悪役令嬢、再び3
※(元公爵令嬢リアナ嬢視点)
『私で、よろしいのですか?』
『お前にしか出来ないことだ』
『我が身命にかけましても……』
嗚呼、あの時の殿下のお声は今でも私の頭の中にハッキリと残っているわ。銀糸のような御髪。紫水晶の瞳。麗しい顔。身体を震わせる耳心地良いお声。
伏せた頭の上に零された『宜しく頼む』との言葉に、身体が震えた。滞在人である私に皇太子自らが『頼む』と仰った事に、震えが止まらなかった。
「嗚呼っ……!」
うっとりと頬に手を当てて佇んでいると、背後より「お嬢様?」と非難の声をかけられてしまった。侍女は呆れた表情を隠しもせず、ヤレヤレといった具合に首を左右に振っている。失礼な侍女だと思うけれど、言動を注意する事はおろか罰しようとも思わないわ。彼女は国外追放となった私に自ら志願してついて来てくれた貴重な侍女だもの。
どこか別の貴族の屋敷で働く方が彼女としては良い未来が開けた筈なのに、彼女は「私がいないとお嬢様は何もできないでしょう?」なんて言って、こんな処までついて来てくれた。何も持たない私を今でも『お嬢様』と呼ぶ侍女に、感謝を覚えてならない。だけどそんな事、面と向かっては言えない。
「また、思い出に浸っておいでだったのですか?」
「わ、悪い……!?」
「いいえ。皇太子殿下の麗しさは誰もが理解している事ですからね。お嬢様が殿下の麗しいご容姿を思い出してウットリとなさっていたとしても、特に可笑しな事ではございませんわ」
「そう思……」
「まぁ、突然立ち止まってニヤニヤされるのは気持ち悪いですが……」
「う、煩いわね!」
だって、本当にお素敵だったのですもの。
お日様の下で見る『如何にも皇子様!』的な微笑みもお素敵だけれど、燭台の光を背に受けられた影のある微笑みも本当にお素敵だった。あの時、私は国外追放を通告されたというのに、まるで愛を囁かれた様な気さえした。これまでに感じた事のないほどトキメキが胸の内から湧き起こってきたのよ。
「ハイハイ。お嬢様、思い出に浸るのは後になさいませんか?これからルスティアナ侯爵様とお会いになるのでしょう?」
「言われなくとも分かっていてよ!」
現実逃避から戻ってきた私は垂れそうになっていたヨダレをサッと拭くと、見える範囲の身嗜みを整えた。着ているのは公爵令嬢時代では到底考えられないほど地味な服。薄い青を貴重としたワンピース、その上に神殿関係者を示す白いローブを羽織っている。完全に身体のラインが隠れる修道服。きっと肉欲的な面をシャットダウンしているのね。流行りからは程遠いデザインだわ。
ーもう少し何とかならないのかしら?ー
神に仕える信徒ーー神官。司祭、神父、修道士、修道女が贅沢とは無縁であるべきとは解るのだけれど、纏う法衣や修道服のデザインくらい、もう少しセンスのあるものでも良いと思うのよね。同じ布を使うのなら、センスだけでもマトモであるべきよ。
ーダメね。また文句が出てしまったわー
そもそも、ライザタニアとエステルとは『神殿』の立ち位置が異なる。
エステルでの神殿とは『神的な礼拝対象を配置する神の住居』を指す。精霊を神の使者として敬い、天地創造の神を祀る建物ーーそれが神殿よ。
それに比べ、ライザタニアの『神殿』とは、『天地創造の神を祀る建物』と同時に、『姫巫女が住まう建物』の意味がある。神殿の頂点に立つのは教皇や大司祭ではなく『姫巫女』と呼ばれる一人の女性。姫巫女とは神の声を聞く事のできる特別な存在だという。ライザタニアの建国の折、神の声を聞く事で賢王を助けた妹姫様が神殿の祖だというの。現在ではエステルから輸入された精霊信仰と共に姫巫女が神と同列に崇められている。
元々、ライザタニアには妖精族の住まう地が点在していて、昔から各地で精霊や妖精を信仰する考えがあったらしい。身近に精霊を感じられる事から、信仰心はエステルと同じくらい強いと言える。そこへ姫巫女への信仰が加わり、やがて現在の信仰へと至ったらしい。信仰への方向性が僅かにズレている点を除けば、ライザタニアとエステルとは上手く付き合っていけるでしょうね。だけど……
ーその僅かなズレが致命的なのよねー
致命的な信仰へのズレ。それこそがエステル帝国がライザタニア王国に対して『ソリが合わない』と云わしめている理由よ。加えて、私が姫巫女の存在よりも怪訝に思う事柄がもう一つあった。
