特殊な治療方法
ーギィィイー
馬車の扉が開き外からサッと光が差し込んだ。
アーリアは眩しげに瞳を瞬かせた。常に闇の中にいたアーリアには昼の陽の光は眩過ぎたのだ。目を閉じ、自身を抱き上げている治療士の胸へと顔を伏せた。すると、治療士は太陽の光からアーリアから守るように身体の向きを変えてくれた。
治療士アリストルはアーリアを馬車から連れ出すと、馬車の周囲を警戒していた『月影』の隊員たちから一斉に視線を受けた。しかし、背後から現れた人物からの視線を受けた隊員たちは警戒心を緩めた。それもその筈であり、その人物ーー隊長からの命令は『待機』であったからだ。
美麗治療士は軽く肩を竦めると、アーリアを抱き上げたままスタスタと歩き始めた。行先は隊員たちが寝起きしている天幕群だった。その中に治療室代わりとなる天幕を一つ、用意させていたのだ。
治療士はアーリアを連れて白い天幕へと入るや否や背後を振り返り、黒髪の男に対して『待て』を突きつけた。
「ここは暫くの間、男子禁制ーー立入禁止よ」
「何故だ?」
「女の肌を見ようって言うの⁉︎」
「何をバカな。治療行為だろう?」
「ハン!どっちがバカなんだか。治療行為だろうと女が男に肌を見られたいワケないでしょ?」
「……。お前も男だろう?」
「私は治療士よ!」
「……」
治療士の言葉が負に落ちない黒髪の青年ーーレオニードは憮然とした表情となった。普段から無表情を貫いているレオニードとしては珍しく、眉をしかめたその表情にはハッキリと『不満』と書かれている。
「アナタのスキル《遮断》の効果は天幕に入らなくてもこの周辺一帯をカバーできるでしょう?だったら、ここへ入らなくても大丈夫じゃない?」
「それはそうだが……」
レオニードが連続使用しているスキル《遮断》は、スキル《探査》や《探索》などの効果を遮断し、己の位置を探られないという効果を持つ。ある一定の範囲を世界から遮断し、その範囲にある人や物の気配を外部に漏らさない。このスキルにより、例え魔女の行方を探す者があったとしても、一切の足取りを掴む事が不可能となるのだ。
「心配なのは分かるわ。でも、私は治療士よ?彼女に害を与える訳ないじゃない?」
「そのような心配をしているのではなく、私は……」
「あーハイハイ。話は終わり。良いって言うまでぜぇ〜〜ったい入ってこないでよね!あと、他の隊員共も入れちゃダメだからね⁉︎」
「待て。まだ話は終わってはいな……」
アリストルはレオニードの言葉を一方的に遮ると、天幕へ入り、ピシャリと二重になった幕を閉じてしまった。残されたレオニードは手を差し伸べたままの姿勢で呆然と佇むしかできなかった。
※※※
天幕群の中、一際異彩を放つ白い天幕には現在、美麗治療士による治療行為が行われていた。治療されているのは隣国システィナより拉致してきた魔女である為、隊員たちの意識は自然と天幕へと集まっていた。しかし、どれだけ中が気になろうとも、入って行って様子を見守る事など出来はしなかった。何故なら、天幕の出入り口には赤字で書かれた『男子禁制』の張り紙がなされていたからだ。
隊員たちの隊長レオニードでさえ出禁をくらい、天幕の前で『待て』を余儀なくされている。その姿はまるで主人の帰りを待つ忠犬のようであり、部下たちは上官の哀愁漂う背中に涙を禁じ得なかった。
外でその様な状況になっていると知ってか知らずか、中では美麗治療士が早速魔女の治療に取り掛かっていた。
アリストルは天幕内に入ると出入り口となる幕をキッチリと閉じた。そして、立てカーテンで更に扉をガードすると中央まで歩き、アーリアを柔らかな敷布の上に下ろした。
