倒錯の巫女殿下4
※(シュバルツェ殿下視点)
「さぁ、殿下。此方へ……」
巫女に誘われるまま開け放たれた扉から楼閣内へと足を踏み入れば、瞬時に花の香りがフワリと鼻腔を擽った。嗅いだ事のない香りだ。辛うじて花の香りだという事しか判らない。
「この香りは?」
「うふふ。これはドーアに咲く花から抽出したアロマですの」
高貴な者たちは香りを纏う。香りで地位と権力が分かるとも云われる程、香とは重要なアイテムなのだ。
しかし、私自身あまり強い匂いは好まない。
ほのかに香る程度なら我慢できよう。だが、芳しいどころか思わず鼻を顰める匂いは、どうにも耐え難いものだ。
ートク、トクトクトクトク……ー
目の前で真新しいコルクが抜かれ、真新しいグラスに紅い液体が注がれていく。
巫女は給仕が準備したグラスを受け取ると、それを私へ差し出してきた。そして自身もグラスを手に取ると私と向き合い、グラスを僅かに掲げた。
「今宵の出会いに感謝を」
巫女の言葉を合図にワインを煽った。まず、グラス口から立ち昇るワインの香りを楽しみ、それからグラスに口をつけると、ゆっくりと口内にワインを流し込んだ。口の中に流れ込む滑らかな液体。舌先で転がしながら香りを楽しむ。熟成それた葡萄の香りが鼻腔を震わす。
「気に入って頂けましたか?」
周囲を漂うアロマの香りさえなければ、このワインの評価はもっと高かったに違いない。豊潤なワインの香りと味を、アロマの香りがぶち壊している。
「上品な味わいだ。ーーでは巫女、お前の解釈を聞かせて貰おうか?」
腰を落ち着ける気もないので用意されていた椅子には座らず壁に凭れる。香りから流れるように窓際へ陣取れば、巫女は空いた距離を詰めるように歩み寄って来た。
もう一口、口内にワインを含ませると、私は巫女に話の続きを促した。
「まぁ殿下ったら!随分とせっかちでいらっしゃるのね?」
「時間は有限だ。無限にはない」
「私も殿下に同意致しますわ」
くすりと笑う巫女。私からの目線を受け流すと、少し思案してから唇を開いた。
「これはあくまでも私なりの解釈なのですが、 『星墜つる二つの綺羅星』とは、この国の何処かで輝く二つの星がーー輝かしい二人の人物が失墜する事を意味しているのではないでしょうか?」
「ほう、それで?」
「そして『月出でる顕現せし明星』とは、二つの星が堕ちた後に、月が東から出るように新星がーー新しいリーダーが現れるのでは……そう解釈致します」
全く期待してはいなかったがこの女、なかなか理に適った解釈をするではないか。
私は腕を組み、目を僅かに細めた。
「であれば巫女よ。神託ーーつまり預言によって近い将来失墜する二人の人物とは、誰と考える?」
「私には判断しかねますわ」
「本当にそうか?その墜つる星とは我ら兄弟ーー第一王子と第二王子を指すのではないのか?」
「ッ⁉︎ あ、あまりに曲解ではございませんか⁉︎」
「そう望んでいるのだろう?我々さえいなくなれば王座は巫女にーーお前に転がり込んでくるではないか。なぁ?」
暗に『内乱中の王子たちがいなくなる事で得をするのは神殿であり、その末に王座を得るのは巫女だ』と言えば、巫女は血相を変えて否定してきた。
「滅相もございません!私が王位を得るなど、不相応にも程がございます」
「お前の考えはどうであれ枢機卿、アーレンバッハ公爵は私たちの失墜を望んでいるように思えるのだがな」
流石に否定するか。この女は自分以上の地位や権力を持つ者を許さず、同程度の地位を有する姫巫女候補を数々潰してきたのは周知。周囲に侍る者には決して反発を許さず、従順である者を選んでいる。にも関わらず、この女はーー……!
