魔術医が愛した紅茶2
すっかり陽が落ち、星が瞬く頃宿屋へ帰ると、ジークフリードが一階の食堂で宿屋の主人ーーダンと話しながらアーリアとテルシアの帰りを待っていた。
「遅くなってごめんなさいね!すっかり盛り上がってしまって……」
テルシアはジークフリードと自分の夫に謝りながら帽子を脱いだ。一階の食堂にはジークフリード以外の客はいなかった。
「ああ、いいさ!宿もこの通りだしな」
実はこの宿屋にはアーリアとジークフリードの他には客はいない。この二人を気遣ってのことではない。この小さな街は観光名所もなく、首都に続く街道沿いでもない。最近でこそティオーネ紅茶という名産品が出来たが、それまでは美しい海と海産物だけが取り柄という見向きもされない小さな街だったのだ。街の人々は自給自足の生活を送っていたそうだ。
その為もあり、小さな街には宿屋が二軒しかない。しかも滅多に客が訪れないため、常に閑古鳥が鳴いている。だから平常時には茶畑の管理や紅茶の生産、漁を主な仕事として、宿屋は客が来た時だけ営業する、というスタイルを取っていた。
アーリアとジークフリードは取って湧いた思わぬ客、ということだ。
勿論、滞在している以上、宿賃は支払っている。だが通常の客としてより身内の様に扱ってくれるご夫婦は、賃金の中から食事代だけを受け取って、その他は返してくれた。
「本当は宿賃なんていらないのよ?私たち、貴女のことを本当の娘みたいに思っているの。娘が実家に帰ってきたら、宿賃なんて貰わないでしょ?……でも、貴女たちは宿賃を払わないとここに居にくいでしょうから、少しだけ頂くわね?」
とテルシアはアーリアに言ってくれた。
これまで師匠、兄弟子、姉弟子の他に、家族のように接してくれた人は居なかったので、アーリアはご夫婦の気持ちが嬉しかった。アーリアには親はいないので、両親がいたらこんなようなものなのかな?と考えて、恥ずかしくなったのは秘密だ。
「で、どうだった?新芽摘みは」
ダンはカウンターから湯気の立つカップを二つ持って、テルシアとアーリアの方へやって来た。
テルシアとアーリアは首に巻いたタオルや麦わら帽子を脱ぎ、籠の中へ入れた。
「初めは難しそうだったけど、最後の方は要領よく摘めるようになったわね?アーリアちゃん、どうだった?」
アーリアはにっこり笑って頷いた。
「そうかそうか!葉を揉むのもやってみたかい?」
「ええ!ふふっ……おかしいのよ〜。みんながアーリアちゃんが私に似てるって言うの」
「どういうところがだい?」
ダンがアーリアの顔を見た。顔つきはあまり似ていない。アーリアがふんわりした印象なのに対して、テルシアはキリッとした印象だ。
「少し鈍臭いところが!」
ダンはもう一度アーリアとテルシアを見比べて、噴き出した。
「あははは!そうか!アーリアちゃんも鈍臭いのか!?」
なんか酷い言い様である。アーリアは『え〜〜』と口を尖らせた。アーリアの師匠や兄弟子たちはアーリアの事をよく鈍臭い、何をしても空回りと揶揄って来たが、こんな所まで来て言われるとは思わなかった。
ジークフリードはにこにこして話を聞いているだけで、アーリアのフォローはしてくれない。
「アーリアちゃんが葉を揉む体験をしたんだけど、その揉み方が何だか可愛らしくて……!やり方は合ってるのに、何となく違う感じが私に似ているんですって!それにアーリアちゃん、倉庫で2度も転びそうになったのよ〜?しかも私が蹴躓いた後に必ず同じ場所で蹴躓くの!それを見た小母さんたちがもう、大笑いよ!」
「そりゃ〜お前に似て鈍臭いなぁ?」
「ええ。人の事は言えないんだけど、面白くて……!ごめんなさいね〜〜。アーリアちゃんを貶している訳じゃないのよ?」
立派に貶されてます、とアーリアは思った。小母さんたちにも散々揶揄われてから帰ってきたとこなのだ。ワザワザバラさなくてもいいのに、と少しむくれた。
「怒るな怒るな。まぁ、これでも飲んで一息つきな。この後、晩御飯にするから」
ダンはアーリアとテルシアにカップを手渡す。カップの中には茶色く透き通った液体が並々と注がれている。
アーリアはそれを受け取って、そっと口をつけた。口の中に広がる芳醇な香り。苦味の中にも酸味と甘みがある。優しい味と温かさに、アーリアはホッと息を吐いた。
