※裏舞台3※闇中事件2
※(アルヴァント公爵視点)
その報告は私が王宮へ出勤した朝一に齎された。
「ーー何と……それは真実か?詳しく申してみよ」
「は!ハーベスト侯爵のご遺体が今朝方、屋敷で発見されました」
宰相府執務室に疾る緊張。直轄の部下より齎された報告に、室にいた誰もが言葉もなく立ち尽くした。かく云う私もそうだ。この宰相府の長官としての立場からどうにか平静を装ってはいたものの、表情に焦りと困惑とを出さぬようにするのは困難であったのだ。ともすれば流れそうになる汗と呻き声を噛み締め、部下からの報告に耳を傾けた。
「医師の見立てでは死後半日以上は経過しているとのこと。また、屋敷の住人ーー執事、従者、侍女、その他全ての職員に至るまで惨殺死体として発見されました。第一発見者は数日前より実家へと戻っていた侯爵夫人とご令嬢であります」
「事態発覚が遅れた理由はそれか……。子息とは連絡がとれたか?」
「はい。留学先より急ぎ帰国するように連絡を入れてあります」
狙いはあくまでも『ハーベスト侯爵』本人。ハーベスト侯爵家の滅亡が目的ならば、今頃、夫人や令嬢は勿論、子息はこの世の人ではなかっただろう。
「侯爵夫人と令嬢、そして子息にも護衛をつけよ。家族や親族からの事情聴取、屋敷周辺の聞き込み調査も同時に進行せよ。また、新たに判明した事があれば逐一報告するように」
「了解しました」
身を翻して宰相府より出て行った若い貴族官僚の背を見ながら、私は知らず深い溜息を吐いていた。ギシリと音を鳴らして椅子に腰掛ければ、既に周囲にいた部下たちは一斉に情報収集に乗り出していた。
ーまんまと殺されてしまったー
そもそも私はハーベスト侯爵が黒だと初めから分かっていた。分かっていて泳がしていたのだ。ハーベスト侯爵からすれば上手く隠していたつもりのようであったが、その匂いまでは隠せ仰せはしなかった。
しかし、今はそれが裏目に出てしまったとしか言えない。ハーベスト侯爵から繋がる糸を手繰り寄せる前に、手前で糸をプッツリと切られてしまった訳だ。
ハーベスト侯爵を殺害した犯人からすれば、王宮から伸びる糸が真相にまで辿り着く前に切っただけに過ぎない。目の前の障害を取り除くように、アッサリとハーベスト侯爵を見捨てたのだ。
ー彼はスケープゴートにされたのだー
システィナは魔術国家としての方面ばかりが目立っているが、内政では法律が何よりも重きを置かれた法治国家だ。法治国家と名乗るに相応き法が各分野に於いて定められ、国内を円滑に運営ていた。勿論、生活形態の違いにより異なる事例が多い為、法律は貴族用と平民用と分けて定められている。また、両者が対立する際には、貴族だけの言い分を憂慮せぬように弁護人が仲介し、どちらもが納得し得る結果を出す事が求められていた。
しかし、それでも貴族優位になるのは否めない現実はある。国王を頂点にして王族、貴族、平民と地位がある以上、平民は貴族に、貴族は王族には敵う事はない。しかし、平民同士であっても果たすべき責任はあるように、平民の上に立つ貴族、そして王族には、システィナという王国をより良い国家にする為に責任を持たねばならない。その為の地位と権力なのだ。
元より勤勉さと熱意が強いシスティナの民は魔法という奇跡の術から魔術を、魔術から魔宝具を生み出した。それらは国民一人ひとりの生活が快適になる為に生み出された道具であった。現に、魔宝具は国民の生活を快適にし豊かにしている。だが、人々の暮らしを幸せにする為の魔宝具を、争いのーー人を傷つける道具へ変化させる者が現れるのは時間の問題であったのだ。
何も魔宝具だけには限ったものではない。野菜や肉を切る為の包丁、木に杭を打つ為の金槌、部屋に灯りを灯す為の火種、そのどれもが人を傷つける道具になり得る物なのだから。
だからこそ、システィナでは建国より法律制定に力を入れ、規則を定め、王国全土に道徳教育を推し進めた。『最後に必要となるのは人間一人ひとりの想いである』。建国の王はそのように国民一人ひとりに諭して聞かせたのだ。
建国より三百五十年余り、システィナでは魔術や魔宝具を使った内戦は一度もなかった。だが、歴史に残るほどの争いこそなかったものの、小さな小競り合いは一度とならず幾度も勃発していた。
