※過去編※ 東の塔と魔女
自分の心臓と足音がやけに大きく聞こえる。すれ違う人が怪訝な表情を投げ掛けるが、只ならぬ様子を見れば、次々と道を譲っていく。
石畳の廊下を抜け馬屋まで行くと、馬の世話人に事情を手早く告げ、今すぐ出せる馬を一頭借り受ける。手綱を受け取ると馬上に飛び乗り、馬の背を蹴って走り出した。
通用口を抜けると城門の裏口から出て城外へ。人通りの多い通りを避け、駆け抜けた。
屋敷の前まで馬で駆けて入ると、馬を急停止させて馬上から飛び下りる。使用人の一人が慌てて手綱を受け取った。屋敷の扉をその勢いのまま開けて入ると、中にいた初老の男が驚いてこちらを見た。
「ぼっちゃま!」
「父上はどちらに!?」
「旦那様でしたら2階の執務室においでに……」
それだけ聞くとそのままフロアーを抜け、階段を駆け上がった。普段なら許されない行為だ。マナーを無視した行為はそれだけこの事態と心の有り様を表していた。
「父上ッ!」
2階の突き当たりにある執務室をノックもなしに開け入る。
部屋の中には、金の髪に少し白いものが少し混じってはいるが、清廉として威厳のある男がいた。父だ。父は普段にない驚いた顔をしてこちらを見てきた。その顔には明らかな疲れが滲んでいる。
「ジークか……」
「リディエンヌが 『東の塔の魔女』 に選ばれたと……⁉︎」
「落ち着け、ジークフリード。今朝がた宰相殿から連絡を頂いた……。『東の塔』を守る魔女殿が隣国との小競り合いで亡くなられ、今月中には交代の儀を行う事になるだろうと。次代の魔女は我が娘リディエンヌが最有力候補となるとな……!」
「リディエンヌは魔法にも魔術にも素養があり、魔導士として将来は大成しましょう!ですが、まだ弱冠12歳で等級3です。あのような大役を務めあげられるなど……!!」
「仕方がないのだ!宰相殿だけのお考えだけなら突っぱねることも出来ただろう。しかし、これには様々な思惑もある。我がアルヴァンド公爵家は陛下の剣であり盾。ここで下手に動いては、陛下の重りになってしまう!」
父の苦渋の滲む言葉に唇を噛み締めた。父は机に拳を叩きつけ、そのまま押し黙った。思い沈黙が執務室を包み込む。
「だいたい、本来は宰相殿の二人目のご息女マシェンヌ嬢が『東の塔の魔女』候補だったはず……?彼女は等級5の実力者だと言い触れていたのは、宰相殿ご自身ではありませんか!」
「そうだ。ーー先月、リディエンヌが第3王子の婚約者候補の一人に決まったことが宰相殿のお気に召さなかったのだろう。彼は自分の娘を王子妃にしたがっていた。リディエンヌはその邪魔になるようだ!しかも、ここに至って隣国との小競り合いまで始まってしまった。このまま戦争にでも発展したら、彼の思惑は潰えるだろう。だから……」
「まさか、そのような理由で……⁉︎」
我が国システィナは東方と南方、北方とが隣国に接している。南西に港を擁し、貿易を生業にしており、他の国とも交流がある豊かな国だ。北方の国と東方の国は、我が国を手に入れたくて仕方がないのだ。特に東方の国ライザタニアは、ことあるごとに国境を越えてくる。攻め込もうという姿勢が見え隠れしていた。
そこで築かれたのが国境を囲む壁と『塔』だ。
『塔』には国から実力のある魔導士が選ばれて、《結界》を築き、敵の侵入からこの国を守る役目がある。その《結界》を維持する為に、『塔』に術者が常駐しなければならない。
二人が拳を固く握り怒りを露にしていたその時、軽い音を立てて扉が三度叩かれた。
「失礼しますわ、お父さま、それにお兄さまも……」
「リディエンヌか……。入りなさい」
父は塞いでいた顔を上げて、入室を許可した。
扉が開いて薄い桃色のドレスを身に纏った可憐な少女が入ってきた。
俺や父と同じ金の髪を熱で軽くウェーブをかけ、肩に緩く垂らしている。瞳は海の蒼。その瞳が愁いを帯びていた。