「……確かに、我が父ならばそのような事を考えるかも知れません。父は枢機卿とは名ばかりの金の亡者ですから」
「肉親を売るか?」
「事実を申したまでですわ。ですが殿下!これらの見解はあくまでも神託を基にした私一個人が推測し得る解釈でしかありません」
「……で、あったな」
この巫女は当初より解釈は個人的なものだ、と前置きをしていた。であれば、この女がどう解釈をしようとも、第二王子たる私が姫巫女たるこの女を責める事など出来はしない。
小癪な。この程度の悪知恵はまわるようだ。
ーーと、突然。視界がぐにゃりと揺れた。
周囲に漂う香りを緩和しようと格子窓へ手をかけたその時、激しい目眩が襲いかかってきたのだ。
ぐらりと揺れる視界に体制を崩しかけ、身体を支える為に窓枠へと手を着いた。
「どうなさいました⁉︎」
窓枠に手をついて俯く私の下へ、香を撒き散らし巫女が近づいてくる。その表情はいかにも心配そうに眉を潜めてはいるが、その瞳は獲物を狙う獣のようにギラついている。
「まぁ大変!殿下、こちらでお休みください」
「いや、平気だ……」
「いいえ!きっとお疲れが出たのですわ。ご無理をなさってはなりません」
巫女は私の手を引いて室の奥ーー長椅子の方へと誘っていく。長椅子は大の男が横になれるほど大きなもの。私は大人しくそこへ腰を下ろした。
「此方で暫くお休みになってください」
「……では、そうさせてもらおう」
手の中のグラスを給仕が回収すると、そのまま侍女は室を後にする。ふと視線を上げれば、護衛を受け持つ騎士の姿もいつの間にかなく、室内にある人影は二つにーー第二王子と巫女の二人になっている。
「まぁ、酷い汗」
巫女は頭を押さえて名目する私の額にハンカチを当てた。額に浮かぶ汗を白い布が吸い取っていく。
「殿下は仕事の鬼だそうですね?神官たちが申しておりましたよ」
「ああ、お前の父のように欲に塗れた貴族が多いのでな。仕事が絶えんのだ」
「まぁ!確かに父は欲の塊。金も名誉も地位も権威もーー何もかもをその手にしたくて仕方がないのです。ですが……私の欲しいものは他にありますの」
激しい目眩と共に訪れた睡魔に瞑目していると眼前に影が射し、膝に重みを感じた。
ギシリと長椅子が軋む。擡げていた頭を上げれば、そこには巫女の顔が間近に迫っていた。「何を」と言葉を出そうとした瞬間、巫女の指が唇を塞いだ。
紅い唇が弧を描く。そのまま巫女は私の胸に手を伸ばすと、しゅるりとスカーフを解いた。女の細い指が一つ、また一つとシャツのボタンを外していく。
「なに、を……?」
「大丈夫ですわ。殿下はそのままリラックスしていてください。何も怖い事はございませんからね」
女はふふふと耳元で笑う。その度に生温かい吐息が頬にかかる。女の吐息は次第に荒くなり始める。鼻息荒く「嗚呼、殿下。私の愛しい殿下……」などと戯言を呟くと、なんと次は私の胸を弄り始めた。
白い髪が頬を滑る。時折合う女の目はまるで肉食獣のようだ。
女の身体は嫌いではない。柔らかく滑らかで、芳しい。濡れた瞳。濡れた唇。手に吸い付く肌。男としての欲望が頭を侵食した時、理性が本能に負ける。だがーー……
ーこの女は趣味ではないなー
いい加減、現状に甘んじるには不快な肌を滑る女の生温かい唇の感触に飽きた時、私は瞑目したまま口角を上げた。
「く……くくく、ふふ、ふはは、ハハハハハッ!巫女も色に溺れる、か……!」
「で、殿下……えっ、アッ、きゃあ!」
「悪いが女を組み敷く趣味はあっても女に組み敷かれる趣味はない」
