神殿侵入1
side:Sistina
※地震を想像させるシーンがあります。
ご注意ください。
大聖堂に流れるパイプオルガンの音色。天から降り注ぐ光を受けた色硝子はさながら花園のようだ。
大理石の床に鮮やかな模様を作り出している。周囲に漂う清涼で荘厳な空気を感じながら、リンクは他の信者たちを真似て膝をつくと深く頭を垂れた。
『新たな姫巫女が神殿へ降り立った』
リンクたちの耳にその情報が齎されたのは、王都入りを果たしてすぐーー深夜の王都を突如襲った地震の後、七日経っての事だった。
ライザタニアを襲った地震によって震源地となった王都は、王城を始め多くの建物に被害を出した。
しかし、まがりなりとも王都。街には堅牢な建造物が多く、王都に住まう人々への被害はそれほどには及ばなかったそうだが、それでも何百もの怪我人が出てしまった。勿論人死もあって、その中には不幸にも当代の姫巫女の姿があった事から、神官と信者たちとの落胆は計り知れぬものとなった。
しかし、姫巫女が天に召された事は直前に齎された神託の内容に酷似する点があった事から、本心はどうであれ、『これは神の御心に違いない』と無理矢理気持ちを納得せざるを得なかったという。そんな絶望の淵にいた信者たちが、満たされぬ心を潤す為に新たな心の拠り所を求めた事は、最早必然であったのだ。
ーそれが新しく来た姫巫女ってワケだー
実に都合良く現れた新たな神の巫女。姫巫女の再来とも思える美しい白髪をたなびかせた少女に、信者たちはその心を忽ちの内に急信された。
少女は身分年齢出自に問わず、傷ついた者たちを平等に癒していったという。『巫女が手を翳しただけで立ち所に傷が癒える』との噂は、忽ち信者たちをはじめ王都中へ広がっていった。
そもそも、神の声を聞く事のできる『姫巫女』は王族に次いで神聖な存在であり、いち信者など生涯の内に一度と近づく事のできぬ神殿の最奥にあるのが常。一生の内に一度と目通りする事の出来ぬ高嶺の存在なのだ。にも関わらず、新たな巫女は神殿の最奥に在るを善とせず、傷ついた民たちの為に神殿の外へ出て来たとのこと。この話に信者は勿論、都民たちの心は慈悲深き巫女へ尊敬の念を向けた。
ーホント、単純だよなぁ……ー
自分たちに都合の良い存在を『神の巫女』と讃え、祀りあげ、無償で慈悲を施して貰おうというのだ。信仰という名の包紙に包んではいても、その中身は自己利益という名の欲望。厚かましいにも程があるのではないか。
元来からの現実主義であり、神への信仰心も持ち合わせていないリンクには、神殿の大聖堂に於いて熱心に祈りを捧げる信者を横目に、そのような辛辣な感想を抱いた。
ー祈って何になるよ?ー
神に祈って幸せになれるのなら、全国民、いや、全世界の人間が神を信仰するだろう。しかし、実際にはそうはならない。
神への信仰心など関係なく不幸な出来事は起こる。貧富の差はなくならず、貧困から幼い子どもが死に、世界から戦争はなくならない。それが現実なのだ。
リンクはこれまで生きて来た十年ちょっとの中で、神に頼るのは時間の無駄だと悟っていた。
神を信じる者を愚かだとは言わない。だが、神は地上に住まう人間一人ひとりを平等に見ている訳ではない。そうでなければ辻褄が合わない。勿論納得も。
だが、そう思うと同時にド庶民であるリンクには信者たちの気持ちーー不幸から脱出したいという願いだけは理解できた。誰しも自身の幸福を願うものなのだから、と……。
ーにしてもその姫巫女って、まるで塔の魔女さまみたいだよな?ー
自国システィナに於いて『塔の魔女』とは、ライザタニアに於ける『姫巫女』に近い扱いに近くはなかろうか。
身近にある人物と比べるたがるのは、やはりリンクが子どもである証拠。だが、リンクの考えは『子どもだから』と全否定しにくい程に冴えている時があり、この時も正にそうであった。
『塔の魔女』が施した《結界》に守られているシスティナ極東の都市アルカード。与えられた平和を当然の事の様に受け取っていたアルカード領民。
アルカードに住まう者たちは与えられた平和を恒久なモノだと信じて疑う事はなかった。勿論、自分もそのひとりだ。そう考えて、リンクはそっと瞼を閉じた。
「なんで国は塔の魔女さまに国境を守る仕事を全部押し付けてんだ?そんなん魔女さまが大変じゃん。それに、あんな所に閉じ込められてちゃ可哀想だよ」
リンクはアーリアが件の魔女だと知らぬ時に、偶然にもこのような疑問を打つけた事があった。すると当の魔女アーリアは少し眉を潜めるた後、淡く微笑んで答えた。
「そうだなぁ……私は、国は魔女様だけに全部を丸投げしている訳じゃないと思うけどな……」
