いつもどこか世界の片隅で……
※残酷描写あり。
※(奴隷少年マルス視点)
迅る息。溢れ出す汗。明滅する視界。脳内を埋め尽くす恐怖。足がもつれ、足裏が土を掴み損ねる。何かに躓きドチャッと顔から地面に倒れる。口の中に泥が入り、唾と共に吐き出す。
「助けてくれっ……!」
どうすりゃこの苦痛から逃れられる?
どうすりゃこの生活から逃れられる?
どうすりゃこの地獄から逃れられる?
「イヤだイヤだイヤだイヤだ」
言われた事を言われたように熟していれば良いんじゃなかったのか?
言われた通りにすれば良いんじゃなかったのか?
「誰かっ……!」
主人の命令に忠実であれば、それだけで良かったはずだ。主人の願いを聞いてさえいれば、食べる物も、眠る場所も、幸せすら与えられたんだ。主人の願いを聞いてさえいれば、それでーー……
ーなら、コレは何なんだ!?ー
血を埋め尽くす屍の山。全部が全部、今朝まで同じ屋根の下で寝て食べて暮らしていた同輩たち。さっきまで同じ空を見上げていた者たちなんだ。それが今やどうだ。みんな、地を舐め土に平伏し腹から臓物を撒き散らして死んでいる。みんな、その目に淀んだ空の色を写している。何も語らぬ屍と成り果てているんだ。
『我々は王宮を奪還すべく王都へ赴く!祖国の荒廃を見て見ぬ振りをするはライザタニア国民に非ず。祖国を愛する者たちよ、我に続け!忠誠を捧げろ!』
主人の言葉に咆哮を挙げ、手にした槍を掲げたのはつい先刻のこと。それから半日と経たず、所属していた隊は殲滅させられかけている。いや、全滅まであと少しといったところ。辛うじて生き残った俺たち残兵を殺せば完了、完遂になる見通しだろう。
「こ、殺されちまう……⁉︎」
既に自軍の隊長の姿は見えず、今や散り散りとなった兵士たち。軍団としての纏まりは失われ、敵の勝利は確実だと分かりきっているけど、後顧の憂いを晴らす為の殲滅戦が行われる可能性とてあるんだ。こうして敵兵から逃げ延び、木の影に身を隠している現状だけど、何時迄もこの状態でいられる保証なんてない。
『そりゃお前、先導されてんだろ?』
こんな時になって思い出すのは、アイツの言葉だ。一寸前に出会った異国の行商人、その小間使いとして旅に同行していた少年。リンクとか言う名前の小生意気なガキ。まだそばかすも消えてないリンクは俺よりも年下のクセしてメチャクチャ生意気で、それでいてメチャクチャ自分の言葉をしっかり持っていた。
リンクは行商人の義兄弟についてエステル帝国からライザタニアに来たって話だったけど、本当はどこの人間か知れた事じゃなかった。顔立ちはライザタニアのそれだった。けど、考え方はライザタニアのそれじゃなかった。
それに、同世代のガキは周りに沢山いたけど、リンクのような子どもは初めてだった。だって、リンクは奴隷じゃなかったんだから。
『でさ、平民ってどういう感覚?仕事自体は俺らと変わらないみたいだけど……?』
『どうって言われても……俺はこの仕事、好きでしてるコトだからさ』
『好きで……?仕事を、か……?』
初めは本当に興味本位だった。同じ年頃の、同じ背丈の、同じ赤髪の……自分となんら変わらないように見える俺たちには決定的な違いがあった。『身分』だ。
俺は奴隷で、アイツは平民。同じ内容の仕事をしていても、貰える給金も、与えられる食事も、寝床も、衣服すらも違う。その全てが『身分の違い』から生じている。
俺は自分の置かれた境遇ーー奴隷という身分に不満を感じた事なんて、これまで一度もなかった。だけど同じような境遇に見えて全く違うリンクを見た時、得体も知れない思いが胸の底から溢れて来た。だから、わざわざ仕事の合間を縫って、リンクに接触した。
『へぇ……自分で仕事を見つけなきゃなんないのか?不便だな、平民って』
『そーか?仕事って、そういうモンだろ?』
『奴隷たちはそうじゃない。言われた仕事をこなせばそんだけでメシが食える』
『ノルマさえこなせば良いってか?』
『そ。楽だろ?』
