空想、妄想、絵空事……?
※(アーリア視点)
最近、よく昏睡状態になる事がある。そんな時は決まって悪夢に魘されて飛び起きる。汗をぐっしょりかいて目覚めた時、そこが未だ住み馴れぬ室である事に絶望感を覚える。そんな日々が続いていくと、だんだんと精神の拮抗が取れなくなってくる。住み慣れぬ国、耳慣れぬ言語・文化、向けられる敵意、謂れなき暴言・暴力、監視の目、孤独、孤立……この国には味方なんて一人もいない。ライザタニアに於いてシスティナの魔女は厄災の象徴。招かれざる魔女の居場所はこの国の何処にもありはしない。
ー雨、降りそう……ー
ゴロリとソファに寝転がると、窓越しに雨雲の広がる空を見上げた。今にも大粒の雨が降り出しそうな空色をしている。もうすぐ夕立が降るのかも知れない。
この宮に移動してからというもの、私の生活は堕落を極めている。三食昼寝監視付き。我ながら良い身分だよね。しかも仕事や家事もしなくて良いの。けど、やりたい事は何一つ出来ないから退屈で仕方がない。気を紛らわせる何かがあれば、ここまで腐ってなかったと思う。暇だと考えても仕方のない事をグチグチと考えてしまうのが難点だよね。
「ーー娘よ、どうしたのだ?暫く見ぬ内に、痩せたのではないか?」
バサッと羽が翻る音。何処からともなく聞こえてきた美声に私は擡げていた顔を上げた。ソファの肘掛の上、そこに硝子細工のように美しい赤鳥が降り立つのを捉えてハッと目を見開いた。
「ルツェ、さま……どうやって此処に……⁉︎」
部屋を見渡せども窓一つ開いていない。扉も締め切られている。部屋の外には監視の騎士と宮の管理をしている侍従・侍女がいる。このように美しい鳥が誰の目にも捉えられずに、しかも監視の目を掻い潜って入室を果たすなんて出来る筈がない。すると、疑問符片手に首を巡らす私の前で、ルツェ様はドヤ顔で美しい翼をバサリと広げた。
「我に入れぬ場所などないッ!」
「さーーさすがです!」
神出鬼没の赤鳥ルツェ様。ルツェ様に入れない場所なんてない(ハズ)。人間の言語を話すくらいだもの。今更これぐらいの事で驚いていても仕方ないよね。
「どうした?元気がないな。食事はとれておるのか?食事は身体の資本であるぞ」
「そっか……ルツェ様には、何でも分かってしまうのですね?」
クスリと苦笑い。私は崩していた膝を揃えるとルツェ様を前に姿勢を正した。
「食べなきゃ体力がつかないってコトは分かってはいるんですけど、何だか身体が受け付けなくて……」
「ふむ……そなた、毒でも盛られたか?」
私はルツェ様にライザタニア王宮に来てから起きたことを洗いざらい話した。ルツェ様の事だから言わなくても何もかも知っているような気もしたけど。それでもルツェ様は私の話を「うむ、うむ」と頷いて聞いてくれた。何だか、話す事で気持ちが落ち着いてくるから不思議。それに……
ールツェ様の声、耳心地いいー
捕虜が敵国に囚われて一番心配なのは『毒殺』だ。
人間の身体は食事を摂らなければやがて機能が停止ーーつまり、死んでしまう。生命を永らえさせるならどうしたって食事は必要だ。それなのに、その食事に毒が盛られていたらどうすれば良いだろう?