「輪廻転生ねぇ……」
思わず出ていた呟き。不審がる侍女を笑みで誤魔化しながら回廊を進む。
ライザタニアの精霊信仰には『輪廻転生』という考え方がある。生まれ出でたモノはいずれ天に還る。それはどんな生き物も同じよ。だけど、ライザタニアでは『死んでもまた生き還る』と信じられているのよ。
死んだ人間の魂は空中を漂う精霊と同化し、新たに生まれ出でる時、精霊から肉体へと魂を譲渡されるのだというの。これってかなり眉唾物だと思うのだけれど、これこそが『信仰の差』だと言われてしまえば、もう帝国民は何も言えなくなってしまう。
ライザタニアの民には多かれ少なかれ妖精族の血が流れている。精霊の化身たる妖精族の尊き血を持っているのよ。なのに、彼らはそれを当然だと思っている節がある。妖精族と人間とが同等だなんて、厚かましいにも程があるわ。
「ルスティアナ侯爵様は神殿では随分と地位が高いようですね?」
「大司教だと聞いたわ。今は失脚なさったアンスバッハ枢機卿の代理を務めておいでなのだと」
ルスティアナ侯爵とはこの神殿を管理する貴族の一人で、名を見れば分かる通り、我がルスティル公爵家の流れを汲む貴族なの。勿論、ルスティル公爵家とは縁戚関係でもあり、敬虔なる精霊信仰者でもある。
これから私は、ルスティアナ侯爵の紹介を受けて神殿へ仕える事になっていた。
国を追放された令嬢が身を寄せる場所と言えば隣国の教会か神殿だと相場が決まっているわよね。私もその例に漏れず、一時、国外追放された後ライザタニアにいらっしゃるお姉さまの下へと身を寄せた。そして、姉夫婦が支援しているという神殿へ仕えるべく王都へと足を運び、今朝方神殿の門を潜った。
「それにしても、なにやらゴタゴタしているわね?」
「やはりあの地震の影響ではないでしょうか?」
「そうね。あれには驚いたものね」
数日前、ライザタニア王都を襲った地震。私は生まれて初めて、地震というものを体験した。
足下から突き上げるような揺れに、天変地異が起こったのではないかと驚いたわ。侍女の指示で咄嗟に机の下に潜ったのも束の間、棚が倒れ、戸棚にあった物は床へ転がり、燭台が倒れて危うく火事になるところだった。
「あれは恐ろしかったわね……」
「はい。でも、この国では時々あのような地震が起こるそうですよ?」
「恐ろしい国」
地中の熱が吹き出す火山があるというの。酷い時には火山が噴火して、マグマを吹き出すとか……。
知識としては知っていたけれど、体験したくはないわね。地震でさえ心臓が止まるのではないかと思ったくらいだもの。この上、マグマに襲われるなんて考えたくもないわ。
「地震の所為で家を投げ出された者も多いようです」
侍女の言葉に先程通ってきた大聖堂の様子を思い出した。
治療待ちの怪我を負った信者が長蛇をつくっていたわ。外では修道女たちが炊き出しを行っていた。信者だけでなく民間人にも施しを行っていたから、神殿主体の奉仕ではなく、王宮主体のものなのかも知れない。
ーザァァァァァ……ー
「っ! すごい風……」
突風に吹き飛ばされそうになったベールを咄嗟に押さえる。目の前を風に飛ばされた木の葉が舞い上がっていった。
「……えっ⁉︎」
視界に入ったのは白い影。向かい側の回廊から白い聖職衣を纏った女神官が神像の間を横切っていく。
修道女が纏う修道服とは明らかに質の高い衣を纏う女神官。上質のベルベット。白地に金糸の刺繍。宝石があしらわれたベール。そのベールの隙間からチラリと見えた横顔に、覚えがあった。
ーそんな⁉︎ こんな場所に在る筈がないわ!ー
驚愕、そして疑問符と共に浮かんだ祖国の皇太子殿下の顔。殿下の『宜しく頼む』とのお言葉。彼のお方は『何』を『頼む』と仰ったのか。見間違えだと放置する訳にはいかない。
そう考えた私は、えいやっとスカートを捲ると回廊から中庭へと足を踏み入れた。そして令嬢には在るまじき大股で駆け出した。
背後から「お嬢様、どうなさいました⁉︎」と侍女の声。ごめんなさいね、今は貴女の叱責など構っていられないの。
「そこのアナタ、お待ちになって!」
私は息も絶え絶え、白い聖職衣の背中に声をかけた。すると女神官の歩みがピタリと止まり、ベールがふわりと揺れた。その背に向かって再び声をかける。
「失礼を。間違いであったのなら謝りますわ。もしかして貴女、アリア姫ではなくって?」
