※裏舞台15※紙一重の正義1
side:Sistina
人々が寝静まった頃を見計らったかのように森の中に集まった男たちの集団。男たちは隠遁の魔宝具により隠してあった馬に股がると、木々の間を抜け、道なき道を一路東へと馬を走らせた。向かう先は国境。隣国ライザタニアとの国境であった。
近年、軍事に傾倒し、近隣諸国に侵略行為を繰り返しては敗戦国を属国として支配下に置く隣国を快く思わない国は多い。その脅威を、近隣諸国ーーそれもライザタニアの西側に位置するシスティナが最も感じているのは当然であろう。
しかし、侵攻を繰り返すライザタニアに対してシスティナが国防としてとった策は、『自国の領土に他国の兵を侵入させない』という至って平凡な方法。その手段として用いられたのは魔術。国境周辺を大きく覆うように張り巡らされた結界魔術により、侵略行為と敵兵の侵入とを防いできた。
だが、その国防の在り方には力ある魔導士の犠牲がつきものであった。
国境周辺の国防を一手に担う『塔の魔女』の存在は他国より脅威と見做され、魔女個人の生命が狙われるようになったのは予測された現実でもあった。
特にライザタニアとの国境を守る『東の塔の魔女』の身は、常に危険に晒されてきた。魔女を守る為ーー延いては国を守る為と称してに置かれた『塔の騎士団』には五百余名の騎士が在籍し、常時『塔の魔女』と国境線とを守護している。だがその甲斐なく、この春、三年前の悪夢を繰り返す事となる。隣国ライザタニアの工作員により魔女が拐われてしまったのだ。
『五百余名もの騎士がいてこの様とは!』
『なんと不甲斐ないことか!』
『騎士団とは名ばかりではないか!』
自国内に於いて、そのような憤りを持つ者は少なくはない。寧ろ、騎士に近しい者たちは殊更に『塔の騎士団』を責めた。近衛騎士団に次ぐ実力者集団と呼ばれる『塔の騎士団』は、騎士を志す貴族子弟たちからは注目の集団。入団には厳しい試験を合格しなければならない。にも関わらず、『東の塔』を守護すべき騎士たちは惨敗した。過去二度も、守るべき魔女を守り切れなかったのだ。
不祥事を起こせば不振の目で見られるのは仕方ない事であり、この場に集まる若者たちもまた騎士団に絶望した者たちであったーー……。
ーザザザザザザザ……ー
風をきり、草木をかき分け、その集団は暗闇を突き進む。無駄口を叩く者はなく、ただただ正面を真っ直ぐ東へと駆け征く。
胸に秘めるは国への忠誠心である。そう疑いもなく信じる若者たちの瞳には一条の光が浮かぶ。人はソレを野心と呼ぶ。
『同志諸君、この国をどう思う?』
集められた若者たちは先ずこう問われた。
肥沃な大地と海を狙う周辺諸国。恒久とは名ばかり平和。貴族ばかりが優遇される法治制度。そのどこが『豊かな国』なのだ、と……。
『戦争反対を叫び中立を建前に他国からの蛮行に見て見ぬふりをするなど、とても良策とは呼べぬ。国の名と誇りを汚す愚策であろう』
『我が国の貴族官僚共は常に中央にあって一向に外へは出向こうとはせぬ。国境線で起こる諍いなど関係ないとばかりに、まるで観劇を観覧するかの如き態度には呆れるばかりだ』
『戦争とは政治に於ける最終手段。戦争を行う前には外交で相対さずして、それでどうして政治家といえようか!』
力強い言葉の数々。反論などできず、それどころか同意するべき言葉の数々に若者たちは喉を鳴らす。自分たちを集めたのは長年国の重鎮にあった大貴族であり、政界に於いては百戦錬磨の貴族官僚。そのような大物が身の内にある『想い』を自分たちのような若者に語って聞かせている。それも、自分たちを『同志』と呼んで肩を並べているのだ。
『真に忠誠心あるからば立ち上がれ!その手に剣持ちて我に続け!』
『胸に正義を。瞳に熱意を。拳に誇りを!』
『立ち上がれ、真の勇者たちよ!』
お前たちこそが真の勇者なのだ。『塔の騎士団』とは名ばかりの貴族子弟の集団など、ただのお飾りでしかない。税金対策のハリボテ集団なのだ。国が真に必要としているのは、確かな実力と忠誠心とを持つお前たちなのだ。
そう語りかけられた若者たちの瞳は、徐々に熱を帯びていく。体内を流れる血潮が沸騰しそうな程に熱く、熱く、燃える……!