王侯貴族たちは食事をする前には必ず、食事に《解毒》魔術をかける。食べる前に対処するの。そして食べた後にも自身の身体に《解毒》魔術を施す。毒味役がいたとしても防げない場合がある事を知っているからの対処だ。それくらい《解毒》魔術は大切だってこと。
だけど、今の私には制限がかけられているから、その手の対処が出来ない。なのに、ライザタニア王宮に来て早々、食事に毒を混ぜられるようになった。そのどれもが微毒で、食べた直後は分からないもので、しかも遅効性で食後二時間くらいかけてジワジワ効いてくるものだった。そして、痺れて動けなくなったところを侍女に浴室に連れて行かれ、一方的に暴言と暴力を振るわれた。私がライザタニアにとって憎むべき敵国の魔女だと分かっていてもーー拷問されるのは当たり前の立場だと分かっていても、辛い事に変わりはなかった。魔術が使えなくともせめて魔宝具があれば、そう思った事は一度や二度ではない。
「そうだのう……。ライザタニアは熟れすぎた果実のように腐り落ちる寸前なのだ」
私の話を聞いた後、ルツェ様はウムと顎を下げて難しい表情をした。
「嘘のように聞こえるかもしれんが、ライザタニアという国は自己の未来を他者にーー神に委ねた信者の集まりなのだ。祈っておれば神が必ず何とかしてくれるはず、幸せに導いてくれるはず……とな」
ライザタニアが精霊や神を信仰する国民性があるとは知らなかった私は、ルツェ様に問い質した。
「ライザタニアは信仰国家だったのですか、帝国のような……?」
「いいや。この場合の神とは王のこと。国王が国民の負担を背負っておるのだ。そして、神殿もまた、国家の腐敗に一役買っておる」
「神殿って、賢王の妹姫さまが興した王家の互助組織じゃなかったかしら?」
「そうだ。ーーしかし、王家と表裏を共にしてきた神殿もまた、時を経てその存在を変質させたのだ」
ルツェ様はどこか遠くを見つめながらフゥと溜息を吐くと、暫くの間を開けて、その首を私の方へ巡らせた。
「アーリアよ、知っておるか?人間は死ねば輪廻の輪を廻り、再び生まれ変わるのだそうだ」
「え?は?」
「まぁ、普通の思考さえあれば、そういう表情にもなるだろうなぁ……。だが、この馬鹿げた考えこそがライザタニアに於ける死生観の基礎をつくった原因であり、戦争という残虐非道な行為を容易に行えてしまう要因なのだと思われる」
妄想。空想。絵空事。いや迷信の類。そう思える虚言か真実か分からない話。なのにそんな話を心からウソだと言い切れない自分がいた。
『生まれ変わり』、『生き返り』、『輪廻転生』。それらは正に、創造主バルドの研究テーマだった。彼は妄執に取り憑かれたかのように、ただ一人の女性を蘇らせようとしていた。その為にどれほどの違法行為に手を染めようとも……
「『人間は死んでも蘇る』。こんなホラ話を信じたバカ王がおっての、更にその言を信じたバカ貴族共が近隣諸国を侵略せんとし、戦争をバカスカ起こしおった」
「なんで、そんなバカな話を簡単に信じちゃうの?」
「それが宗教のーー信仰の恐ろしい点と云えよう。人は恋をすれば盲目になるというが、まさにソレと似た原理ではなかろうか。信仰は人々の目を曇らせる。その者が恋から覚めぬ限り、効果はいつまでも持続するというワケだ」
私はルツェ様の言葉をバカなと一刀する事なんて出来ない。身に覚えがありすぎて、笑う事も出来ない。
「因みに奴ら権力者たちは、心底そのようなマヤカシを信じておる訳ではない」
「え?でも、さっきの口振りじゃぁ……」
最初のルツェ様の話では、現王をはじめライザタニアの王侯貴族は皆、『輪廻転生』を信じているようだったのに、ルツェ様はそれをウソだと言った。ルツェ様の話を鵜呑みにしていた私は眉を顰め首を捻った。
「ハハハ、ソナタは本当に素直な娘だな……!」