擡げていた顔を上げると即座に巫女の手首を捻りあげた。そこへドタバタと騒がしい足音が起こり、バンッと扉が両側へと開け放たれる。
「ご無事ですか⁉︎」
「ご苦労。見ての通り、些か情け無い状態ではあるがな」
ゼネンスキー侯爵は私の姿を見るなり肩を竦めた。長椅子に寝そべり、その膝の上には巫女が。衣服は乱され、シャツははだけ、女に押し倒された状態。『女に襲われた』等とは、ライザタニア紳士としては少々情け無い姿だ。
「きゃあ!離してっ。無礼者!私を誰だと思っているの⁉︎」
ゼネンスキー侯爵の指示を受けた騎士によって私の上に乗っていた姫巫女が床へと引き下ろされた。姫巫女は不自然に白い髪を振り乱しながら叫んでいる。
「アナタこそ、このお方をどなたと心得ます?ーーハッ!姫巫女が聞いて呆れますよ。とんだ痴女だ」
「ち、痴女⁉︎」
「愚かな!催淫作用のある香を焚いた上に睡眠薬入りのワインを盛るなどとは……計画的犯行と云わずして何としますか?」
「な、んの、ことかしら……」
ゼネンスキー侯爵に塵を見るような目で睨みつけられた巫女は呻いた。
二人の騎士によって、背後で腕を掴まれた巫女。床に膝をつけた姿は正しく罪人。この女はこれまで他者からこのような扱いを受けた事などないのだろう。困惑し、狼狽し、憤っている。
「姫巫女ーーいいえ、アーレンバッハ公爵家令嬢ソニア。貴様を逮捕します」
「なッ⁉︎」
「罪状の説明など必要ないでしょう?貴様は第二王子殿下に薬を盛り、無理矢理コトに及ぼうとした。これが神殿の最高位にある姫巫女であるなど……恥を知りなさい!」
この女は第二王子の妃となる為に既成事実を作ろうとしたのだ。
例え神殿の象徴である『姫巫女』の地位にあれど、この女は公爵家の令嬢なのだ。私がいくら王族であったとしても、公爵令嬢を傷物にしたとなれば、体裁を整える為にもこの女を娶らねばならなくなる。そうなる様にこの女は状況を整えた。
室に催淫作用のある香を焚き、ワインに催眠薬を盛って動けなくした状態でコトに及ぼうとしたのだ。当然、彼女の指示を受けて動いた神官、修道女、侍女、給仕、騎士たちも同罪。主を嗜める事のできぬ臣下など必要はない。
「そう絶望する事はありません。罪はアナタを育てたアンスバッハ公爵にもありますからね」
「まさか、それじゃあ……!」
「アナタの敬愛する父親と共に裁いてあげますよ」
罪に問われるのはこの女だけではない。当然、この女を教育した公爵家ーー枢機卿たるアーレンバッハ公爵も罪に問われる事になる。姫巫女という立場でありながら、備えていなければならない能力をーー貞淑さを持ってはいなかったのだから。まぁ、それ以前の問題でもあるがな。
「こんなの横暴だわ!どこに証拠があって……」
「黙れ、下衆が」
尚も喚き立てる巫女に突きつけられる刃。背後から差し出された殺意ある刃に流石の巫女も小さな悲鳴をあげた。
刃の主はライハーン将軍のもの。刃よりも鋭い眼光が闇夜に浮かんでいる。
「巫女よ。何故第二王子たるシュバルツェ殿下がお一人で放置されると思うのか?護衛がシュバルツェ殿下のお側を離れる訳なかろうが」
「っ……!」
「貴様の犯行はこの目で確と見たと言っているんだ。子どもじゃねぇんだ、それくらい分かるだろう?」
王族が一人にきりになれる場所などない。
護衛は何処にでもついてくる。それこそが使命であり仕事なのだ。
また護衛騎士に始まり侍従・侍女たち使用人、多くの者の目が常に周囲にある。それこそ起床から就寝まで。そしてこのように外出した時にもそれは当てはまる。
この夜遊会には護衛としてライハーン将軍が付き従ってきた。将軍職に護衛業務など含まれないのだが、今夜起こる事件の為に態々出張って来たのだ。この意味が判らぬバカにつける薬などない。