クタリと力なく床に膝を折るアーリア。毒爪による背の傷による熱によって弱っていた身体は、もう立ち上がる体力さえなくなっていた。
「背中を見せて貰えるかしら?」
アーリアは治療士の言葉にコックリと頷くと、背にある髪を纏めて前へと梳き下ろした。するとアーリアはチラリと治療士を見上げてきた。
「あぁ、恥ずかしいわよね?私はアチラを向いているから。あ、それと、脱げたらこれを羽織ってね」
アリストルは肌触りの良いブランケットを渡すと、くるりと反転し背を向けた。アーリアはアリストルが背を向けたのを確認すると上着を脱ぎ始めた。ブラウスのボタンを外し、袖から腕を抜く。
天幕内にシュルリ、シュルリと衣擦れの音が響く。
暫くするとその音も止み、アリストルは脹脛付近をチョンチョンとタッチされたのを合図と見て振り返った。アーリアが上半身にブランケットを巻いた状態で座っていた。
アーリアの頬はやや赤い。治療と分かってはいても、やはり異性の前で裸になるには抵抗があったのだ。治療士はそんなアーリアに対してふっと顔を緩ませた。
「じゃあ、傷の具合を見せてもらうわね?」
「……はい」
アーリアは覚悟を決めてキュッと唇を噛み締めて俯いた。それを合図に治療士はアーリアの背に回るとブランケットをそっと肩から外した。
身体には包帯が巻かれていた。血が滲んでいるのか、白い包帯には所々にまだら模様ができている。治療士は包帯の結び口を緩めるとシュルシュルと外していく。すると、右上の首筋から左下の脇にかけて大きな傷が現れた。
何かに引っ掻かれたような三本の傷痕は生々しい。傷は塞がってはおらず、ジュクジュクと化膿し始めている。治療士はその傷を見るや否や「酷いわね」と言って眉を潜めた。
「先ずは傷を洗い清めるわ」
治療士の言葉にアーリアはコクリと頷いた。
治療士は予め用意してあった大きめの盥に魔法で水を生み出すと、その中に透明な宝石を幾つか入れた。水は宝石の力でキラキラと輝きを増して清められていく。
「聖水、ですか?」
「そうよ。黒竜の爪には毒素があってね。その所為で傷がなかなか治らないの」
アーリアの質問に答えた治療士は盥に空の水差しを入れて聖水を汲み取った。
「少し滲みるわよ?」
そう忠告するとアリストルは水差しを傾け、アーリアの傷に聖水を垂らしていく。
「っーー!」
覚悟をしていたと云っても痛みが和らぐ訳ではない。アーリアはジクジクと滲みる背中に肩を震わせた。
治療士は治療に痛みが伴う事を知りながら作業の手を止めはしない。敷布が濡れるのも気に留めず、アーリアの背に聖水をかけ続けていく。
「ー月の女神リティアよー
ー地に住まう小さき者に癒しをー」
アリストルは水差しを傾けながら《言の葉》を紡いだ。《言の葉》を受けて聖水には月の力が宿っていく。月の力が宿る聖水をアーリアの背にチョロチョロと掛け流すと、徐々に化膿した部分から赤みが引いていくのが見てとれた。
治療士の口から紡がれる《言の葉》はシスティナの魔術方式に則った言霊だった。アーリアはその事に少しばかり違和感を持って耳を傾けた。そして、聖水のかけられた箇所から徐々に熱が引いていくのを感じられ、治療士が何らかの治癒術を発動させたのだと確信した。
「少しは治ったかしら?」
治療士は水差しを置くと、アーリアの背を清潔なタオルで軽く押さえるようにして水分を拭き取った。
「寒い?敷布には《浄化》の魔法がかけられているし、室内には《暖房》も作用しているから寒くはない筈だけど……?」
眼前の少女がふるりと身震いしたのを見た治療士は心配気に声をかけた。
