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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と狂気の王子(上)
352/500

『我が華、手折る事なかれ』

 息苦しさに悶え息を吸い込めば、途端、大量の空気が気道を通過した。ごほごほと咳き込めば、喉奥がチリチリとした痛みを孕んだ。やっとの思いで悪夢から目覚める事ができたアーリアは、未だ脳裏にこびりつく闇を振り払った。

 しかし、未だ脳裏にはありありと悪夢の光景が映し出されており、いくら頭を触れども消えてはなくならない。壊れた人形が横たわる研究所、暗い闇に浮かぶ男の顔、眠る赤い髪の少女……それら全て、己が瞳が映した事のない光景ばかりであるにも関わらず、ハッキリと浮かび上がる。


「大丈夫。あれは夢、夢だから……」


 半身を起こせば、首筋から背中に流れる汗がアーリアを現実に引き戻してくれた。アーリアは今いる場所が現実である事を意識しながら、まるで暗示をかけるように「大丈夫」を繰り返す。すると、暗示が効き始めたのか、次第に早鐘のように打つ心臓が、そして逸る息が落ち着き緩始めた。ーーがその時、ドンッと天を劈く咆哮が轟いた。


「やっーー!」


 窓の外に眩い光が奔り、室内を明るく照らした。次いでザァァァと空から多量の水滴が地面を叩くように降り注ぐ。

 まるで天の神が地上に鉄槌を下したかのような咆哮は雨音に混じり、数度に渡り続いた。アーリアはそれら恐怖から自身を守るように目を閉じ耳を塞ぎ顔を膝に埋めたが、その程度では轟音と光を完璧に遮る事はできない。目を閉じれば悪夢が蘇るように思え、今度は目を瞑る事さえ叶わず、この時が過ぎるのをただ震えている事しかできなかった。


『なんの能力もないだと⁉︎』


 悪夢は闇を媒介にして男の姿を形づくると、雷鳴を背景にアーリアを罵り、怨嗟の言葉を吐き、足蹴にしながら頻りに責め立てる。その怨嗟の声は、忽ちアーリアの心を縛り上げた。イヤイヤと首を触れども、その男はアーリアの前から消えてなくならず、それどころか威圧は増すばかり。


『なぜお前はそんなにも未完成で生まれたのだ?』

『失敗作の出来損ないが!』

『不良品など必要ない』


 男が叫ぶ。狂ったように。

 心が叫ぶ。祈るように。


『役目も果たせぬお前に、帰る場所などない』


 頭を、身体を押さえつける重圧。無情な呪禁の雨。永遠にも感じられる苦痛の時間。雷雨はいつまでも鳴り止まないかに思えた。が、しかしーー


「ーーどうした?灯もつけずに」


 怨嗟の呪いにアーリアの心が悲鳴を上げたその時だった。パッと室内に明かりが灯ると震える背に言葉がかけられた。


「シュバルツェ、殿下……?もう、お帰りに……」

「ああ、愚者バカ共の質疑応答に飽きてな」

「そう、ですか……」


 暗闇の中でソファに座り蹲るアーリアを訝しむシュバルツェ殿下ではあったが、一つ、首を傾げただけであった。


「やはり降ってきたな……」


 シュバルツェ殿下はアーリアの側を通り過ぎると、窓際へ行き、薄いカーテンの隙間から窓の外をその金の瞳で眺めた。するとまた、ゴロゴロと遠くから雷鳴が近寄り始め、光がピカッと瞬いたと思うと、ドンッと強い音が地面を揺らした。瞬間、アーリアは喉奥をヒッと鳴らし、瞳をキツく閉じた。瞬く間に広がる悪夢にアーリアは息を飲む。


「……ん?どうした?」


 小さな悲鳴を聞き取ったシュバルツェ殿下が振り返れば、そこには両手で耳を塞ぎ、蹲るアーリアの姿があった。真白の髪が地面につくほど垂れ下がり、小さな身体は目に見えるほど震えている。己の前では常に気丈に振る舞う少女のその姿に、シュバルツェ殿下は唖然とした。


「ひっ……あ、はっ、あっ……わた、わた、わたし、だれ……は、あな、い、いや、すてる……」

「おい……?」

「はっ、はっ、い、あ、ひと、ひとり、し、し……」

「おい!どうした?」

「あ、あ、あな、あ……こ、こわ、も、いや……」


 アーリアの尋常ではないその様子に、シュバルツェ殿下は眉を顰めた。すぐに駆け寄り肩に手を置けば、アーリアは身体をガタガタと震わせ、血の気の引いた真っ青な顔で何事かを呟いている。紫の唇から漏れ出る言葉。「捨てないで」「お役に立つから」「お側において」。意味不明な言葉を羅列。

