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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と狂気の王子(下)
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鍵と宝玉と声と

※(アーリア視点)


 指先で蒼い宝玉を転がす。月光を受けて輝く蒼い宝石。透明度の高いその宝玉は一見硝子玉の様にも見える。

 これは先日、神殿内で迷子になっていた信者の子どもに手渡された巾着の、その中に入っていた物の一つがこの宝玉。ビー玉かおはじきかと思ったこれらが高価な物だと分かり、機会を見て返そうと思案したものの、あれ以来、少年とは出逢えていない。


「私が、システィナの姫……?」


 傾きゆく月を眺めやり、まさかねと首を振る。


「いくら何でも突飛過ぎるよ、リアナ」


 最近になって新しい修道女が姫巫女付きに抜擢された。

 その修道女は鮮やかなオレンジ色の髪色を持つ若い娘で、元は地方教会に赴任予定であった良家の子女であった。

 若い良家の子女ならば、大抵は政略結婚の道具とされるのだが、修道女の家は訳あってこの春没落し、貴族位を剥奪され、国外追放されたのだという。

 生来、貴族の世界しか知らぬ令嬢が平民の中で生きていくのは難しい。その点、教会預かりとあれば多少の融通がきく。教会は貴族からの寄付で成り立っているからだ。だから貴族の社会から追放された令嬢の行き着く先として教会が選ばれるのは、近年では通例となっている。

 修道女の生い立ちはどうであれ、追放直後の令嬢がライザタニアで最も尊ばれる神殿へ転属し、姫巫女付きの修道女へと抜擢されると云うのは、なかなかに稀ではないだろうか。

 世情に疎いと自覚する自分ですらそう考えるのだ。他者はどう考えるだろう。例えばあの聡明な第二王子殿下は……?


「『何らか思惑があって遣わされて来た』と思われちゃうよ?」


 誰の、何の目的で、疑問は解けない。けれど、彼女には何かしらの思惑があると見ていい。でなければ、この時期に新任の姫巫女に接触しようとは思わない。


「私には価値がない。あるとすればゼネンスキー侯爵家を、お兄様を脅す材料くらいかな……?」


 修道女の素行を思い出すなり再び首を振る。


 ーリアナはそんなコトしないー


 そも自分に他人の人生を巻き込む程の利用価値はない。

 自身に関する記憶がなく、貴族令嬢としての常識に疎く、ただ流れるままに生きている自分には何の価値もないのだ。あるとすれば、軍務省長官たるゼネンスキー侯爵を陥れる為の道具としての価値だろうか。

 その『ゼネンスキー侯爵家の令嬢』という身分ですら、未だにしっくりと来ていない。兄リヒャルトから自身の生立ちを聞かされても、甥アベルや姪ソアラの昔話も、何一つ思い出せないどころか懐かしさすら感じない。まるで他人事。空想小説を読み聞かせられている様な感覚は、益々胸に不安を積もらせた。


「『帝国の皇太子様』か……どんな方なのかな?」


 修道女の話す夢物語。その中で自分はシスティナ王陛下の養女であり、エステル帝国皇太子の婚約者であるらしい。

 そして修道女自身も帝国臣民。帝国で生まれ、問題を起こし、追放された罪人。修道女の心は今も帝国に在り、帝室に忠誠を置いている。許される身ではないと自覚しながら、それでも帝国臣民として帝室に仕えている。

 修道女の忠誠心は想像以上で、追放された今も帝国の御為に自身はあるのだと言って憚らない。現在、修道女は目下、姫巫女付き修道女としての地位向上を目指しており、最終目標は『皇太子殿下の下へ婚約者を送り届けること』らしい。そしてその婚約者こそ、神殿に於いて姫巫女の地位にある侯爵令嬢ーー即ち、私であるそうだ。


 ー何を馬鹿なー


 修道女の夢物語を聞いて、何度そう思った事か。

 いくら修道女が『真実だ』と言おうとも、それを信じるに足る証拠など何処にもない。証拠もないのにどうやって信じるのだ。いくら私に記憶がなく、世情に疎かろうとも、信じられないものは信じられない。


 皇太子殿下を思い浮かべては妄想に耽る修道女。

 皇太子殿下の麗しさに頬を染める修道女。

 妄想に耽り過ぎて熱狂スパークする修道女。


 容姿、所作、教養、見た目。そのどれを取っても自分よりもずっと貴族令嬢な修道女リアナ。彼女には異常行動が目立つ。特に、仕えるべき姫巫女相手に身勝手な妄想を吹き込もうとする姿、他国の皇太子を褒め称え、帝国に寝返る様に仕向ける姿は、ライザタニアに讐なす『反逆者』と捉えかねられない。

 私も、忌避すべき要素満載の修道女に対し、第二王子殿下に進言すべきか一度ならず迷った。けれど、それでも未だ進言せずにいるのは、暗に修道女が捕らえられ首を切られてしまう事を回避する為。妄想を吹き込もうとする修道女を遠ざけないのは、偏に修道女を気に入っているから。完全に私情なのだ。