『俺はそうは思わないけど?』
『俺は今の生活に不満はねぇよ』
仕事に好きも嫌いもあるかよ。なのに、リンクは行商人の小間使いという仕事は自分自身で選んだものであり、しかもその仕事を好きでやっていると言った。
リンクの言葉に俺は、つくづく平民とは不便な身分だと思った。今日のメシにありつく為に仕事を探し、あくせく働かなきゃならないんだから。
その点、奴隷は楽だ。主人に忠実でさえあれば、あくせく働かなくてもメシが食える。寝床も与えられる。衣食住が保証されるんだ。極論、やる事さえやってりゃ良い。そりゃ、自由な時間ってのはあんまりないけど、俺は自分が奴隷である事に不満なんて持っちゃいない。
『そういやさ。お前、商人の小間使いなんだから、ライザタニア以外の国にも行ったことあるんだろう?』
奴隷という身分と自分の置かれた状況に不満はないけど、まだ見ぬ世界には興味がある。平民としいう身分のリンクにも、そしてライザタニア以外の国にも。
特に最近は、隣国システィナには興味が惹かれていた。
システィナはライザタニアの西隣の国で、それはそれは豊かな国らしい。西は海が開けていて魚介類が沢山獲れるそうだ。他国との貿易も盛んで、見た事もない美味い食材も流通しているってハナシ。それに、気候が安定しているから作物も獲れる。畜産業にも取り組んでいるらしい。
ーそんなに豊かな国をライザタニアの物にできたら、良いと思わないか?ー
俺が生まれるよりずっと前、ずっと昔から、ライザタニアはシスティナを自国の領土にしようと狙っている。システィナを自分たちの領土にしちまえば、システィナの持つ富はライザタニアのモノになるからだ。
『欲しいなら奪え』ってのは、遊牧民時代からの名残らしく、ライザタニアにとって他国侵略に罪悪感なんて、これっぽっちもナイ。そうして、俺の故郷も奪われたんだから。
『システィナってどうだ、行ったことある?なんか、すげーヤバイ魔女がいるんだろ?ライザタニアの生活が豊かにならねぇのはその魔女のせいだってな』
システィナには魔術を発明した魔導士たちが大勢いる。魔術の込められた道具ーー魔宝具を作ったのも魔導士らしい。魔宝具とは魔法や魔術の心得がない人でも使える便利な道具で、そのいくつかはライザタニアにも入ってきていると聞く。けど、その殆どが戦争の道具になっていて、俺自身は見た事も触った事もない。だけど、そんな魔宝具よりも有名なのが、『システィナの東の魔女』と呼ばれる魔導士だ。
『どうした?何怒ってんだ?お前』
『別に……。それより何だよ、そのウワサ』
リンクは別にと言う割に、明らかに機嫌が悪くなっていた。その理由が分からないまま、俺は僅かに首を傾げただけで話を戻した。
『システィナを得ればライザタニアはもっと豊かになる。あっちには港がーー海があるんだろ?海には湖にはいない魚が沢山いるって聞くし、食べる物にも不自由しないってさ。それに貿易?っての?商売がもっと盛んにできるようになるとも聞いた。なのに、その邪魔をしてるのが【システィナの東の魔女】だってハナシさ。魔女が国境に変な魔術をかけちまったから、国境を跨げなくなっちまったんだ。な?悪魔のような魔女だろ?』
リンクの適当な相槌を聞きながら、俺は最後にこう締めくくった。
『魔女さえいなけりゃ、ライザタニアはもっと豊かになんのにさっ』
そう言い切った俺は、正面にあるリンクの顔を見てドキリと心臓を跳ねさせた。いつの間にかリンクの纏う空気が変わっていたんだ。
『お前、ソレ、本気で言ってんの?』
ハ?とマヌケな声が口から漏れた。今思えば、完全にリンクの気迫に飲まれていたんだと思う。あの時のリンクは、ライザタニア人特有の瞳ーー亜人の目になっていた。瞳孔が獣のように縦に広がっている。その獣の瞳で、リンクは俺を睨み付けてきた。
『魔女は何の為に国境に魔術をーー《結界》を施してると思う?』
『そりゃ、俺らの邪魔する為だろ?』
『違う。魔女は国境に《結界》を張って、国民を守ってるんだ』