 シュバルツェ殿下はアーリアの正面で跪くと、アーリアの肩を掴み、強引に身体を起こす。

 漸く見えたアーリアの表情は焦燥感で満ちていた。まるで絶望の淵に立たされたように。まるで何もかもーー世界からも見放されたように。


「おい、しっかりしろ!」


 シュバルツェ殿下はアーリアを何とか正気に戻させようと肩を強く揺さぶった。するとそれまで狂人のように何事か呟いていた口がピタリと閉じた。虹色の瞳が黄金の瞳を真っ直ぐ捉えた。唇が開く。壊れた玩具の人形のような声が紡がれる。


「アナタモワタシヲステルノ?」


 目を見開くシュバルツェ殿下。暫く、空間が時間を刻むのを忘れたかのような静寂に包まれた。しかし、その間も僅かしか続かず、静寂を切り裂くように再び雷鳴が轟いた。


「ーー息をしろ!」


 懇願にも似た叫び声は、雷鳴の音を消し去った。

 シュバルツェ殿下は目を開いたまま気を失ったアーリアの頬を叩くと、今度は意識を戻したアーリアの背を何度も何度も摩った。


「ゆっくりと吸って、そう、焦らずに……吐く……そうだ」


 背を摩り、肩を摩り、頭を撫でながら、シュバルツェ殿下はアーリアを強引に現実へと引き戻した。


「しゅ……?」

「元に戻ったか?」

「え……?」

「気分は?」

「ご、ごめんなさい。わた、わたし……?」


 ヒューヒューと細い息を繰り返すアーリアは、瞼に涙を溜めたままシュバルツェ殿下を見上げる。ポロリと溢れ落ちる滴。頬に指を這わしたアーリアは、それまでが何だったのかと思うほど普段通りの表情で首を傾げる。そのまるで記憶がスコンと抜け落ちたかと思える様子に、シュバルツェ殿下は眉を寄せる。


「あの、どうかしましたか?」

「……覚えてないのか?」

「え?何が……?」


 アーリアは必死の形相で自身を見つめるシュバルツェ殿下の表情に疑問を思えど、問い詰められる覚えがなく意味が分からずにいた。それどころか『この王子ひと、こんな表情もできるんだ?』などと、シュバルツェ殿下の顔をボンヤリと見上げている始末。

 シュバルツェ殿下もアーリアのその様子に何事か感じ取り、深く追求はしなかった。追求すれば、再びあの状態に戻るのではとの考えが過ぎった所為でもあったが。


「いや、何でもない」

「そうですか?」


 シュバルツェ殿下はアーリアの瞳から流れ出た滴を人差し指で拭うと、サッと立ち上がった。ハッと背中でつかれた息には、深い焦燥感が滲む。その思ったよりも逞しい背を見つめていたアーリアの手が独りでに動き、離れゆくシュバルツェ殿下の袖口を掴み、更には口が独りでに呟きを漏らしていた。


「もう、必要ないのでしょう?」

「……何がだ?」

「殿下にはもう、システィナの魔女なんて必要ないのではありませんか?だったら……」

「だったら、どうだと言うのだ?」

「必要ないなら、もう、どこかに捨ててください」


 神への懺悔か、はたまた、悪魔への懇願か。アーリアの言葉は本心から己を捨てて欲しいとは願っていないように見えた。ともすれば、微風で消えてしまいそうな蝋燭の炎のような、今にも溶けて消えそうな氷のようなアーリアの表情に、シュバルツェ殿下は拳を握った。


「馬鹿を申すな。お前は大事な人質だ。システィナとエステル、双方に脅しをかける為の人質なのだ。捨てる筈がなかろう?」 


 語気を強めた言葉。宣言。本来、捕虜の立場なら絶望を覚えてならない通告にも関わらず、アーリアはホッと息を吐くとやんわりと微笑み、「そう……」と安堵の表情を浮かべた。



 ※※※※※※※※※※


 ※(シュバルツェ殿下視点)



 あれ以来、アーリアは時折発作のような症状が起きる事がある。そしてそれは須く雷雨の日であった。

 考えるまでもない。これまでの負荷が重なり、知らぬ内に少しずつ精神が壊れ始めているのだろう。元々の心労もあったとも考えられるが、アーリアが此処へ来てから悪化したかのようにも思えた。


「『我が華、手折るべからず』か……」


 手の中にある手紙は、エステル帝国皇太子から第二王子わたし宛に届けられた新書であった。良質な紙に一言のみ記された簡素極まる文書。その一文には魔女を気遣う想いが多分に込められていた。かの帝国の皇太子らしい硬く威圧的な筆跡からは考えられないような内容。あの精霊至上主義の帝国その皇太子が、唯一人の女の為にしたためた言葉が、そこにあった。


