偽りの顔3
side:Sistina
※(リュゼ視点)
シュルリという絹摩れの音と共に、視界の端がごそりと動いた。
「どうかなさいましたか?リュゼ様」
「……いいえ。些末事ですよ、ラーナ嬢」
笑みを浮かべ「お気になさらず」と付け加えれば、女の頬がほんのりと色づく。視界に入る白に視線を移せば、肩を流れる不自然な白髪がそこにあった。
ー嗚呼、彼女の髪はこんな色じゃないー
汚れなき雪のような、空に浮かぶ雲のような、凛と咲き誇る白薔薇のような……そんな色だ。何人にも汚す事は許されはしない高貴な白。彼女の持つ白はそういう色なんだ。
「さぁ、夜は長いですわ。泡沫の夢を楽しみましょう」
しなだれてくる女の噎せ反るような香水の匂い。鼻腔を擽る媚薬の香。顔を反らさずにいる事を褒めて欲しいくらいだ。いつも女を押し付けてくる貴族ーーそれに、ナイル先輩への恨み言は絶えない。いくら商売女が苦手だからって俺にばかり損な役回りをさせるんだから、先輩は。
ライザタニアへ来て以来、女に不自由はない。何せ放っておいても此方へ群がって来るんだから。誰の差し金か、誰の思惑か知らないけど、どの女にも僕たちと関係を持つ事に躊躇は見えない。それに加え、どの女も貴族令嬢だというのに貞操観念が低いのか、それとも、貴族令嬢としての使命感が強いのか分かりかねる状況なんだ。どちらにせよ、彼女らの後ろには思惑が見え隠れしているって事は確かなんだけどさ……。
それにしても、こうもアカラサマだと商売女も貴族令嬢も似たり寄ったりに思えてくるから不思議だね。その両者は生まれからして両極端に位置する存在なのに。
それに……と、僕は鬱陶しく絡み付いてくる女を半眼で見下ろすと、ゲッソリと内心溜め息を吐く。最近になって、僕たちにすり寄ってくる貴族が寄越す令嬢の髪色が『白』になった。これはつまり『ソウイウコト』なんだろうか……?
ー僕たちを取り込むつもりなのかな?ー
僕たちーーシスティナの騎士を。
第一王子派閥の貴族は、システィナの騎士を媒介にしてシスティナと繋ぐ橋渡しを貴族令嬢にさせようって腹だろうね。
侵略行為を繰り返してきたライザタニアに味方は少ない。どう見ても未来がない政策ばかり繰り返してきた所為で、国土ばかり広いだけで、この何とも言えない閉塞感はぬぐえない。最早、『自国内に富はない』と気づく貴族が出始めても遅くはない頃だろう。そして、そんな貴族らは自国を見限り他国に富を求め始める。
そんな中、目をつけられたのが僕たちってワケだ。
自国のーーいや、自身の爵位と権威を維持する為ならば、大事な令嬢が傷物になっても構いはしない。寧ろ、子でも出来れば足枷となる。お偉いさんの考えそうな事だね。
随分と姑息じゃないか。宰相閣下や脳筋騎士から『貴族世界は泥の被せ合い』、『騙し合いは日常茶飯事』だって聞いた事があったけど、コレには恐れいったよ。僕たちが『白髪の女』となれば何でも食いつくと思われているんだからさ!