ナゼ、リンクが怒っているのか、ナゼ、俺が責められているのか、何が何だか分からずにポカンと口を開けていると、リンクはハァと溜息一つ、まるで小さな子どもに言い聞かせるように話し始めた。
『お前はーーライザタニアは【システィナを手にすれば国は豊かになる】って言うけどさ。ライザタニアに攻め滅ぼされたシスティナはどうなるんだ?』
『戦争だぜ?負けりゃ属国になるに決まってる。マルヤムもそうだったんだから……』
『だな。戦争だからな。勝てば富を得て、負ければ辛酸を飲む。こんなコトは子どもでも分かる。なら、システィナはライザタニアに攻め滅ぼされるのをジッと待たなきゃなんないハズはねぇよな?』
『ーーアッ!』
『そうだよ……。だから魔女は国をーーシスティナを守ってるんだ。システィナに住む人たちを傷つけさせない為に……』
リンクに諭されるまで、俺は自分目線の話しか考えてこなかった。ライザタニアから見れば魔女は自分たちの侵攻を邪魔する悪者だ。だけと、システィナから見れば魔女は自国を守る賢者なんだ。だからリンクは『なんで魔女はライザタニアの邪魔をするんだ』という俺の言葉にキレた。
『マルスお前、魔女がいなけりゃ国が豊かになるなんて絵空事、本当に信じてんのか?』
溜息混じりに聞いてくるリンクの顔には、呆れたモノを見るような表情が浮かんでいた。俺の方が年上なのに、リンクの方がずっと年上に見えた。
『えっ……だって、大人たちがそう言ってたし……。それに!国王様がそう仰ったって俺は聞いたぞ?国王様のお言葉にウソはないんだ』
そうだ。国王様の言葉にウソなんてある筈ない。俺たちがこうして暮らしていられるのも、みんな、国王様が他国から富を奪ってきてくれたからなんだ。
『そりゃお前、先導されてんだろ?』
首を傾げ『先導?』と鸚鵡返しする俺に向かって、リンクはコックリと顎を下げた。
『ああ。師匠が言ってたぜ。人を動かすには人心を掌握すべし。人心を動かすには先導すべしってな』
その時、本当はリンクの言葉の意味が解っちゃいなかった。馬鹿にしていた訳じゃないけど、リンクの事を侮っていたんだと思う。
ーそもそも、リンクの師匠って何者だよ!?ー
聞けば、リンクの師匠は魔導士らしい。そりゃ、キレるわな。俺はリンクの師匠と同じ魔導士を貶したんだから。
『お前のその考えって、本当にお前自身が考えたモンなの?違うだろう?だって、言葉に気持ちが宿ってねぇもん』
『え……はぁ?』
『言葉には【力】が宿ってるんだぜ?』
『力?』
『ああ。この国にも魔法はあるだろ?魔法も魔術も、術を発動させる鍵はどちらも《力ある言葉》なんだ。言葉に力が宿ってキセキを起こす』
俺が目を剥いて驚いていると、リンクは如何にも魔導士の弟子みたいな言葉を投げかけてきた。リンクの言う『言葉に力が宿っている』ってハナシは、眉唾モノだけど、不思議とウソを言っているようには聞こえなかった。
『マルス。お前はホントんトコ、どう考えてんだ?俺に話しかけて来たのは、お前ん中で【何】か疑問に持ったからだろう?』
そう問いかけてくるリンクの声が、俺の頭の中にグルグルと渦巻いた。リンクの言う通り、同じ年頃なのに全く違う生き方をしている少年と出会った事で、俺の中に『何』かが芽生えたんだ。それは、これまで気付く事のなかった気持ちだった。
結局、その後、リンクは異国民をよく思わない奴隷によってイチャモンをつけられ、小川に落とされたもんだなら、その話はそこで終わってしまった。けど、リンクは俺の前を去る前に、一言だけ、声を掛けてくれた。
『マルス。何でもイイけどさ、疑問に持ったことがあれば、それを良く考えてみろ。答えなんて出ないかも知れないけど、それでも考え続ける事が大切だと俺は思うぞ?』
あれから俺はちょくちょくリンクの言葉を思い出していた。すると、これまで考えた事もなかった疑問が次々出てきて、馬鹿な俺はすぐに頭がパンクしそうになった。
なんでこの国には奴隷制度があるんだろう?
