魔力の限界
『アーリア……起きなさい』
どこかから師匠の声が聞こえる。
アーリアはその声にハッと意識を覚醒させると、そこは石造りの建物の中だった。黒曜石のように黒くテカリのある石が敷き詰められたそこは、灯りもないのに薄ぼんやりと明るさがあった。
瞳からは絶えず流れ出る涙。
膝の上に重さを感じ見下ろすと、そこには血塗れのジークフリードが意識を無くして倒れていた。
『ジークさん!!』
アーリアは涙を拭ってジークフリードの首に指を当てて脈を測る。弱々しい脈拍だがまだ生きていた。だが口元から聞こえる息遣いは弱々しい。
アーリアは辺りを見渡す。そこはどこか遺跡の様な造りの石造りの部屋。辺りに人の気配はない。
ジークフリードの負傷に混乱して魔力が暴走した所までは覚えていた。しかし、どうやってあの場所からこの場所まで来たのかが分からない。
だが、アーリアにはこの場所に心当たりがあった。
(ここは……『東の塔』の中だ……)
アーリアはかつて一度だけ訪れた『東の塔』の内部だと確信した。自分が仕掛けた魔術の気配が辺りに漂っている。この場所は外部から無関係な人間が入り込めない造りになっているので、暫くの間は確実に安全が確保されたと見ていいだろう。
それが分かるとアーリアは冷たい床に自分のマントを敷いて、そこへジークフリードを寝かせた。そして鞄から光源の魔宝具を取り出した。
アーリアの持っている光源の魔宝具は細長い棒の形をしている。ペンくらいの大きさだ。その棒を握って魔力を込めると、棒の先端が光を放ち出した。同じ魔宝具を4本用意すると、自分たちの周りを囲むように配置する。
明かりが確保されると、ジークフリードの様子がよく見てとれた。ジークフリードの胸から右肩にかけて焼け解けたような傷跡があり、特に肩の傷は皮膚を抉っていた。爛れた肉と骨。魔術《光の矢》で受けた傷だ。
血こそ止まりかけてはいるが、その傷は明らかに命に関わるものだった。未だに息があるのが不思議な程だ。体力のあるジークフリードだからこそ、まだ辛うじて生きているに過ぎない。
『どう、しよう……。どうしたら……』
アーリアはジークフリードの服を手早く破り、傷がはっきり見えるようにすると、鞄から水筒を取り出して中の水を傷にかける。
この水は簡易版《聖水》なので、不浄なモノを取り除く力がある。要は消毒液代わりだ。更に鞄から純度の高いアルコールを取り出し、更に傷に振りかけると、傷薬を傷口に塗り込んだ。
『こんな程度じゃ……増血剤もないし……』
アーリアがジークフリードの傷口にガーゼを当てると、血が滲み出てガーゼを赤く染めていく。アーリアはじわじわと広がるその赤黒い色に目が離せなくなった。
身体には震えが走り、手元が震え出す。
(このままじゃジークさんが、死ぬ……?)