ーバカバカしいー
「嗚呼、リュゼ様……」
僕の腕に絡む女の手に嫌悪感がこみ上げてくる。なのに同時に、彼女の肌の温もりが思い出され、内心、コンチクショーと毒づいた。
ーもう、君じゃなきゃ食指も動かないよー
『据え膳食わぬは男の恥』とは良く言ったもんだ。女に選ぶ権利はあるように、男にも選ぶ権利はあると思わない?それにさ、僕の『名誉』はどーなるのさ?近頃、少年から向けられる視線が痛いのなんのって!まるで汚物でも見るかのようなあの目……。
『師匠、女は選んだ方が良いですよ?』
摩れてない子どもの言葉は残酷だ。死んだ魚のようなあの目。据えたジト目でこんなにもヒドイ事を言われたあの夜、あの時に出来た僕の心の傷は、未だ癒えちゃいない。
ーどーすりゃ良いのよ?ー
女の吐息を聞きながら、僕はふと窓越しに浮かぶ月を見上げた。それもこれもトアル美貌の王子様のせいに違いない。空に浮かぶ月と同じ色の髪を持つ、あの王子様のーー……
※※※※※※※※※※
ーあの王子、どこまでが本気なんだろ?ー
私利私欲に澱んだ夜会会場。第一王子殿下の陣営による決起集会は思わぬ発展を遂げようとしていた。それもそのハズ。第一王子イリスティアン殿下の下に集う貴族たちの大半は、真に『ライザタニア統一』を望んでいる者たちばかり……でも、ないようなんだ。
自国の次代を担う二人の王子。そのどちらに付いたかによって自身の命運が別れる。ならば、どちらの方が分が良いのかを見極める事こそ最重要。ーーとくりゃ、嫌でも真剣になるってもんだよね?利権利益を望んで群がるのも頷ける。『知らぬ存ぜぬ』を決め込んで頑なに領地に引っ込んでるなんてナンセンスだよ。
ライザタニアの内乱は『良識の王子』第一王子殿下と『狂気の王子』第二王子殿下が起こした戦争。未だ王太子の定まらぬライザタニアだけど、二人の王子のどちらかが次代の国王の座に着くこと『だけ』は決定しているんだ。たとえどんな木端貴族とあろうともーーいや、貴族と名乗る者であれば、無関心でなんていられない。だって、現在与えられている領地ーー爵位や権利は『誰』から下賜されたモノか、考えてみればすぐに分かるでしょ?国は国主のモノ、国民と領地も国主のモノなんだ。
組織に上に立つ者が代われば政策や方針なんてモンも変わる。そもそも、爵位や領地なんてモンは取り上げられたら終いなんだから。
ーだからかな?ー
第一王子殿下陣営にいてもなお、必死にすり寄る貴族たちの姿が僕には滑稽に思えた。彼らが語る話の何処にも『真実』なんてなくて、耳を掠めるる言葉の数々に苦虫がはしった。
ーいや待てよ、真実を口にしてる貴族もいたかな?ー
チラホラだけどこの会場内にも生息してる。じっと息を潜め視線を巡らせて、状況を冷静に分析している貴族が一人、二人、三人……と、そこまで数えて、僕はハタっと目を見開いた。
ーあれ?ちょっと待って。僕たちが餌ってコトなの?ー
どう考えても事前準備もなしに『夜会』が開催されるなんてオカシイ。きっと、夜会自体は事前に決められていたんだ。そこへ僕たちーー『システィナからの使者(意訳)』が飛び入り参加した。
因みに、僕たちは未だ『システィナの騎士』だって名乗っちゃいない。『国を渡ってきた行商人』としか名乗っちゃいないんだ。況して、『システィナから内部調査に来た工作員でーす!』なんて、馬鹿正直に身分を明らかにしてもいない。
だから、未だ僕たちの身分は行商人ーーつまり平民のまま。どれだけ富ある行商人であろうとも平民は平民。貴族とは名乗れない。つまり、平民が貴族の夜会に参加できるハズがないんだ。
とすると、僕らの夜会参加は『最初』から決められていた事になる。この夜会こそが僕らをーーシスティナから放たれた『工作員』を『仲間』引き込む為に仕組まれた罠だと云う可能性だってあり得るじゃないか。更に言えば、僕たちを餌にして、渋っていた者たちを陣営に引き込もうと画策していたとしても、不思議じゃない。
ーほんっと、食えない王子だな⁉︎ー
僕はバルコニーから中庭へと足を踏み入れた。清涼な夜風が髪を擽る。
『私は現在のライザタニアに憂いている。本来、人間が人間を支配するなどあってはならない。だが、現在の我が国には奴隷制度から始まる人種差別は絶えず、他国との経済格差は広がるばかり。この問題は緩慢たる政治構想にあると私は考える』
僕は脳裏で第一王子殿下の声を反芻する。美貌の王子の、これまた美しい声の記憶を再生を促した。
『王都を解放した暁には、私はライザタニアの国民に人間力を培わせたいと考えている。国民一人ひとりが自己の未来を思い描く事のできる思考力。それこそがこの国の未来を作っていく。私はそう考えている』
『このまま国民が王家に頼りきりでは、ライザタニアに経済の発展はあり得ぬではないか』
第一王子殿下が言葉には力があった。とてもじゃないけど、その場の勢いだけで考えた話をーー虚言を語っているようには思えなかった。
でも、現在の政治体制を嘆いていると言った傍から国民の意識改善から始めるって言っちゃうあたり、結局、どっちが本命なの?とは思う。国家体制のマズさから国民の意識低下がもたらされているのなら、どーにかしなきゃなんないのは『国民の意識』じゃなくて『国家体制』の方じゃないのか?
『殿下。国民の自由意識が強くなれば、国民は王家を蔑ろにし始めるのではありませんか?』
貴族たちが疑問符を浮かべて思案顔になったところであの御仁ーー双刀将軍シュバーン様が第一王子殿下に質問した。すると……
『それは恐れるに足りぬよ、侯爵。国民一人ひとりが『より豊かな生活』を求めるのは決して悪い事ではない。それどころか、豊かな生活を求めて新たな技術を生み出す事こそが我が国の発展に繋がると私は考えている』
シュバーン将軍の問いに対し、第一王子殿下は淀みなく答えた。その答えはまるで、最初から決められていた劇の台詞のようでーー?