『隣国の蛮行をこのまま見過ごせはせぬ!』
『最早、国の政策になど任せてはおけぬ!』
『我々の手で魔導国家としての誇りを取り戻そうではないか!』
真に忠誠心ある騎士ならば我に続け。そう導かれた若者たちは、『我こそが真の騎士、いや勇者だ』とばかりに剣を掲げ疾走する。他国の工作員に度々してやられる『塔の騎士団』になどよりも、自分たちの方がずっと優秀であるのだ。そう信じてーーーー
若者たちは先導者からの指令を受けて密かにアルカードへ集結した。役人に金を掴ませ、秘密裏にアルカード領内へ侵入し、陽が落ちるのを待って行動を開始したのだ。
向かう先は蛮国、軍事国家。
これまでライザタニアからの一方的な侵略行為は、数えるのもバカらしい回数になっている。しかし、どれ程ライザタニアから攻め込まれようとも、システィナからライザタニアに攻め込んだ事は、一度としてない。だからであろうか。ライザタニアはシスティナの行動を弱腰と見下し始めたようであった。
自国を貶められて怒りを抱かぬ者などいないように、若者たちもまた一システィナ貴族として、騎士として、自国を見下す隣国を許す事など出来はしなかった。
ーザザァッー
若者たちは先導者の合図を受けて森を出る手前で一斉に停止した。システィナとライザタニアとの東の国境は山と山との隙間ーー深い谷間にあり、システィナ側に至っては深い森の先にあった。
森を抜ければそこは砂の原。見渡す限り白い砂の大地が広がっており、月の光を浴びて夜の大海原のような幻想的な美しさを現している。
国境線だからと特別領土を区切るような物は存在しない。現在戦時中である為に、入国施設や関所の類は取り払われているのだ。だが、その代わりに両国が互いの動向を見張る為、彼方此方に砦を設ているが、いま若者たちが隠れている場所は地形的に複雑で、唯一人員も手薄となっている地域であった。
先頭に立つ壮年男性は黒いマントの隙間から真白の手袋で覆われた手を出すと、若者たちの先導を走っていた一人の青年を名指しした。青年は使命を受けるや否や馬を降り、壮年男性の前で跪くと胸に手を当てて恭しく頭を下げた。名誉にも、敵領土への侵攻の一番手を任されたのだ。顔を上げた青年の顔は目に見えて興奮していたのはそれゆえ。
青年は壮年男性からの視線を受けて顎を引くと、長剣の柄を握る手に力を込め、壮年男性の指差した先へと身体を向けた。そして、胸に秘めた炎の熱に押し出されたように、青年は剣を片手に駆け出した。ーーがしかし、その勢いは長くは保たなかった。青年の身体が森を抜ける前に見えざる壁にぶつかり、派手に地面へと転がったのだ。
ーバチンッ!ー
静電気が起きた時のような音ーーそれも数十倍の大きさにした音は、夜空に木霊した。
青年のすぐ後について走り出していた若者たちは、すぐ側に転がった青年の姿に驚愕し、次いで、目の前の空間に忙しなく視線を奔らせた。一体何が起こったのかが俄に理解できず、それまで無言の進軍を貫いてきた若者たちも、流石に胸中を騒つかせたその時、何処からともなく笑い声が響いてきた。
「見事なものでしょう?」
「ーー!」
「この結界は外側からの攻撃だけでなく内側からの攻撃にも耐え得る。いやぁ〜〜実によく創られておりますな!」
「ルーデルス団長……」
「おや、その様子ではご存知なかったのですな?」
ザクリ、ザクリ、と草木を踏み分けて姿を現した大男は、その口元に満面の笑みを浮かべていた。この場の雰囲気に全くそぐわぬその表情に、集まった若者たちは皆、苦々しく眉間にシワを寄せた。しかし、当の大男ーー『東の塔の騎士団』団長たるルーデルスは朗らかな笑みを絶やさぬまま、驚愕に身体を硬らせた若者たちを前に語って聞かせた。
「随分前になりますが、我が隊の血気盛んな若手が向こうの挑発にのりましてね。単騎で突っ込んで行った事があるのですよ。そうです!ご想像の通り、その若手は向こう側へ行く前にも弾き飛ばされました。ーーほら、ちょうどあの若者のようにね……」
指差された先にあるのは、先程派手に転がった青年だ。青年はよっぽど打ちどころが悪かったのか、白目を向いて倒れている。
