捕虜の日常と招かれざる客人1
※(アーリア視点)
窓の外に小鳥の鳴き声を聞いた私は、重い目蓋を押し上げた。眩しい日差しは厚い遮光カーテンが遮っていて、室内には差し込んではいない。だから外がどれだけの明るさか、そして、どんな天気なのかを知るにはカーテンを開けて目視するしかなかった。でも、私には誰にも話していないトアル特技を持っていた。
ー今日は雨になりそうー
今は晴れている。だけど、昼過ぎには雨が降るに違いない。この予想はきっと当たる。きっと。
生まれた時から目が見えていなかったけれど、それでも幼い頃、不思議と周囲の状況は把握してたのを覚えている。目が見えない分を『何か』で補っていた。今思えば、あれは肌感覚って言うより精霊のお陰だったではと予測がつく。
空気中を漂う精霊。彼らから伝わる感覚。それらを感じとって周囲の状況を把握する。けれど、精霊は気紛れなので、周囲の状況ーー例えば『迫りくる脅威』なんてものを一々教えてくれはしない。人間同士の争いなんてものは、精霊からみたら戯れ合いにしか見えないからだ。多量の魔力を譲渡し懇願でもせぬ限り、精霊が自主的に動く事はない。
ーごろりー
寝台の上でそんな些末事を考えていると、頭がだんだんと冴えてきた。温かな寝台から出るのは忍びないけれど、何時迄もこのままという訳にもいかない。上掛けの中でもぞもぞと手足を動かすと、上掛けから手を出しグンッと伸びをしーーその時、寝台の上にある筈の姿しかない事に気づいた。
「ん?あれ……?」
あの目も覚めるような美丈夫の姿がない。淡い青銀の髪。蜂蜜色の瞳。非の打ち所のない整った容姿。なのに、浮かべられた微笑みは誰もが頬を染める類いのものではなく、ゾクリと背を冷やす氷の微笑。狂気の名を欲しいままにしている第二王子シュバルツェ殿下の姿が、ない……?
「……。……?あ、東へ視察に出るって昨日……」
東都には第一王子殿下の陣地があるそうで、向こうの動向次第では小競り合いに発展するかも知れない、とシュバルツェ殿下が言っていた事を思い出した。
一国の王子であるにも関わらず、下級官吏のように齷齪と働くシュバルツェ殿下。気に入らぬと言っては貴族を端から順に斬り捨てていたら、当たり前のように官吏の数が足りなくなったそうで、現在、ライザタニア王宮は毎日蜂の巣を突いたような忙しさに見舞われているらしい。ツケが返ってきているのだと思えば、同情なんてできそうにない。
「ん〜〜……」
寝台から起き上がるとぐーんと両手を伸ばし、そして一声気合いを入れると、上掛けから抜け出した。
寝台の側に並べてあったスリッパを指先に引っ掛け立ち上がる。上掛けとシーツ、枕などの寝具を整えてから隣室へ。簡易の浴室、化粧室、衣装棚などが設えられている部屋だ。
本来、高貴なる人たちは自分の身の回りの事を使用人たちに任せるもの。だから此処は身なりを整える為の部屋じゃない。けど、貴族ではない私にはこれくらいの設備で丁度良い。入浴も着替えも一人で出来るからね。一人で出来るから構わないで欲しいと云うのが本音。
ー王侯貴族の衣装は複雑だから、一人では着替えられないんだけどねー
侍女が付き従う理由は、確実に身支度の為だろう。特に淑女の纏う舞踏会用のドレスには背中にボタンやリボンのある物が殆ど。コルセットなんかは、一人じゃ絞められない。
私も年頃の婦女子だもの、着飾る事に興味がない訳ではない。煌びやかな衣装には心躍るものがあった。でもね、一度でもコルセットの苦しさを知ってしまえば、憧れの一言で片付けられるものではなくなる。きっと世の中の女子たちもあれを体験すれば、憧れなんてすぐに泡と消えるんじゃないかな。
「ー水よー」