ー愛と正義とを説いて、それを遵守する者がどれだけいようか?ー
愛では腹は膨れぬのだ。これは悲しむべき現実だ。
飢餓で苦しむ家族はこのシスティナでも見られる光景だ。日々の生活苦から親が子を捨て、捨て子は犯罪組織の一端となる。子殺し、親殺し。そのような痛ましい事件は毎日のようにこの国の何処かしらで起きている。残念にも思うが、その者たち全てを救う術は我が国にはない。
貧しい者に金を与えれば良いと言う単純な問題ではないのだ。その一人ひとりが自らの足で立ち、日々の生活を送れるだけの支援。言葉にすれば簡単に思える事だが、現実問題、その者たちを支えていける国力は我が国にはない。国家が出来る事といえば、精々、国民がより良く暮らせる為の地盤作りーー例えば、道や川、田畑を整備し、安定した飲み水を供給することーーくらいだ。領民に無謀な搾取を行わない領主を派遣し、領主となる貴族の監視及び管理を行い、他国との貿易、流通の管理すること。時世に合わせた法律の整理すること。地味な問題をコツコツと解決する為の機関が『王宮』という政治機関であり、王宮を円滑に動かす貴族官僚なのだ。
貴族官僚には優秀な者もいれば愚鈍な者もいる。それは当たり前なのだ。そもそも貴族には数が限られてくるし、優秀な親から優秀な子が生まれるとも限らないのだから。その逆も然りであり、愚鈍な親から優秀な子が生まれる場合もある。正義に燃える官僚の子が犯罪組織の一員である事も珍しくはない。ある程度は親が子どもに施す初期教育がモノを言うのだが、それも個人の資質が違えば結果もまた違うものなのだ。
それこそが、我が国が初期教育に最も力を入れている理由だ。18歳で成人を迎えた貴族は、留学する者や研究機関へ入る者もあるが、大半は成人と同時に王宮(=政治機関)へ足を踏み入れてくる。だが、その時にある程度の基盤ができてなくては、使い物にならない。だからこそ、貴族には6歳から15歳までの間、国立の教育機関に所属する義務が定められている。
「惜しい者を亡くしてしまった……」
ハーベスト侯爵のような貴族は国に必要な歯車なのだ。正しい判断を持つ正しい官僚だけでは国は立ち行かぬ。王宮には煌びやかな側面と暗く濁った側面とか共存している。『魔宝具は暮らしに役立つ道具』と声高に叫ぼうが、『戦争に役立つ道具』である側面は消えはしない。システィナでは禁じられた魔宝具の軍事転用も他国に於いては公的に認められている現実があり、それは何もライザタニアだけではないのだ。
要は、魔宝具を誰が管理しどのように使用するかが問題なのだ。逆に言えば、国家が魔宝具の製作者と用途、卸元と使用者とが確認出来てさえいれば良い。その為の等級制度と商標登録なのだ。
ライザタニアは国が魔宝具を管理し、戦争の名目で軍隊に貸し与え、使用させている。魔宝具は戦争の道具であり、民間人の為の生活の道具ではない。これがライザタニアとシスティナとの差であった。
ハーベスト侯爵はこの事実に目をつけ、ライザタニアにシスティナ製の魔宝具を卸していた。ハーベスト侯爵以外にも同じような裏事業に手を染めている貴族は少なくない。これをいちいち取り締まるのは愚作であった。悪徳貴族一人逮捕しても何処かからまた同じような悪徳貴族が現れるのだから。
だからこそ、ハーベスト侯爵の裏商売は黙認されていた。ハーベスト侯爵の動向さえ注視しておれば他の貴族との繋がりをも見つける事ができるのだ。彼の行いがシスティナの法に触れる悪事だと分かりながらも黙認していたのは、他の貴族の動向を見張り、動きを管理する為でもあったのだ。
ーリュゼには悪いことをしたがなー
『東の塔の魔女』に付けた専属護衛ーーリュゼは実に優秀な青年だ。平民出身とは言うが、そうは思えぬほどの学を持っている。武術の腕前もなかなかのものだ。その有能さは言葉を少し交わせばすぐさま判るほど。
話術、武術、簡単な魔術をも熟せるリュゼは、元は犯罪組織の一員だった。私はその犯罪組織に囚われていた折、彼の機転によって窮地を救われた経緯を持っていた。
リュゼの話によれば、彼の所属していた犯罪組織の魔導士は『話の分からぬ馬鹿な部下』というものが許せなかったらしい。犯罪組織らしからぬ行動理念ーー部下に学を施し、武術を学ばせ、魔術を会得させたのは、その考えからくるのではないかと教えられた。