アーリアの全身にその言葉と共に恐怖が突き抜けた。歯がガチガチと震え出す。
『ダ……ダメ……ダメダメダメ!』
彼はこんな所で死んではいけない。
彼にはやるべき事があるのだ。
彼は呪いを解き、帰るべき場所へ帰らなければならない。
『魔術ならジークさんの傷を治す事ができる。でも……』
《癒しの光》は見た目の軽い傷には効果があるが、それ以上の内蔵や骨に関わる重度の傷にはそこまでの効果が出ない。《癒しの光》を上回る回復魔術なら重度の怪我も治るのだが、声が封じられている今、それを発動させることは難しかった。
アーリアは等級7。もちろん上級魔術である回復魔術も使用可能だ。
『いや、でも……』
声を封じている呪いさえなんとか出来れば、魔術の行使は可能になる。
アーリアは考えを巡らせた。
今すぐ全てを解呪するか。いや、そんなことは出来ない。時間がかかり過ぎる。
無理矢理その呪いの存在が『無かったこと』にはできないか。
出来る事と出来ない事、やれそうな可能性を並べて自問自答する。そして直ぐに結論を出した。
(呪いの存在を一時的に『無いものとする』ことは可能なんじゃ……)
アーリアにかけられている呪いのイヤラシイ部分は、呪いをかけられている本人の魔力を喰って発動している所なのだ。かけられた者の身体に魔力がある限り、その呪いの効力はループして発動し続ける。それがどれだけタチの悪いモノかが理解できるだろう。
だがその魔力のループさえ止めることが出来れば、可能性が一つ生まれるのだ。
その可能性とは、呪いに流れ込む自分の魔力を流れ込まないようにする事だ。
自分の魔力と術とで、呪いに流れ込む魔力の入り口に蓋をして、魔力が流れ込むのを無理矢理止めてやるのだ。呪いを発動させるための魔力の供給が止まれば、呪いは効果を発動させられないはずなのだ。
アーリアが考えを巡らしている間にもジークフリードの顔色は悪くなる一方で、血の滲みも広がる一方だ。
もう迷ってなどいられない状況だった。
アーリアはその可能性にかけることにした。
(ジークさんに死んでほしくなんてない……!)
アーリアは全身に神経を張り巡らせ、そこに膨大な魔力を高出力で流し始めた。アーリアの魔力を受けて、白く長い髪と服の裾がフワリと波立つように広がっていく。
そしてアーリアの瞳が魔力を帯びて緋い輝きを放ち出した。
アーリアは瞳を閉じて精神世界に降り立ち、禁呪《銀の楔》に意識を向ける。自分の声を封じているこの呪いは既に七割ほど解呪済みだ。邪魔なのは残りの三割。
「《光の壁》」
精神世界内で結界を形成する魔術を発動させる。《光の壁》は金色に輝く糸が編み上げられて行くように精神世界内に広がっていく。結界が精神世界を覆いながら、禁呪の呪の輪を外へ外へと押し上げていった。
魔力を《光の壁》に流し込み、呪いを押さえ込んでいる間は、一時的に呪いの発動を中断させられるはずだ。そうすれば声も戻るはずなのだ。
だがその一時的な時間を継続させる為には、《光の壁》も継続発動させていなければならない。
魔力を常に流し込む事は、魔力を消費し続ける事なので、この状態は長くは持たないだろう。しかし、
(少しだけでいい!呪文を唱える時間と魔力さえ残っていれば……!)
アーリアは瞳を開けて現実世界に戻るとジークフリードを見つめた。肩と胸のキズ、そしてその青白い顔に胸が締め付けられた。
アーリアは精神世界へと流す魔力の出力を保ちながら、両腕を広げて魔術を構成した。
アーリアの声が口から発せられた。
滑らかな詠唱。呪文は完璧に紡がれた。
アーリアは確かなイメージと共に魔力を編むと構成を読み上げる。本来魔術は力ある言葉のみでも発動が可能だ。だがこの魔術は上級魔術。魔術の発動を確かなものへと近づけるためにアーリアは言葉を紡ぐ。
「ー星を統べる13の天使ー
ー月を統べる女神リティアー
ー傷つきし弱き者に癒しの光をー
《天上の癒し》」
魔術は発動し発現した。
上級回復魔術の発動と同時に天使の羽がジークフリードの真上に舞い落ちる。その羽がジークフリードの身体に触れる毎に怪我が徐々に治っていった。抉れた皮膚や肉が盛り上がり、新しい組織を作り上げて肉体を再生していくと、やがて傷が全て塞がった。
アーリアはホッとしたのも束の間、新たに心配事が生まれた。
ジークフリードの身体からは血が流れすぎている。身体の傷のみを回復しても、流れ出た血は無くなったままではないのか。そうすると差し迫る死からは逃れられないかもしれないのではないか、と。
アーリアは自分の中に魔力の残量がまだある事を確認すると、更に魔術を編み上げた。
この魔術はアーリアも試した事のない上級魔術の一つだった。
「ー天よ!汝の民に大いなる慈悲をー
《不死鳥の涙》」
アーリアの両の掌の上に美しい赤い羽を持つ鳥が現れ、その翼を大きく広げた。その鳥が羽ばたくと赤い輝きがジークフリードの身体に降り注ぎ、身体を包み込む。赤い光を受けてジークフリードの顔に少しずつ赤みがさしてきた。
アーリアは自分の身体から魔力がごっそりと減っていくのが分かった。複数の魔術を重ねがけているのだ。魔術の行使に伴い魔力がどんどん消費されていく。
「もう少し……もう少しだけ……」
アーリアは身体を上から押さえつけられるような圧力を感じた。肩が重く、体内の魔力の大量消費に目の前がチカチカと明滅した。瞳が燃えるように熱かった。
アーリアは回復魔術を解くと、ジークフリードの心臓の上に耳を当ててその鼓動を確認する。心臓は安定した音を刻んで動いている。そして口元に耳を傾けると、穏やかな呼吸を確認する事ができた。
「よかっ……」
アーリアが安堵した瞬間、ブツリと何かが途切れた。アーリアの世界はそのまま暗転した。
※※※※※※※※※※
そこは冷たかった。
目の前は闇に閉ざされている。
身体が重くて立ち上がれそうになかった。
このまま諦めてしまおうか?
