嘘つきたちのマーチ
※(軍務省長官ゼネンスキー侯爵視点)
何も記されていない真っ白のキャンバスが、そこにはあった。過去も未来も、そして現在さえもない、その真っ白なキャンバス。それを目の当たりにした私は不意に確信した。今こそがその機会なのだとーー……
※※※
あの日、誰もが予期せぬ自然災害が起きた。王都直下型地震。それは近年稀に見る地震であった。
地震の規模は王都を中心に半径数十キロにも及び、甚大な被害を齎した。王都は西部で採掘された岩で造られた堅牢な建物が多いのだが、そのような建物であってさえも壁や柱には大きな亀裂が入り、住宅地などでも多くが半壊ないし全壊した。報告によると、死者・重軽症者含めて過去類を見ない程の数に昇っている。地震直後に発生した火事が災害に拍車をかけたのだと思われた。
国民たちの混乱は予想の通りではあった。王都ではなく神殿に救いの手を伸ばすのも。
目の前で傷つく同朋たち、燃え盛る炎を見た人々は次第に不安を募らせ、国に救いを求めた。特に、常日頃より迷える子羊を導いてきた神殿に、都民たちは集中して押し寄せたのだ。
神殿には魔法の行使できる神官が常駐している。また常から王宮と神殿派貴族からの支援もある。元より信者たちの不安に対して施せるだけの準備はあった。だがそれも『ある程度』に限られる。この世はいつも不公平なのもの。地位、身分、宗教、人種、金品……その他様々な要因によって対応は分けられ、命運も分かたれるのだ。
神は地上に生きる者ちに対してあまりに無関心だ。そう神の存在と遣り様に疑問を持つのは、それほどいけない事だろうか……?
王都直下型地震は国のシンボル、ライザタニア王城の彼方此方にも傷痕を残した。彫刻は割れ傾き、タペストリーは外れ、シャンデリアは落ちた。妖精族の血を持つが故に頑丈な体躯を持つライザタニア人であっても、傷の一つや二つは負うもので、王宮で働く貴族たちにも多かれ少なかれ怪我を負った。
「地震か?」
「ええ。かなり揺れますね……」
グラグラと揺れ始めた足下に呟きを漏らすシュバルツェ殿下。その目は既に王宮外へ向けられていた。
地震当時、私は第二王子シュバルツェ殿下に付き従い神殿で行われた夜遊会へと参加していた。夜遊会と名はつけども宴会と一括りに捨ては置けない。貴族の行う夜会は政治的な意味合いを多分に含むのだ。だからこそ、如何に『狂気の王子』であれど拒絶できる訳もなく、渋々参加しておいでだったのだが……。
そんな面白みもない夜会参加中、突如襲った激しい揺れ。割れるボトル。ひび割れたステンドグラス。
当然、夜会会場は忽ちパニックに包まれた。しかし、政治家でもある貴族たちは、ただただパニックに浸っているだけではおれない。即刻、それぞれの役目を果たすべく、第二王子殿下の指示で行動は開始された。
私自身、何もしていなかった訳ではない。軍務省長官として各部隊に指示を出し、各地の被害報告を上げさせていた。
軍部など戦争以外には何の役にも立たないと思われがちだが、実際には自国内の防衛ーーつまり、災害など有事の際にも活躍を余儀される部署だ。何しろ、軍部とは健康な体躯を持つ軍人たちの集まり。男手は何処に行っても重宝されるもの。
王都で起こる大小様々な事件事故を把握し、軍隊を派遣し、騒乱を治め、そして朝が明け始めた頃、奥宮より第二王子殿下宛に一報が入った。
『魔女、負傷す』
一言のみ記された文をご覧になった殿下は、自身の代わりに信頼ある側近を奥宮へ遣わされた。そう、私だ。
王宮から席を外せぬ第二王子殿下に代わり、第二王子殿下の住う奥宮へ足を運んだ先で、私は事の重大さを知った。ボンヤリと見上げてくる虹彩色の瞳が揺れ、薔薇の唇が開かれ呟かれた言葉に、耳を疑った。
「怪我をされたと聞きました。頭を強く打ち付けたと。どうですか、まだ痛みますか?」
本来なら、家族でもない他人が淑女の寝室を訪れるのはマナー違反。ですが、宮の主たるシュバルツェ殿下の代わりに様子を見に来た私を追い返す者などありはしない。
侍従に導かれるままに通されたのは寝室。怪我が原因で一時的に気を失っていたという件の魔女は、私の来訪直前に意識が戻ったらしい。ボンヤリと窓の外へ視線を送っていた魔女は、来訪者の入室と共に視線を此方へ寄越してきた。
「……まだ少し痛みますけど、大丈夫です」
クッションを背凭れにして腰掛ける魔女に、私は出来る限り優しく言葉をかけた。魔女の視線は私の顔の真ん中で止まり、私の表情から感情を吟味するように瞬きした後、負傷したと思われる頭部を触った。傷の治療は終えているのか、包帯の類はない。
「そうですか?どこか様子が違ってみえるのですが……」
そう言葉を続ければ、魔女はしどろもどろといった風に目を上下左右に動かし、口を開閉させた。その挙動不審な素振に、私は愛する我が子たちに向けるような優しげな表情をつくり「どうなさいました?」と促せば、魔女はおずおずと口を開いた。そして、その後に続いた言葉は、耳を疑うものだったのだ……!