 例えこの独断がお兄様や殿下を裏切る行為だとしても、今は未だ隠して起きたい。気を許せる修道女を取り上げられたくない。何故ならーー


「リアナは『私』を見てくれるから……」


 他の修道女や神官は遠巻き見ているだけで、王宮から派遣された姫巫女と積極的に関わりを持とうとする者はない。腫れ物に触るように接する彼らの在り様に文句を言うつもりはないが、どうにも居心地が悪く感じてしまうのも事実。

 神殿の長たる姫巫女でありながら第二王子殿下の婚約者でもある姫巫女。下手に関わって不興を買っては自身の進退に関わる。『不快に思われない程度に適度な距離感を持って』というのが妥当な対処法だと理解できる。不満はない。けれど、ほんの少しの寂しさを覚えるのも確かで……


「殿下、お兄様、それにアベルたちも、みんな……」


 ーー嘘を語っている。


 憶測。全てが嘘ではない。けれど、真実でもない。

 嘘が全て悪とは思わない。時には嘘をつかなければならない場面もあるし、人を傷つけない為の嘘もある。

 記憶を失くしたばかりの者には聞かせられない真実があるが、その真実を叩き付けた所で混乱は必至だろうし、事態が好転するとは思えない。ーーその様な判断で真実を語られないのだとしたら、私に文句を言う筋合いはない。反論も出ない。

 相手を気遣っての『優しい嘘』だとしても、嘘をつくのにはストレスが溜まるもの。それでも嘘をつかざるを得ないのなら、それなりの理由があるに違いない。ならば、私に出来る事は彼らのストレスを軽減させる事ではないだろうか。

 どうせ、何も思い出せず、何も分からないのだ。彼らの言う通りに行動した所で、私には何の不都合もない。不都合はない筈なのだけど……

 

「何だろう?このモヤモヤした感じ……」


 胸を押さえて瞼を閉じる。忽ち居室には静寂が満ちた。

 此処は自室として充てがわれた一室。神殿でも侯爵家でもなく、王城の一角。王族の住まう王宮の、第二王子殿下の宮に近い場所に位置している。

 記憶を失くした令嬢など、本来なら婚約を解消されても仕方がない存在だ。周囲からは『傷物』という扱いを受ける。傷物の令嬢を婚約者の座に置いておく理由はない。政略的な婚約なら尚更。

 相手は第二王子殿下。王族。身分的に選び放題。政略的にもっと都合の良い令嬢を選んで然るべき立場なのだ。なのに、第二王子殿下は傷物令嬢をそのまま婚約者として重用した。


「シュバルツェ殿下……」


 世間では『狂気の王子』と呼ばれる第二王子シュバルツェ殿下の性質は、その渾名と一致しない。確かに氷の様な蒼い瞳は怜悧で冷たい印象を受ける。だけど、決して話の通じない事はなく、寧ろ頭脳には聡明さが光る。

 『気に入らない』との理由で部下を切り捨てる事があると耳にしたが、それも裏返せば『部下が優秀ならば切り捨てられる事はない』とも取れる。要は『周囲の者たちに問題がある』と言っている様なものだ。それの何処が『狂気』なのだろうか。

 記憶を失くし、右も左も分からぬ令嬢相手に真摯な対応を見せるシュバルツェ殿下。気づかぬ程の小さな気遣いを様々な場面で受ける身としては、殿下が世に云う『悪逆非道な王族』という噂には一言ならずの反論が出るというもの。


「ーーねぇ、レオはどう思う?」


 椅子に座る自分の足元に寝そべる大きな黒い犬。彼へと声掛ければ、彼は片耳をピクリと上げた。伏せられていた瞳が開かれ、大きなルビーの瞳が輝いた。


「シュバルツェ殿下が『凶悪な王子様』なんて、無理があると思わない?確かに目つきは鋭いけど……」


 窓際に置かれた椅子から立ち上がると、床に伏せる黒犬へと手を伸ばした。長い毛足の絨毯に蹲み込んで、黒犬の頭から首筋に掛けて撫で付ける。すると、黒犬は気持ちよさそうに目を細めた。


「いい人なのよ?シュバルツェ殿下って。傷物令嬢の私に、こんなにも良くしてくださるの。この間だって、私の為にお医者様を手配してくださって……」


 記憶喪失という稀な体験をした令嬢の体調を診る為、派遣されて来た治療士。その時、治療士が連れて来たのがこの大きな黒犬だ。治療士曰く『ドックセラピー』だとのこと。

 淡い黄金の髪を緩く編んだ麗しい男性治療士を思い出したのか、黒犬は何故か細めていた目をピクリと動かした。


「あ、飼い主様が恋しいの?レオ」

「バウ……⁉︎」

「あれ?違った……」


 否定するかの様な黒犬の一吠え。てっきり、麗しい飼い主が恋しいのかと思ったのだが、どうやら違った様だ。人間ならば『ゲッソリ』という雰囲気がぴったりな哀愁を見せる黒犬。その不機嫌な表情に自然と謝罪の言葉が出る。