魔力を込めて握り締めた魔宝具から溢れた水はみるみる内にタライを一杯にした。
現在、捕虜に課せられた枷は一つ。それは行動抑制する《隷属》の魔宝具。どうもこれには魔力を抑制する効果も加わっているようで、その結果、現状、多量の魔力を食う魔法・魔術を使用できないけれど、少量の魔力で発動する類の術ならば行使可能という中途半端な状態。その為、生活魔宝具なら使えるってわけ。
この事はシュバルツェ殿下にも知られている。ここにある生活魔宝具は、きっと彼の指示で用意されてあるに違いないのだから。
ーさらさらさらさら……ー
魔宝具で生み出した清水で顔を洗い化粧水をつけ、髪にオイルをつけて櫛を通す。夜着を脱ぎ、簡素なワンピースに袖を通す。滑らかな着心地のワンピース。これも私の為だけにシュバルツェ殿下が用意したものだというの。色は淡い紫、ウエストで絞ってあるデザインで、裾は踝丈まである。
ライザタニアには『貴族令嬢は肌を淫らに見せてはならない』との暗黙の規則があって、ドレスやスカート、ネグリジェに至るまで、肩や胸、脚を出す形の物は忌避されるという。
長いリボンを腰に巻いて蝶々結びをすると、最後に踵の低いヒールを履き、背丈よりも高い大きな鏡の前で一回転。満足気に頷くとドレスルームを後にした。
「やっぱり少し曇ってる」
開け放たれたカーテンからサッと差し込む太陽の光。柔らかな光がレース越しに寝室の中を明るく照らす。レースのカーテンの隙間、窓越しに見上げる空には薄雲が流れている。今にも雨が降り出しそうな曇天という訳ではないけど、晴天というには憚られる微妙な天気。気圧が下がっているのか、僅かに頭に違和感を感じる。
「ーーあらあら、またお一人で支度をなされたのですね?」
カーテンを飾り石のついた紐で留めていると、扉を三回ノックする音と入室の許可を求める声が届いた。許可を出せば、侍女のアンナさんが入室してきた。二人は顔を合わせ互いに朝の挨拶をしたけれど、顔を上げたアンナさんの表情は冴えない。困り顔だ。アーリアがアンナさんを待たずに朝の支度をしてしまった事に対しての困惑と呆れが滲み出ていたの。
「ごめんなさい。でも、アンナさんの手を借りるほどではないので……」
「あらあら。貴女様は主のお客人ですのに……」
この遣り取りは初めて交わすものじゃなかった。ほぼ毎日の定例になっていたの。私があまりにも侍女の手を拒むものだからアンナさんも既に諦め気味で、最近では先回りしてドレッサーに下着や洋服を用意しておいてくれるほど手回しが良かった。私も自身の意志をある程度認めてくれているアンナさんの事を「本当にできた侍女だ」と、心の中で褒め称えていた。
アンナさんの「せめて髪だけは、私に結わせてくださいましね」との言葉に甘え、髪を結ってもらう。サイドで緩く編み込まれた髪に薔薇の装飾品が飾られた時、若い侍従から朝食の知らせを受けた。
「ご朝食の準備ができております」
アンナさんの案内で寝室からダイニングルームへ移動すると、広々とした室内には豪華な装飾が施された食卓があり、机上には温かなスープと三種類のパン、卵炒めと彩りサラダ、様々なチーズとフルーツが盛り付けられたヨーグルト、そのどれも少量ずつ置かれている。
私が指定された席に腰掛けると同時に、湯気経つ紅茶がサッと差し出された。
「ありがとうございます……」
茶器を差し出したのは第二王子殿下付き侍従の若い青年だ。侍従長ハンスはシュバルツェ殿下に付き添って遠征地へ飛んでいる。彼はハンスさんとアンナさんの息子でカルフールさん。背が高くシュッとしていて姿勢がとても良い。目元がハンスさんにそっくりで、物腰は硬いんだけど、言葉ほどに冷たい印象はない。
