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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と狂気の王子(下)
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混乱と騒乱の脱出劇3

 ザワリと二の腕が産毛立つ。首筋がチリチリと痙攣を始める。昔から人間が持つ生存本能が他人よりも強かった。これまで五体満足で生きてこれたのは、自身の持つ人並外れた生存本能の高さ故である事をリュゼは自覚していた。だからこそ、この時身体が感じたそれに疑問を覚える事はなかった。


「やっぱり、そんなに上手くはいかないか……」


 目深に被ったフードの隙間から移りゆく風景をつぶさに観察していたリュゼの目が細まる。その小さな呟きのすぐ後、背後のナイルが反応した。ナイルもまたその空気を捉えたのだ。

 前方を行く修道女の様子に変化はない。

 リュゼはナイルと視線を交わすと、肩を一つ竦めた。


「仕方ない、ここは敵の巣窟なのだから」

「まーね」


 ナイルに至っては平静そのもの。まるで予測していたかの様な落ち着きを放っている。


「リュゼ、総数は?」

「表に3、裏に5。あーやだやだ」

「そう言うな」

「やっぱり、あのうっすい警備は罠だったのカナ?」

「まず、間違いないな」

「そこへ誘き寄せられたと。どーします、先輩?リンクたち裏で待ってんじゃないの?」

「どうもこうも、合流は難しいだろうな」

「んじゃまぁ、とりあえずは此処から離脱を謀りますか!」


 二人のみに聞こえる声で口早に言葉を交わすと、リュゼは前方の修道女へ大股で近寄り、その肩をトントンと叩いた。


「な、なんですの?」


 振り返る修道女の表情は硬く、眉根は怪訝そうに寄せている。有り体に言えば『不機嫌顔』だ。先ほどリュゼから自身が持つ帝国と皇太子に寄せる想いを散々揶揄われたので、修道女はリュゼを警戒していたのだろう。


「何って、追手だよ」

「お……追手、ですって!?」


 素っ頓狂な声を上げた修道女は、場所が場所だけにハッと我に返り、口に掌を押し当てた。


「そ。なんでそんなに驚くのさ?」

「だって……あっ!わ、わたくしではありませんわよ!?」

「あ〜〜君が間者だって?そんなコトは思ってないよ。当初ハナから疑っちゃいない」

「え……そうなんですの?」

「うん。だからさ、君も君がすべき対処を取ってくれて構わないから」

「わ、わかりましたわ!」


 一度は『追手』の言葉に驚きを見せた修道女リアナだが、それも束の間、自身の立場と役割を自覚すると、忽ち頷いて身構えた。その態度にリュゼは「へぇ?」と口を尖らせる。その目は『思ったより使えそうだ』と語っている。


「くるよ、先輩」

「リュゼはアーリア様を」

「了解」


 スキル《探査》で不審な行動を取る影を捉えていたリュゼの声が鋭く疾る。ナイルはローブの中に隠した武器に手を添えた。


 ーコツコツコツ……ー


 静間に響く靴音。一定間隔に刻まれたその音は、徐々に前方から近づき来る。そして、緊張した面持ちの修道女がゴクリと唾を飲み込んだ時、その人物は長い回廊の奥からニ名の神官を伴って現れた。


「これは修道女シスターリアナ、何処へかれます?」

「っ……! ルスティアナ侯爵さま……」


 高位の神官のみが纏う事を許されたローブを翻し現れた壮年の紳士。鋭い視線で射ぬかれたリアナの表情が強張る。


「困りますな。勝手に持ち場を離れてもらっては。いくら帝国の元公爵令嬢とはいえ今はいちシスターなのです。今は我が国の管轄下におられるのですから。ーーそれで、そちらの神官ものたちは?見たところ、姫巫女付きの神官ではないようだが……」


 ルスティアナ侯爵は帝国を追われたリアナの後見となったライザタニア貴族で、この神殿の実質ナンバー2、大司祭の地位にある大物でもあった。侯爵は狡猾な性格ながら枢機卿の影となる事に甘んじていたおかげで、枢機卿が失着した後の神殿の管理を任されるに至っていた。

 粘り気のある侯爵の視線が修道女リアナから離れ、その背後へと向けられる。高級感のある白いローブが揺れ、指先が修道女の背後を指した。


「この者たちは、その……」


 疑惑の目を向けられ修道女は顔を青ざめさせた。が、此処で狼狽しなかったのは流石と言える。帝国で培った演技力。リアナは瞬時に瞳を潤ませると、なんと、ルスティアナ侯爵へと助けを求めたのだ。


