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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と狂気の王子(下)
395/500

※裏舞台4※伸ばされた手

 ※(アーリア視点)


『君って、ホント、つくづく強情な時があるよね?』

『え?そう?』

『あー、マサカの自覚なしか』


 誰かが私に微笑みかける。その表情かおに苦々しさを隠さず気やすげな態度から、親しい仲なのだと分かる。頬をぽりぽり掻く仕草からは、先ほどの言葉に納得していないのが丸わかりで。そんな表情を向けてくる彼に、私は何故か胸がもやもやした。


『私、何か拙いコトした?』

『いんや。我を貫くのは良いと思うよ。ただ、もう少し柔軟な気持ちを持っても良いと思うダケでさ……』


 柔らかな栗毛が揺れ、蜂蜜の瞳が光る。


『ちょっとは彼らを信用しても良いんじゃない?』


 屈んだ彼の顔が間近に迫り、蜂蜜の瞳が私の顔を写す。

 トキリと小さく胸が鳴る。


『塔の中に入らせたくない理由も分かるけど、あれじゃあ完全に部外者扱いだ。若手じゃなくても腐る奴は出てくるよ。せめて塔の一部でも開放したらどうかな?もしくは、入れる人間を限定するとか。少なくとも僕は、団長と副団長さんたちは信用できる人間だと思うよ?』


 遠慮のない言葉の数々。自分に対して壁がない。だから遠慮もいらない。互いに互いを尊重しているからこそ、慮っているからこそ、遠慮のなく言葉を交わす事ができる。だから、一見棘のある様に思える言葉にも、憤りを覚える事はない。全ては私を思っての言葉なのだから。


『団長さんたちはこんな私にも敬意を払ってくれている。信用できる人間だって、分かっているの。でも、でもね……』


 心のどこかで、人間を信用し切れていない部分がある。それを見透かされた様で、ちくりと胸が痛む。


『……ごめん。×××が他の騎士からどう思われているか、知らない訳じゃないの。でも、ごめん。まだ、私、ダメみたい』

『ん、そっか』

『嫌な思いをさせてしまって、ごめんね』

『いーよ。別に気にならないし。それに、僕だけがトクベツってのは、嬉しい事だしねぇ〜』


 でも、と言葉を区切って彼は私の頭にポンと手を置く。


『自分のテンポで良いから、少し考えといてよ』

『うん……』


 頭に触れる掌から伝わる温かなな体温。涙が出そうになる。

 自分がどう思われるかよりも、『私』の気持ちを一番に尊重してくれる彼の気持ちに、どうにか応えたいと思う私がいる。こんな気持ちが造られた私の中に生まれるなんて思いもしなかったから、戸惑いと恐れに心が騒めく。

 

 私の世界は狭くて、大切だと思えるものは少なくて。

 その大切な人たちだけを、ずっと大切にできたら、もうそれだけで生きている意味はあって。

 彼らの為だけに生命を使えたらって、本気で思っていて。


『さ、帰ろっか』


 目の前に差し出された大きな手。その手が眩しく思え、手を取る事を躊躇する。この手を取っても良いのだろうか、その資格が、私にあるのだろうか……?

 どうしようもない焦燥感に襲われる。ぎゅっと胸を締め付けられる。朝焼けの中の、或いは夕焼けの中にある彼の笑顔。戻れない過去、戻れないあの日、思い出の中にある眩しい日々。セツナイ気持ちが溢れ、肩が、ざわりざわりと頬が産毛立つ。


 ー『私』は誰?『彼』は……?ー


 頭を強く打ち付けた事が原因で、以前の記憶を忘れてしまった不憫な令嬢。そう、誰もが口を揃えて言うとけれど、私は本当にゼネンスキー侯爵家の令嬢なのだろうか……?

 目を覚ました私を迎えに来た黒髪の青年、ゼネンスキー侯爵リヒャルト。彼は私を見て『実妹』だと言った。婚約者であるシュバルツェ殿下を訪ねて王宮へ参内した所、運悪く被災したのだと。

 その後、わざわざ足を運ばれたシュバルツェ殿下もまた、私を『第二王子殿下(自身)の婚約者』であり、『ゼネンスキー侯爵家の令嬢』だと仰った。


 ーだけど、この消失感はなに?ー


 甥と姪にあたるアベル様とソアラ様。2人は叔母である私を実の姉のように扱ってくれる。記憶を失くして途方に暮れた私を気遣い、なにくれと構ってくれる。


 好きな食べ物は?

 好きな色は?

 好きな動物は?


 苦手な教科は?

 苦手な魔法は?

 苦手な作法は?


