倒錯の巫女殿下3
※(シュバルツェ殿下視点)
ー香水の匂いを振りまきながら現れた女に、顔を背ける事すら許されぬとは、どんな拷問か⁉︎ー
王子という身分も立場も気楽なものじゃない。世間では王子ーー王族とは実に煌びやかな存在であり、贅に塗れた生活をしていると思われている。確かにそうだ。衣食住どれをとっても贅を凝らしたものなのだから。多くの者に傅かれ、尽くされる。それを『当然の権利』として受け取る者たちーーそれが『王族』なのだ。
しかし、権利と権力を持つ者には相応の『責任』が付き纏うもの。王族で例えるならば『国』がそうだ。王族は誰しもが国家運営に関わる仕事を担っている。国家に富と平穏を齎す為の仕事に従事しているのだ。
王族である事は『国の奴隷』である事と同意であり、国の為ならば『私』を捨てて『公』で在らねばならぬのもまた必須。王族の声は他者に多大な影響を与える。だからこそ、王族は公私混同は勿論、言葉に偽りを混ぜてはならない。それが規則。決して破ってはならない決まりだ。
ー贅を受け取るにも責が付き纏う。なかなか儘ならぬ職だとは思わぬか?ー
もう何度目とも分からぬ溜息を心の内で吐く。目の前に現れた女は、此方の心境などお構いなしといった様子。貪欲なまでの欲望を湛えた瞳とは裏腹に、大変柔らかな笑みを浮かべている。そんな女にほんの少し微笑み返してやれば、すぐ様女の頬が上気し、嬉しそうに微笑んだ。
「久方ぶりだな?巫女」
泉の楼閣に現れたのは、全身真白の聖職衣を纏った女であった。聖職衣と云えどこの女の纏う衣は上質の絹。ドレスのような広がりのある長衣には金糸で緻密な刺繍が施されている。首や腕、耳には装飾品も光っており、それが決して安価ではない事は一目だ。トータルで小さな街の神殿くらいならポンと建てられるであろう。だが、そんな事よりも目を惹くのは女の髪色だ。
泉の中の月光のような淡い白。その髪色こそが初代巫女の血を継ぐ証だとされている高貴なる白であった。だが……
ーこの白は作り物だー
本来の髪色が燻んだ金だという事は既に調べがついている。この女は確かに初代姫巫女と血の繋がりがあるが、初代姫巫女の特性は何一つ引き継いでいない。
ーそう、『何一つ』な……ー
女の髪をトックリと眺めていると、女は私の前で膝を折った。まだ一応の礼儀はとれるようだ。
「夜分に失礼致しますわ、殿下。今宵の夜遊会には殿下も参加なさっておいでだと聞き及び、是非ご挨拶をとまかり越しました」
「そうか。それは足労をかけたな」
「とんでもございませんわ!殿下と語らう事ができる滅多にない機会ですもの。私、この日を楽しみにしていたのですよ?」
折っていた膝を伸ばし、口に手を当ててフフフと笑う女からフワリと甘い花の香りが鼻腔を擽った。キツイ香水の匂いだ。数種類の花の香りを混ぜてあるようで、特に薔薇の香りが鼻につく。
「それにしては随分と遅い登場であったが……」
「女は殿方と違って支度に時間がかかりますの。殿下とお会いするのですもの。一番綺麗な自分を、と思うのが乙女心というものですわ」
前言撤回。やはり常識知らずのようだ。
ここは挨拶に遅れた事への謝罪をまず入れるのが通常であろう。この女ーーこれでも神殿の頂点に立つ姫巫女という、多くの神官と信者を代表する立場なのだが……『巫女殿下』との異名を持つ事から、どうも既に王族を気取っているらしい。確かに『巫女殿下』には王族同様、王位継承権があると国法で定められている。がしかし、それは王家に万一があった時の『緊急措置』でしかない。つまり、この巫女に玉座が転がる事態など万が一つも無い。
この女は神殿に属する神官職のひとつ、巫女ではあるが、つまるところ臣下なのだ。出自を鑑みても身分は公爵令嬢でしかない。そんな女が私とーー王族と対等である筈がない。『親しい友』ならば兎も角、私とこの女とは『赤の他人』だ。強いて言えば『仕事で関わざるを得ない者』くらいであろうか。
「そうか。それにしても良かったのか?未だ他の貴族には挨拶をしていないのだろう?」