「魔法、ですか?」
「ええ。ーーあぁ、システィナにこのような魔法はないわね?ライザタニアにはエステルから入ってきた魔法が様々な場所で使われているのよ」
ライザタニアとエステル帝国とは地続きで繋がっている隣国同士。生活様式の違いから両国関の仲こそあまり良くないが、システィナよりは交流があるという。その為、精霊信仰を始め魔法も伝来しているという。
「エステル帝国とは馬が合わないんだけどねぇ……ほら、アチラは宗教色ゴリゴリじゃない?」
「そう、ですね……」
「ライザタニアにも宗教がない訳じゃないけど……アチラとは気合いが違うもの。それに、ライザタニアには妖精族の住まう土地が各地にあるから帝国も無闇に攻め込めないの。でも、『馬が合わない』からと云って全面的に突っぱねる事も出来ないから、両国は微妙な関係のまま何年も睨み合ってるってワケ」
エステル帝国は精霊信仰の国だ。精霊を神と崇め、全国民が何らかの宗教に属し、精霊を信仰している。その歴史は千年もの長きに渡り、精霊の力を借りた魔法が発達するのも頷けるものであった。
一方システィナは、エステルから伝来した魔法を基礎に『魔術』なるものを発明した魔術国家。しかも、過去の教訓により過度な宗教活動を禁じているものだから、精霊信仰が根付かない。当然、帝国からは『邪道だ』、『神への冒涜だ』と散々な評価を得ている。
もう一方、妖精族の住まう土地が点在するライザタニアは、システィナ伝来の魔術よりエステルの魔法の方が馬が合った。妖精族が身近に存在する事が大きな要因だと思われた。
「この天幕内には室内温度を一定にする魔法と、浄化魔法とがかけられているの」
治療士の言葉を聞きながら、アーリアは暫く前に暮らしていたエステル帝国の皇太子宮にも同じような魔法がかけられていた事を思い出していた。
「この話はまた今度ね。今は治療に専念しましょ」
「はい。お願いします」
つい好奇心がむくりと湧いてしまったアーリアだが、苦笑気味の治療士の言葉に頭を切り替えた。傷を治してもらう為に此処へ来たのだから、と。
「治療を再開するわね?」
アリストルは黄金色の柔らかな巻き毛を耳の裏に掛けると、アーリアの身体を背後から抱き込むように座った。そして両肩にそっと手を置くと徐にアーリアの首筋に唇を這わした。
ひやりとした柔らかな感触がした後、チュ、チュとリップ音が耳元に届いた時、アーリアはカッと顔を赤らめた。
「アっ……せ、先生⁉︎」
「しっ。静かに」
美麗治療士はアーリアの戸惑いを無視すると、右の首筋の傷をペロリと舐めた。
「ンっ……⁉︎ あ、アリス、せんせ……⁉︎」
首筋から背中にかけて、傷口の上をアリストルの温かな舌が這う。その何とも云えぬくすぐったい感触に、アーリアは喉の奥から出る声を抑えきれなかった。
「黙って」
「ン……せんせ……これって、治療、なんですか?」
「勿論よ」
アリストルが話す度に背中に吐息がかかり、アーリアは軽い身震いを起こした。ソワソワと背中から得体も知れ感覚が巻き起こり、それは甘い痺れとなってアーリアの全身を包んだ。
「セイ本人から抗体を貰っできたの。それを今、アナタに譲渡してるのよ」
アリストルは菌や毒を直接身体に取り込む事で、体内で治療薬を生成するというスキルを持っていたのだ。
アリストルはアーリアの背の傷に体内で作った治療薬を唾液に混ぜて塗り込んでいた。傷の隅々に舌を這わし、愛撫のような優しい仕草で毒素を舐めていく。ペロリ、ペロリと舐める毎にアーリアから呻き声があがった。
「んっ……ンン、っん……」