なんでこの国は戦争ばかりしているんだろう?
こんな考えは、この国じゃ危ない思想の部類に入るだろう。他人に知られたら、即刻、牢獄行きだ。それに、自国の制度に疑問を持ったって、奴隷である俺には何ともできない。考えたってムダなんだ。
だけど、いちど考えついた疑問は何時迄も俺の頭の中をぐるぐると渦巻いていて、一向に消えてくれなかった。
そうしている内に戦争が始まってしまった。戦争って言っても、隣国侵略を目指した戦争じゃなくて、国内で争う『内戦』ってやつだ。この国は今、第一王子殿下と第二王子殿下、二人の王子様が王座を巡って争っていらっしゃる。俺みたいな奴隷には、どちらが王位を継がれようと関係のないハナシだ。だからこれまで、興味もなく淡々と日々を過ごしてきた。
けど、自分が巻き込まれるのならハナシは変わってくる。『自分には関係ない』と思っていたから、タカを括っていたんだ。興味なく過ごして来られたんだ。
「ハナシが違うじゃないかッーー!」
ドォン、ドォンと爆音が鼓膜を揺らす。音の先で火が起こり土が抉れ悲鳴が掻き消える。誰かの生命が散っていく。死の足音が、もうすぐ側に近づいている。主人の命令で徴兵され放り込まれた戦場で、俺の生命が今、消えようとしている。
ー俺はバカだ!ー
何が『奴隷である事に不満はない』だ!そんな事を言った馬鹿の口を捻り切ってやりたい!
主人の命令に忠実であれば衣食住が保証される。主人の命令に忠実であれば生涯が保証される。だけど、その生活には個人の自由がないじゃないか。自由な思想がないじゃないか。
いつも世界のどこかで起きている戦争。戦争はどこか遠いところで起きていたからこそ、無関心でいられたんだ。戦争では大勢の兵士が死ぬのは解っちゃいたけど、それが自分がそうなると思えば、とても歓迎できるもんじゃない。たまったもんじゃない!とても受け入れられない!
ーそんな事に今気づくなんて……!?ー
こんな事なら、奴隷として在る事に疑問を持たない状態で死にたかった。そうしたら、主人に忠実な奴隷のまま、奴隷である事に幸せを感じながら、人生に幕を下ろせた筈だ。それなのにーー……!
「リンク、死んだら化けて出てやるからなッ!」
なんもかんもアイツの所為だ!ーーそう、俺は泣き言と恨み言を叫びながら、戦場を駆け抜けた。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、本当に嬉しく思います╰(*´︶`*)╯♡ありがとうございます!
奴隷少年マルス視点、『いつもどこか世界の片隅で……』をお送りしました。
どれだけ平和に思える日常があっても、世界のどこかでは、今日も争いが起こっています。
他人事だからと見過ごせるそれらも、自分事になれば嫌でも現実を突きつけられる。これは、そんな話です。
自分の人生に不満はないと言っていたマルス。しかし、奴隷として内乱に従軍させられた今、その考えは変わりつつあるようです。
次話も是非ご覧ください!!