「ハハハ、あれは痛いですぞぉ!暫くは起き上がれまい。実は、かく云う私も体験済みでしてね。結界の性質を知らねば対策の取りようもありませんからな。だからこそ、試しに突っ込んでみたのですが……いやぁ、あれは堪えましたぞ!弾かれた拍子、雷に打たれたような衝撃を受け、暫くまともに立ち上がる事も困難で……信じられない?ならば、ご自身で一度、試してみられては如何か?」
ルーデルス団長の視線は若者たちを通り越し、黒いマントを纏う一人の壮年男性へと齎された。ルーデルス団長と壮年男性とは暫く向かい合ったまま、言葉も発せずに視線のみをやり合った。
数十といる人間たちの小さな呼吸音、ホーホーと梟の鳴く声音と、カサカサと夜風に揺れる木々の騒めきだけが周囲を包む。
「何故……?」
先にその沈黙を破り言葉を発したのはルーデルス団長ではなく、壮年男性の方であった。
「何故?何故とは『何』を指しておられますかな?私がこの場にいる事について?それとも、他国への無断侵入を目的とした反乱分子の動向を察知していた事について……?」
ルーデルス団長は自身の質問について『我ながら意地悪かも知れないな』とも思い、フッと鼻から息を吐くと肩を竦めた。眼前の男性の持つ聡明さがあれば、自身に『何故』などと問わなくとも、冷静さを取り戻せば自ずから答えを出せるに違いないのだから。
「前者なら私の口からワザワザ答えずとも判りましょう?此処はアルカード、それもライザタニアとの国境線ですぞ?国境線は我々『塔の騎士団』の管轄下にある。その周囲で何らかの不穏な動きがあれば、嫌でも気づく次第でありまして……」
ルーデルス団長は壮年男性からの鋭い視線を受け嗚呼と間延びした声を上げると、コホンとワザとらしい咳をして意気を取り戻した。
「後者はーーそうですなぁ……蛇の道は蛇と申しましょうか?家出息子も一人や二人ならば見逃されましょうが、それが複数人ともなれば……」
ここに在る若者たちは皆、貴族の子弟たちだ。平民からは勘違いされがちだが、貴族の子弟は何も遊んで暮らしている者ばかりではない。各々は己が家を存続させる為、そして、自己の未来の為に己に課せられた役割や仕事に従事している。
この国では、六歳から十二歳までが幼年学校へ入る義務があり、十三歳から十八歳までが学園へと入学する。学園には中等部と高等部とに分かれている。そのどちらも義務教育ではないが、大概の者がエスカレートに進む事が多い。中には高等部へ上がる代わりに騎士養成学校や魔導士養成施設へ入学する者もいる。それぞれが各々の進路に併せて進学を決めるのだ。
成人後王宮の官吏として入庁するも、騎士として騎士団に入国するも……どれもが試験に合格して初めてなれる職業であり、自身の未来設計を立てるにしても、未来を見据えた行動をしなければならない。貴族の子弟が誰しも爵位を継げる筈もなく、各々が努力し、身の生計を立てなければならないのだ。
しかし、此処に集う若者たちは自身に課せられた仕事を放棄し、己が感情のままに行動した。当然、その行動を心から支援する親は少ない。中には息子の熱意を支援ーーいや、利用して、ライザタニア侵攻を後押しした親もいるだろう。だが、大半の親は息子の身勝手な行動に関して懐疑的だ。何故ならば、自身が持つ爵位と身分、そして領土の維持ーーつまり、一族の繁栄は一朝一夕とはいかないからである。
貴族は爵位を維持する為に、国にその身分に相応しいと思われるような活躍を見せなければならない。コツコツと積み重ねた評価。それが今日を形造る。
ならば、その逆の行動を取ったならばどうであろうか。
貴族は一つのミスで転落の人生を歩む事になる。しかも、自身の罪は親のーー延いては家の罪なのだ。自身に課せられた役割を放り出し、無断で屋敷を抜け出したドラ息子に対して、親がどのような感情を抱くかは、想像に難くない。
ルーデルス団長から「親御殿が心配しておられますぞ?」との言葉を掛けられた若者たちは、揃って顔を青くさせた。団長の言は真実のものであり、既に、各機関から消えた若者たちの噂が王都をはじめ、各地から寄せられ始めていた。