その方が楽になれると分かっていた。
今まで何度となく心は折れ、絶望し、そして全てを諦めてきた。
だが諦めきれなかった『想い』があった。
自分は往生際が悪い。死ぬ勇気などない。
あの時……醜くも足掻こうと決めたのだ。
時にその『想い』とは裏腹に自分の中から諦めが現れる時があった。頭では無謀だ無策だと思っていても、単騎で敵に突っ込んで行くような時もあった。死を欲する声が己の『想い』を踏みにじる時もあった。
そんな時……
「ジークさん」
アーリアの声が聞こえた。
その声には蔑みも憐れみもない。
彼女の言葉が胸に染みていく。
彼女の言葉が己を肯定していく。
『私は貴方の呪いを解くお手伝いをします』
『ジークさん、気にしないでくださいね』
『契約はキッチリ果たしますから、安心してくださいね!』
事務的なその言葉に、自分勝手にも胸が痛んだのだ。
もっと自分を信用して欲しい。
もっと自分を頼って欲しい。と。
自分は本当に自分勝手だ。
初めに相互の利益を挙げて提案したのは自分の方からではないか。お互いを有利に利用するために《契約》を結んだのではないか。そこに信頼関係があったからではない。むしろ信用関係がないから、アーリアは話に乗って来たのだ。
信頼で結ばれる関係より、《契約》で結ばれる関係の方が良いと。
どちらが子どもなのか分からない。
そんな自分の心のあり様に恥じた。アーリアを思っての行動は、実に自分勝手な思いからのモノだったのだから。
それはアーリアも混乱するだろう。
それでも文句一つなく自分について来てくれたのだから、アーリアの方がよっぽどオトナと言えた。
ーああ……アーリアに謝ろう。そしてもう一度、俺の『想い』を話そうー
※※※※※※※※※※
ジークフリードはゆっくりと瞳を開けた。そこは薄暗く、湿っぽく、鉄の錆びた臭いが充満している。暫くするとその匂いの正体が血だと気がついた。
「……血?……こ、こは?」
身体を動かそうとしたが、何か重いものが身体に乗っている。首を動かして見ると、自分の胸の上に白い物が乗っかっている。
ジークフリードは軋む身体に、腕に力を入れて上半身を持ち上げると、その白いモノが床へとずり落ちた。
「えーー⁉︎ ア、アーリア‼︎」
ジークフリードはアーリアを急いで抱き起こした。アーリアの服は血みどろで、顔やその白い髪にも血が跳ねている。ヒヤリとしたが、よく見ると彼女自身の傷ではないのだと気がついた。
「俺、の血?き、傷は……?」
あの街の領主館を抜け、東門を出る直前に複数の男たちに囲まれた。その男たちを切り捨て、東門を出ると魔術による攻撃を受けた。更に森に入る直前に二人の男たちと遭遇し、戦闘となった。そこで不意を突かれ、魔術士の術を身体に受けた。
剣で起動を晒したが、完全には避けられなかったことをジークフリードは思い出した。
ジークフリードは両手で《光の矢》で貫かれたはずの右肩を触る。服が何故か破られていたが、そこには傷などなかった。
「そんな……!?じゃあ……」
ジークフリードは大量の出血と鋭い痛みに意識を手放した記憶があった。致命傷だった筈だと、胸の辺りや肩に触れて身体を確かめるが、何の形跡も痛みもなかった。あるのは血塗れの服やマント、地面のみ。
ジークフリードはアーリアを膝の上に乗せ、その白い頬をペタペタと軽く叩く。
「おい……?アーリア!アーリア!!」
アーリアはジークフリードの声に全く反応しない。脈と息を確かめると、息はしているが脈拍はとても弱々しかった。それに身体がひんやりと冷たい。
「魔術を……使ったのか?」
ジークフリードが思い当たることはそれしかなかった。
重度の傷が一瞬で治る筈がない。魔宝具でも薬でも無理だ。アーリアが魔術を行使したとしか考えられなかった。声の封じられている彼女が魔術を使う為に、何らかの無理を通したのではないか。
「では、このアーリアの症状は……」
魔力の欠乏症……?