「貴方が、シュバルツェ殿下ですか?」
「は……?」
目が点になるとは、正にこのような事態を指すのでしょうね。「何を言っているのだ⁉︎」と思わず相手を小馬鹿にしたような言葉が口を吐い出そうになるのをグッと堪えた。
「えっ……シュバルツェ殿下では、ない?」
「あ、当たり前です!私と殿下では、似ても似つかないでしょう?」
思わずキツい口調にもなる。だが、魔女は私の機嫌の低下など気付く様子も見せずーー後々思えば、この時彼女は自身の置かれた状況に大変混乱していたのだと理解できたーー首を傾げた。
「では、貴方は誰ですか……?」
首を傾げ此方を見上げてくる魔女ーーいや、少女。不安を露わにするその少女の瞳にもまた、私の困惑した表情を写している。
馬鹿にしているのか。直後こそそう考えたが、それにしてはどうも様子が可笑し過ぎる。そもそも、この少女はーーシスティナの魔女は、場の雰囲気や相手の顔色が読めぬ様な愚者ではない。そうでなければ、今頃魔女の魂はとうに天界へと旅だっていた。とすればこの状況は……?この彼女の様子には、ただ一つの要素しか浮かばなかった。
ー記憶喪失だと?ー
付き添う侍女から経緯を聞き茫然自失。あり得ない!と首を振った。
「ごめんなさい。何も……何も分からなくて……」
真白の髪を夜風に揺らす魔女の眼がゆらゆらと不安定な輝きを帯びる。不安、混乱、困惑、恐怖、そして怯え。己が、そして他者が誰とも分からぬ状況下に於いて、頼れるのは目の前に立つ私だけ。この場に於いて『答え』を持つ私だけが魔女の『問い』に応える事のできる者なのだ。
「……もう大丈夫ですよ。安心なさい。貴女は私の妹、リヒャルト・ラーナ・ゼネンスキーの妹アーリア」
「私の名は、アーリア?貴方は、私の、お兄様……?」
「ええ、アーリア」
その時、私は確信した。今ならば都合の良い言葉で丸め込める。真っ白なキャンパスに描く絵画の如く、過去を捏造し記憶を刷新する事ができると……!
※※※
あの後、暫くしてシュバルツェ殿下が奥宮へ足をお運びになり、漸く魔女の状態をお知りになった。そしてやはりと言おうか、私の下した判断には良い顔はなさらなかった。
「ーー殿下。では、どうなされます?馬鹿正直に『貴女は隣国の魔女で捕虜だ』とでも申されますか?」
「だがな、だからとお前の妹とするには……」
「彼女には『第二王子殿下の婚約者』という立場になって頂かなければ、未婚の女性が王宮を訪れている理由が成り立ちません」
珍しく歯に物が詰まったように言葉を詰まらせたシュバルツェ殿下の眉間には、はっきりと不快の文字が現れていた。しかし、咄嗟の事とはいえ私の出した妙案以外に、記憶を失った彼女を納得させ得るだけの答えはないように思えた。
ーこう見えてお優しい所がおありですからねー
記憶を失くした魔女相手に、正面切って『ライザタニアの内乱平定に於ける鍵として隣国より拉致してきた』等とは言えまい。魔女の混乱は必然であるし、何より『拉致してきた捕虜であるのに何故牢に入れられていないのか?』と問われる事は必至。その時我々は内情を話すのか?ーーいや、到底話せるものではない。
我々の内情は一言で言い表せるものではない。ライザタニア建国以来降り積もった歴史、悪しき風習、略奪戦争、流された血、砕かれた想い……それらが凝縮して現在があるのだから。
隣国の魔女拉致監禁にしても、ライザタニアがシスティナ攻略の足掛かりとする為、システィナの『東の塔の魔女』の生命を狙ったのが事の始まり。それを現王から王権を奪われたシュバルツェ殿下の命により、殺害から誘拐へと計画変更されたに過ぎない。
記憶を失う以前の魔女自身、『何故、殺されずに拉致されたのか?』との疑問を常々抱いていたに違いない。それを今になって記憶のない状態の魔女にーーそれも迷子の幼子のようになってしまった彼女に、どう説明をするというのか……?