「使用人相手に礼など無用です。ーーしかし、この量で本当に足りますか?」
「はい、充分です」
「……そうですか」
ライザタニアでは本来、貴族の食卓には七品目以上並べるのが基本だそう。勿論、王族ならもっと多くて机には食べきれないほど並ぶのだと聞いた。
何度も言うけど、そもそも私は貴族じゃない。シュバルツェ殿下と同じ食卓を囲む場合なら仕方ないけれど、私一人の食事でそんな量を並べられても困る。食べられなければ廃棄処分だろうし、そんなのは勿体なさ過ぎるものね。
私は捕虜なのだし、なんだったらもっと質素な食事でも構わない。その事を正直に話した時、流石にイヤな表情をされてしまった。カルフールさん曰く、「客人にこれ以上の不敬を働く訳にはいかない」とのこと。うーん。
「美味しいっ」
「あらあらまあまあ。アーリア様は本当に馬鈴薯のスープがお好きですのね?」
クリーム色をしたスープに口をつけていた私が溢した独言に、アンナさんがクスリと笑った。
「お世辞抜きに、とっても美味しいですよ?」
「うふふ。料理長に伝えておきますね?」
前日に食べた馬鈴薯のフライもホクホクで美味しかった。
馬鈴薯に限らずライザタニアの野菜はシスティナの物よりも瑞々しくて甘い。気候は勿論だけど、土壌の影響が最も高いと思うの。豊かな森から齎される清水と腐葉土。それに妖精が住まう土地ならではの清涼な空気。その他、諸々の要因が良い感じに絡んでいるのではないかな。
「このパンもすごく美味しい」
平たい鍋敷のような形をしたパン。中には甘い蜜と干し葡萄と胡桃が入っている。パイのような生地はサクサクで甘すぎないから幾つでも食べれちゃう。
この国には主要産業がないと聞いていたけれど、実際にはチーズなどの乳製品は逸品で、薬の原料になる草木、それに魔宝具の材料となる鉱石もある。水も豊富で森林も豊か。工夫の仕方によって、幾らでも他国と渡り合える材料があると、素人ながらにも思えてならなかった。
ーコンコンコンー
「どうぞ」
「失礼します」
食事のあと応接間へ移動し、寄る方もなく窓の外を見上げながらボンヤリとしている私の思考を遮るように扉がノックなされ、一人の騎士が顔を出した。それは不幸にも悪魔の魔女の見張り番になってしまった騎士の一人だ。彼の本来の業務は王族を守る近衛、エリート騎士なの。
「魔女殿、午前中は私ヒューゴが守護を務めます」
「宜しくお願いします」
蒼髪の青年騎士ヒューゴは頭を三十度傾けると形式的な挨拶を述べた。その後、すぐに扉の前で仁王立ちになる。扉の外側にはもう一人の騎士が立っているはずだ。敵国から捕らえた悪しき魔女が悪さをしないように目を光らせている。本当にご苦労な事だと思う。それに気の毒だとも。
ーこれも給料の内だよね?ー
そう考えれば、割りの良い仕事なのかも知れない。魔女は引き籠り体質もあって、日がな一日、ボンヤリと過ごしているので、特段、手間も掛からない。暴れ出す事もない。そんな魔女を見張るだけでお給料が入るのだからね。私にとっては窮屈この上ない状況だけれど……。
でも、この措置も元を正せば私の行いから来た自業自得。私はアベルとソアラ、ふたりの侯爵令息令嬢を宮の外へ連れ出した罪人なのだから。
「……あの、なにか?」
こんな何にもない部屋で、ただ一人の魔女を見張るだけの仕事に、何の魅力もない。つまらない仕事だと感じるに違いない。ーーそんな事を考えながら、直立不動で立つ青年騎士をジッと見ていた私の視線に耐えられなくなったようで。青年騎士の私に向ける表情が困惑気味だ。苦笑しつつ「ごめんなさい、何でもないです」と頭を下げれば、青年騎士は「そうですか」とやはり微妙な視線を向けてくる。