「お父様、お兄様。私、『東の塔』へ参ります」
「リディエンヌ!? 『塔の魔女』になるという事は、『戦争に巻き込まれ、最悪の場合死ぬ事もある』という事なのだぞ?」
「私もアルヴァンド公爵家の娘。陛下の剣と盾です。それにこれは国の決定、しかも陛下から直接賜る命令とあらば、従うのが当然です」
12歳の娘の凛とした姿に、俺と父は不満しか考えていなかった己の姿を恥じた。
父はリディエンヌの小さな肩を両手で包んだ。
「リディエンヌ……そなたの意識、誠に立派だ。父は本当に誇らしい!」
「すまない、リディエンヌ。君の意思と覚悟を踏みにじるところだった」
「心配してくださって、ありがとうございます」
「まだ決定事項ではない。我々は陛下から賜るお言葉を頂くのみ」
「不安になったら俺たちにいつでも相談してくれ。兄たちも駆けつけられなかったが、リディエンヌの事を常に考えてくれている」
「はい、ありがとうございます」
俺たち3人は覚悟を決めて、その時を待つことに決めた。
※※※※※※※※※※
事態はその2日後に起こった。
臨時で行われた等級試験に僅か15歳の娘が合格したのだ。しかもその等級は7。等級7以上の魔導士は国中探してもそれほど数はいない。むしろ、7以上は保護対象であり、有能な魔導士は国の宝とされていた。その証としてその者が望めば、等級に応じて伯爵以上の爵位を賜ることもできる。
ここで問題になったのが、等級7に合格を果たした魔導士が、それまで知られていない『無名の術者』ということ。親もなく、その出自、出生が全くの不明だということ。そして、その者の保護者というのが等級10という史上最強の魔導士だということ。
証書の授与式の場には宮廷で働く国家魔導士や等級保持者、『塔』の魔女候補たちも、一目その二人を見ようと駆けつけていた。
「一同、注目」
謁見の間には国王が座す王座を中心に第一王子、宰相、宰相補佐が立つ。側近たちと任命役の国家魔導士長たちが王座より一段低い位置に、更に下段に位置する場所、謁見の間の中央には白髪の美しい少女と、その対象のような漆黒の髪を持つ背の高い青年が静かに佇んでいた。
「アーリア殿。そなたを等級7の魔導士と認める」
羊皮紙を広げた宮廷魔導士長に呼ばれ、アーリアいう名の美しい少女はやや緊張しているもののゆったりとした動作で進み出ると、魔導士長から証書を受け取った。そして、証書をその両手に抱いたまま元の場所へ退がっていく。
「その才を更に研鑽し、魔導士として更なる高みを目指すよう努めよ」
システィナ国王の言葉に少女は頭を深々と下げる。
参列した一同も次いで礼を行うと、授与式はこれで終わりのはずだった。しかしーー
「ーーアーリア殿。そなたは 『東の塔』 を知っておられるか?」
ーー魔導士長の後ろに控えていた副魔導士長がいきなり問いかけた。
国王の許可もなく、この場で話し出すことは不敬罪にあたる。そう言い聞かされていた少女は、問いに答えることを迷っているようだった。
謁見の間にはそのことを当然の常識として理解している者ばかりなので、副魔導士長の言葉を遮ろうとした者もいた。しかし、それらを無視して副魔導士長は話を続けたのだ。
「そなたに『東の塔』へ行ってもらいたい」
突然の発言に、その場にいた幾人かが息を飲んだ。
「そなたのように強き者が『塔』に入れば、我が国は安泰だ」
すると流石の事態に、常識を知る貴族たちーー特に軍務に属する貴族たちが騒ぎ始めた。
「な、何を勝手なことを⁉︎」
「誰が決めたのだ!? そのようなことを」
「そもそも王の許可なく話し出すなど不敬の極みだ! 控えろ!」
次いで、先ほどまで副魔導士長の意見に賛成だった者も、周囲の雰囲気に押されて反発に転ずる。
「等級7といえば国家の宝。保護対象だ!そのような者を『塔』には送ることは断じてできぬ」