平民のーーそれも犯罪組織に身を置いていたリュゼと、貴族であり犯罪とは無縁であった私とが、現在、友と呼べるほどの気安い関係を築いているとは、今でも不思議に思えてならない。年齢などは親と子ほど離れているのだ。それでどうして話が合うのかと常々疑問に思うのだが、リュゼの方が歳に似合わず達観した考えを持っているのだと気づいた時には笑いが込み上げて来たものだ。
ー実に気の良い青年だー
リュゼは他者の気持ちの揺れに敏感な感覚を持ち合わせている。相手の目線、口調、仕草、体温を感じ取る事に長けており、相手の本質を見抜く目を持っているのだ。生きていく為に身につけた特技であろうが、それはこの世界ーー特に貴族社会で生きるには最も必要な能力だ。それより何より、リュゼは他者に対して細やかな配慮のできる青年でもあったのだ。
あの時、愚息ではなくリュゼをアーリアのお守りにつけた事は、今でも間違いでは無かったと確信している。愚息ではアーリアを支え切れなかったに違いない。
確かに、サリアン公爵の手から彼女を守り通したのは愚息の力だ。だが、愚息は『自分の復讐心の為』、『サリアン公爵を断罪する為』など、要するに『自分の願いの為』にアーリアを守ったに他ならず、『アーリアの為』に何事かを成した訳ではない。それは愚息の様子を見ていれば分かる事だった。
ー愚息は騎士以外の者にはなれんー
愚息は良くも悪くも『アルヴァント公爵家の男』なのだ。『国家と国王陛下、そして王族の為にこそ自らの生命はある』。そのように育てられた男、育てた男だ。それは例え一時、犯罪組織に身を置こうとも、思考そのものは一片たりとも変わる事はなかった。寧ろ、国と王家、そして国王陛下への忠誠心は、より強くなったようにも感じられた。私にはそれが、一種の『反動』ではないかとも思えたものだ。
ジークフリードは国の為に己の身を捧げる事を是とした騎士。サリアン公爵を断罪した後、近衛騎士団長より近衛騎士復帰を示唆された時、やはりジークは迷わず己の剣を国王陛下へと捧げる事を選んだ。
ーあの時には既に、アーリアとの未来など頭になかったに違いないー
加えて、アーリアは『ジークフリード』という男が根っから『アルヴァント公爵家の騎士』であり、『国家と王家の為にある者』なのだと信じていた様子がある。愚息の王国に対する忠誠心を誰よりも理解していたのはアーリアだとも言えよう。そんなアーリアに愚息は甘えたのだ。
愚息は確かにアーリアへの恋心を持っている。しかし、国家と王家、そして陛下への忠誠心とアーリアへの愛情とを両立する事は出来なかった。我が息子ながら何とも情けない男だと言わざるを得ない。
ーだからこそ、私はリュゼをアーリアにつけたワケだが……ー
リュゼは私が『東の塔の魔女』アーリアの為に用意した護衛だ。アーリアは平民魔導士ゆえに堅苦しい事を厭う傾向がある。だからと言って護衛を付けぬ訳にもいかなかった。何せ、彼女は我が国の防衛の要ーーその一柱を担っているのだから。
サリアン公爵の事件に於いて、アーリアはその存在を内外に知られる事となった。それは私としても、そしてアーリアとしても予期せぬ出来事であったとは思う。アーリアとしては『これまで散々放ったらかしにしていたにも関わらず今頃になって何故?』との思いが強かったのだろう。私が彼女の立場ならもっと激しく憤っていた筈だが、宰相となった私の思惑で身辺を徐々に囲い込まれていった為に、彼女は憤るタイミングを逸してしまったのだ。
そうこうしている内にアーリアは様々な事件に巻き込まれていった。エステル帝国の皇太子と我が国の王太子の思惑によりエステルに島流しに遭い、エステルに於いて偽姫生活を余儀なくされた。その後、エステルとシスティナとが和平に漕ぎ着け、漸くシスティナへと帰国できた矢先にアルカードに送られ、『塔』の業務に従事させられてしまった。そしてそのまま、その機を好機と捉えた騎士団によって囲い込まれ、そして、遂に恐れていた事件が起きてしまった。
アーリアがライザタニアに拉致されたのだ。