魔力は精神力。それを消費し切れば意識不明になるとアーリアから聞かされた。体の弱い者は死に至ることもあると。
アーリアの体温はまるで死人のように低かった。このまま放って置いて自然回復するとも限らない。最悪の場合は死をも考えられた。
ジークフリードはアーリアの腰のポーチからマジックポーションを取り出した。
小瓶の中の薄水色の液体の揺らめきを確認して蓋を開ける。そしてその中身をアーリアの口元から流し込んだ。だが、意識の無いアーリアはその液体を喉に流し込む事は難しかったようで、唇の端から液体は溢れて流れて出てしまう。
ジークフリードは少し迷ってからマジックポーションを自分の口に一度含む。
アーリアの頭を左手で支えると、顔を上向かせてその顔に右手を添える。そしてアーリアの唇を自分の唇で塞ぐと、自分の口に含んだマジックポーションをアーリアの口から喉へと流し込んでいく。
ジークフリードが溢れないように唇を塞ぎながらゆっくりだが確実に液体を流し込むと、アーリアはコクンと喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。
ジークフリードはホッとして、新しいマジックポーションの蓋を開け、何度か同じ行為を繰り返してアーリアに飲ませた。
アーリアはマジックポーションを飲むと、少しずつだが顔色がマシになってきた。
ジークフリードの手が触れているアーリアの頬が、ほんの少しだけ温かみを帯びて行くのが感じられた。
だが手持ちのマジックポーションだけでは回復し切れないようで、アーリアは目を覚ますと気配がない。
「アーリア、すまない……!」
ジークフリードはアーリアを抱きしめた。少しでもアーリアの身体に体温を取り戻させたかった。
「ホントにねぇ?マジでもう少し反省してほしいっすわ〜〜」
ジークフリードは突然の第三者の声に顔を上げた。
いつからそこに居たのか、何処から現れたのか分からないが、そこには一人の青年が立っていた。アーリアと似た髪色。白髪をやけにオシャレに短髪に切り揃えた二十歳ほどの青年だ。
彼は不機嫌を隠しもせずジークフリードを見下ろしている。
ジークフリードは身構えたが、回復したての身体は己の思うようには動かなかった。
青年はジークフリードとアーリアの前まで来ると、ゆっくりとしゃがんでアーリアの額に手を置いた。
「あーあー。こんなになるまで頑張っちゃって!」
その言葉には嫌味な感情などない。どちらかといえば労いのような労りの言葉だ。
青年がアーリアを見つめる瞳には暖かさがあった。
「お前は……?」
「……俺はただのお使い。そんじゃ、跳ぶよ〜」
その青年がアーリアの額に手を置いたまま、やはり不機嫌そうにジークフリードを見た。
そして彼のその言葉と共に、三人はこの場所から別のどこかへと《転移》を果たしたのだった。
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ついに本編にあの人が登場です。




