偽りの顔2
side: Sistina
※(リュゼ視点)
夜半過ぎ。子どもはもう夢の中にいる時間だ。だけど、大人たちの時間はまだまだ盛りの時みたいだね。夕刻より始まった夜会の賑わいが収束するどころか、益々盛り上がっている。
夜会の中心は言わずもがな『第一王子イリスティアン殿下』だ。エルフ族の血を引く麗しの王子。彼を中心として水面にできる波紋のように貴族たちが囲んでいる。
商人の顔を被ったシスティナの間諜ーーそれも身分も平民で騎士でしかない僕が、この夜会で目立つ場所にいる訳にもいかない。……と言う理由でバルコニーの暗がりに引っ込んでいた僕だけど、彼らの言動が気になって一歩分だけ部屋の中へ足を踏み込んでみた。
「イリスティアン殿下。この度の内乱に際して、我がシュバーン侯爵家は貴方様のお味方させて頂く事ができ、恐悦至極でございます」
綺麗に撫で付けられた黒髪、整えられた同色の髭。威厳が匂い立つような御仁だ。年齢は四十に届く頃だろうか。鳩胸がヤバくて、殿下に向かって差し出した手首なんてめちゃくちゃ太い。夜会だから貴族の装いをしてはいるけど、その立ち居振舞いから『軍人』だって事は遠目でも判った。
「こちらこそ。双刀将軍と名高き貴殿を味方に得る事ができ、嬉しく思う」
イリスティアン殿下は差し出された手を取ると固く握手を交わす。するとシュバーン侯爵は更に殿下の手の上から左手で包み込むように握り返した。
『双刀将軍』かぁ……!二つ名持ちとは恐れ入ったね。どうやら厚っ苦しいのは見た目だけじゃないみたいだね。『戦う貴族軍人』って感じかな?きっと後方指揮に徹するよりも現場に出て叱咤激励していた方が絵になるよ。
「それにしても侯爵。私がこの内乱に勝つとも判らぬのに、よく味方してくれる気になったものだね?」
シュバーン侯爵の暑苦しい挨拶にやや眉を顰めながら殿下は言った。
殿下の言葉には僕も同感。僕なら勝算のない奴の味方になんてならない。僕は薄情者だからさ。友情より愛情を取るし、公人の立場より私人としての立場を取る。面倒事は嫌だけど都合よく長いものには巻かれてしまう。ほら、人間って打算的な生き物でしょ?でもさ、それは僕だけに当てはまる事じゃないと思うよ。どうしたって打算の上で行動してしまうじゃないか。自分と大切な人たちの命運がかかっているんだからさ。
貴族たちだってきっと同じだと思うよ。いや、それどころかもっと貪欲に権利と権力を主張する筈だ。彼らは自身の爵位と立場、領地と領民を守る為ならどんな事だってするだろう。今回の内乱は自身の立ち位置次第でその後の顛末ーー未来が両極端に違って来るからね。どうしたって慎重にならざるを得ない。リアルに『勝てば官軍、負ければ賊軍』なんだ。同義がどうであれ、勝てば『正義』。じゃあ、負けたらその後、賊軍となった者たちはどうなるんだろうねぇ……?
