妖精猫は大人を代表して、話を取りまとめる事にした。
「はい。猫様は現王陛下の居所をご存じなのですか?」
『無論。現王は王家の花園へ至る通路、【精霊の泉】と繋がるとの所以の地底湖に封じられておる。こちらだ、案内して進ぜよう』
「……案内してくださるの?」
『ソナタには借りがあるのでな。なぁに、案ずるでない。騙して精霊の国に連れてゆこう等とは考えておらん』
妖精猫の言葉にゴクリと唾を飲むアーリア。借りが何なのかは分からないが、どうやらこの妖精、随分と情があるようだ。人間の世情に詳しく、話が通じるだけでも珍事だというのに。
妖精とは通常、人間の事情になど感知しない。人間の常識は通用しないのだ。そもそも、生態は勿論、生きる世界が違うので常識が違うというのは、ある意味当たり前の話。年に数件、『妖精が人間を騙して妖精の世界へ連れ去る』という事件が起こるが、妖精には悪意はまるでない。人間が『美しいから』と花を摘む行動と同じなのだ。
美しいモノ、面白いモノを好む妖精の習性を知るからこそ、妖精猫に対しての警戒は強い。特に学術として妖精について学んだ過去のあるリアナは、妖精猫を敬いこそすれ、警戒を怠らなかった。
「麗しき黒毛の君、妖精猫様。どうかこの者の無知をお許しください」
「うむ。花車揺れし陽明るる者よ、気にするでない。我にこの者を罰する気はない。精霊に愛されし娘だ。我も、精霊の怒りに触れる行為は御免被るのでな」
小さな爪が除く手で指されたアーリアはキョトンと首を傾げる。自分の為に頭を下げる修道女の行動も疑問だが、ゲッソリとした視線を向けてくる妖精猫の行動にも疑問がある。
「えーと?」
アーリアが集まる視線に首を傾げるとーー
『えぇい、そろそろ撫でるのを止めよ!ソナタ、記憶が失くともやる事が変わらんなッ』
ーーと、叱責が飛ぶ。叱られたアーリアは妖精猫を撫でていた手を一旦止めると、やはり解せぬという表情を浮かべる。尚且つ、「えー、こんなに可愛いのに」と文句まで飛び出し、全く納得していない様子。
これまでアーリアが何事に於いても従順な態度を示してきただけに、この様な姿を見せるのは非常に稀で、リアナと兄妹たちは唖然とした様子を隠しきれない。
『さて、参ろうか』
アーリアの膝からぴょこんと飛び降りる妖精猫。妖精猫の視線を受けて立ち上がったアーリアたちは、導かれるままに薄暗い通路を歩き始めた。
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『混乱と騒乱の間に4』をお送りしました。
現王が幽閉されているという場所を探して地下通路を探索するアーリアたちの前に現れたのは、人語を話す不思議な猫。記憶を失くす前のアーリアを知るという妖精猫を前に、アーリアの奇行は絶頂を極める。
態々姿を現わし、案内を申し出た妖精猫の目的とは?
次話、『混乱と騒乱の間に5』も是非ご覧ください!