ルツェ様は軽やかに笑い出した。いくら分厚い壁があるからって、そろそろ外の騎士たちに私たちの声がーールツェ様の笑い声が聞こえちゃうんじゃないかって、心配になった。
「えっと……?」
「失礼、揶揄ってなどおらぬよ」
ルツェ様は一頻り笑うと私の頬にそっと片翼を添えた。
「佞臣共は己が身が可愛いだけなのだ。輪廻転生を信じていたとしても、どうして今世の肉体を容易く捨てられようか?奴らは国民という無知な群衆を言葉巧みに操る事で、己が身を守らせているに過ぎぬ」
成る程。例え『輪廻転生』や『甦り』を信じていたとしても、自分の生命が脅かされる事態を貴族たちが受け入れる筈はない。でも、自分より身分の低い者たちーー平民や奴隷なら、どれだけ傷つき生命を落としたとしても構いはしない。実に自己愛の強い者たちらしい考えだと思う。
「やっぱり、インチキじゃないですか?」
思わず零してしまった言葉。口の中に苦い物が広がっていく。すると、眉を潜めた私の顔に、ルツェ様は確信をつく言葉を投げかけてきた。
「……ソナタは宗教や神という存在を信じてはおらぬな?」
「いいえ。この世に精霊や魔法、魔術の存在がある以上、神は存在するのだと考えています。人間の想像力だけで魔術が起こせるなんて、出来過ぎでしょう?」
この答えが意外だったのか、ルツェ様は「それでは?」と次を促してきた。
「神に祈れば助かるなんて絶対にないですよ。祈るだけで幸せになるのなら、この世に不幸な人間なんていません」
「なるほどな。神の存在を確信してはおるが、信じてはーーいや、縋ってはおらぬ、と……」
「生まれてすぐに捨てられる子ども、飢えに苦しむ人たち……今まさに理不尽な暴力に晒されている人たちが、この世には大勢いる。それに、祈ればどうにかなるのなら、この世はもうとっくに滅びていますよ」
「それはなかなか大胆な思想だな?」
「そうですか?だって、苦労や努力をしなくとも神様が幸せにしてくれるんですよ?誰も彼も、真面目に働かなくてなっちゃうじゃないですか」
するとルツェ様はポカンと口を開けた後、私の頭にポンと翼を置いてこう言った。
「誠に!やはりソナタ、タダのアホの子ではなかったのだな?」
「ルツェ様っ……!」
やっぱり私のイメージは『アホの子』で固まっているみたい。しかも、イメージ払拭には時間がかかりそうだな。
「あぁ……そっか。だからこの国は滅びに瀕しているとルツェ様は仰るのね?」
私はルツェ様との会話から、ルツェ様の最初の言葉に納得を覚えた。
「その通り。自らの運命を他者に預ける。愚者の考えだ。そんな者たちの住まう国に発展はない。残念な事に、現王にはその発想ができなかった」
「現王って、シュバルツェ殿下のお父君ですよね?もう二年もの間病床にあるって聞きますけど、そんなに病状が酷いのでしょうか?」
「アヤツは殺しても死なぬよ。三つ子の魂百までとはよく云ったもの……」
苦虫を噛み潰したような表情かな?鳥だから表情っていうのが殆ど判らないんだけど、私にはルツェの横顔が苦々しく歪んでいるように思えた。
「ソナタ、第二王子の事をどう思う?」
ルツェ様は突然話題を変えてきた。それも、苦手で苦手で仕方ない第二王子について。ウッと喉が詰まって言葉が咄嗟に出なかった。
「……シュバルツェ殿下の事ですよね?え、うぅん、そのぉ……端的に言えば『変態』ですかね?」
「変態か……」
「だだだって!シュバルツェ殿下は他人の嫌がる事をするのが大好きなんですよ?」
「う、うむぅ……」
「私が嫌がれば嫌がるほど、凶悪嬉しそうな表情をするんです。これを変態って言わずに何と言うの?」
私が一国の王子を変態呼ばわりするとは思わなかったのかも。ルツェ様はこの日初めて素っ頓狂な声を上げた。それでも私は、シュバルツェ殿下への評価を変えるつもりはない。いくら容姿や声が美麗くても、あの男性はダメ。