ー怖い怖いー
ブルリと身震いを一つ。風邪でもないのに寒気がする。
「殿下はお勝ちになられます」
イリスティアン殿下のーーいや、僕の疑問をぶった斬る勢いでシュバーン侯爵は言い切った。オッと僕は目を見張ってシュバーン侯爵の顔をグラス越しにガン見した。
「貴殿には何か目算があるのかな?」
「はい。殿下には大義がおありです。『狂気の王子から王都を解放し、国の未来を正しく導く』という大義が」
ドキッパリと言い切るシュバーン侯爵の歯が白く煌めく。その燃えるような瞳には勝利への自信がありありと表れている。あの様子じゃ、彼は余程、『第一王子殿下の勝利』に自信があるんだろうね。ここまで言い切っちゃうんだから、他にも何らかの根拠があるのかも知れない。
イリスティアン殿下はシュバーン侯爵の輝く笑顔に押されたようにやや苦笑するものの、侯爵の言葉には反論はしなかった。すると、シュバーン侯爵は気分を良くしたように大きく頷き、更に言葉を続けた。
「現在のライザタニアは偽りの支配者によって混沌の中にあります。混乱した国民たちは貧困に喘ぐ毎日を過ごしているのです。国民を混沌の海から救い出す事が出来るのは殿下ーー貴方様に課せられた使命なのです!」
使命ねぇ……それって、自国の未来を都合良く第一王子殿下だけに押し付けるってコトかな?あの小父サンはイリスティアン殿下を担ぎ上げてウマイ汁でも吸おうって腹なんだろうか。
初見じゃ自軍の先頭で敵と対面しながら陣頭指揮を執りそうな御仁だと思ったけど、案外、デスクワークが得意なのかも。実は、裏の顔には喰えない政治家の面があるのかもね。
そんな事を邪推しながらワイングラスを傾ける。喉越しの良いワインがスルリと喉を通り抜ける。スッとグラスを口から離すと、イリスティアン殿下を挟んで対角線上のナイル先輩と目があった。先輩の表情はいつもと変わらない。けど、あの表情はきっと『胡散臭い状況だな?』とか何とか思っているに違いない。
でも、部外者でしかない僕らはこの喜劇の観客でしかない。口出しは厳禁。だから、今は注意深く見守るしかナイですよ、先輩。
「第二に、イリスティアン殿下はこの国の第一王子でいらされます。本来ならば『王太子』の立場にあるお方なのです。その貴方様を差し置いて正式な手続きも踏まずに第二王子殿下が玉座を手にするなど、道理に悖る行いです」
「だが、現に私は王太子の立場を有してはいない」
「それは第二王子殿下も同じこと!現王陛下が『王太子位』を定められぬままに病床に着かれてから三年、現在、仮の王太子の位は第一王子殿下、貴方様の物にございます!」
シュバーン侯爵の強い言葉、その勢いに第一王子殿下は口を閉ざした。その瞳からは笑みが薄れている。しかし、そんな殿下の表情など気にする素振りなく、殿下の意見を聞かぬままにシュバーン侯爵は更に言葉を重ねた。
「現在、王都はシュバルツェ殿下によって占拠されているの状況にあります。第二王子殿下のそのご行為こそが反逆行為そのものではありますまいか?現在の状況を改善する為にも、イリスティアン殿下、貴方様がシュバルツェ殿下を断罪するのは実に理に適った事なのですぞ」
うーん、それは実際には難しい問題じゃないかな?
シュバーン侯爵の話が本当なら、現在、ライザタニアには次期王たる『王太子』が定められていない事になるよね。現王陛下が『王太子』ーー第一王位継承権を持つ人物を定めていないのならさ。となると、側妃から生まれた第一王子殿下、正妃から生まれた第二王子殿下の二方ともが『第二』王位継承者なんだ。
こんな複雑な状況を作り出した現王。きっと現王は自分以外の他者が王位に着く事を嫌がったんだろうね。『玉座に対しての異常な執着』。僕はそれを感じてならないよ。
被害者は確実に二人の王子だ。彼らは次代を担う存在でありながら現王に疎まれた。現王から『自身の玉座を狙う逆賊』であると思われたんだ。
ーそりゃ、国も荒れるわなー
黙ったままの第一王子殿下の表情は暗い。口元さえ笑んではいるけど、その目は決して笑っちゃいないんだ。なまじ容姿が綺麗なだけに、その表情が怖いのなんのって……!だけど、殿下の表情の変化に気付いた貴族は少ない。と云うより、殿下の感情を完璧に無視して進めちゃってるように見えるけど?