ーそっか。アレは『予め決められた遣り取り』だったのかも?ー
ならば納得だ。陣営強化の為には『力のある貴族』の引き込みは急務だけど、内乱が国内全土を巻き込んだものなら、日和見を決め込んでいる『地方貴族』の力こそ必要になってくる。
つまり、この内乱は二人の王子が『国』を舞台に行う『陣取りゲーム』みたいなもの。どれだけの貴族を自軍に取り込めるかで、その優劣が決まる。
見たところシュバーン将軍は第一王子殿下陣営の中ではかなり力を持つ貴族のようだ。彼が第一王子殿下の思想に理解を示しその側で支えるのなら、他の貴族も後追いし易いに違いない。
先ほどの遣り取りはきっと、事前に決められていた劇。イリスティアン殿下は自らの言動を持って貴族たちに揺すぶりをかけたんだ。自分の思考にどれだけの者が賛同するか、それとも、どれだけの者が反感を覚えるか、それを見定める為に敢えて第一王子殿下は際どい話題を挙げた。
ーまわりくどくはあるケド、必要な措置だよねー
未だに二人の王子の陣営は固まっちゃいのだろう。利益と利権が掛かってるんだから、貴族たちはどうしたって日和見にならざるを得ない。貴族によっちゃ、第一王子殿下陣営に残るか、それとも第二王子殿下陣営に寝返るかっていう究極の二者択一を迫られてる奴もいるかも知れない。
ー獅子くんが言ってた通りだ。一筋縄じゃないよ、この内乱ー
僕の脳裏に真白の歯が煌めく『王子様(偽)』が現れた。やったら容姿が良くて、眩しいくらいの笑顔だ。如何にも女子受けしそうなその容姿が思い出され、全身に得体も知れぬ寒気がはしった。
獅子くんは見た目こそ『王子様顔』だけど、その性質はけっこーヤバイ。グレーを通り越して真っ黒だ。自分の容姿の良さを逆手にとって令嬢に近寄り、情報収集してくるなんてのは当たり前。時には自らすり寄って、気のあるフリして篭絡するんだ。そのどこが『素敵な騎士様』なんだか!
でもね、彼の中には『近衛騎士』としての信念と誇り、アルヴァンド公爵家の騎士としての矜持、システィナ貴族としての使命がある。国の未来の為なら親兄弟すら売り渡す事ができる鋼の精神。第一とするのは勿論、国と国主。現在は次期国王たる王太子ウィリアム殿下第一。だからこそ、例え『大切な女性』が大変な目に遭っていようとも、指一つ動かす事はない。
ー彼こそ『騎士』の名を持つに相応しい男だよー
平民上がりの『にわか騎士』の僕には一生かかっても届かない高みに、彼はいる。元より身分も地位もある彼に敵いっこない事は分かっていたけど、こうもまざまざと差を見せつけられると、一溜りもない。
ーま、嫉妬なんてもんはナイけどねー
脳内にある王子様顔の近衛騎士にペンで鼻毛を足しながら遊んでいた時、不意に、背後に気配を感じて僕はハッと振り返った。すると、そこには美しい金色の髪をたなびかせた一人の青年が佇んでいた。
「イリスティアン殿下……」
突然背後に現れたのは件の第一王子イリスティアン殿下だった。
僕は一歩分下がると即座に膝を折った。咄嗟に出てしまった騎士の作法に舌打ちを付きつつも、片膝と拳とを同時に地面について頭を下げると、すぐさま頭上から「楽にしてくれ」との声がかかった。その声音には僅かに苦笑が含まれている。
そりゃそうだ。こっちは『システィナから来た行商人』だっていう皮を被っているんだから。未だ自分たちの口から『システィナの騎士』だとは一言も言ってないのに、咄嗟に騎士の作法を出してしまった。マヌケにも程があるよ。トホホ。
ーきっと、これも彼女の所為だー
ドジでマヌケ、どんくさい彼女。頭は良い筈なのに要領が悪いんだ。『やっちゃった!』と頭を抱える彼女を何度見ただろうか。だからって、僕は彼女を貶してるワケじゃない。僕にとってはどんな彼女も可愛くて仕方ないんだから。
「先程のお話ですが、あれは殿下の本心ですか?」
第一王子殿下の許可を得て立ち上がると、僕は徐に彼に問いかけた。
殿下の方は僕が何の駆け引きもせずに本題に入った事に意外な表情をしたけど、それも一瞬の事。さっと表情を戻すとコクリと一つ頷いた。
「勿論、本心だとも。あの場で虚言を語って何になろうか?」