「ティオーネ紅茶だよ。今日、新芽を摘んで来ただろ?あれを寝かした物を揉んで発酵させたら、紅茶の茶葉が出来上がるんだよ。どうだ?ティオーネの紅茶は美味しいだろ?」
アーリアは『はい!』とダンに言った。言葉は聞こえていなくても、思いは伝わったはずだ。
ダンはうんうん、と頷くとアーリアの頭をガシガシと乱暴に撫でた。テルシアもそれを嬉しそうに見てきた。
「今日のメインディッシュはジークが獲って来た鹿肉だぞ!」
「凄いじゃないかい?ご馳走だね!ジーク、昼間に獲って来たのかい?」
「はい。本当は魔物などが入ってこないか、山の中を見に行ったのですが、脅威となると魔物はいませんでした。その帰り道で鹿とばったり遭遇しまして……」
「そうかい。ありがとうね〜」
「他にも薪割りもしてくれたんだ!大助かりだよ!」
「いえいえ。見ず知らずの怪しい俺たちを置いてくださっているんですから、これくらいはさせてください」
「気を遣わなくて、本当にいいのよ?でも、嬉しいわ!ありがとう」
ジークフリードも珍しく照れていた。
獣人と分かっても、親切にしてもらう事が出来て嬉しいのかもしれない。
アーリアはいつも気を張って眉間にシワを寄せているジークフリードの、他の面が見れて嬉しかった。
「さあ、アーリアとテルシアは先にお風呂に入っておいで!食事はそれからだ!」
ダンにそう言われたアーリアはテルシアに連れられて、浴室へ直行したのだった。
※※※※※※※※※※
アーリアは入浴してから一階の食堂へ向かった。そこには既にダンとジークフリード、そしてテルシアも揃っていた。ダンは湯気の立つ料理をテーブルの上へと運んでいた。テルシアは皿やフォークやナイフを並べながらアーリアへ話しかけた。
「アーリアちゃん、こっちに座ってちょうだい」
アーリアは自分だけ何もしていないのが気が引けた。お世話になっているのに、ここに来てから自分の事だけで、ジークフリードの様にこの夫婦の役に立つことなど何一つ出来ていない。その事が情け無く感じた。
アーリアは苦い顔をして佇んでいると、テルシアがアーリアの手を引いた。
「何も気にする必要はないのよ?」
「そうだ。君たちはこの宿屋のお客様なんだから」
「お客様に狩りをしてもらうなんて、だめな宿屋ね!」
「ハハ!違いない!」
アーリアはテルシアに手を引かれて、席に座らされた。隣にはジークフリードが座る。
「アーリアちゃん、貴女は喋れないけど表情に感情が全部出るから、助かるわ〜〜」
『えぇ〜〜〜〜!?』
「そうだな!思っている事がすぐ分かる」
テルシアの意見にダンが同意した。ジークフリードも苦笑して見てくるだけで、否定はしない。アーリアは間抜けな事実にショックを受けた。感情が見ただけで丸分かりなんて、ただの間抜けだ。
アーリアはジークフリードの裾を引っ張ったが、視線を晒された。
「……こりゃ、ジークも苦労するな……」
ダンがポツリと呟いた。
テルシアはシチューを人数分よそってそれぞれに配った。ダンは酒を注ぎ、ジークへと手渡す。
「じゃあ、頂きましょう!」
テルシアの声を合図にして、四人は同じテーブルを囲んで食事を始めた。客と接客者という立場ではなく、まるで家族のような食事風景である。それはここ数日で見慣れたものになっていた。
アーリアとジークフリードの二人は初めは勿論、一緒にテーブルに着くことを断った。それは自分たちが追われる身であり、この夫婦にとっては不審者でしかない自分たちとの関わりは、彼らの生活の妨げにしかならないと考えての事だった。だが、この夫婦は強引にアーリアとジークフリードの中に踏み込んできた。事情を大まかに説明してのにも関わらずだ。
ジークフリードが有事の際は自分たちを見捨てて欲しいと言ったにも関わらず、では自分たちもそのようにと返してくるのだ。これにはジークフリードも驚き、そして遂に折れた。
今はもう、アーリアもジークフリードも諦めて、この夫婦に世話になっていた。
「やっぱり肉は美味いなぁ!ここらは海の幸が豊富だが、やっぱり肉はいい」
ダンはジークフリードが獲ってきた鹿肉の焼肉にかぶりついている。ダンは海で漁もしているので、見た目は筋肉隆々だ。小麦に焼けた肌が眩しい。まさに海の男、といった風貌だ。