「殿下、一時の事です。失われた記憶はいつ戻るかも知れません。今晩にも戻るかも知れないし、一月後かも知れない。ならば記憶が戻るまでくらい、彼女に平穏を与えても良いのではないでしょうか?」
もしかしたら明日には戻るかも知れない、或いは永久に戻らぬかも知れない、けれど……。と、そのように諭せば、シュバルツェ殿下は反論を押し殺したように口を閉じられた。
『狂気の王子』との異名を持つシュバルツェ殿下だが、殿下は何も異常者でなければ狂信者でもない。この国の誰よりも正常な判断能力を有した王族なのだ。
王族は国に隷属している。国の為に尽くす事を義務付けられている。私情よりも国益を優先するのは当然であり、その振り幅が国益に傾き過ぎているが故に、他者からは無情な人間に見えてしまう。しかし、完全に人としての情を失くしているいる訳でも、個としての感情がない訳でもない。
殿下は敵国の魔女を自身の保護下に置かれた。そう、シュバルツェ殿下はこの国の誰よりも、魔女の運命を憂いておられるのだ。
「……わかった。暫くお前に預けよう」
「意向を汲んでくださり、有り難く存じます」
深々く首を垂れる私に向けて、まだ何か言い足りなさそうな殿下の視線が落ちてきたが、私はそれに気づかぬフリをして通した。
そして数日後ーー……
「お父様、見てください!こんなにお花が……」
私の可愛い天使たち。天使たちは花畑の中をキャッキャと戯れている。愛娘の呼ぶ声に柔らかく微笑み返す。
屋敷の中庭には亡き妻が残した季節の花々が咲き乱れている。その花園で愛しい娘と息子、そして少女、三人が戯れている。実に美しい光景。絵画にして残しておきたい程に。
当初こそ反対を口にした息子アベルであったが、魔女の現状を知るや口を閉じ、我が家に彼女を受け入れる事を善とした。
少し前に面識を持ったアベルたちは、記憶を失くした魔女を献身的に助け、今では実の姉のように接している。彼女も王宮以外で過ごすのは良い気分転換になっているようで、顔色も随分と良くなっているように思えた。
「体調は良さそうだな?」
「生憎と、記憶は未だ戻ってはいませんがね」
背後からの問いかけに答えながら振り向けば、そこには麗しの第二王子殿下のお姿が。あのような天使たちを見てさえも冷徹な表情を1ミリも崩さぬ鉄仮面には、感心を通り越して病気を疑うレベルにある。不敬にもそう思えてならない。
「呪具は外してあるのか?」
「ええ。あんな物、必要ありません」
「そうか……」
「危険などありません。そう判断したからこそ、殿下は彼女をここへ置く事を許されたのでしょう?」
殿下は不機嫌そうに視線を険しくされたが、これ以上の反論は来ないだろうと判断し、私は天使たちに視線を向け眼鏡を鼻上に押し上げた。
「あの件、本気なのか?リヒャルト」
「勿論です。でなければお忙しい殿下にお時間など取らせません」
益々深まる眉間の溝。下がり行く機嫌。容姿が整っているだけに凄みがある。暗に「私は反対だ」と表情だけで告げている。しかし、殿下自身の置かれた立場と状況が、それを言わせない。
「元より神殿に子飼いを送り込むのは計画の内でした。いくら神殿に以前のような勢いがないとはいえ、あの信者の数はバカにはできません。信者が暴徒にでもなれば内乱どころではなくなってしまう。神殿に救いをを求める国民は、決して少なくないのですから……」
「我々は神殿の象徴である姫巫女を枢機卿諸共降ろした。であれば、代わりとなる者を立てねば神殿のーー延いては王宮の体裁が整わない。そう言いたいのだろう?」