「えらく丸くなったものだな?ユークリウス」


 如何にも大帝国の皇太子らしく威圧を振りまく男の顔を思い出すなり、知らず笑みが漏れた。

 カサリと手元の紙を捲る。そして裏面に魔力を込めた指先を這わせば、ほどなくして淡く文字が浮かび上がってきた。


『シュバルツェ、お前にマトモな判断力が残っている事を期待して、これを綴る』


 表面と同じく、顔に似合わず几帳面な文字で書かれたそれは、間違いなく、皇太子ユークリウスの筆跡であった。エステル帝国皇太子から送られた『我が華、手折るべからず』との新書には、続きがあったのだ。


『彼女は真に精霊に愛されし者だ。それを忘れてくれるな。精霊は彼女を愛するが故に、とんでもない事態を引き起こす可能性がある。それは彼女を慮っての行動であるにも関わらず、彼女にとっては不幸な状況になるに違いないのだ。だからこそ、彼女には呪を施してある。そう、あの腕輪だ。腕輪には精霊からの作用を抑える効果がある。外せば、精霊の過干渉が引き起こされ、果ては世界が破滅する事態が起こるだろう。願わくば、お前の狂気が発動しないことをーー……』


 世界の破滅とは大きく出たものだ。そう思えど、ワザワザ新書の裏に隠し綴るには過ぎる内容。事実を盛っている可能性こそあれど、全て嘘だとは言い切れない。


『シュバルツェ、どうか彼女を頼む』


 最後を締め括る言葉は、彼の皇太子には余程似つかわしくない懇願。『傷つけないでくれ』とも『守ってくれ』とも取れる言葉に、何とも言えない想いが胸の奥から湧き出してくる。


「言われずとも、あの者は私の大切なコマだ。壊すワケがなかろうが?」


 新書の向こうに憮然と佇む青年が見えた気がした。




「ーーどうした?灯りもつけずに」


 図らずもあの時と同じ言葉をかけた。しくじったかと眉を潜めるが、中に佇む人影からは何の反応もなく終わる。訝しみ暗い部屋を歩めば、静間にポツンと佇む魔女が窓の向こうーー沈みゆくオレンジ色の太陽をぼんやりと見つめていた。

 特段、気配を消して近寄っている訳ではない。普通なら、自身へと近づく人間どうぶつの気配に少なからず反応する筈だが、魔女は微動だにせずにいる。


 ーまた、あの発作だろうか?ー


 嫌な予感が脳裏を過ぎるが、晴れた空に沈む太陽を視界に収めると、すぐにそうではないと結論づけた。


「どうした、具合でも悪いのか?」


 気遣いつつ魔女の側まで近寄れば、魔女は音もなく涙を流していた。右目のみから流れる涙は、本人の意思とは関係なく湧き出ている様子。当人は泣いている意識もないのかも知れない。

 七色を湛える瞳の揺らめきに魅入られたかのようにじっと見つめれば、魔女はキョトンと首を傾げたものの、やはり此方をじっと見つめ返してきた。

 自然に伸びる左手。親指の腹で魔女の下瞼をなぞり涙を拭うと、そのまま頬に手を添え顎を掬い、その小さな蕾に己の唇を重ねた。すると、魔女からはンっと小さな息こそ漏れるが、何の抵抗もなく受け入れられてしまう。

 暫くその甘やか感触を味わい、名残惜しげに唇を離せば、魔女はポカンとした表情で私の顔を凝視していた。


「なぜ?」

「さてな」


 自分でも何故なにゆえの行動なのか分からないのだから答えようがない。己が起こした不可解な行動に溜息を零しつつ白い絹の如き髪を一房掬えば、そこへまた唇を落とした。オパールの瞳が私の行動、その全てをつぶさに観察している。


「お前は大切な人質、我から逃げられるとはゆめ夢思わぬ事だ」


 細い金の腕輪が嵌る細い左手首を掬い取り、執着心もあらわに手首の内側へと唇を落とせば、魔女の瞳がゆっくりと見開かれてゆき、そしてーー……


「ええ。私もまだ、殿下にギャフンと言わせてないから……!」


 と宣った。何処か挑発的な笑みすら浮かべて……




お読み頂きまして、ありがとうございます!

ブックマーク登録、感想、評価など、本当にありがとうございます!励みになります(*'▽'*)


『我が華、手折る事なかれ』をお送りしました。

大帝国エステルからライザタニアへと密かに送られた新書。皇太子ユークリウス殿下から第二王子シュバルツェ殿下へと送られた新書には『続き』がありました。

軍務長官や将軍たちが論じた『表向きの内容』とは異なる真意。一般的にはシスティナより拐われた魔女を慮る内容であろう新書に、シュバルツェ殿下は……?


次話も是非ご覧ください!

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