良薬、口に苦し
「また食べてはもらえませんでしたか。少しは食べてくれると良いのですが……」
ミケールは隊長が下げて来たトレイの上を見るや否や、悲しげに眉を潜めた。
隊長の肩越しに見える黒い馬車の中には、先日、彼らが捕らえて来た『システィナの魔女』が保護されている。魔女を馬車の外に出すのは身を清める時と排泄の時だけで、実質は保護という名の監禁である事は誰の目から見ても明らかだった。しかし、こうでもしなければ『システィナの魔女』をライザタニアの王都へと無事護送できそうにもなかったのだ。
彼ら襲撃者たちは王家の懐刀『月影』と呼ばれる特殊工作部隊の隊員なのだが、内実、月影は他の軍隊や部隊とは隔絶された立ち位置にあった。
そも、内乱の激化するライザタニアに於いて、国内の内政を司る政治家の中には様々な思惑を持つ貴族がおり、其々の利権利益が絡まり合い、内政は混乱を極めていた。そのような現状の中、王家直属の部隊が密かに動き、奇しくも隣国より『塔の魔女』を連れ帰った事が知れたならば、何処ぞより刺客が放たれる事は必至であったのだ。
「このままでは彼女の体力が保ちません。せめて、一日一食だけでも食べて頂ければ良いのですが……」
自分の作った食事を拒否し続ける魔女にミケールは胸を痛めていた。
ミケールが騎士寮の料理人を勤めていた時、魔女はミケールの料理を美味しいと言って、キチンと毎食完食してくれていたのだ。自分の作るどの料理にも笑顔で喜び綺麗に平らげる魔女を、ミケールは厨房の中から見続けていた。しかし、ミケールが魔女と敵対した事により、以前のように自分の料理を食べて貰えなくなってしまった。
ーまさか、これ程辛い事だとは思わなかったー
「無理もない事なのですが、ね……」
ミケールは騎士団に入り込んだライザタニアの襲撃者の一人。料理人として騎士団の内情を探り、騎士たちの生活リズムを把握し、騎士たちの体調をコントロールしてきた影の尖兵の一人なのだ。
襲撃当日、幾人もの騎士たちが強力な睡眠薬で寝込み、または、寝込まずとも本領を発揮できなかったのは、ミケールが料理に仕込んだ『特別な食材』の効果が出たからに他ならない。
だからこそ、ミケールは襲撃者である自分の『料理を拒絶せずに食べて欲しい』など、今更ムシの良い話だという事は重々分かっていた。しかし、日に日に痩せ細っていく魔女の姿をめにすれば、『何とかしてやらねばならない』という気持ちが沸き起こるのもまた、仕方のない事だった。
「とりあえず果実水を用意しました。あと、この解熱薬は必ず飲んで貰ってくださいね」
ミケールは予め用意しておいた解熱薬と水、そして追加で果実水を無表情に佇む上官に持たせて回れ右をさせた。
先頭の車両は隊長専用の馬車だ。隊長が魔女の飼犬だった経緯を知っている隊員たちは、魔女と隊長の2人を同じ馬車に突っ込む事には、何ら問題を感じていなかった。
隊長は軍人としては尊敬すべき上官だが、人間としては同じ男とは思えぬ程の草食系であり、弱っている女性につけ込んで無体を働くような下衆ではない事を誰もが知っていたのだ。
「間も無く治療士が到着します。そうすれば彼女の傷も診てもらえますから」
ミケールの声に力はない。いくら主命により『生かした状態で』魔女を連行するようにと厳命されていたとしても、このように弱った女性を差し出すには良心が痛んだ。また、自分たち他国の襲撃者がアルカードで行った蛮行が魔女の心にどれほどの傷を残したのかを考えれば、魔女に対して何かしら心を砕きたくなってしまうもので……。
「貴女の元気な姿を見たいと思うのは、私のワガママなのでしょうね?」
ミケールは眉根を潜め、魔女の保護されている馬車を遠目に見遣ると、本日、何度目とも分からぬ溜息をそっと吐いた。
※※※
「体調はどうだ?」
「……。(良い訳ない)」
「腹は空かないか?」
「……。(食欲ない)」
「喉は乾かないか?」
「……。(飲む気になれない)」
「寒くはないか?」
「……。(もう放っておいて)」
アーリアは他の襲撃者たちから『隊長』と呼ばれる黒髪の男の言葉に、口では直接話さず心の中で呟いて返した。
身を清める時と排泄の時にだけしか馬車の外に出されぬアーリアにとって、これはどう見ても軟禁状態だった。しかも、移動していない時であっても一日中馬車に閉じ込められ、その間ずっと、この無口な男と2人きりなのだ。当初こそ身の危険から緊張していたアーリアだったが、時が経つにつれて黒髪青年の存在を気にしなくなっていった。