楼閣から橋を渡った対岸をーー夜会会場となる広間を見れば、そこは未だ煌々としたら光に溢れている。人影も多くあり、風に乗って管弦楽の音色が微かに届いてくる。
「構いませんわ。あの者たちよりも殿下、貴方お一人の方がずっと大切な存在なのですから」
ニッコリと微笑むついでに何気ない仕草て私の手を取る女に向け得る表情は一つ。営業スマイル。これはある程度訓練を積んだ者ならば誰でも有しているスキルではなかろうか。内心ではどう思おうが外見では微笑をつくる。しかも、この微笑の威力は絶大だ。『困った時は笑って誤魔化せ』とは母の言葉だが、正にそうだと同意せざるを得ない。現に、内心を外見に噯気にも出さない私の事を、この女は『オカシイ』とは思ってはおるまいよ。
「本来、姫巫女はこのような夜遊会には出席しませんのよ?」
「らしいな。だが、神託が降りたとなれば別であろう?」
「ええ。ですが、神託の奏上は枢機卿の務めですので仕方ないのです」
姫巫女が齎す神託は神の言葉、預言だ。預言をどのように解釈するかは人間次第。姫巫女は己が身に降りた神託を神官たちに託せばそこで役目は終い。この女はそう言っているのだ。
ーバカな!神託を活かすも殺すも『姫巫女』次第であろうがー
初代姫巫女は神の言葉を身に降ろして後、自国に起こる災いを避ける為の策を講じ、王家と共に民衆を導いたと伝わっている。この女が本当に姫巫女の血を継ぐ者ならば、己の身に降りた神託について最後まで責任を持つべきであろう。にも関わらず、この女から感じる神託への責任感はまるで無い。
「ですが、久しぶりに神託が降りたのですもの。いつも枢機卿に託すばかりでは、味気のうございます。私の口から直接殿下へ奏上申し上げたくて……」
ー何をぬけぬけと、この女狐が!ー
そもそも『神託』自体が偽り。虚言ではないか。神殿が世間を都合よく動かす為にでっち上げた妄想の産物なのだ。
その虚言を使って王家を欺き、国税を使い、民衆を先導する。全ては神殿という組織が利益を得る為の芝居。それが現神殿の在り方。これを腐敗と云わず何と云うのか。
何が『民衆の心の拠り所』か⁉︎
何が『慈悲の巫女』か⁉︎
どう考えても『悪の組織』と『悪党共の親玉』ではないか。最近ではこの女、自身を『聖女』などと呼ばせているらしいが、どの口が!、とこの女の口を捻り切りたくなる。
「そうか。では、お前の口から奏上してもらおうか」
どうやらこの女、言葉の駆け引きというものを知らぬのだな。私の言葉の意味ーーその意図に何ら気づく様子を見せない。それどころか、女はにっこりと微笑むとその真っ赤な唇を大きく開け、『神託』を言の葉に載せて謳い始めた。
ー星墜つる 二つの綺羅星ー
ー月出でる 顕現せし明星ー
何度聞いても鼻持ちなら無い神託だ。明らかに、明確に、我ら兄弟の事を指している。『我ら』とはつまり、内乱中の第二王子である私と第一王子である兄のこと。この神託は二人の王子が内乱の末に共倒れし、その後に明星がーー姫巫女が立太子するという意味を表している。国内情勢を鑑みれば、そうとしか考えられない。だが、大神官に尋ねても神官にカマをかけても、彼らはしらばっくれるばかり。
確かに、第二王子の前で真相の事を言うのは、得策ではない。
私の前で『自分たちは王家の滅亡を目論んでいる』などとは、口が裂けても言えぬであろうよ。もし口にしたならばその途端、奴らは八つ裂きにされるのだから。
そも、神殿の言動は十分『不敬罪』に当たる。反逆行為なればこそ、私が手を下すより前に我が臣下たちの方が早々と動き出すに違いない。信頼ある臣下たちは意気揚々と神殿の断罪を始める事だろう。さしずめゼネンスキー侯爵辺りが先頭に立ち、伐採に取りかかるであろう。その後には草の根一本残るまいよ。
「巫女よ、お前の解釈はどうのようなものだ?」
「え……?」
「我はお前の、姫巫女の地位にある者の解釈を聞きたいと言っているのだ」