「隣国との小競り合いが戦争に発展したらどうするのだ⁉︎ そのような時のために、等級7以上の魔導士を一人でも多く擁しておかなければならないではないか」
王は儀礼を素っ飛ばして始まった討論を止めず、座して耳を傾けている。
少女とその保護者の青年も王の様子を不敬にならぬ様に視線を向けつつ伺った後、状況がどのようになるか待つことにしたようだった。
「……だが、『東の塔の魔女』が先の小競り合いで亡くなった今、可及的速やかに術者を配置しなければならないのは確かではないか⁉︎」
「だから、『東の塔の魔女』候補が幾人も挙げられているではないか!」
「そうだ!現に、そちらにおられるアルヴァンド公爵家のリディエンヌ嬢。そして宰相殿のご息女サリアン公爵家のマシェンヌ嬢。他にも有能な魔導士たちが候補に挙がっている」
それらの言葉に、『東の塔の魔女』候補として式典に呼ばれていた少女たちのが小さく肩を震わせた。授与式の見学に来るように通達があったが、まさかこのような事態になるとは、本人たちは皆知らなかったのだ。
「お嬢様方には過酷な任務ではないか?それに比べ、そこの白き魔女はどこの生まれかも分からぬ出自。この者が行ってくれれば、誰もが助かるではないか!」
「な……なんと身勝手な!」
「貴様!まさか、貴様の娘も『東の塔の魔女』候補だからとそのような世迷言を言うのか⁉︎」
「当たり前だ!誰が可愛い我が子を死地に赴かせたいと思うのか⁉︎ その点、その者なら適任ではないか!死んでも誰も困らぬのだからなッ!」
王の側で王の近衛の一人として控えていた俺は、副魔導士長の言葉に拳を爪が掌に食い込むほど強く握った。
王の警護中に自分の感情を出すなど、あってはならないこと。表情に出せない思いは拳の中に込められた。
王の側から謁見の間を見渡すと、その副魔導士長の言葉に否定的な者もいるが、肯定的な者もいるのが見てとれた。
そして、謁見の間を騒がす者たちと違い、少女と青年は静かに佇んでいる。
「……出生が不確かな者ならば、どのようになっても良いと?」
突然、空気を裂くような冷たい声音が響く。それまで討論を黙って聞いていた少女の保護者である青年が、静かに声を挙げたのだ。
その声音は決して大きくはないものの、不思議と誰の耳にもしっかり届いた。
漆黒の髪を持つ魔導士は、副魔導士長の目を射抜くように見上げた。
「と、当然の考えではないか!悲しむ者も、待つ者もいないのだから……!」
「……へぇ……?」
青年の声に魔力が籠る。魔力を持つ者は、青年の身体からジワリジワリと魔力が滲んでいるような錯覚さえした。魔力による圧力がその場に広がる。等級10の魔導士の様子に、幾人かが焦りの色を見せた。
俺は副魔導士長の言葉に身体中の血が沸騰するかのような気さえした。怒りでどうにかなりそうだ。
「お待ちください!」
その穏やかならざる空間に、涼やかな美しい声の少女の声が響き渡る。『東の塔の魔女』候補として控えていた少女たちの中から、一人の幼い少女が歩み出てきた。俺の妹であるリディエンヌだった。
リディは胸の前で手を強く握って、祈るように話し始めた。
「陛下、私が言葉を発することをどうかお許しください」
「……許す」
リディはまず陛下に話す許可を頂いた。
彼女の動作で、今まで勝手に話していた者たちの顔色が悪くなった。
「ありがたく存じます」
リディは陛下へと深々と頭を下げた後、副魔導士長たちのいる方へ向き直った。
「『東の塔』へは私が参ります。ですので、アーリア様をこれ以上傷つけないでくださいませ!」
リディの言葉に少女と青年は目を見開いてリディを見た。俺自身も息を飲んだ。他にも何人もがリディの言葉を聞いて押し黙った。
「な……何をおっしゃいますリディエンヌ嬢。貴女は由緒あるアルヴァンド公爵家のご息女。貴女を犠牲にすることはないのです」