やや口調を張った声音から緊張感が滲む。間違いであったなら非礼でしかない。下位である修道女見習いが女神官を呼び止めたのですもの。ドキドキと胸を鳴らしながら待っていると、私の問い掛けが自分を呼び止めたのだと気付いた女神官が振り返った。
「ーー!」
ユルグ大山に積もる万年雪のように白い髪が揺れ、空に輝く虹のような瞳が私を射抜く。
「あの……?」
「やっぱり!アリア姫じゃない」
「え……?」
こんな目立つ特徴を持つ女性なんて、そう何人もいない。
戸惑いに揺れる蛋白石の瞳、陽の光を受けて虹色に輝く瞳は正しく『精霊の瞳』よ。精霊女王の瞳との異名を持つそれは、精霊を魅了して止まない。現に、彼女の周囲には数多の精霊たちが集い舞い踊っている。
「あの……どなたかとお間違えではありませんか?」
「冗談を。貴女以外にそんな瞳を持つ人間なんて、いるものですか!」
キョトンと頭を傾げる女神官。まるで私の事を見忘れているような発言に、私は立場も場所も忘れて叫んでいた。
「アリア姫というのは、私のことなのですか?」
「何を寝ぼけた事をおっしゃいますのッ⁉︎」
グイっと詰め寄れば、アリア姫だと思しき女神官は怪訝に眉を潜めて口籠る。その仕草はまるで、本当に何もかも忘れているかのよう。虹色の瞳がゆらゆらと左右に揺れる。
ーこのような瞳、誰が見間違えるというの⁉︎ー
髪の色はさて置き、容姿や仕草は確かに『アリア姫』そのものよ。システィナからエステルへと親善目的の政略結婚の為に訪れた姫。皇太子殿下の正妃となるべく隣国より齎された深窓の姫。それこそが彼女の正体。
かつて、私はアリア姫を皇太子殿下の正妃にしない為に画策し、エステル帝国から追い返そうと躍起になった。アリア姫には数々の嫌がらせを行ったわ。なのに、アリア姫はその嫌がらせの尽くに反撃してきたの。ムキになった私は遂に、アリア姫の暗殺にまで手を染めた。けれど、皇太子殿下によって私の罪は暴かれ、終には国外から追放されてしまった。
要するに、私の人生を狂わせた張本人が目の前にいるアリア姫(仮)なのよ。
よく良く考えてみれば全てが自業自得なのだから『アリア姫の所為』だとは言えないのだけど、それにしたって、かつては敵対関係にあった公爵令嬢の事を忘れるなんてオカシイわ。だって、彼女を最後に見たのはおよそ半年前。十年前じゃないのよ。
「こんな所で何をしていますの?貴女はシスティナへ戻ったと聞きましたが……」
停戦から五十年、漸く訪れたエステルとシスティナとの和睦。両国の親睦を深める為、エステル帝国次期皇帝たる皇太子ユークリウス殿下自らがシスティナから招いた姫。
皇太子殿下の正妃となるべく政略の道具とされたアリア姫だけど、王宮での不祥事の数々に不審を覚えたシスティナ王家は、『エステル帝国の内部が落ち着くまで』という制約をつけて、アリア姫を自国へ戻す事を表明された。その結果、婚約者ユークリウス殿下を置いて、アリア姫は兄である王太子ウィリアム殿下の迎えを受けて自国へと戻っていった。
「システィナ……?姫……⁇」
「あ、貴女、何か変なものでも食べましたの?」
「変な物は、食べてはないです」
「そうかしら?何だか様子がおかしく思えるのですけど」
疑問符を浮かべるアリア姫(仮)。このお気楽でマヌケた表情は、あの舞踏会でも浮かべていたわね。半年前からちっとも変わっていないわ。
ーこんなお天気娘に負けたなんて……⁉︎ー
貴族社会を生き抜くには無知ではいられないわ。情報収集は勿論、噂を使って情報操作するのも当たり前のこと。笑顔と言葉を武器に、ウソだらけの世界を細いピンヒールで渡り歩かなければならない。危険だらけの貴族社会で生き抜く為に、貴族令嬢は無害を装いながらスカートの中に毒を仕込んで置くものなの。
なのに、この娘ときたら!無害を装ってとんだクセモノ姫だったの。フワフワしたアリア姫の見た目に騙された者たちは、姫の魔術にかかって闇に消えていった。気づいた時にはもう、足が沼の中に沈んでいる途中。『覆水盆に返らず』とはこの事ね。
「それに貴女……何よ、その髪は?」
「え?これは地毛だけど……⁇」
アリア姫(仮)の髪はシスティナの王太子ウィリアム殿下と良く似た金髪だった筈よ。なのに、ベールの中に揺れるのはユルグ大山に積もる雪のような純白。これが地毛だと云うのなら、あの髪色は染めていた事になるけど……?
