※裏舞台2※ リュゼの決意
※(リュゼ視点)
誰も居ない部屋。けど、確かに誰かが過ごしていた形跡の残る部屋をぐるりと見渡した。寝台のサイドーー丸卓の上には皮張りの本が積み上げられており、その一番上にある本には栞も挟まれず無造作に伏せられている。
僕は寝台に腰掛けると、丸卓の一番上に伏せられている本に手を掛けた。
『美味しい林檎パイの作り方』
思わずフッと小さな笑いが溢れた。これを読んでいる時の彼女の表情が容易に想像できたからだ。きっと細い眉を真ん中にギュッと寄せ、やたらと難しい顔をして読んでいたに違いない。
魔法や魔術、魔宝具の作製に於いてはその才能を十二分に発揮している彼女だけど、それ以外の事についてはテンでダメなんだ。見た目だけなら何でもそつなく熟せそうに見えるのに、実は生活能力が底辺にあるなんて誰も信じないだろうね。中でも料理はド下手と言っても良いほど酷いんだ。
ーでも、あのケーキは美味しかったなー
うっかり口を滑らせて料理の下手さを指摘してしまったあの日以降、彼女はずっと根に持っていたみたいなんだ。と言うか、あの言葉で彼女の中の何がを焚きつけたてしまったのかも知れない。流石に『林檎の皮も剥けないの?』とは言い過ぎだったね。ああ、でもーー
「あーあ、僕が教えてあげるつもりだったのになぁ……」
彼女が突然『料理を習う』と宣言して騎士寮の料理人の元へ通い始めたあの日、僕は彼女の負けず嫌いを目の当たりにした。だけどそれ以上に、僕があげた白いフリルのエプロンをつけて料理に励む彼女を見た時には思わず天を仰いでしまったよ。『嗚呼、神よ!』ってね。だって、彼女のエプロン姿がめちゃくちゃ可愛いかったからさ。普段はちっとも信じちゃいないけど、たまには神に感謝しても良いと思わないか?それにさ、彼女は僕を見返そうとしてーーつまり、僕の事を考えながら料理を作ってくれるんだから、嬉しさも一入だよ。
でもね、僕は君が料理なんか出来なくても一向に構わないんだよ。君さえ側に居てくれたら、それだけで良かったんだ。
あの日、彼女ーーアーリアは自室で休んでいた所を襲われた。部屋の入口付近に赤黒いシミがあった。あれはナイル先輩がセイに刺された跡だ。その他、部屋の中は特段荒らされた様子はなく、唯一無くなっていたのは毛布一枚だった。アーリアがいつも身につけている白マントは椅子に引っ掛けたまま。彼女がいつも身につけている魔宝具や髪飾りも置きっぱだった。それに浴室の籠には脱いだ服が入れっぱなしになっていた。それで僕は嗚呼と納得した。
ーアーリアは入浴後すぐにあの騒動に巻き込まれたー
「どおりで身軽だと思った……」
あの夜、彼女は薄手のブラウス一枚で上着すら羽織っていなかったんだ。
思い出されるのは白いブラウス。ブラウスを引き裂き、白い肌を切り裂く黒い爪。飛び散る鮮血。黒竜の爪は彼女の柔らかな肌を易々と切り裂いた。
ー壊れてしまう!ー
そう、思った。
彼女はシスティナの東の国境を守る守護者ーー『東の塔の魔女』と呼ばれる高位の魔導士だけど、その見た目通り、彼女はか弱い女性なんだ。騎士たちの前では気丈に振る舞ってはいたけど、あんなの虚勢でしかない。騎士たちが抱く理想をーーイメージを壊さぬ為に『塔の魔女』を演じていたに過ぎないんだ。彼女はそこらの娘となんら変わらない、甘い物好きで、魔宝具を作るのが大好きな『ただの魔女』なんだ。
「何で最後まで守ってやれなかったんだろう……⁉︎」
側にいて守ってあげると言ったのに、君が嫌だと言っても側にいると誓ったのに……!