「そもそも現王陛下のご病気も、自然からのものか怪しいとのこと。これが第三の理由になります」
シュバーン侯爵のご高説に夜会会場にいた者たちが皆、耳を傾けている。
「もし、私の予測が正しくあった時ーー即ち、陛下のご病気が第二王子殿下の仕業であったのなら、第二王子殿下による背信行為は疑いようもありません。ならば、玉璽を簒奪した王子を討つは次代の国王としての『当然の選択』と云えましょう!」
右手を胸に当て、左手を眼前のイリスティアン殿下へと差し出したシュバーン侯爵。自身の予測に絶対なる確信を持つシュバーン侯爵。しかし、掲げられた掌ーー指の先にあるイリスティアン殿下の表情は硬い。
「聞けば、シュバルツェ殿下は『気に入らぬ』と言うだけで臣下たちを次々とその手にかけておられるとのこと。ーーそうです。狂気に囚われた王子殿下が玉座を手にかける事態をただ眺めているだけなど、できよう筈もございません!」
シュバーン侯爵の言葉ーードギツイ想いが伝播したんだろうね。周囲を囲んでいた貴族たちが次々と声を上げ始めた。
ーやっぱ、ライザタニア貴族も喰えないなぁ……ー
流言による推測、狂動を理由に王族侮辱、誘導の為の甘言……なかなかどうして喰えない小父サンだ。噂一つから邪推と予測を繰り返した挙句、『大義名分は此方側にあり!』と宣言しちゃったんだからさ。あーあ、私利私欲が透けて見えるようだよ、全く。
「大義名分はイリスティアン殿下、貴方様の御手にあります!精霊と神の御名の下、どうか我々をお導きくださいッ!」
「私もお供します!いや、お供させてください!」
案の定、僕の予測と同じような言葉を重ねて自己の正当性をーー自分勝手な正義を叫ぶ貴族が現れた。声高に叫ぶのは、鼻の上のソバカスも消えていない貴族子弟だ。彼ら若手貴族を起点にして次代に声は大きくなり、感情の波は大きな波紋を作っていく。ワインを一口飲む間にイリスティアン殿下の周囲には貴族たちで溢れていた。
それにしても、言うに事欠いて『大義名分』ねぇ。確かに貴族たちの言葉に間違いはない。けど、彼らは何か重要なコトを忘れちゃいませんかね?第一王子殿下には第二王子殿下を討つ為の大義名分とやらはアルけど、肝心の軍事力がナイじゃないか。
僕は軍部は第二王子殿下の手中だってトアル将校夫人から聞いた。加えて、軍務省長官はじめ司令長官も第二王子殿下の軍門へ下ってるってハナシだ。
ー勝ち目あんの?ー
そう思った僕の考えの方がオカシイのかな?貴族たちの言葉も十分、絵空事だと思うんだけど……??
「貴殿らの言葉、有り難く思う。王都を追われた身である私を見捨てず、味方として駆けつけてくれた貴殿らに報いる為にも、私は立ち上がろうではないか!」
ーおおおおおおおお……‼︎ー
イリスティアン殿下の澄んだ言葉が会場に響けば、次いで、貴族たちの歓声が上がった。殿下の宣言は貴族たちの気持ちを十二分に汲んだものだった。貴族たち一人ひとりの想いはどうであれ、殿下は彼ら貴族の力を借りねばならない事に変わりはない。ならば、自分の感情は他所に置いてでもーー貴族たちの想いを汲み取ったフリをしてでも、彼らの気分を高めて気持ち良く力を貸して貰った方が良い。きっとそんなトコロだろうね。
ー喰えないのは殿下も同じ、か……ー
面の皮が厚くなけりゃ王侯貴族なんてやってられないんだろう。彼らには感情より優先すべきモノがあるんだから。
「おぉっ!なんと勇ましいお言葉かっ!」
「それでこそ次期王たるイリスティアン殿下であらせられます!」
咽び泣きそうな勢いで膝をつき、胸の真ん中で両手を組む貴族子弟たち。まるで神にでも祈るような仕草で第一王子殿下を崇め奉る。
第一王子殿下はそんな彼らの歓声を一身から受けながら周囲を見渡し、貴族ら一人ひとりと視線を交わすと、ウン、ウンと頷きを持って彼らの想いを汲み取っていく。暫くすると、第一王子殿下はスッと手を掲げた。すると歓声は波が引くように静まり返っていく。
「私は現在のライザタニアに憂いている。本来、人間が人間を支配するなどあってはならない。だが、現在の我が国には奴隷制度から始まる人種差別は絶えず、他国との経済格差は広がるばかり。この問題は緩慢たる政治構想にあると私は考える」
胸に置かれた第一王子殿下の手。伏せられた瞳、震える睫毛から、殿下が自国の制度について本当に憂いているんだって事が周囲に伝わった。シンと静まる貴族たちの中には、第一王子殿下の愁を帯びた表情に息を飲むものすらいる。
「王都を解放した暁には、私はライザタニアの国民に人間力を培わせたいと考えている」
閉じられていた瞼が開かれ、イリスティアン殿下は強い意志を込めて宣言した。貴族たちからの批判の声は上がらぬものの肯定の声も上がらない。第一王子殿下の言葉の意味を図りかねているんだ。微妙な空気が流れる中、おずおずと手を上げたのはソバカスの青年貴族だった。
「人間力……?それはどのようなものですか?」
ウン、偉いぞ、キミ!きっと君と同じような疑問を持った貴族も沢山いるだろうからね。プライドが邪魔して聞くに聞けない貴族たちは黙るしかなかった雰囲気のなか、君のその空気の読めない発言はまさに救いの手だ!