ーさて、本の続きでも読もうっと……ー
私は青年騎士からの視線から逃げるようにいそいそと椅子に座ると、丸卓に置かれた本を一冊手に取り、広げた。
「……しゅりゅ……?しゅりゅぅてぃ、しゅる、しゅりゅーてぃる?」
単語に指を這わせながら頭を捻らせる。私は先日までライザタニア神話をライザタニア語の辞書片手に読んでいたのだけど、辞書自体がとても初心者向けとは云えず、ウンウンと頭を悩ませている私を見て、シュバルツェ殿下はこの本を手渡してきた。
「しゅ、しゅり……しゅりゅーてぃる・らゔぁーてぃあ?」
言葉の註釈を読んだ私は思いっきり眉を顰めた。
『シュリューティル・ラバーティア』。直訳で『貴方の美しい瞳に私をうつして欲しい』、要するに『愛しています』という意味になるという。
「スリューヌ……愛しい人、パシェーロ……囚われた心……何なの、この本?」
シュバルツェ殿下は初心者向けの教本だと言って渡したけれど、それにしては俗な言葉ばかり。
教本をパラパラと捲って流し読みをする。どのページを開いても一昔前に流行った恋愛小説の中で使われたキザな台詞ばかりが目につく。大衆演劇で聞きそうな台詞もある。
そのあまりの内容に「どうなの、コレ?」と顔を顰め首を傾げていると、ぷっと誰かの吹き出す声が聞こえてきた。ハッと顔を上げれば、扉の前で仁王立ちしていた青年騎士ヒューゴが口元に手を当て、肩を震わせているのが見えた。
「っ……くくっ……ああ、申し訳ございません」
「えっと……」
「ハハ。魔女殿の様子が、その、あまりにもお可愛らしくて……」
他意はございません、お許しを、と断りを入れた青年騎士。短い蒼髪を揺らす青年騎士の目元には笑みが浮かんでいる。
「ライザタニアでは愛しい者に愛を説く言葉こそが重要だとされています。ーーその教本には、主に愛情表現ばかりが載っているのです」
「……ライザタニア人って情熱的なんですね?」
「やはり、意外に思われますか?」
「え、あ……はぃ……」
口すぼみになる私に青年騎士は苦笑した。
システィナ人にとって侵略戦争を仕掛けてくるライザタニアには良いイメージがない。ーーいや、悪意の方が強いと思われる。システィナ人はライザタニア人を『言葉も知らない野蛮人』と称していたくらいだもの。かく云う、私もそう。
「シリトリはどうでしょう?」
「……え?」
「子どもたちはライザタニア語を覚えるのにシリトリ遊びをします。勉強に遊びの要素を取り入れるのは、良い気分転換にもなりますよ?」
ニッコリと微笑む青年騎士ヒューゴの表情に悪意はない。ライザタニアに来てから初めて向けられれ100%善意の言葉にグッと喉を詰まらせた。
きっと、シュバルツェ殿下の意地悪に慣れてしまっているからに違いないの。だからかな?ーー私は驚きのあまり、「さっそく試しにしてみますか?」という青年騎士からの提案に二つ返事で頷いていた……。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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『捕虜の日常と客人1』をお送りしました。
※アーリアが読んでいた本は、弟子リンクが読んでいた本と同じ物です。
※アーリアの捕虜生活も一月を越え、当初の緊張感が薄れつつあります。それも、シュバルツェ殿下による『保護』が鉄壁である所以なのですが、それに対してアーリアが感謝の気持ちを表す事はありません。何故なら、『捕虜に死なれたら困る』との理由からの保護であり、アーリアの気持ちを汲んだものではないからです。
次話『捕虜の日常と客人2』も是非ご覧ください!




