護身術
「次!はい、そのまま手を捻って!」
テルシアが生ゴミを捨てに行った際、宿屋の裏手でアーリアとジークフリードが離れたりくっついたりしながら何かをしていた。初めは逢引かと思ったが、どうもそんなロマンチックなものではないと気づいた。
「あの子達、何してんだい?」
テルシアは宿屋の厨房へ続くの裏口から入ると、食堂のカウンターでブランデー入り紅茶を飲んでいたダンに話しかけた。
「ああ、アーリアとジークかい?なんでも『ジーク先生による護身術教室』らしい」
「はあ?護身術教室?」
「アーリアがよくゴロツキなんかに声をかけられたりするんだと。で、その対策の一つらしい」
「なるほどね〜〜。ジークはアーリアちゃんが心配なんだね?」
「だろうな。可愛いからすぐ変なのが寄って来るんだろう」
「彼女、ちょっとぽやんとしてるから……」
「ジークとしたら心配事の種は尽きないだろうさ!」
ダンの言葉にテルシアは納得の表情で何度も頷いた。
あのアーリアを守るのはなかなか大変だ。『守る』と一言で言っても、身体の安全を守るだけではない。心無い相手からの視線や言葉、態度、その他様々な事から守らなければ、守ったとは言えないのだから。
テルシアはダンと一緒にカウンターで紅茶を飲みながら、裏手から時々聞こえてくるジークフリードの声に、様々な想いを巡らせるのだった。
※※※※※※※※※※
星の瞬きが美しい夏の空の下、『ジーク先生による護身術教室』が開催されていた。
本来なら昼間の方が明るくて立ち回り易いのだが、ジークフリードの方が夜にしようと言ってきたのだ。陽がある内は身体が獣化しているからだと言うのが理由だ。獣人であるとその鋭い爪がアーリアを傷つける恐れがあるし、思わぬ力が出てしまい、アーリアに危害が及ぶかもしれないという配慮もあった。
場所は宿屋の裏手にある少し開けた所で、奥には小さな畑がある。その手前、地面のむき出しになった所に、魔宝具を使って何箇所かに明かりを灯した。昼間ほどではないが、不安なく動く事ができるくらいには明るい。
「今日は不審者が自分の『後ろから来た場合』と『前から来た場合』の二つに対応する護身術を教える」
『ジークさん、私には力もないけど大丈夫ですか?』
「大丈夫だ。これから教えるのは不審者や暴漢に絡まれた時に活用できる護身術だ。だからそんなに身構えなくてもいい」
アーリアはジークフリードから数歩分、間を開けて向かい合った。
「まずは『後ろから来た場合』だ。まずアーリアは俺に背を向けてくれ」
アーリアはジークフリードの言葉に素直に従って、背を向けるように立った。その状態のジークフリードがアーリアの右肩に手を触れた。
「このように急に肩を掴まれた場合……。アーリアは掴まれた肩を真上にピンと伸ばして……」
『え?伸ばす?はい!』
「そのまま伸ばした腕を大きく回して、手を思い切り振り下ろす!」
『……回して〜〜振り下ろす!』
「そう!」
ジークフリードが触れていた手がアーリアの肩から簡単に外れた。
「これが一番簡単だと思われる。だが、後ろに倒されたり抱きつかれたりするとこの手は使えないから気をつけろ」
『はい』
「じゃあ次。背中から抱きつかれた場合」
ジークフリードがアーリアを背中から抱きついた。ジークフリードはアーリアの胸の下でガッチリと手を組んで離さない。
『ひやぁ!』
「……情けない声は禁止。このように腕を組んでアーリアを連れ去ろうとした場合、相手の手を自分の手で固定して、相手の人差し指を反対方向に思いっきり捻る!」
『こうですか?あ、でもこれ以上力加えると、ジークさんは痛くないですか?』
「不審者相手に情けは無用。折れても構わないから思いっきり捻れ!いいな?躊躇は禁物だ」
『ハイ』
今夜のジーク先生は厳しい。正に鬼教官だ。話し方も有無を言わさない命令口調でアーリアに逆らう権利はなかった。アーリアもそれが分かって素直に返事をした。
「もし、指を捻っても効き目がなく、そのまま持ち上げられそうになったら、体重を前方へと思いっきりかけろ!そしてその勢いで相手の甲を踏め!」
『体重をかけて足を踏む!』
「そうだ!」
『……ジークさん相手に、これは無理です』
「……。そうだな」
ジークはアーリアを持ち上げたまま離すことは無かった。アーリアはジークフリードに持ち上げられたまま足をぷらぷらさせている。身長差もあるので正にお手上げ状態だ。仕方なく、ジークフリードはアーリアの身体をゆっくりと地面に降ろした。