「国民一人ひとりが自己の未来を思い描く事のできる思考力。それこそがこの国の未来を作っていく。私はそう考えている」
澱みなく答えられた言葉に青年貴族は成る程と頷くのみ。ま、それ以上の反応はできないよねぇ。
「このまま国民が王家に頼りきりでは、ライザタニアに経済の発展はあり得ぬではないか」
奴隷制度による身分差別。王家主体の政治形態。
これだけ聞けばそんなに変わった国家体制でもないけど、どうやら第一王子殿下は自国の歴史に不満があるみたいだね。でもさ、『国の歴史は人の歴史』だ。長い期間をかけて育まれた常識はなかなか覆るもんじゃない。現に貴族たちの中には鼻持ちならない表情を浮かべているヒトもいる。
ーーすると、ここであの御仁が登場した。双刀将軍シュバーン様だ!
「殿下。国民の自由意識が強くなれば、国民は王家を蔑ろにし始めるのではありませんか?」
太い眉の間にはこれまた深い溝が。豪快な笑顔の似合う壮年紳士だけど、この時ばかりは思案顔が拭えずにいたみたい。
「それは恐れるに足りぬよ、侯爵。国民一人ひとりが『より豊かな生活』を求めるのは決して悪い事ではない。それどころか、豊かな生活を求めて新たな技術を生み出す事こそが我が国の発展に繋がると私は考えている」
シュバーン将軍の言葉を真っ二つにしたイリスティアン殿下は、自分のターンとばかりに、自身が王宮政治に返り咲いた時の政策案の一端を、『味方だ』『仲間だ』と自ら宣言し集合した貴族たちへと聴かせ始めた。
その麗しさと聡明さから『妖精王子』との異名を持つ第一王子殿下の声音。語る内容はどうであれ、第一王子殿下と運命を共にすべく集った貴族たちからは最早、疑問の言葉も上がらなかった。
「殿下にはもう『次期王』としての意識が芽生えておいでなのですね?殿下が玉座につかれた暁には、非才なる身ではございますが、是非、私を殿下の幕僚の末席へと加えて頂きたい!」
「そなた抜け駆けか!?……私も是非、幕僚へお加えください!」
私も私も……!と声が上がる。美味しい蜜を求めて花に群がる蝶の如く、第一王子殿下の周囲には『賛同者』が集う。
荒廃か発展か、はたまたーー……?『未来を選択する決断』は一人ひとりが有している。ライザタニアの二人の王子、貴族諸侯、そして国民たち。
ー勿論、僕たちにもー
僕は夜会会場に集う者たちの『偽りの顔』を眺めながら、もう何度目かも知れぬ溜息を落とした。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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『偽りの顔2』をお送りしました。
次期王としての正統性を並び立てる貴族たちによって『盟主』へと担ぎ上げられる第一王子イリスティアン。多少の不満はあれど、第一王子殿下にも彼らを使役する為の大義名分が必要だという事は理解できています。
王都にある第二王子、東都にある第一王子。
どちらの王子も自軍に不安要素を抱えているようです。
さてはて、兄弟喧嘩はこの先どの様な展開を見せるのでしょうか?
次話『偽りの顔3』も是非ご覧ください!




