奴隷制度と課題
※(第一王子視点)
「申し訳ございません」
頭を下げる侍従長の旋毛を見つめる。揺れる黒髪に白い物が混じっている。余程、今回の事に肝が冷えたのだろうか。
彼はこの屋敷の使用人たちを束ねる責任の一端を持つ、執事に次ぐ責任をだ。だからこそ、彼は失態を詫びねばならなかった。
主人の身の回りの世話をする侍従・侍女、食事を作る料理人、庭の手入れを行う庭師、そしてその他の雑用を課された奴隷、仕事と私生活の両面を主人の側で支える執事は侍従長の上司にあたる。伯爵の隣に立つ灰髪の男がそうだ。
「奴隷が平民に、それもお客様に盾つくとは。旦那様の顔に泥を塗るつもりか?」
苛立つ気持ちを隠しもせぬまま、執事が問う。
「申し訳ございません!奴隷たちへの教育を今一度、徹底させます」
奴隷たちへの教育の徹底。言葉にすれば容易い事だが、それがなかなかに困難な事は私も理解していた。
ライザタニアには『奴隷制度』というものが長きに渡り生活と文化に根付いている。建国前ーーライザタニアが未だ遊牧民族として幾つかの部族に分かれていた時代からの名残りが現在に活きているのだ。だが、現在のライザタニアに於いては奴隷の存在が生活に欠かせぬものになっている。
隣国システィナに於いては主流となっている魔宝具。生活の中で息づいている魔宝具は人々の生活の手助けを担っている。ライザタニアに於いてその魔宝具の代わりとなっているのが奴隷なのだ。システィナにとって生活に魔宝具が不可欠であるように、ライザタニアにとっては奴隷が不可欠。それこそがライザタニアに生活魔宝具が根付かぬ理由であり、奴隷制度が廃止できぬ理由でもあった。
奴隷の数が富を示す杓子定規となって百年。貴族社会は勿論のこと、奴隷たちは平民社会にも不可欠な存在となっている。
「申し訳ございません」
シュティームル伯爵は侍従長を下がらせると、こちらを振り返り、即座に下げた。
伯爵が第一王子に頭を下げる理由は主に二つ。一つは第一王子が呼んだ客人に対して伯爵家の使用人が手を上げた事について。今一つは第一王子との対話の時間を無為に使用した事について。
「構わないよ。我が客人のことでもあるのだから、ね……」
正確には『客人の使用人』だ。隣国システィナから我が国へと侵入した諜報員。行商人兄弟と名乗る二人の青年が連れてきた使用人。その一人が、彼ーーシュティームル伯爵の所有する奴隷から暴言を受けたとのこと。
確かに本来なら起こりえぬ事態ではある。使用人であろうとも奴隷が平民に手をあげるなどとは。
私が重視するのはシスティナの騎士ーー行商人兄弟たちだが、だからと云って使用人とて蔑ろにするつもりはない。彼らは四人ともに『東の魔女』に関わりのある者たちだという事は調べがついているのだから。
「これも民度の差だろうか……?」
伯爵家の侍従長と執事との報告を耳にした時、私は僅かながら衝撃を受けた。先に暴言と暴力を振るったのは奴隷たちの方。にも関わらず、義兄弟商人の使用人たちは奴隷たちの罪を許し、罰を不問にするように願い出たそうだ。『自分たちの行動にも原因はあった』として。
「民度の差、でございますか?」
「彼の国は平民に至るまである一定の教育が成されているのだろう」
「教育ならば我が国にも教育制度はございますが……」
「ああ。だが私の言いたい教育とは、知識を詰め込む類ものではない。ーー分かるか?伯爵。それは道徳教育だ」
人の心を慮る教育。道徳教育。相手の立場や気持ちを考えて行動する。時に利益や損得に囚われず正しい行動を取る。自ら正しいと思われる規定を設け、道理に則った行動を取る。ルール、モラル、エチケットなどなど……それらを平民の使用人ーーそれも、成人に満たぬ子どもが理解し、己を律し、行動している。
恐ろしいと思わないか?それがどれ程の事か考えると、システィナという国の本質に肌が泡立つ。
「道徳心とは学舎に通って学ぶものばかりではない。日常生活の中で学ぶものも多い」
身分に問わずある一定水準の教育が施されているシスティナならではの教育とも云える。魔導国家の名はダテではないという事か。
彼の国は魔術という精霊の力を借りた魔法とは異なる術を行使する魔導士なる者が住まう地。魔導士は身分に問わず扱う事の出来る道具ーー魔宝具を創造し、公平に人々へと与えた。当初こそ混乱や内乱、暴走などが勃発したという話だが、それも建国から三百五十年を数える現在、魔術を行使する者をはじめ、魔宝具を扱う国民全員に『正しい行動』『正しい思考』を植え付ける事で、事件や事故の件数を抑えているという。