アルカード襲撃から半月余り。『東の塔』の管理者であるアーリアが拉致されたまま、システィナでは無作為に日だけが過ぎていた。襲撃者はライザタニアの者だとの確証は得ていたものの、以前、捜査は難航している。襲撃者の背後にハーベスト侯爵始め、幾人かのシスティナ貴族の存在がある事は分かっていた。だからこそ、ハーベスト侯爵を皮切りに捜査の手を国内全土に広げていたのだ。糸の先ーー針に餌をつけて垂らし、餌に獲物が食いつくのを待って竿を引く準備を整え、そして、今まさにその糸を手繰り寄せようと竿を握った矢先、糸は何者かによって切られてしまった。これで捜査はやり直しーーいや、見直しを余儀なくされるであろう。
ーこの期に及んでライザタニアに直接抗議もできぬとは!ー
ライザタニアに対してこの度の事件について直接抗議する事ができたなら、どんなに楽であったことか。『自国の防衛を重視するシスティナからは隣国に攻撃する事はない』との国の性質を逆手に取られている為に、システィナは常に受け身となっているのだ。三年前の先制攻撃の際も、今回の襲撃を受けても、全てが全て、ライザタニアの思う通りになっている現実には歯痒さを感じてならない。何故、こちらから攻め込んではならないのか⁉︎ と……。
戦争を起こしたくないのは分かる。一度戦争が起これば幾人もの国民が尊い命を失う事になるのだから。では、自分と自分の親しい者たちが傷つかぬ為ならば、国の為に犠牲になる者があっても良いのだろうか⁉︎ 自分たちさえ幸せならば、その者の事は見捨てても良いのだろうか⁉︎
ウィリアム殿下はアーリアより『何事か起きた時は自分を見捨てるように』との言葉を受けたと云う。その時は『何をバカな!』と憤っておられた殿下も、この度の事件を受けて以降、相当強い焦燥感を受けておられた。『東の塔』では魔女が拉致されて以降も《結界》の消滅は起こっておらず、国境防衛に何ら支障はないという。こうなれば、依然、彼女の言った言葉に信憑性が出てきたと云うもの。
私は魔女の後見人という立場であるというのに、未だ彼女を救い出す算段すら立てられずにいる。役立たずの体たらくとは事のだろう。にも関わらず、彼女はこの国に居らずとも『東の塔』の管理者としての業務を果たしているのだ。
「嗚呼……!」
知らず、私の口から小さな呻き声が漏れていた。その私の前に一人の壮年の貴族が進み出てきた。
「どうなさいました、閣下?」
「何でもない、シュトライト伯爵」
「そうですか。ーー閣下、エルラジアン侯爵とのアポが取れましたが、如何なさいますか?」
軍務省副長官職にあったハーベスト侯爵が殺されたのだ。この話は一両日中には王宮の皆が知るところになるだろう。すると、その上司である軍務省長官がその犯人だと言う者が現れるに違いない。その前にエルラジアン侯爵の身柄を抑え、保護し、ある程度の事情を聴取しておく必要があった。
「エルラジアン長官には直接宰相府へお越し願おう。早速、手配してくれぬか?」
「承りました」
「午後の会議は予定通りに行う」
「では、警備の強化も手配します」
よき理解者であり片腕でもあるシュトライト伯爵は宰相の命令に頭を下げる。と同時に、シュトライト伯爵は私の目線の意味を正確に受け取ると、その頷きを持って返答に代える。既に宰相府や軍務省にはその動向を探る輩が現れているだろう。軍務省の副長官ハーベスト侯爵が暗殺されたのだ。次の被害者が出る可能性もあり、その対策を早急に立てておく必要があった。だが、この私の対応が後手に回る事になるとは、この時は知る由もなかった。
この日の午後、虜囚であるサリアン公爵の脱獄が報告されたのだ。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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『裏舞台3:闇中事件2』をお送りしました。
ハーベスト侯爵が殺害された事が宰相閣下の下へ報告されました。
ハーベスト侯爵の動きを把握した上で泳がせていただけに、報告を受けた宰相閣下の衝撃は計り知れません。事前に何らかの手を打っておけなかった事を悔いています。しかし、ハーベスト侯爵暗殺の騒動も収まらぬまま、次の事件が起きます。例のあの人が牢から姿を消したのです。
次話も是非ご覧ください!