「それは違います、副魔導士長様。私はアルヴァンド公爵家の娘として、陛下とこの国を守る為ならば、この身を喜んで捧げる所存ですわ」
リディのまっすぐで嘘のない声には、強い決意を読み取る事ができた。
リディの言葉に触発されたかのように、彼女の言葉に同意する声が増え、反対に、副魔導士長はそれらの声に押されるように後退った。
「皆の者、静まれ。この場はアーリア殿の等級証書授与式。力のある魔導士の誕生を祝う場。このように込み入った事を話し合う場ではない。まして、副魔導士長の独断で決めてしまって良い問題ではないであろう!」
こんな事態になるまで黙って状況を見守っていた宰相サリアン公爵が、遂に、副魔導士長を断罪し始めた。
「近衛騎士よ、副魔導士長を拘束せよ。陛下の許可なく不敬を働いたのだ」
近衛騎士が二人進み出て、副魔導士長を拘束する。
「な、何をする⁉︎ 私の考えはまちがはいない筈だ!何人もが同じように考えているではないか⁉︎」
「連れていけ」
拘束されても喚く魔導副長を、近衛騎士たちは無理矢理引っ張って連れていった。謁見の間には暫く振りの静寂が訪れた。
「……漆黒の魔導士殿、そしてアーリア殿。副魔導士長の心ない言葉、誠に申し訳なく思う。すまなかった」
静寂の中、国王陛下が言葉を紡いだ。
王の正式な謝罪。それがどの様な意味を持つか、理解ある者たちは静かに息を飲んだ。そして、少女の保護者である青年も、事態を正確に理解できる知者であった。
「……お気になさらず。それより一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「許す」
「先ほどの『東の塔』への魔女派遣について、副魔導士長が話した内容のようなお考えは、この国の意思の一つでしょうか?」
「『東の塔』は国境警備の要所。そのため、魔女……魔導士の派遣は急務だが、アーリア殿を送るとの話は一度も議題にあがった事はない。先ほどはの言葉は副魔導士長一人のの考えに過ぎない」
「そうですか。わかりました」
青年は謁見の間にいる人たちを一度サッと見渡してから、了解を態度で示した。
「これにて等級証書授与式はこれで終了する」
宰相の言葉をもって、その場は解散された。
少女と青年は王に一礼してから振り返り、謁見の間の扉へと歩き始めた。
白き髪の少女は扉から出る手前で、自分の為に声を挙げたリディへと身体を向けると一礼した。そして直ぐに保護者である青年を追って謁見の間から出ていった。
※※※
ーーそれから3日後。
等級7を授与された少女は『竜の瞳』という魔力を多分に含んだ魔宝石を、等級の褒賞として欲した。それはとても高価な物だったが、何事もなく賜ることができたという。
そして更に数日後の深夜、『東の塔』から赤い光の柱が立ち上った。
『東の塔』の中心から《結界》が発生していることをいち早く知ったのは、この塔を訪れた宮廷魔導士の一人だったという。
だが、その結界を調べるために『塔』に入ろうとするも塔に入る事は叶わず、関係者の誰もが困惑する事態となった。
唯一分かった事は、その《結界》の発生源となる力が『竜の瞳』の魔力と酷似しているということのみ。
この《結界》を『誰』が施したのか、『何』の意図があっての事かなど、分からない問題が山積みだったが、『東の塔の魔女』候補やその関係者、宮廷で働く貴族たちの心の内に困惑と同時に安堵が広がったのは確かだった。加えて、気づく者は薄々、《結界》を施したのがあの白き髪の魔女だと確信したーー……
そして、アルヴァンド公爵家の皆は当然、白き髪の魔女アーリアに感謝と敬意の気持ちを胸に抱いた。彼女の行動は、自分たちをーーそして、多くの国民の命を救ったのだから。
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