『人間同士がうまく生きていく上で必要な決まり』
それはシスティナからの客人ーー使用人の子どもが放った言葉だ。社会の中、それも日常生活に於いては明確なルールや決まりなどない。けれど人間同士が、他者と他者とが共存していく上では、それぞれが互いを慮り、生活する事がスムーズな社会生活に繋がる。
システィナでは通常、常識、日常である価値観だけれど、このライザタニアに於いても同様であるとは限らない。だからこそ……
「課題が多いな……」
先日の夜会に於いて、私は第一王子陣営に加わった貴族たちを前にトアル演説を行った。
『私は現在のライザタニアに憂いている。本来、人間が人間を支配するなどあってはならない。だが、現在の我が国には奴隷制度から始まる人種差別は絶えず、他国との経済格差は広がるばかり。この問題は緩慢たる政治構想にあると私は考える』
貴族たちの中には第一王子の言葉に不信感を覚えた者もいただろう。現にあの時、真意を探るような視線を幾つも感じた。
『王都を解放した暁には、私はライザタニアの国民に人間力を培わせたいと考えている』
貴族たちからは批判の声は上がらぬものの肯定の声も上がらなかった。第一王子の言葉の意味をーー真意を図りかねていたのだろう。しかし、そこで一人の青年が手を挙げ『人間力とはどのようなものか?』と問うてきた。他の貴族たちも同じ事が訊ねたかったに違いない。だからこそ、青年の質問に対して非難する言葉が挙がらなかった。
『国民一人ひとりが自己の未来を思い描く事のできる思考力。それこそがこの国の未来を作っていく。私はそう考えている』
『このまま国民が王家に頼りきりでは、ライザタニアに経済の発展はあり得ぬではないか』
奴隷制度による明確な身分差別。王家主体による政治形態。そのどれもが他国とそれ程、異なる訳でもなく、大して代わり映えのしない国家体制だ。けれど私はーーライザタニアの第一王子は、自国の歴史と国家体制に不満があった。
しかし国の歴史は人の歴史であり、長い期間をかけて育まれてきた『常識』はそう簡単に覆るものではない事は、重々、理解してもいた。
更に加えれば、我が国の貴族たちは身分制度を『差別』だと考えた事もない。地位や名誉、権力や権威を与えられて然るべき物だと信じ込んでいる。身分制度の崩壊など望むべくもないのだ。
そのような国内情勢下ーーしかも、第二王子との対立の最中に『未来への決意表明』を露わにした第一王子へ集まる視線は重いものだった。
『殿下。国民の自由意識が強くなれば、国民は王家を蔑ろにし始めるのではありませんか?』
シュバーン将軍から齎されたその言葉。第一王子の第一の後見人。第一王子派閥の重鎮。彼は第一王子が王座を得る為、貴族たちを束ねる役割を担っている。勿論、第一王子の意志にも理解を示している。だが、この時ばかりは流石の将軍も思案顔が拭えずにいた。その眉は『時期早々』だと語っていた。
だがーー時期などいつになろうと大差ないではないか。そもそも、意識改革など一朝一夕で済む訳ではないのだから。
『それは恐れるに足りぬよ、侯爵。国民一人ひとりが“より豊かな生活”を求めるのは、決して悪い事ではない。それどころか、豊かな生活を求めて新たな技術を生み出す事こそが我が国の発展に繋がると私は考えている』
ーそう、彼の国のようにー
システィナは身分制度こそあれど、人々は己が才覚に見合う仕事に就き、自身の未来を切り開いている。
学びたい者、才能ある者には門戸が開かれているのだ。貴族でなくとも魔法、魔術の才がある者には資格も与えられている。貴族特権であった魔宝具職人は現在では民間の中でも生まれ、育ち、魔宝具は国民生活の中に根付いている。最早、システィナで魔宝具を使う事は特別な事ではない。日常の事なのだ。
ーそんな国が他にあるだろうか?ー
我が国は妖精族の血を引くが故に国民の多くが身体機能が高い。魔力が高いが故に魔法を使える者も大勢いる。なのに、帝国のように魔法文明が発展している訳でも、魔導国家のように魔術文明が発展している訳でもない。魔法と魔宝具は他者を痛ぶる為の手段ーー『戦争の道具』でしかなく、決して『国民の生活を豊かにする為の手段』ではないのだ。