殿下は追随する従者にワイングラスを手渡すと、そのま下がるよう促す。どうやら殿下は、僕と二人きりで話がしたいようだね。
「リュゼといったか?君は『一視同仁』という言葉を知っているかい?」
「いいえ。生憎、私は無知でして……」
「謙遜を。いや、殊勝なのかな?」
殿下は僕の顔を一瞥すると肩をすくめた。そして、これ以上、話を脱線するのも時間の無駄だと悟ったのか、『一視同仁』について説明を始めた。
身分、出身、敵味方に関わらず全ての者に平等に慈しみ、禽獣にも区別なく接する事を『一視同仁』という。『平等』『公平』『公正』『平等』『不偏不党』『無差別』『慈悲』『慈愛』……人間をその色や形、人種で差別しないこと。天上の神の下に人間は皆平等である。それを端的に表した言葉がソレであると。
「私はこの地に『一視同仁』を体現したいと考えている」
天上の神の下には人間は皆平等であると説いたイリスティアン殿下の言葉に、胸の中に得体も知れぬモヤが燻り始めた。
「……本気、ですか?」
「勿論だとも。私が酔狂でこんな事を語っているとでも思っているのかな?」
「とんでもない」
笑顔で否定するものの、実際には第一王子殿下の言う通りだった。
博愛の精神は結構。だけど、それを第一王子殿下がーー王族が語っている現実、それが僕にとっては不快でしかない。
第一王子殿下は王族という立場に生まれた『トクベツ』な人間なんだ。これまでの人生を貧困や差別とは無縁のーーそれも隔絶された清涼な場所で生きてきたに違いない。そんな第一王子殿下が『平等』を謳うなんて、ちゃんちゃら可笑しい。
「君は私を侮辱したいのかな。私の言葉が気に入らないのだろう?」
「まさか!そのように思ってなど……」
「なれど、気に入ろうが気に入らまいが、君は私を頼らざるを得ない」
「っーー!」
「ああ、やっと顔色が変わったね?」
流鏑馬のように遠くから飛来した鋭い矢ように、第一王子殿下の言葉が胸に深く突き刺さった。
第一王子の声音はこれまでのように甘さを含んだモノではなくて、多量の猛毒を含んだモノに変わっていた。静かに獲物を追い込む地を這う長蛇。舌舐りしながら自身のテリトリーに追い込み、体内に溜め込んだ猛毒をもって溶かす。
勿論、獲物は僕だ。
しかも、既に陣地に引き込まれた後。絶体絶命。背水の陣。元来より、猫は水が苦手でもある。
「システィナの騎士リュゼ。君がーー君たちが『何』を画策しようが勝手だけど、初めから君たちには『選択肢』などない。君たちが我が国の情報を得る為にも私に協力せざるを得ないのだから」
ニッコリと微笑む第一王子殿下の容姿は天使だ。一編の穢れもない曇りない微笑。男女関係なく虜にする微笑みに、僕はゴクリと唾を飲みこんだ。
自分の『正義』が他者の『正義』と同一のモノではないように、『自国の正義』もまた『他国の正義』にと同一にはなり得ない。
そんな事はとっくに承知してる。
第一王子殿下の『正義』が他者からすれば『正義』だとは言えないモノだとしても、彼は、彼自身の『正義』を貫くだけの身分を、そして権利を有している。他者の意見を塗り潰すだけの権利を。他者の存在を塗り潰すだけの権利をーー!
ーそれに加え僕は、僕たちは……ー
無意識に握り混んでいた拳の内側がギリリと軋みをあげる。
「改めて、ようこそシスティナの騎士リュゼよ。我が陣営に他国の力が加わるのは喜ぶべき事だ。どうか弱輩なる我に力を貸しては貰えないないだろうか?」
「……勿論でございます、殿下。非才な身で恐縮なれど、精一杯、ご助力させて頂きます」
ーくそったれが!!ー
天使の微笑に営業スマイルで応えながら、僕は内心、盛大に毒づいた。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、とっても嬉しいです!ありがとうございます(*'▽'*)励みになります!!
『偽りの顔3』をお送りしました。
システィナの行商人の皮を被ったスパイーーリュゼたちが接触を謀った貴族、彼らもまた、リュゼたちを通してシスティナと接触を謀ろうと企む者たちでした。
弟殿下から王都を追われた兄殿下。彼はその麗しい容姿に似合わず、多量の猛毒を含んだ性質を持ち合わせていました。
次話も是非ご覧ください!