ボフッと寝台にうつ伏せに倒れるとギュッと目を瞑った。シーツからは甘い匂いが立ち昇り、その香りにーー彼女の香りに胸が締め付けられた。
目の奥に浮かぶのはアーリアの顔ばかり。
その大半は笑顔を浮かべた顔だ。甘いおやつを食べては笑い、大型犬と戯れては笑い、新しい素材や魔宝具を見つけては笑っていた。夕ご飯にデザートがついてきただけで跳びはねんばかりに喜んでいた。
ー別れ際でさえ、笑顔だったー
『さよなら、リュゼ。大好き』
別れ間際、アーリアはその背中に酷い傷を負っていた。傷の痛みは相当だった筈なんだ。あの爪には毒性もあったんだから。
それなのに、あの時のアーリアはまるでそんな傷なんて何ともないってフリして、いつもと変わらぬ柔らかな微笑を浮かべていた。
魔力妨害を受けて魔術を使うにも困難な空間。襲い来る襲撃者は顔見知りばかり。周囲を炎に囲まれ、頼りの騎士たちは未だ姿を見せない。そんな最悪な状況で、自身を守る最後の砦である専属護衛を手放そうというその時まで、アーリアはその白い顔に笑みを浮かべていたんだ。
「『さよなら』って何だよ、アーリア!」
僕の声は枕の中に吸い込まれていった。
ー『さよなら』なんて、まるでもう僕と会う事がないみたいじゃないか⁉︎ー
いいや。『みたい』じゃない。アーリアはあの時、もう僕とは『会えない』と覚悟したんだ。自身がライザタニアへと拉致された後、どのような目に遭うか分からないから……。
それに、アーリアは自身の価値を知っていた。
少し前ーー帝国に囚われて帰れなかったあの日々の中で、『システィナの姫』として『帝国の皇太子殿下の婚約者』としての教育を受ける中で、彼女は『塔の魔女』がどれほど他国に影響を及ぼしているか、他国が魔女をどれほど脅威に思っているかを知ったんだ。しかも、自身を狙う敵は他国だけじゃなくて自国にも居るって事も知った。
だからだと思う。アーリアはシスティナに戻って以来、それまで以上に身構えるようになってた。特に他者と関わる場面では露骨にまでに身構えるようになっていて、特に魔女を利用しようとする者に対しては嫌悪感すら表す事があった。
ー怖かったんだよね?ー
アーリアは元より他者とーー人間と関わる事に苦手意識を持ってた。それは彼女が普通の生まれじゃないからだって思ってたけど、現実はそれだけじゃなかったんだ。
「くそッ!あの時、無理矢理にでもアルカードを出ておけば……!」
宰相閣下に連絡なんて取らなきゃ良かったんだ。『塔の騎士団』なんて知らね!とばかりに逃亡すりゃ良かったんだ。そうすればーー『塔の騎士団』に関わらないでおけば、アーリアをこんな目に遭わせずに澄んだのに……!
バカだ。本当に僕はバカだ。
何が『専属護衛』だ、笑わせる。女一人ろくに守れずに護衛騎士だなんて……しかも、命を賭けてでも守らなきゃならない女に逆に助けられてるなんて、情けなさ過ぎるじゃないか⁉︎目も当てられない失態だよ!筋肉馬鹿辺りが知ったら何と言われるだろう?『護衛失格』だと殴られるんじゃないだろうか⁉︎
ー寧ろ、誰か僕を殴ってくれないかな?ー
そこで「アッ!」と僕は思い出した。もう僕は、一発殴られた後だって事を。
僕がアーリアに《転送》させられたのは忌々しくもあの獅子くんーージークの目の前だった。アーリアは《転送》先にジークの側を選んだみたいなんだ。この時点で「何でさ?」と思う僕は心が狭いんだろうね。
アーリアはあの時、あの場面で、僕を《転送》させるならジークの側が良いって判断したんだ。そして、その判断は正しかった。
獅子くんは王太子ウィリアム殿下の護衛を受け持つ近衛騎士。そして宰相閣下ーーアルヴァント公爵の子息だ。傷を負った僕をーー『東の塔の魔女』の専属護衛を送り先を獅子くんにすれば、自ずと彼らの側に送る事ができる。