淡々と告げられる言葉に頷けば、殿下はチッと舌打ちされた。その態度は王族として決して褒められるものではないのですが、ここに自身の態度を注意する者はない事を、彼は知っているからこその悪態なのでしょう。そう思えばこそ、つくづく王族とは何と不便のある身分だろうかと、同情を禁じ得ません。
「彼女ならば適任でしょう」
「背後関係を気にする必要はなく、王宮の都合良く動かせる、か……」
「神殿の上層部は反発するでしょうが、それは我々軍部が押さえましょう。幸いと申しましょうか、信者たちは神の威光に大変流され易い。彼女のあのチカラを見れば、時を待たずして信者たちの信仰は彼女へと注がれるに違いありません」
再び、殿下が口を開けかけた時、小さな悲鳴が我々の耳へと飛び込んできた。私たちの方へと駆け寄ろうとして動いた愛娘ソアラが脚をもつれさせて転んだのです。
すかさず動いたのは兄のアベル。転んだ妹の所へ飛んでいくと、さっと立ち上がらせた。そして今にも泣き出しそうな妹の頭を撫で、怪我の様子を確認していると、そこへ少女が歩み行き、膝をついてソアラの膝に手を添えた。
「痛いの痛いの飛んでゆけ!」
溢れる柔らかな淡い光。飛び交う精霊。神の加護。その光景は、私のような無神論者でも心を奪われるもの。これがもし、無垢なる信者の目に映ればーー……?
「すごい……!」
「ちょ、おまっ、コレ……⁉︎」
膝の傷から滲む血に涙を浮かべていたソアラは、目を輝かせてその神秘的な光景に魅入っている。魔法の素質のあるアベルはアングリと口を開けて、集まった精霊の数に驚いている。流石はあの帝国皇帝も認めた精霊の姫。偽りの姫巫女など、足下にも及ぶまい。
「一月だ。その期間に巧く事が運ばなければ撤収させる。いいな?」
いつの間にか此方へ注がれていた視線。殿下の下された苦渋の決断に「感謝を」と深々と頭を下げた。
※※※
それから間もなく、私は彼女を新たな姫巫女として神殿へ押し込み、程なくしてこのような噂が市井に流れ始めた。
「おい、聞いたか?あの噂」
「ああ。しかしあの殿下がなぁ……」
王都で流れ始めた噂。
『第二王子が毒を用い現王を王座より追い落とした』
『暴挙を止める大臣たちを殺害した』
『兄である第一王子を王宮から追い出し、国政を恣にしている』
そのどれもが意図して第二王子殿下を貶める内容。その中には国民も知る物内容もあっが、加えて流れた噂には明らかな悪意と信憑性が含まれていた。
曰く、『第二王子の身勝手な政策によってライザタニアは窮地に立たされている』
曰く、『国民を憂いた第一王子は第二王子から国を解放すべく立ち上がり、王都に向かって進行中である』
これまでシュバルツェ殿下の保護下で何不自由なく暮らしていた王都の民であっても、これらの流言には浮つき、流され、踊らされているという。
考えられらるのは、これら全て第一王子殿下による策略だということ。第一王子殿下の手の者による工作。それを決定づけるかのように、第一王子殿下の群勢が王都近くまで侵攻を掛けてきたのは、私がシュバルツェ殿下と交わした約束の一月に差し掛かる頃だった。
「さて、これも予定の内でしょうか?殿下」
それぞれの願いが絡み合い、惑い、惑わされ、未来が作られてゆく。誰もが本音を押し隠すように嘘を唇に乗せて。
嘘つきたちの行進曲が、聞こえる。
お読み頂きまして、ありがとうございます(*'▽'*)
ブックマーク登録、感想、評価など、とても励みになります!ありがとうございます。
『嘘つきたちのマーチ』をお送りしました。
記憶を失ったアーリアを姫巫女へと押し上げたゼネンスキー長官。彼には何やら個人的な思惑があるようです。それに気づいていながら黙っている第二王子にもまた、何か考えがあるのでしょう。
次話、お久しぶりのあの令嬢が登場します。
是非ご覧ください!