「ごめんごめん。レオはオトナだから、そんな子どもっぽい事は思わないよね?此処には仕事で来ているのだし……」


 飼い主様に言い付けられた仕事を熟そうとする黒犬の意志を尊重すべきだ。そう考え直し、謝罪しながらレオの首筋を何度も撫でる。

 黒い毛は想像よりもずっと柔らかく、まるでぬいぐるみでも撫でている様だ。普通の犬よりも大型で、人の言葉を理解しているとも取れる賢さ。思わず敬意を払いたくなる。ひょっしたらこの黒犬は妖精の一種なのでは、と最近では考えるようになった。


「不思議。レオ、貴方を前から知っている様な気がする……」


 家族に対して抱けない懐かしさ。それを会って間もない黒犬から感じる事に罪悪感を覚え目を伏せた時、トサリと絨毯の上に何かが落ちた。

 机上から落ちた弾みに巾着の中から溢れ出すそれら。

 ビー玉に似た幾つかの宝玉、紅い雫を模した耳飾り、そして一本の鍵。パラパラと散らばる宝玉の中から黄金の鍵を拾い上げた途端、何処からともなく声が耳に届いた。柔らかな声がーー……


『ー帰っておいでー』


 アッと驚いて鍵を取り落とす。乾いた金属音。膝の間に落ちた鍵を凝視する。


「あっ、えっ、今のって……⁇」


 手が、声が震える。

 肩が、背が震える。

 頭が、心が震える。


 恐る恐る取り落とした鍵へ手を伸ばし、指先で鍵に触れ、再び届いた声にヒュッと息を呑んだ。


『ー愛しているよー』


 この声を知っている。この声の主をーー!


 尊敬では足りぬ思いを抱いている。人生を賭して尽くしたい程の忠誠心を抱いている。愛してやまないのは、自分の方だ。ずっと側にいたい。声を聞きたい。その手で優しく頭を撫でて欲しい。許されるなら今すぐ逢いに行きたい。ーー言葉に尽くせぬ程の思いが胸から溢れだす。


「ッーー⁉︎」

 

 嗚呼っと嗚咽が漏れ、自然と溢れ出す涙が頬を濡らしていく。止めようにも止まらず、ただただ流れていく涙。両手で顔を覆い、漏れ出そうになる声を口内へ留める。それでも止まらない嗚咽を、膝に顔を埋める様にして押しとどめる。


「ぉ……さ……」


 黒犬が擡げていた顔を上げたのだろう。床に顔がつく程背中を丸めた私の頬、髪越しに温かな吐息が吹き付けられた。クゥンと慰める聲が耳をくすぐった。突然泣き始めた患者を心配したのだろうか。普段の塩対応が嘘の様な気遣いを感じられた。


「ご、ごめ、レオ……だい、じょぶだから……」


 自身に言い聞かせる「大丈夫」。口に出す程には精神は大丈夫とは程遠く、心を覆っていた仮面がボロボロと剥がれ落ちていく。不安、虚無感、無力感、それらを隠していた仮面が砂城の如く崩れ始める。


 逢いたい。誰にーー?

 帰りたい。何処にーー?

 戻りたい。何時にーー?


 心の奥底に隠れている自分が、まるで子どもの様に泣き叫ぶ。逢いたい、帰りたい、戻りたい、と。けれど、だけど、でもーー‼︎


「帰れ、ないよ……」


 何処にそんな資格があるというのか。自分は望んで此処にいるのだ。今更戻れる場所などない。誰も自分を必要としていない。そんな自分を、誰が受け入れてくれるのだろう。


『ー帰っておいで、私の可愛い娘ー』


 慈愛に満ちた温かな声が鼓膜を震わせる。あの人の声が聞こえる。中性的な声音には、何の非難の色もない。ただただ相手を慮る意思のみが伝わってくる。何も心配など無いと言わんばかりに、あの人は想いを伝えてくる。それでもーー……


「ごめ、なさぃ……」


 自分自身を未だ許す事が出来ないでいる自分。

 だからこそ、今はただ最後の抵抗を試みる。

 心に仮面を被り直す。


 在りし日が再び訪れるその日を、夢見ながら……







お読みいただきまして、ありがとうございます。

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『鍵と宝玉と声と』をお送りしました。

ドックセラピーとして派遣されてきた黒犬レオ。『患者の心を癒す事を目的としている』というのはタテマエなのは、黒犬が『何か』を知れば分かるもので……。

そして、迷子の子どもに渡された巾着に入っていたのは、一見子どもの玩具か何かに思えるガラクタですが、どうやら、一害に玩具とは括れない物のようです。


次話も是非ご覧ください!



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