「お、お助けください!わたくし、この者たちに脅されてっ……!」


 リアナの咄嗟の演技とその判断力にリュゼは舌を巻いた。口笛を吹きたくなった程だ。髪を振り乱し涙を浮かべて大司祭へとすがるリアナは、どう見ても共犯者には見えない。


「成る程。『賊に脅されて仕方なく』と?それならば仕方がない」


 ホッと息つくも一の間。ルスティアナ侯爵はフレームの細い眼鏡を鼻上へ押し上げると、視線を鋭くさせた。


「初めましてと申そうか、隣国の間者諸君。私は大司教の地位にある者だ。ーー我が管轄下において姫巫女を拐かそうとは、侮辱も甚だしい!神聖なる神殿を穢す者どもよ。修道女を解放し、大人しく縄につくがよい」


 ルスティアナ侯爵は神官衣に身を包んだリュゼたちを隣国の間者だと決めつけた。更には、神聖なる神殿へ入り込んだ余所者を排除するのは当然と語気を強めた。それらから、リュゼはルスティアナ侯爵を油断ならない相手に昇格させた。


「大司教?フツーそんな高貴なお人が、自ら賊討伐に足を運ぶもんかなぁ……暇なの?」


 軽口から相手の出方を見る。1、2、3……表情に動きはない。ルスティアナ侯爵の反応を見ていたリュゼは、ヤレヤレと首を振る。他者からの目を晒す技能スキル《偽装》を施していてさえも騙されてはくれない侯爵の心眼と態度に、リュゼは早々から誤魔化しは不可能だと判断した。


「姫巫女の大事とあらば当然であろう。何を置いても駆け付けねばならぬではないか?」

「ふーん、案外マジメなんだ?でもさ、僕たちは何も神殿の権威を穢しに来たワケじゃない。取られたモノを取り返しに来たダケだよ」

「だとしても、どうして退けよう?」

「……だよね。やれやれ」


 リュゼの軽口をいなすルスティアナ侯爵。侯爵の態度は、アンスバッハ枢機卿に付き従っていた時とは一変していた。

 近々に起きた『姫巫女の不貞』と『枢機卿の不正』というスキャンダル。それらは一般には秘匿された情報ではあるものの、スキャンダルによって廃された最高権力者たちの不在という未曾有の危機を、この大司教はたった一人で背負っていた。

 『姫巫女への信仰心』は、帝国に於ける精霊信仰と比較すれば、それほど規模は大きくはない。それでもライザタニアに於いては無くてはならぬものであった。

 神殿における信仰心の対象は姫巫女ーー生身の人間。精霊を信仰するのとは違い、姫巫女(人間)を信仰の対象にする故に、繊細な配慮が必要となる場面が多々ある。にも関わらず、不正を暴かれた神殿にはこれ迄のような裁量権はなく、最早首輪を繋がれた犬の如く王宮へ尾を振るしか生き残る術がなくなってしまった。つまり、王宮の判断次第で神殿の存続自体が危うくなってしまったのだ。

 だからこそとルスティアナ大司教は語気を強める。「我が神殿を穢すモノなど、断じて許さぬ!」と。

 間者を前にしても一歩も退かぬ態度を取るこの大司教なる男は、元よりの小悪党ではなかった。一神官として、神の信徒としての矜持を少なからず持っていた。例えその矜持が、己の利益利権を優先したものであったとしても、それを覆い隠す程の使命感があった。


「さて、間者諸君。シスターを解放せよ。勿論、そちらの荷物も返してもらおうか?」

「荷物ねぇ。これが『何』なのかもご存知なワケだ?勿論、僕たちの正体も……?」


 リュゼとナイルは警戒心を強めた。神職であるルスティアナ侯爵には一部の隙もなく、抜け出すタイミングが見出せずにいた。何より此処は敵地なのだ。慎重過ぎる程に事態を見るに越した事はない。

 そんな間者たちの内情を悟った侯爵は内心ほくそ笑んだ。ーーが、そこに新たに現れた第三者の声が割り込んだ。


「大司教、彼らに諦めるという選択肢はナイですよ?」


 ーギィンンッ!ー


 黒い影が躍り出る。抜き様に一閃。甲冑を着込んだ兵士は何の助走もなく、リュゼに向けて剣戟を打った。忽ち飛び散る火花。攻撃を受け止めたのもまた閃く一撃だった。


「チィ!」

「っ……」


 荷物を庇うように下がったリュゼと兵士との間に滑り込んだのは、それまで黙して状況把握に努めていたナイル。ナイルはリュゼをーーいや、大切な荷物を狙った兵士の悪意ある攻撃に、眼光を鋭くさせた。