直接、王太子殿下や宰相閣下の前に送るのは謀られるからね。暗殺者や曲者だと思われて処理されてしまう可能性があるからさ。その点、獅子くんなら大丈夫だ。身分は公爵子息だけど役職はいち近衛騎士。知己であり親しい友人でもある魔女から突如『何か』が送られて来たとしても、彼はそれを一々咎めたりはしない。それにさ、近くに国の要職に就いた人たちが居たなら幸運でしょ?一度にアルカードのーー『塔の魔女』に脅威が迫った事が分かる寸法だからね。
一石二鳥ならぬ一石三鳥。たまに『アーリアって賢いんだな?』って思う時があるけど、この時がそうだった。
あの夜、アーリアの魔術を受けた僕はセイにヤラレてボロボロの状態で獅子くんの目の前に送られた。普段ポーカーフェイスを崩さない獅子くんだけど、血みどろの僕を見て流石に驚愕したみたいだ。けど、その後すぐ、アーリアの身に何が起こったのかを理解し判断した。幸運な事に側にはウィリアム殿下もいて、しかも、《転送》した場所がアルカードのーー更に言えば、騎士の駐在基地の敷地内だったから、僕の方が驚いたくらいだ。
殿下は僕の登場で全てを悟って即座に行動に出てくれた。アーリアを救う為に騎士を騎士寮の裏庭へと急行させてくださったんだ。
勿論、僕も騎士たちと共に裏庭に引き返した。僕の身体を獅子くんが支えてくれた。でも、間に合わなかったんだ。僕たちが裏庭に到着した時には、其処には彼ら襲撃者の姿はなくなってた。
ーアーリアの姿も……ー
残ってたのは血溜まりと争った形跡。そして血溜まりに浮かぶ数本の白髪。
目の前が真っ白になった。
僕はボロボロの身体を押してアーリアを追いかけようとした。縺れる脚を必死に動かして、走って、追いかけよとしたんだ。けど、それを獅子くんに止められた。
獅子くんは僕を羽交い締めにして、僕に向かって何かを叫んでた。それでも止まらない僕の頬を思い切り殴ると、転んだ僕を無理矢理立たせて両肩を掴んだ。そして、両肩を揺すぶって僕に何かを語りかけた。
実は、あの時の僕は随分と錯乱してたから、獅子くんが僕に何を言ったのか覚えていない。それでも、僕は獅子くんの言葉で冷静さを取り戻したのは確かなんだ。その後は血が流れ過ぎて倒れてしまったから記憶にない。
ーチャラ……ー
僕は寝台に寝転んだまま、首に掛けて胸に仕舞っておいた鍵を取り出した。それは掌に収まる小さな鍵だ。金色に輝く鍵の持ち手には虹色に輝く石が嵌っている。
この鍵はアーリアに貰った『家の鍵』だった。ラスティにあるアーリアの屋敷の鍵。アーリアが成人の祝いにお師匠サマから『幸福の鍵』を貰ったってのを聞いて、「そりゃ良かったね」と感想を伝えた数日後、アーリアは僕にコレをくれたんだ。
「『幸福の鍵』は親が子の幸せを願って贈る物だけど、私はリュゼの幸せを願ってるから……」
そう言ってアーリアは『幸福の鍵』を僕にくれた。
僕は良いトコの生まれじゃないし、マトモな肉親も居ない。物心ついた頃には一人きりだったし、帰る家なんてなかった。だから今も『家族の情』なんてものは知らない。
成人したって特別に何か変わったコトもなかった。
あ、娼館には入り易くなったくらいかな?これを言ったらユーリにはバカにされたけどさ。
だけどさ……今思えば、僕はきっと羨ましかったんだと思う。普通の家庭が。普通の家族が。普通の感性をもつ他者が。
アーリアはその出生も育ちも普通じゃないのに、幼い頃、お師匠サマに引き取られてからはまるで普通の子どものように育てられていた。お師匠サマはアーリアと血の繋がりなんてないのに、アーリアの事をまるで本当の娘のように可愛がっている。それこそ、目の中に入れても痛くない程に。お兄サンなんて甘々もいいところベタ甘。お師匠サマはーーお師匠サマと兄弟子たちは、彼女を本当の家族のように守り、慈しみ、支えていたんだ。