「そうかァ?魔女さまは大勢の騎士に守られてはいるけど、幸せだとは思えないよ。前の魔女さまなんか、騎士たちに見殺しにされたんだぜ?」
「リンクはそんな風に聞いているんだ?」
「ウワサだけどな。騎士団は見かけだけのハリボテだって言う奴もいる」
あの時のリンクはアーリアの正体は勿論、ナイルの正体も知る由もなかった。知っていたならば、このような話は出来なかっただろう。
「今の魔女さまってスッゲェキレーな女性なんだってな?みんなも驚いてた。『白い髪を持つ魔女』ってコトで老魔女を想像してたのに、ホントは若い魔女だったんだからさ!」
「あはは、ウワサってホントに怖いね」
リンクはアーリアの流す冷や汗に気づかぬまま、話を続けた。
「俺はさ、今回こそは騎士たちに魔女さまを守って欲しいって思ってる」
これはリンクの正直な想いだった。前任の魔女がリンクたちライザタニアからの移民を守って生命を落とした事は、アルカード領民ならば誰でも知っていた。魔女が生命を賭して守った存在だからこそ、現在もアルカードで移民は受け入れられているのだ。その事実をリンクは肌身に染みて知っていた。リンクにとって『塔の魔女』とは『かけがえのない存在』であったのだ。
「魔女さまはたった一人でこの国をーーアルカードを守ってくださってる。俺たちを守ってくれてるんだ」
リンクは興奮気味に声音を大きくすると東の空をーーその先にある『塔』を見上げた。
「国から押し付けられた仕事なのにスゲーよ。本当なら文句の一つも言いたいと思うんだけどな……。俺が魔女さまと同じ立場だったら、めちゃくちゃムカツクと思うもん。『俺一人に押し付けんな』って」
正直な感想を漏らすリンクの言葉にアーリアはクスリと笑みを漏らすと、リンクの横顔に向けて言葉をかけた。
「戦争を起こさせないこと。それが一番大切なの。彼女は戦争を起こさせない事で、国が政治をする時間を稼いでいる。ライザタニアと外交で関係を改善することーー互いに心を通わせる為の時間ときっかけを、作っているのだと思う」
アーリアは徐に立ち上がるとリンクの正面に立ち、リンクの手を取った。
「リンクくん、私は国をーー国王様たちを信じてる。だって、政治は流血を伴わない戦争だもの。流血を伴わないからこそ意味のある争いなの。だからーー……」
そう語ったアーリアはーー『東の塔の魔女』は、騎士団の攻防虚しく敵国ライザタニアからの襲撃者によって捕らえられた。政治の道具として。
ーオレ、許せねぇよー
この感情が『子どもだから』と言われてしまえばそれで話は終わりだ。しかしリンクはこの時、『子どもだからこそ』素直な気持ちを出しても良いのではないかとも考えていた。それは『大人だから』と感情を出さない、不器用な二人の青年を知っているからこそでもあった。
「にしても、その姫巫女って何者なんだ?もしかして姉ちゃんだったりして……」
地震後瞬く間に広まった新たな噂『新たな姫巫女の登壇』に、王都は騒めき立っている。地震以前と以降で異なる噂の内容。それにリンクは首を捻る。何よりリンクの関心を引いたのはライザタニアに於ける神への信仰心ではなく、信者たちが口にする『白き髪』と『奇跡の御術』といった単語だった。
姫巫女は代々白髪を持つ未婚の女性であるという。神殿を創設した初代巫女が白い髪を持つ姫殿下であった事から、以降ずっと神殿の頂点に立つ姫巫女は皆白い髪を持つ女性が選ばれている。
白髪と聞いてとある魔女を思い浮かべたリンクは、自分の浅はかな推理に辟易した。『世の中に何人、白髪を持つ女性がいるというのか?』と。
だが、『手を翳しただけで傷を癒した』という『奇跡の御術』には頭を傾げた。ライザタニアにはエステルから入った魔法の概念はあるが、システィナ産魔術の概念はないと聞く。ならば、巫女の使った術とは一体何なのか。
『魔法にも魔術にも《力ある言葉》が必要』
これはシスティナに於ける一般常識だ。しかし、その一般常識が覆る事をリンクは知っていた。
ー呪文なくても発動するもんなぁ……ー
弟子リンクは師匠である魔女アーリアから《力ある言葉》がなくとも魔術を発動できる事実を教えられていた。
魔術に於ける一般常識を鵜呑みにして疑わぬシスティナ国民ならば、そのような非常識は俄かに信じられなかっただろう。しかし、異民族の父を持ち、魔術にも疎かった弟子リンクは師匠アーリアからの言葉を素直に信じた。結果、現在のリンクは魔術を《力ある言葉》なくても発動できるに至っている。
ー今んとこ光と水の魔術限定だけどー