その甘ったるい呻き声に、アリストルの征服欲は掻き立てられた。治療行為であるのは本当の事だが、アーリアが呻く度に胸の中が熱くなるのを感じていたのだ。
「大丈夫だから、リラックスして?」
「は、い……」
「ほら。大分、毒素も抜けてきたわよ?」
「ほんと、ですか?」
「ええ」
舐めた箇所から徐々に毒素が消えていく。腫れて赤黒くなっていた皮膚から腫れが引いていく。内側から新しい皮膚が作られていく。
「動かないでね?」
「は、はい」
アーリアは背中を這う舌の感触に顔を真っ赤に染めていた。
これが治療行為だと分かっていても、異性に背を舐められるなど羞恥行為でしかなったからだ。しかも、舐められた箇所ーー傷口がピリピリと痺れ、同時に鋭い痛みを覚え、その度に自分の口から声が漏れてしまう事にも、何とも言えぬ恥ずかしさを感じてならなかった。
アリストルはアーリアの白く滑らかな皮膚の感触に酔いしれそうになっていた。痛みと羞恥心に肩を震わせ、耳まで真っ赤に染めたアーリアの横顔。目をギュッと閉じて痛みと羞恥心に耐えている表情に、うっそりと微笑を浮かべた。
ー役得かしら?ー
そう、これは『役得』だ。治療士の特権だ。この可愛い顔を独り占めできるのは治療士として正当な権利なのだ。
言い訳にしか聞こえぬ治療士の主張だが、この場にはそれに対する抗議の声をあげる者はおろか、異議を唱える者すらいはしない。
ーレオちゃんは煩く言いそうね?ー
天幕の外で番犬宜しく張り付いている黒犬。中の様子をヤキモキしながら伺っている無愛想男の顔を、アリストルは脳裏に浮かべた。
「せん、せ……まだ、終わりません、か?」
潤んだ瞳で背後に顔を向けるアーリアに、アリストルはニッコリ微笑んだ。
「ええ。まだもう少しかかるわ」
そう言ってワザとアーリアの首筋に唇を這わし、傷口にチュウと吸い付いた。すると、「ひゃん」と小さな悲鳴が上がり、アーリアは胸元をブランケットで隠しながら背中を震わせた。その仕草はまるで小動物のようで、アリストルは思わずアーリアの眉間にキスを落とした。
「っ……!」
「もう少し我慢してちょうだいね?」
治療はアーリアの背の傷から赤みが引くまで行なわれた。
背中の傷から殆ど毒素が消えたのを見計らい、アリストルは背中に吸い付いていた唇を離した。すると、ぐったりした様子でアーリアの身体が傾いだ。治療士はアーリアの身体を片腕で支えると、薄っすらと残る傷口に化膿止めの軟膏を塗り、清潔な布を張り付けてから真新しい包帯を巻き直した。
「アナタの着替えがないから、私のを着せるわね?ーーって、あら、もう夢の中かしら?」
傷の治療に思わぬ体力を必要とした事で残っていた体力を使い果たしたアーリアはウトウトし始めた。治療士はうつらうつらと首を揺らすアーリアに自分の上着を着せると抱き上げ、天幕の奥にある寝台の一つへと寝かせた。そして、ラベンダーから抽出した特別な香を炊く。
「よく頑張ったわね?きっと、今夜はゆっくり眠れる筈よ」
アリストルはアーリアの頭を優しく撫で、前髪を梳きながら語りかけた。すると、アーリアは力尽きたように瞳をゆっくりと閉じていった。
「お休み。良い夢を」
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『特殊な治療方法』をお送りしました。
はい、アウト!美麗治療士は確信犯です。確かに治療行為ではあるものの、多分に役得感を含んだソレは犯罪行為スレスレ。恋愛事態に免疫のないアーリアにとって、アリストルの治療行為には、早々から許容量がパンクしています。
次話も是非、ご覧ください!