アーリアは内陸に住んでいた事もあって、海の幸がとても気に入っていた。特にさっぱりとした白身の魚が好きになった。ジークフリードも内陸では滅多にお目にかかれない魚や貝料理に舌鼓を打っている。
「本当に、アーリアちゃんが来てくれて嬉しいわ!こんなに楽しい食事は久々だもの」
「そうだな!」
「初めにここに運び込まれた二人を見た時は本当にびっくりしたけど、二人とも元気になってよかったわ!」
「ありがとうございます。何もかもお世話になりっぱなしで……」
「いいのよ〜〜。お世話なんてほとんどしていないわ」
「そうだ。君たちは手がかからないからね。むしろ色々お世話されたのはこちらの方さ!」
ジークフリードは宿屋のご夫婦に代わって屋根や井戸の修理など、細々した仕事を世話になっているお礼と称してこの数日間行なっていたそうだ。ダンも五十を半分越えて大分足腰が弱ってきているようで、ジークフリードの働きに感謝していた。
アーリアが日がな一日ぐだぐだしていたのとは大違いだ。
アーリアは益々、気が滅入った。
ジークフリードはアーリアの考えを察して、アーリアの頭を撫でてきた。
「すぐに落ち込むんだから!アーリアちゃん。人には向き不向きがあるのよ?貴女には貴女の出来ることをすればいいの。今は私たちに可愛がられることが貴女の仕事」
「そーだぞ?俺たちにとってアーリアは『久々に実家に帰って来た娘』という設定なんだから、俺たちに存分に可愛がられてくれ!」
ダンはそう言ってアーリアにカップを手渡した。白い磁器の器には青い染料で唐草模様が施されている。この辺りの伝統工芸品だと聞いた。その器の中には茶色く透き通った液体が湯気を立てている。
アーリアはそれをくいっと飲んだ。
ティオーネ紅茶だった。しかし、帰ってきた時に飲んだ紅茶とは違う風味がする。
甘くてほろ苦いそれは喉をするりと通っていった。
『美味しい……』
その様子に満足したダンが、ジークフリードにもカップを渡す。
「ほれ!ジークも飲め」
「ありがとうございます」
ジークフリードがダンからカップを受け取って飲むと、眉をひそめた。
美味しい。確かに美味しいが、これは……
「ダンさん、これ……」
「ああ!ティオーネ紅茶だ。ブランデー入りのな」
「……やっぱり」
「この飲み方はあの魔術医の先生発信さ!彼はこれが好きでなぁ〜〜。亡くなる寸前まで飲んでいたよ!」
「医者のくせに人の言うこと聞かないのよ?本当に偏屈な方だったわ〜〜。まぁ、街のみんなはそんなあの方が好きだったのだけど」
「通の紅茶好きには怒らてしまうな!この街のモンは夜になるとこうして紅茶にブランデーを入れて飲んでるなんて」
「本当に!」
ジークフリードは夫婦の会話に耳を傾けながら、アーリアの様子が気になって仕方がなかった。アーリアの顔を伺うと、顔色がほんのり赤い気がするのだ。
「……アーリア大丈夫か?」
ジークフリードがアーリアに声を掛けるが反応がない。ジークフリードがアーリアの肩に触れようとした時、アーリアはカップを持ったまま机に突っ伏した。ジークフリードが慌ててアーリアの前にあった皿やカップを回収する。
「え!?ど、どうしたの?」
「アーリア!?」
テルシアとダンが慌ててアーリアの顔を覗く。
ジークフリードは額に手を当てた。
「……あー……大丈夫ですよ。酔って寝てしまっただけです」
「「えぇ!?」」
「よ、酔ったって……?」
「何に……?」
「紅茶の中にブランデーが入っていたでしょう?」
「紅茶の中のブランデーなんて、大した量じゃないのよ?」
「彼女、酒に弱いようなんです。今までも殆ど飲んだ事が無いらしくて……」
「成人してるんだろ?」
「今年が成人の年だと言っていましたね、そういえば」
「はぁ……今時こんな真面目な娘もいるんだねぇ……」
ダンはなんとも言えない顔で呟いた。
ジークフリードもダンの意見に対して同じように思った。今時成人していなくとも酒くらい飲む。社交界で酒を嗜むことは必須事項なので、ジークなどは早めに酒に慣らされていたくらいだ。
「なんとまぁ……ハハハ……」
「ジーク、アーリアちゃんを部屋まで運んでくれる?」
「ええ、勿論」
ジークフリードはアーリアの肩と膝の裏に手を掛けて抱き上げると、アーリアを部屋まで運んだのだった。
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