 剣の隙間から睨み合う両者。交錯する視線。それも一瞬、両者はパッと距離を取った。


「武器を下ろせ!」


 突如始まった剣戟に「な」の形のまま口を開け、驚きを隠せぬ侯爵だったが、立ち直りは早かった。侯爵には間者に対する『切り札』があったからだ。


「不用意に動かぬ方がよいぞ?仲間の生命が大事ならば」

「なに……?」


 侯爵の合図。背後に新たに気配。近づく足音。重い足音が三つ、軽い足音が一つ。


「ーー離せよ!離せっての!」


 飛び込んできた聞き覚えのある声に、リュゼとナイルの眉根が僅かに揺れた。


「イキナリこんな所に連れてきてさ。ホントにオレら、何もしてねぇよ!」


 騒がしい子どもの声。成長期だが、声変わりの途中の甲高い男児の声が、回廊の神聖な雰囲気をぶち壊している。

 兵士二人にせっつかれるように現れたのは、少年と壮年の男。似通った顔つきから親子だと知れた。

 長槍の刃にビビりつつも抗議の声を止めない少年。自身の正体を「タダの小間使い」だと言い、「主人に言いつかった仕事が途中だから帰してくれ」と叫ぶ。

 しかし、兵士二人の顔色ーー実際にはヘルムに遮られて判らないーーは変わらない。子どもの戯言たわごとに付き合う気は毛頭ないと見えた。


「ひぃ⁉︎ こっち向けんなよ、逃げねえって。あーもー、そんな奴らとは無関係だって。無実!俺らはタダの小間使いだから!」


 背に刃先を突きつけられた少年は、間者らと対峙する侯爵の前へと、タタラを踏むように突き出された。


「煩い子どもだ。ーーさぁ、これを見ても未だ余裕を崩さぬか?」

「……あっちは無関係だって言ってるけど?」

「そうか。ならば、この者らをどう処分しても構わぬな?」


 侯爵の意を受けて兵士の一人が長剣を振り上げた。

 息を飲む少年。ギュッと唇を引き結び、拳を握り、目を閉じた。少年の首筋目掛け、刃が迫りくる。もう間もなく、その磨かれた刃が少年の柔らかな皮膚を切り裂くーーとその時、「待て」との声が挙がった。


「っーー!」


 ピタリと止められる刃。少年が恐る恐る目を開けた時、刃は既に兵士の腕中へと納められていた。

 止めていた息を再開させる少年と壮年の男。

 ドクドクと流れゆく体内の血流。交差する視線。生命の危機にあっても、自身の役割を優先させた親子に、リュゼらは彼らの忠義を再確認した。


「……ったく、降参だよ」


 後ろ手に両手首を縛られた少年改めリンクとバイゼンの移民親子。その背後には武器を携えた兵士が三名。顔色を変えたリュゼにルスティアナ侯爵はほくそ笑む。


「神官って卑怯者の総称だったんだ?」

「相手の弱みを突く。常套手段であろう」

「だから人質をって?同じ手口ばかりで進歩がないと思わない?」

「有効な手段だと、分かっているのでな」


 形勢逆転。いや、元々形勢は良いとは言えないが、より最悪な方へと転がったのは確か。ルスティアナ侯爵の余裕ある表情に、リュゼは琥珀の瞳を眇めた。思わず手に力が篭る。その途端腕の中でモゾリと動く気配が生まれ、図らずも緊張していた己を狼狽した。


「さぁ、その荷物を此方へ。なに、傷つけはせぬよ。それは大切な預かり物なのでな」


 侯爵の指示を受け、控えていた兵士が動く。一歩、また一歩と近寄る兵士に、リュゼは前方を、ナイルは後方を注視して間合いを確認する。

 リンクとバイゼンを置いて逃げる選択肢もあるが、それをリュゼとナイルは最善とはしなかった。やっとの思いで取り戻した探し人ではあるが、後々リンクたちが犠牲になったと知れば、探し人が悲しみに暮れるであろう事を予測したからだ。

 ナイルと視線を交わしたリュゼはむ無く、肩に担いだ荷物をそっと降ろした。途端、ローブの隙間よりさらりと流れる白髪。白い頬を一撫でするとたっぷり3秒間その顔を見つめた。