弟子リンクが師匠アーリアより教えられた魔術はたった二つ。光の魔術と水の魔術のみだ。それも基礎の基礎。光を生み出すだけの魔術と水を生み出すだけの魔術だったのだ。しかし、リンクは毎日のようにその二つを訓練し続けた結果、《力ある言葉》なしで発動できるまでに至っていたのだ。シュティームル伯爵家の奴隷である不良少年たちを水浸しにしたのは、間違いなくリンクの魔術であった。
「ホントにセンスがあったんだね?」
とは、もう一人の師匠リュゼの言葉。
「でなくばアーリア様の弟子は名乗れまい」
とは、生真面目騎士ナイルの言葉。
二人はリンクが発動させた魔術を見てそう称した。二人の言葉は決してリンクを貶める言葉ではなく、ある意味、賞賛を含む言葉であった。
ーな〜んかバカにされてる気もすっけど?ー
そう思えど、リンクに二人の青年騎士を責める気持ちはなかった。リンクからすれば二人の青年騎士は尊敬すべき先達なのだ。
自分には持ち得ない力を持つ二人の青年。大人の男として見習うべき点は多くあるとして、リンクは二人の青年に尊敬の念を向けていた。
そんな人生の先輩たちは今、大切な任務をリンク一人に託して、大聖堂にて退路を確保してくれている。
「リンク、ヤバイと思ったらすぐに引き返せ」
「深追いはするな。これより先は敵地なのだから」
二人の青年はリンクを左右から挟むと交互に話した。
「大丈夫だよ。オレ、これでも逃げ足には自信があるんだ」
軽口を叩くリンクの頭に軽い衝撃が疾る。猫目の青年が軽く小突いたのだ。
「油断禁物。何処に何があるか、誰がどう出てくるか分かんないでしょーが?」
「リンク、お前の失敗は私たちの失敗にも直結する。その事を忘れてはならない」
リンクはリュゼの言葉は最もだと頷いた。リュゼのように便利な能力も持たず、ナイルのように鍛えられた肉体も持たないリンクには、『危険を事前に察知する』事など出来ないのだ。油断して捕らえられる事態になっては、作戦は水疱に帰してしまう。
ナイルの言葉には治まっていた緊張感がぶり返しされたリンクは、自分がどれだけ重要な任務を託されたかという事実を思い出した。
「うん、気をつけるよ。ムリはしない。ヤバイと思ったらすぐに引き返す」
リンクの言葉に二人の青年は一つ頷くと、ポンと左右の肩を叩いた。
「そう気負わずに。『見つけられたらラッキー』ぐらいで良いからさっ」
「そうだぞ、リンク。欲を出すと足許を掬われるからな」
リンクは肩に置かれた青年たちの手から、自身の身を案じるからこそ、口が酸っぱくなる程言って聞かせているのだ。口にこそ出さないが、自身の身を案じているのだ。そう思えばこそ、胸が温かくなる。
任務遂行は大事だ。けれど、その為にリンクの身が危険に晒される事を善とはしない。その事がリンクにもしっかり伝わった瞬間だった。
ー兄ちゃんたちは、俺を信じて任せてくれたー
平民の、それも半分異民族の血が混じった自分を信じて大切な任務を任せてくれる青年たちに、リンクの決意は更に強固なものになっていった。
「ーーそれで姫巫女さまは……」
「ーー少しお疲れが出たご様子で……」
つい数時間前の事を思い出していたリンクは白いフードを目深に被ると、通路を行き交う司祭と神官を前に平伏する。
神への祈りを捧げる大聖堂に入る事を許されるのは信者のみ。信者は皆、神殿から配られる白い装束を纏っている。現在、リンクが着ているのはそれだった。
リンクの現在地は大聖堂から一歩内側に入ったそこは、神官たちの居住区の一角。居住区には神官たちは勿論、彼らの衣食住を世話する信者ならば足を立ち入る事が可能な区域。ここでの信者たちの扱いは貴族の屋敷でいえば使用人と同じとなる。使用人扱いの信者たちは皆右腕に黄色の腕章を巻いており、リンクもまた偽装工作として同じ物を巻いていた。
ーおっし、ここまでは順調ー
使用人に紛れて居住区内への侵入を果たしたリンクは、この先にある奥之院。姫巫女の住まいへ向かい、足を踏み入れた。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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『神殿侵入1』をお送りしました。
今回の神殿侵入はあくまでも内部調査。リンクに課された任務は探し人の捜索ではなく、神殿内部の構造や出入り口、人の配置などを調査する事です。
しかし、リンクから『あわよくば探し人を見つけられたら』という淡い希望で溢れています。きっと仕方のない事なのでしょうね?
次話も是非ご覧ください!