そんな国が他国と肩を並べようとするとは、なんと浅はかな事だろうか。我が国ライザタニアは他国から『蛮国』と呼ばれる所以は、これらの事情に帰依すると思われる。
ー同感だなー
奴隷を道具として扱い戦場に送り込み、敵国の兵と戦わせる。奴隷を疑似餌にして敵兵と共に皆殺しにする。ーーこのような戦術がつい最近まで執られてきたのだ。現王陛下の命令とはいえ、それに対して叛意を翻す者、反対する者がいなかった事こそが、我が国の腐敗度を推し量る事ができるというもの。そしてそれは第一王子陣営もまた同じであった。
王族のーー現王陛下の第一子である第一王子の言葉に対していくら不信感を抱こうが、陣営に降った貴族たちに執れる策など限られている。彼らは第二王子の派閥に入る事を拒否して、第一王子派閥へ流れてきた者たちばかりなのだ。だからこそ、次期国王の寵愛を得る為に甘言を持って支援するか、はたまた辛言を持って支援するか……彼らは皆、考えあぐねている。
現王陛下は真実、欲望の塊であった。これまで長きに渡り現王陛下の欲に振り回されてきた貴族たちは、王族の顔色を見る事に長けている。そして、疲れ果てているのだ。飼い犬のように尻尾を振る事に。奴隷のように靴先を舐める事に。
第一王子派閥か、それとま第二王子派閥か、はたまた第三勢力である神殿派閥か。どの派閥に入る事がーー『誰』を支援する事が自国の未来に繋がるか、判断が付かずにいる。
「だが、戦争に道義は関係ない」
「左様です」
勝者になろうが敗者になろうが、どちらの軍勢にも少なからず死者は出る。第一王子の軍勢が勝って第二王子の軍勢に百万人の死者を出したとすればどうであろうか。勝者も敗者も、生者も死者も、どちらもが等しくライザタニアの民なのだ。失ってよい生命などない。
ーそれは他国の民とて同じことー
ふと脳裏に浮かぶ他国の使者たちの顔。行商人兄弟と名乗る諜報員たちは、第一王子に対して厳しい視線を向けた。
鋭く光る鋭利な刃物。その刃先をスッと眼前に突き付けてくるのだ。然も『お前の言葉には惑わされぬ』とでも言わんばかりの視線。第一王子自ら『同じ敵を持つ仲間』と言えども、納得どころか肯定の言葉すらなかった。彼ら『システィナの騎士』が『東の魔女』に辿り着く為には、第一王子の権力が必要だと理解っていようとも、彼らは第一王子派閥に降る筈などない。ーーいや、あり得ぬのだ。彼らの主は第一王子ではないのだから。
「……お疲れですか?殿下」
思案の末にいつの間にか瞑目していた私の肩にそっと手が置かれていた。目を開ければシュティームル伯爵の蒼い瞳が覗き込んでいた。
「いやーーいずれは通らねばならぬ道。今から疲れていては、面目が立たないからね」
第一王子と第二王子、二人の王位継承者による正面対決も未だの状況で、早々から疲れてなどおれぬものか。求められた役割を果たす事こそが、己に課せられた役目を果たす事になり、延いては、我が国の新たなる未来へと繋がり行くのだから……。
「そうですか……いいえ、そうですね。このような些事で気を抜いてはおれません。気後れなどしていては間も無く始まる前哨戦に乗り遅れてしまいましょうよ」
シュティームル伯爵の柔らかな微笑につられ、私も口元に微笑を浮かべた。伯爵の蒼玉は力強い光を放っており、その瞳は真っ直ぐ未来を目指しているようであった。
「我々の目標はただ一つ。そうでございましょう?」
ーライザタニアに次代を導くー
前時代的な現代社会を打破し新たなる風を吹き入れる事こそ、我々の最大目標。その為の布石は着実に打たれている。彼らーーシスティナからの客人もまた、布石の一つなのだ。
「彼らには悪いが、我々の望む未来の為に尽力してもらおうではないか?」
意地悪そうに唇を上げた。頷く伯爵。脳裏には、昨日会い見えたシスティナの青年騎士の苦々しい表情が浮かんだ。
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『雲外に蒼天あり』をお送りしました。
行商人兄弟に接触した第一王子派閥。リュゼの目算通り、彼らは行商人兄弟の正体を突き止めていました。そして第一王子の目的もまた、第二王子と行き着くところを同じくしているようです。
次話、二人の王子たちの過去に焦点があたります。よろしければ是非ご覧ください!