「……では次。後ろから胸を触るように後ろから抱きついてくる相手に対して」
『え、胸⁉︎』
「覆いかぶされる前に肘を相手の腹に叩き込め!」
『こうですか?』
「そう!……リュゼあたりがやらかしそうだからな」
『そ、そうですね……』
「可能なら、そのまま相手の左腕を両手で持って捻れ!」
アーリアはジークフリードの腕を思いっきり捻った。そのままジークフリードの脇から抜け出す。
『上手くいきました!ジーク先生!』
アーリアの『先生』の言葉に一瞬ジークフリードは首を傾げる。いつの間にか、アーリアから先生扱いを受けている。ジークフリードは構わずに続けた。
「……では次。不審者が『前から来た場合』だが、その時は迷わず不審者の目や股間など急所を狙え!」
『ハイ!あ、でも、追手相手に有効ですかね?』
「大丈夫だ。きっと相手はアーリアから何かしてくるとは思っていないはずだ。相手は油断している。その隙を狙え」
ジークフリードの青い瞳が今日はやたらと鋭い。想像上の不審者や追手に対しての殺意が宿っている。
「では次に、ナイフや剣を持って襲ってきた場合。アーリアはこの前目をつぶっていたが、あれはダメだ。しっかり相手の動きを見ていないと攻撃が避けられない。あの時は魔宝具がお前を守ってくれたが、いつ何時、危険な場面が訪れるか分からないのだから、その時に備えておく必要がある」
『はい……すみません』
「謝る必要はない。これから対処法さえ覚えてくれればそれでいい」
東の街で襲撃を受けた際、アーリアは振り下ろされる剣に恐怖を覚えて思わず目をつぶってしまった。あの行為は命のやり取りにおいて致命的なミスだ。魔宝具の結界がなければ、あの時、死んでいてもおかしくはなかった。よくよく思い返すとアーリアのした事は後先を考えない馬鹿な行為が多かった。
しょんぼりと反省するアーリアの頭をジークフリードは優しく撫でた。
大男にバスターソードを振り下ろされたら、誰であろうと怖いに決まっている。剣に覚えがないアーリアが恐怖で動けなかったのは当たり前だっただろう。
「では、このように相手が刃物を持って向かってくる時は……」
ジークフリードが鞘に収めたままの長剣をアーリアに向けて突き出した。アーリアはジークフリードからの殺意がないのに、剣を突きつけられる事にドキリとした。
「剣の直進上にいたら危険だ。身体を回転させて、何としてでも直線上から逸れなければならない。例えば横に一歩ズレたり、そのまましゃがんで相手の足元に転がったり……」
『こうですか?』
「……下に転がったはいいが、そのままだと意味がないからさっさと逃げなさい」
『あ、はい』
ジークフリードの足元にころんと転がったアーリアを、ジークフリードは呆れた表情で見てくる。アーリアとしては至って真面目にしているのに、今日のジークフリードは本当に厳しい。
「アーリアでは剣士や騎士の攻撃を二撃以降は避けきれないだろう。だから、これは初撃を避ける方法になる。今の段階では初撃を避けたら逃げに徹するしか方法がないのが痛いが……。よし、これは後々対処法を考えよう」
魔法や魔術に頼れば何とかなるだろうが、それが無い以上、今すぐどうこうできないのが現状だった。アーリアに剣術の基礎でも教えるか……などとジークフリードはブツブツと独り言を呟いた。
「では次は……」
『え⁉︎ まだあるんですか?』
「まだまだある。一通りやったら、もう一度初めから復習する。身体が覚えるまで何度でも練習するから覚悟するように」
『え〜〜!』
「何か文句が?」
『イエ。ありません』
アーリアの悲痛な叫びは鬼教官には通じなかった。騎士たちの日々の訓練や修練はこんなもんじゃないんだろうな……?とアーリアは遠い目をした。やはり自分には体育会系職業は絶対に向いてない、と再確認したのだった。
「では次!」
ジークフリードの無慈悲な声はこの日、夜が更けるまで続くのだった。
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『ジークフリード先生による護身術教室』はアーリアが勝手に命名したものです。でも、ジークフリードもアーリアに先生と呼ばれて満更ではありません。