この問いは大して意外性のあるものではない。王家を預かる王族からの至極当然な問いではなかろうか。枢機卿はじめ神殿のどの司祭どの神官も、神託に関する解釈を言いたがらない。口を濁してはぐらかそうとする者ばかりなのだ。ならばと、私は神託を齎した姫巫女本人に尋ねてみたのだが……姫巫女はポカンと目と口を開けて私の顔を凝視している。そのなんとも間抜けな顔に苦笑いが込み上げてくる。
「特段可笑しな質問でもあるまい?ここに神託を齎した巫女本人がいるのだ。直接、神の声を聞いた巫女として、お前はこの神託をどのように考えているのかと問うておるのだが?」
女が呆けている隙に、私は掴まれていた手を外す。そして眉を僅かに潜めれば、女は弾かれたかのように肩を竦ませた。
「私は……私は、神に仕える者。姫巫女と呼ばれはするものの、いち信徒に過ぎませんわ。それに、姫巫女は神のお声を聞き届け、神託として皆に伝える事こそが使命。その神託を解釈するのは私ではなく枢機卿を中心とした司祭たちですの。殿下が解釈をお知りになりたいのでしたら父へーーアーレンバッハ枢機卿へお問合せくださいまし」
巫女は最初の方は呆けて言い澱んでいたが、話しが進むにつれ枢機卿に責任転嫁する事を思いついたようだ。子が子なら親も親。本当にこの親子はよく似ている。自分の身に火の粉がかかりそうになった途端、それを他者に被せようと動くのだから。
「先程、枢機卿にも同じ事を尋ねたのだが、明確な返答は得られなかったのだ。これではわざわざ神殿に足を運んだ意味も無いというもの。そうは思わぬか?」
「ですが、私の一存では……」
「聞こえなかったか?我はお前の解釈が聞きたいと言っている。お前一個人の意見をな……!」
明確な命令。上位者たる者の命に逆らう事はできない。証拠に、女は表情を硬くして此方を凝視してくる。その目に浮かぶのは不安、困惑、そして屈辱。女は私との語らいを『楽しみにしていた』と言っていたが、とても楽しそうな雰囲気はない。
すると、女は何かを決意したのか、開けたり閉じたりしていた唇をキュッと閉じると、突然、ニッコリと微笑んだ。
「殿下。喉は乾かれませんか?私、とっておきのワインをお持ちしましたの。解釈を述べるのは喉を潤してからでも構いませんでしょう?」
何を企んでいるのか、姫巫女は側に控えていた修道女に目線で指示する。予め用意していたのだろう。修道女は籠から一本のボトルを取り出すと、それを巫女の手に恭しく差し出した。
「帝国産の上質なワインが手に入りましたの。味や口当たりは勿論のこと、特に香が素晴らしいのですよ」
漆黒のボトルには赤いラベルが貼ってあり、そこには帝国語で印字がなされている。ラベルによるとルスティル領地産のワイン。確かにあの地はワインの名産地であったか。
「さぁ、こちらへどうぞ」
六本の柱に支えられだ六角形の楼閣。楼閣というよりは東屋の役割で建てられたものだろう。泉の中に立つこの楼閣には壁は最小限しかない。木で編まれた格子柄の窓、美しい色硝子が嵌められており、それが壁の役割を果たしている。中から外の様子は分かるが外から中の様子は分からない。恋人たちが睦み合うには最適な場所ではあろう。
女の意図は見え据えている。策略に乗ってやる必要などない。が、しかし……。『飛んで火に入る虫』と云うではないか?
ーさて。この場合、どちらが火でどちらが虫であろうな?ー
私は頷いて楼閣へと足を踏み込んだ。途端、フワリと甘ったるい香が全身を包み込んだ。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、ありがとうございます(*'▽'*)/ 感謝です!
『倒錯の巫女殿下3』をお送りしました。
第二王子殿下は誰に隠す事なく巫女殿下を嫌っています。その証拠に、彼女を『姫巫女』と呼ぶ事はありません。これまでも仕事で渋々付き合う程度。極力、接触を避けていました。
巫女殿下の纏う衣は聖職衣ですが、ドレスのように胸を大きくアピールしたデザインには、第二王子も辟易しています。
ライハーン将軍は巫女殿下を「派手な化粧のねえちゃん」と呼んでいますが、それを耳にした上官からは珍しく叱られなかったようです。
次話、『倒錯の巫女殿下4』も是非ご覧ください!