「あの王子に『恐怖』を覚えぬのか?」
「恐怖?」
「巷では『狂気の王子』などと呼ばれておろう?現に気に入らぬと言っては臣下たちを次々に粛清しておるではないか」
「うーん、恐怖は感じないかな?」
「何故、と聞いても?」
「えっと……確かにシュバルツェ殿下は貴族たちの粛清をしているようだけど、それは私には関係がないコトだから……」
私は宮にいる時のシュバルツェ殿下しか知らない。日中は王宮で仕事を熟し、夜中に疲れて帰ってくる第二王子。くたびれた会社員のような姿を見てしまったあの夜から、『狂気の王子』という渾名があった事なんて、すっかり忘れてしまっていた。
「だから、私から見た殿下という人は『他者の嫌がる顔を見て喜ぶ変態』という評価しかないの」
「それはそれで、どうかと思うが……」
「それよりも!殿下にはデリカシーが無いから困ってます。それに、殿下が一体何考えてるのか分からないから、また突拍子も無い事をしでかすんじゃないかって、いつもドキドキしてる……」
最近で言えばあの夜会ーー『第二王子の狂宴』がそう。捕虜にしたシスティナの魔女を鳥籠で飼い、調教している姿を他の貴族たちに知らしめた。
「近頃では、殿下のあの行動は全て、計算されての事じゃないかって考えてます」
「ほう……?」
「賢い王子だもの、シュバルツェ殿下は。きっと、無駄な事なんてしない」
「随分とあの王子の事を買っているではないか?」
私はゆるゆると首を左右に振った。私はシュバルツェ殿下の事を認めてなんていない。私は殿下の見たままを判断しているだけなの。
「現在進行形でライザタニアは内部紛争中なのに、一向に他国が攻めて来ないのがその証拠。きっと、あの王子が裏で糸を引いているに違いない……」
これは確信にも似た考えだった。第二王子が噂通りの狂人だとしたら、この国は今頃、他国からの逆侵略に遭って瞬く間に滅びている筈。なのに、この国は未だに持ち堪えている。完全に腐敗するのを寸前で留めているのは……?
「ルツェ様?」
「なんだ?」
私はもう一度ルツェ様に向き直ると、赤い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ギュってしても良いですか?」
「……。我に人形になれと?〜〜あ、いや、そのような表情をするな。よ、良い、許す!」
私はルツェ様の許しを得て、ルツェ様を両手でそっと持ち上げると胸の中に押し抱いた。滑らかでしっとりとした羽の感触を頬に感じた。
「辛いか……?……では少しの間、我が共にいてやろう。ゆるりと休むがよい」
私はルツェ様を押し抱きながらコテンと身体を横たえ、息を吐くとそっと目を閉じた。ルツェ様との会話はそれほど長い時間ではなかったけど、思った以上に体力を消耗したみたい。こんなんじゃいざという時、俊敏に動く事なんてできない。キチンと食事を摂って眠って、体力を万全の状態に戻さなきゃ。
目を閉じると浮かぶのは一人の青年。唯一自ら望んで得た護衛騎士。側にある事を許した他者。側にいたいと願った大切な男性。
神を信じない私には、きっと救いの手は伸びてはこない。だけど、一度だけでいいの。一度だけ、私の願いを聞き届けてほしいーー……
「逢いたいよ……」
お読み頂きまして、誠にありがとうございます!
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『夢でも良いから』をお送りしました。
リュゼと気持ちを同じく、アーリアもまた、リュゼのもとへと帰りたいと思っています。しかし、自分のミスで囚われた手前、安易に帰りたいとは言えず、その代わりに夢でも良いから逢いたいと思っています。
次話も是非、ご覧ください!