「まぁ良いわ。それよりも、何故このような場所ーーライザタニアの神殿などに居ますの?」
「私はこの神殿の巫女だから……?」
「やはり頭でも打ちましたの?貴女はシスティナの姫でしょう?」
「システィナの姫?」
「貴女はシスティナの姫でエステル帝国皇太子殿下の婚約者、そうでしょう?」
「そうなのですか?」
「……どうしましたの?やはり貴女……」
そこまでが時間の限界だった。尋問を続けたい気持ちが流行るけれど無理は禁物ね。
少し離れた回廊の外から「巫女姫様!どこにおいでになりますか?」との声が聞こえてきた。どうやら声の主はアリア姫(仮)を探しているよう。先ほどから周囲を伺っていた侍女も私に向けて警戒した視線を投げかけてくる。
「呼んでる。行かなくちゃ……」
「待って。貴女の行くべき場所ーーいいえ、在るべき場所は此処ではないわ」
サッと身を翻しかけたアリア姫(仮)の腕を咄嗟に掴むと、アリア姫(仮)の瞳を覗き込んでキッパリと伝えた。何の事情があるかは知れないけれど、これだけはハッキリと分かる。アリア姫(仮)の居場所は此処ではないのだから。
「明日、もう一度この場所へ来る事はできる?」
戸惑いに暮れるアリア姫(仮)は少し思案した後にこっくりと顎を下げた。アリア姫(仮)もまた私の話を聞きたいのだと理解し、私は安堵に胸を下げた。
とその時、アリア姫は「貴女のお名前を伺っても?」と寝惚けたコトを聞いてきたわ。流石の私もこれには呆れてしまった。
「リアナ、貴女のライバルの名よ。簡単に忘れないでちょうだい!」
そう言い放つと、アリア姫(仮)はやっと頬を緩めた。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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『悪役令嬢、再び3』をお送りしました。
根性で国外追放されたリアナについてライザタニアへ来た侍女の名はハンナ。彼女は主人に傾倒する事なく、リアナを諌めようと試みていました。しかしそれを面白く思わない他の侍女たちにやっかまれ、ルスティル公爵へ告げ口されて、アリア姫騒動の際はリアナから離されていました。それを今でも後悔しています。
※国外追放が言い渡された後ーー
「本気なの?貴女がついて来る必要なんてないのよ?」
「何と申されましても、私はお嬢様について参ります」
「他の使用人たちの様に他の屋敷に移った方が幸せなのに、変わった人ね?」
「お嬢様こそ。ご自身の身の回りの事さえお一人でおできにならないのに、まさか本気で、たったお一人で参るつもりですか?」
「ッ⁉︎ 仮にも主人に向かって……!」
「お嬢様、貴女様はもう公爵令嬢ではありませんよ。これから平民として過ごすには、新たに学ばねばならない事が沢山ございますね?」
「わ、分かっているわ!そんなこと」
「ご心配なく。僭越ながら私が先生役として、お側でリアナ様をお支え致しますわ」
「心配などしていなくてよ!貴女は私の忠実な侍女なのだから」
「……はい。今度こそ、ずっとお側でお守りします。リアナ様」
次話も是非ご覧ください!