そんな光景を見た時だと思う。心の奥底で『羨ましい』という感情が芽生えたのは。そして、アーリアは僕の中の小さな小さなな感情の揺れを敏感に察知してくれた。僕自身が気づかなかった感情を……。
だから、僕がアーリアからこの鍵を貰った時には驚きを覚えたのは勿論だけど、それ以上に喜びの方が優っていた。これでいつでも此処にーーアーリアの側に帰って来て良いんだって確信して、本当に嬉しかったんだ。
「アーリア。君は僕に『居場所』を作ってくれたんだよ」
そう、アーリアの側が僕の居場所。そこだけがこの世界で唯一、僕の居場所なんだ。
ーなのに、君は僕を置いて何処に行くつもりなんだ⁉︎ー
アーリアは『生きていること』がシスティナのーーシスティナに暮らす『大切な人たち』の利益にならないと知れば、即座に自分の命を断つだろう。その時がくれば、彼女は迷わず自分の人生を終了に導く。
僕にはアーリアの考えが手に取るように分かった。分かってしまった。アーリアと僕とは本当に似た考えを持っているから。しかも、最悪な事にその似た部分ってのは、殆どがネガティブな方に偏ってるときた。
自分の生命を軽い物だと考えてるトコロ。
身近な人物ーーそれも『大切な人たち』さえ無事なら、自分の事なんてどうでも良いと考えてるトコロ。
生きている事に疑問を持つ時があるトコロ。
そんなネガティブなトコロがソックリなんだ。
だから、アーリアが『さよなら』と言った真意に考え至った。ーーいや、至ってしまったんだ。
「自身が戦争の引き金になると知れば、彼女は迷わず死を選ぶ」
それがせめてもの『責任』だとして。自身の生命より護衛騎士の生命を取り、自らすすんで拐われる事でアルカードにかかる火の粉を減らし、リスクを下げる方を選択をした。
あの短い時間でそこまで考えて、アーリアは僕に別れを告げた。生涯の別れすら予測して。
ーなんて勝手な女なんだ……!ー
置いてかれたーー助けられた僕の気持ちも知らないで、勝手に別れを告げて居なくなるなんて。
僕の心をこれほど乱しておいて、これほど好きにさせておいて、僕を置いていなくなるなんて。
なんて身勝手な女なんだ!
「これ以上、君の勝手にはさせない」
僕はアーリアの匂いの染み込んだ枕から顔を上げると、鉛の様に重い脚を下ろし寝台から降りた。寝室の扉を開けると執務室を大股で横切っていく。
「僕は君を迎えに行くよ」
きっとアーリアは『何で来たの⁉︎』と怒るだろう。けど、そんなコトは知らない。
君が先にルール違反したんだ。僕の気持ちなんてまるっと無視して、勝手に結論を出して、身勝手に拐われて行ったんだ。だから、次は僕が勝手をしても良いじゃないか?君の気持ちを無視して迎えに行っても構わないじゃないか⁉︎
「ーーねぇ、そう思うでしょう?」
部屋の扉を廊下へ向かって開けた先には、ムッツリとした表情表情の青年騎士が立っていた。黒髪黒目、真面目を絵に描いたような青年が。
「ナイル先輩。貴方なら僕の気持ちを分かってくれるでしょう?」
ーアーリアを唯一の主とする先輩ならー
お読み頂きまして、ありがとうございます(*'▽'*)
ブックマーク登録、感想、評価など、とっても嬉しいです!ありがとうございます‼︎
『裏舞台2:リュゼの決意』をお送りしました。
独白のリュゼ。アーリアに置いていかれたリュゼは怒り心頭の様子です。勿論、彼の選択は『アーリアを迎えに行く』一択。帰り道も分からぬまま家出した子猫を迎えに行くのは、リュゼとしては当然の選択です。
次話も是非ご覧ください!