「……その『大切な預かり物』にお前らは何をした?なんでこんな状態になってんのさ?」


 柱に凭れさせるように荷物を降ろしたリュゼから発せられる声音に、ルスティアナ侯爵は思わず身体を硬らせた。ゾクリと疾る寒気。何処からか漂う殺気。それは、敗北を知り、項垂れるかのように俯いたと思われていた間者リュゼから発せられた威圧感であった。


「貴様、なにを……?」

「自国内のゴタゴタに他国を巻き込んどいてよく言うよ。しかも、よりによって彼女をーー俺たちの大事な主を巻き込んでおいて……!」


 ー彼女が一体何をしたって言うんだ!ー


 平凡な生活を夢見て足場を固めるべく、魔宝具職人マギクラフトとして働いていた魔女アーリア。そんな魔女を襲った事件の数々。事件は事故を呼び、事故は非日常を呼び込んだ。果ては平凡とは正反対の貴族社会へと放り込まれ、遂に『東の塔』へと押し込まれてしまった。

 仕える騎士団。守られる魔女。美しい主従関係。

 世間からはその様に映るかもしれない。

 しかし、リュゼから見れば魔女アーリアの置かれた環境はただの『籠の鳥』。不自由極まりない状況でしかないもの。

 それでもめげずにやってきた魔女をトコトン利用しようとする王侯貴族たち。挙句、関係のないツケを押し付けられ、敵国こんなところにまで目をつけられ、拉致された。


『アーリアは魔宝具がほんっとに好きだよね?』

『うん、好き』

『即答かぁ。なんか思い入れでもあるの?』


 等級持ちのアーリアならば魔導士として大成できる。それなのに、魔宝具職人という職に固執するアーリアにリュゼは疑問を持った。


『魔宝具は私に光をくれたから』


 アーリアはニッコリと微笑むと自身の瞳を指差した。

 生まれながらの盲目であったアーリアは、その欠点を理由に創造主から捨てられた過去を持つ。そしてその欠点は保護した師匠によって補われた。その方法が魔宝具による身体欠損の補填であった。


『お師さまが私に光をくれたように、私も誰かの光になりたい。誰かの光になるような魔宝具を作りたい。それが私が魔宝具職人を目指した理由なの……』


 そう語るアーリアの表情はほんの少し照れ臭そうで。その桃色に染まる頬を、リュゼは揶揄えはしなかった。


「知らぬな」


 そう吐き捨てる侯爵の目に光りはない。そんな侯爵の対応にリュゼは言い募る事などせず、ただ立ち上がると、その場から一歩ニ歩と下がり、大きく距離を取る。同時に侯爵の命を受けた兵士が一人、同じように一歩二歩と近づくと、荷物を両手に立ち上がった。


「私に諸君らをもてなす暇はない。代わりにこの者らに客人への礼をさせよう……」


 リュゼとナイルの二人と侯爵らを隔てる巨漢の兵。六尺ーーいや、七尺(2メートル)近くある兵士は、手にした槍をくるりと一回転させる。纏う雰囲気は軽い割に歩みの一歩一歩が重く、その威圧感は一兵士とは言い難い。自然、リュゼの身体は緊張感に包まれた。ーーがしかし、背後にいたナイルは違った。

 武者震い。いや、苛立ちか。震える拳を握り込み、この状況下にあっても平坦であった表情を僅かに歪ませている。目線の先に巨漢の兵士を睨みつけながら奥歯を鳴らす。


「片付けておけ」

「は」


 侯爵の命令に兵士はヘルムの中の顎を下げる。

 リュゼたちから背を向けた侯爵と、その背を追うように荷物を抱いた兵士。兵士の腕にある荷物へと視線を向けていたリュゼは、ひっそりと眉根を寄せる。


「さて、どーしたものかな?」


 回廊に残された間者ーーリュゼとナイル、腕を縛られたままの移民親子。そして、侯爵の命を受けた兵士が二人。見えなくなるまで侯爵を見送ったリュゼの声が、回廊に虚しく響いた。







お読み頂きありがとうございます!

ブックマーク登録、感想、評価など、とっても嬉しいです(*'▽'*)/


『混乱と騒乱の脱出劇3』をお送りしました。

漸くの思いで探し人を見つけ、連れ出したリュゼたち。しかし、そこでハイ、任務完了!とはなりません。

輪郭の間者の動向を把握し、追い詰めてみせたルスティアナ侯爵。どうやら、侯爵には独自の情報源と思惑があるようで……


次話『混乱と騒乱の脱出劇4』も是非ご覧ください!


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