「我々は、マークされていたのか……?」
「ご名答です、閣下。貴殿ほどの大物が動いたのです。否応にも視線で追わざるを得なくなります」
「中央には私の支持者も多い。そして、このアルカードにも……」
「ええ、勿論存じております。ですが閣下……だからこそなのですよ」
ルーデルス団長はその顔から笑みを消した。そして現状に嘆いた。『残念でならない』と。『何故』と問いたいのは、寧ろルーデルス団長の方であった。
相対する壮年男性は、団長にとって尊敬して止まない人物であった。指導を受け、背を預け合い、命令に従事したかつての上官ーーバークレー侯爵の姿を視界に捕えたルーデルス団長の心中は、渦巻いていた。
「アルカード争乱終息せぬこの機に便乗して反乱を起こす者が出る事は予測されいた。そうでなくとも争いの芽はソコラカシコに転がっておりますからな。ですが、この度の強行軍は王宮をーーいや、陛下からの反感が予測できる荒事に他ならない。加えて、反乱を決起できる強者など、そう数はおりませんからな」
ルーデルス団長はこの場に集まる者たちを総じて強者と称した。『強者』とは心に揺るがぬ信念を抱く『兵』の事だ。
国の誇りを守る為とはいえ、このような少数で国境を越えるなど自殺行為。魔法や魔術、そのどちらもそれほど発達してはいないが、システィナから取り入れた魔宝具を軍事転用し、人を傷つける行為に特化させた道具を扱う軍隊有する隣国ライザタニアは、後進国とは言い難い。国境を守る兵たちはそれこそ強者ばかり。バークレー侯爵に集められた強行軍も流石に無策の進軍ではないとは思うが、数の上でもこちらを上回るライザタニア西方軍相手に勝利を得る事は、困難に違いない。まして全軍を相手取る事など……。
にも関わらず、彼らは自らの生命を賭して敵国への侵攻を決めた。しかも、国からの支援なく、全くの独断で。そんな彼らを『強者』と呼ばず何といおうか。
「ですが、まさか……まさか、閣下ほどのお方が自ら陣頭指揮にお立ちになるとは……」
「ほぅ、意外か?」
「いいえ。むしろ閣下が他者の後ろに隠れてコソコソと指示を出す方が異様に思えますな。やるならば堂々と!信念を抱き、胸に掲げた正義を貫かれる。それが閣下、貴方様のやり方ではありませんか?」
ルーデルス団長が『意外』と感じたのは、バークレー侯爵自身が陣頭指揮を執って侵攻する事に対してではない。バークレー侯爵ほどの賢者がワザワザこの時期を選んで隣国への侵攻を決めた事に対してだった。有り体に言えば『時期が悪い』の一言に尽きる。
アルカードはライザタニアからの夜間襲撃を受けて間もない。その折に『塔の魔女』を人質に囚われたまま一月を超えた。国も重い腰を上げて、国境軍の強化に乗り出している。その陣頭には王太子ウィリアム殿下まで立てて。時世的に見てもアルカードは注目の的なのだ。普段、他領に然程の興味もない貴族まで、アルカードの動向を見張っている程に。
そんな時期にも関わらずバークレー侯爵は動いた。バークレー侯爵とは古い知己でもあるルーデルス団長としては、『一番悪い時期を敢えて選んだのではないか』と勘ぐってしまいそうになっていた。
ーいや、このカンは当たりかも知れんなー
ルーデルス団長によるバークレー侯爵個人の評価は高い。かつての上官だからと贔屓目に見ている訳ではない。バークレー侯爵を知る者ならば、誰もが彼を有能な官吏だと判断するに違いないのだ。それ程に、バークレー侯爵とは堅実で有能な人物であった。
お読み頂きましてありがとうございます(*`▽´*)
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裏舞台15『紙一重の正義1』をお送りしました。
闇夜に紛れて隣国ライザタニアへ進軍しようとした集団。強行軍を指揮先導していたのは、元軍務省長官バークレー侯爵でした。
侯爵は前『東の塔の魔女』を母に持つシスティナきっての有力貴族。そんな侯爵がなぜ、このような強行策に出たのでしょうか……?
次話『紙一重の正義2』も是非ご覧ください!