「さて、もう宜しいでしょう?連れて行きなさい」
今頃になって神殿つきの護衛たちが姿を表した。髪を振り乱して喚く巫女を見るなり、驚愕している。
守護すべき姫巫女が王国軍に捕らえられている姿。俄には信じられぬ思いなのだろう。だが、彼らの感情などは此方には何ら関係がなく、程なくしてゼネンスキー侯爵は容赦の無い命令を下した。いくら姫巫女つきの護衛だとて、軍務長官に逆らえる者など此処にはいない。
「遅くなりまして、申し訳ございません」
「許す」
頭を下げてくるゼネンスキー侯爵に目配らせする。
侯爵の手腕は十分以上に認めている。今回の突入とてベストなタイミングだった。それでも頭を下げてくるのは巫女どもを捕らえる為ーー強いては神殿を無力化する為とはいえ、主たる第二王子が囮の役割を担わねばならなかった事について、部下としての不甲斐なさを責めているからであろう。
「アチラの方はどうだ?」
ライハーン将軍が騎士や兵士たちに激昂を飛ばしている。その太い声を片耳で聞きながらゼネンスキー侯爵に進捗を尋ねた。侯爵は私の質問を受けて擡げていた頭を上げる。
「恙無く。大掃除は一度に済ませてしまうのが一番ですからね」
「そうか。ではこれで終いだな?」
「はい。『神託の成就』はなされました。神殿のツートップの逮捕ともなれば、神殿の権力失墜は確実でしょう」
「神殿の神官どもから鼻薬を嗅がされている高官連中も煩い事は言えぬはず。従わずにはおれぬだろうな」
シャツの襟を整えスカーフを結び直すと上着を羽織り直す。が、途端袖口から立ち昇る強い香に鼻を顰めた。
ー匂いがついてしまったー
つくづくあの女は趣味ではない。肉付きの良すぎる身体も、派手な化粧も、この香りも……そして、作り物のようなあの白い髪も。
「後の始末はお任せください」
ゼネンスキー侯爵の言葉に頷くと、唇に微笑を浮かべた。皆が云う『狂気』の笑みを。
ー星墜つる 二つの綺羅星ー
ー月出でる 顕現せし明星ー
二つの星は堕ちた。夜が明ける頃、新しい星が昇るだろう。神殿の腐敗は取り除かれ、王宮は神殿をその権力ごと取り込む。これこそが私の描いた未来ーー『神託の成就』なのだ。
「任せる」
「は」
自室に戻ればドッと疲れが出るだろう。身に纏わりつく疲労感は脚を運ぶのも億劫なほどだ。だが、今夜こそよく眠れるに違いない。
溜息をひとつ。雲ひとつない空に浮かぶ月に視線を向けたその時、ドンッと足下から突き上げるような振動が突如起こった。
いつもありがとうございます。
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『倒錯の巫女殿下4』をお送りしました。
神殿から齎された新たな予言。それを利用した捕物劇でしたが、過度の妄想癖のある姫巫女にも予想外だったようです。
姫巫女と枢機卿。二人の親子の逮捕は神殿の存在を揺るがしかねない大事件。しかし、第二王子殿下にとっては大事の前の小事でしかないのです。
「まじでくっせーな⁉︎」
「ええ。どうやら催淫作用のある香のようですが」
「うげっ。えげつねー」
「それにしても趣味が悪い」
「こんなくせー匂いに惑わされる男なんているか?」
「アナタ、鼻だけは良いですからね。このような匂いに惑わされる事などないでしょうよ」
「どーゆー意味だよ⁉︎」
「そのままの意味ですが」
「なにぃ⁉︎」
以上、突入前のゼネンスキー長官とライハーン将軍のやり取りでした。
次話も是非ご覧ください!