 2人の手助けを得て、何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が苦手か、手探りで一つひとつ確認して、『私』という人物が『どういう性質を持つ人物なのか』を探す中、好きな物を一つ、苦手な物を一つ見つける度に、それらは『記憶を失う以前からの性質なのか』という疑問にぶつかってしまった。

 疑問は違和感として心の中にシコリをつくり、胸の中に沈殿していく。雪の様に降り積もっていく。ツキリツキリと胸が痛む。心配かけまいと誤魔化すように微笑む。どうしようもない消失感は拭えないままに、時間とき過ぎていく。


 そんな時、ふと頭を過ぎる顔がある。


 柔らかな栗毛の、甘い蜂蜜のような瞳の、屈託のない明るい笑みを浮かべる、一人の青年の顔を。私に向けて差し出されるその手を握り返したい、そう思うけれど、夢の中でさえその手を取る事を躊躇われてしまう。


 ー何故?あんなに温かな手なのにー


 きっとこれは罪悪感。

 私にはあの手を取る資格がないに違いない。


『また、会いに来るからな!』


 神殿に迷い込んだ赤毛の少年。少年から手渡されたソレら。本来、得体も知れぬ外部者からの贈り物など捨て置くしかない物なのに、なのに捨てられてずにいる。しかも、未だ、リヒャルトお兄様に、そしてシュバルツェ殿下にさえも隠している。あの少年に出会った事自体を隠している。


 ーあの少年は『私』を知っている?ー


 あの少年はあんなにも狼狽していたではないか。

 『私』に必死に呼びかけていたではないか。


 ーひどい事を言ってしまったわ!ー


 少年の呼びかけに『知らない』、『分からない』と返した。少年の思いを無碍にしてしまった。本当は酷く懐かしい香りがしたのに。胸の奥が騒ついて仕方がなかったのに。だけど、あれ以上はどうしても無理だった。『彼』の手を取る事ができない様に、少年の手もまた取れない。


『あの……そろそろ手を離してください』

『離したくないって言ったら、どうする?』


 怪我を治す為に神殿を訪れた異国の行商人。義兄弟だという行商人の内の一人。包帯から覗く彼の髪もまた『彼』と同じ栗毛で、甘い蜂蜜の瞳を持っていた。

 彼の予想外の行動に私が表情を曇らせた時、彼は私の腕を軽く引いた。腕を引かれた私は、気づいた時には青年の胸中にいた。微かに芳る柑橘系の香り、何処かで嗅いだ事のある柔らかな香りに、痛いほど胸が締め付けられた。


『っ……⁉︎ 離して、ください……!』

『嫌だ』

『!』

『やっと……やっと手の届く場所まで来たってのに、このまま連れて帰っちゃダメなんて、そんな酷いコト言わないよね?』


 耳元で囁くように紡がれる青年の言葉には困惑を極めた。なのに、()()()()()()青年の腕を、優しく包み込む温かな腕を拒む事ができない。心が乱される。頭が混乱する。


『貴方は、何を、言って……⁇』

『アーリア。本当に僕のコト、忘れちゃったの?』

『⁉︎』

『本当に覚えてないの?』

『っぁ……⁉︎』

『一緒に帰ろう。僕と……』


 ー帰れない!ー


 水底で『誰か』が頭を抱えて叫んでる。小さな子どものようにイヤイヤと首を振って叫んでる。膝を抱いて、頭を埋めて、耳を塞いでーー何もかも、世界からも拒絶している。


 ー『貴女』は誰?ー


 知ってる。あれは『私』。現実と向き合うのを怖がるあまり、精神の水底()に隠れてしまった本当の『私』。

 けれど、そんな臆病な『私』の胸には、檻の扉を開く為の鍵が抱かれている。ーーそう、少年から強引に手渡された袋から出てきたのは、金色に輝く、一本の鍵が。


『待たせてごめん』

『帰ろ。僕たちの家へ』

『一緒に』

『みんなが待ってる』


 伸ばされた手。優しい声が囁く。


『僕の大切なアーリア』


 塞いだ耳に、優しい声が届く。

 貴方の声が。蜂蜜のように甘い声が。


『一緒に帰ろう。僕と一緒に……』


 さぁと伸ばされる手。小麦に焼けた大きな手。


 ー本当は帰りたい、帰りたいの!ー


 貴方と共に。家族の下へ。


 ー私には、貴方の手を取る資格がないの!ー


 貴方の想いを知っていながら、裏切ってしまったから。

 だから、水底(此処)から出る訳にはいかない。

 記憶を、何もかもを放棄して、私は此処で生きるしかない。

 そうする事でしか『私』を守る事が出来ない。だから、でも、もしも我儘が許されるならーー!


「あの手を取りたい」


 差し出された温かなあの手に、手を伸ばした。




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裏舞台4『伸ばされた手』をお送りしました。

記憶を無くしたアーリアですが、どうやら原因の半分は地震ではなく、自らの意志であったようです。

誰に似たのか強情で、一度『帰らない』と決めたらもう、誰に何を言われようと、意志を歪める事ができないようです。それでも本音では帰りたくて仕方なくて、悶々と引きこもっています。こうなったアーリアを強引に引っ張っていくには、『誰か』の力が必要でしょう。


次話『混乱と騒乱の間に』を是非ご覧ください!


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