考えてみれば、黒髪の男とはアーリアが『普通よりやや大きな犬』だと思い込み飼っていた『愛犬レオ』の正体であり、レオとは2ヶ月もの間寝食を共にしていたのだ。今更、緊張しろと言われても困るというものだ。
確かに愛犬レオの時とは違い、人間姿のレオは目鼻立ちがハッキリとしており、『美青年』と言っても憚りない容姿を持っているので、通常の状況で彼と2人きりにされたならばトキメキの一つでも覚えただろう。しかし、彼は容姿端麗な顔を持っているにも関わらず終始、無言・無表情であり、言動一つとってもかなり淡白なので、アーリアは『無駄イケメン』との渾名をつけたくらい無害な男だった。もし、彼がセイほどのお調子者だったならば、(色んな意味で)緊張感のある生活になったかも知れないのだが……。
「セイは……?あ……」
無意識にセイの名を口に出してしまい、アーリアは慌てて口を噤んだ。
アーリアが日に何度か外へ出た際には当然、件の襲撃者たちと顔を合わせる。するとやはり、襲撃者たちの殆どがアーリアと顔見知りの人物たちであったのだ。彼らは工作活動に於ける拠点では騎士であったり図書館司書であったり、はたまた馬房の管理人であったりもした。特に、騎士寮で親しくしていた料理人ミケールと目が合ってしまった時には、思わず目線を逸らしてしまったほど動揺してしまったのは、記憶に新しい。
「セイに会いたいのか?」
「まさか」
アーリアの言葉に律儀に反応した男に、アーリアはごく素っ気なく言葉を返した。
ーセイに会ったら反射的に殴ってしまいそう!ー
アーリアはチャラ騎士のニヤついた顔を思い出すなり目を顰め、車に揺られながら考案した『微妙に精神面に響く攻撃呪文の実験台にしてやっても良い』等と復讐心に心を馳せさせた。現状襲撃者セイに手も足も出ない事が分かり切っているので、ささやかな復讐心を妄想に留めるしかない。
ー本当に残念……ー
首の傾きを少し動かせば、耳元からジャラリと金属音が聞こえた。アーリアの首に嵌る金属の輪。まるで奴隷を自由意志を縛る『隷属の輪』のような道具は、体内から生み出される精神力ーー魔力を連続的に吸収し、外気に溶かしてしまうという効果を持つ呪具だった。システィナでも実用化されており、罪人を逃亡させぬ為に役立っている事をアーリアも知っていた。
ーまるで犬猫のようー
眼前の黒髪の男を人間とも知らず飼犬として扱っていたアーリアとしては、皮肉にもそう思わずにはおれなかった。奇しくも虜囚の身であれば文句など言える立場にはなく、この首輪を見ると自身がとんだ大間抜けであると思わされて仕方なく、どうしようもなく遣る瀬無い気分になるのだ。
ーこれも全て、選択の末の結果ー
アーリアはまた溜息を吐くと、絨毯の上に膝を抱えて座り直した。そして壁と背中の傷が直接当たらないように背を浮かせながら顔を膝な埋めると、そっと目を閉じた。
「眠る前に解熱薬を飲んでもらいたいのだが……」
アーリアの側面から黒髪の男が声をかけてきた。男は無造作にアーリアの側まで近づくと、許可も得ず、その場にのそりと腰を下ろした。
「要らない」
「だが、まだ熱が引いていないだろう?」
「大丈夫」
「背の包帯も取り替えねばならない」
「放っておいて」
この数日間、アーリアと同じような遣り取りを何度も交わしてきた男は、当初よりアーリアのこのような頑なな態度には全く構いはしなかった。拒否感を全面に出した態度に非難する事も文句を言う事もない。この時もそうであり、男はアーリアの言葉に何の異論も返さないまま手を伸ばすと、徐にアーリアの頭に手を置いた。
「ーーっ!」
「ほら。やはり熱がある」
反射的に顔を上げたアーリアはキッと眉尻を上げて男の顔を睨みつけた。
「瞳も潤んでいる。身体も辛いのではないか?」
如何にもな事務口調の台詞。決してアーリアを慮っての言葉ではない。男はただアーリアに死なれては困るのだ。
男は主命を受け、アーリアを主君の下へと護送している最中だ。しかも、主君からは『生かした状態で』連れて来るように厳命されている。だからこそ、護送中に死なれてもらっては困ると考えているのだ。男がアーリアの体調を気にかけ、甲斐甲斐しく世話しているのは、それが彼らに与えられた『任務』であり『仕事』だからだ。
宮仕えの身であるアーリアにはその事が理解できたのたが、素直に面倒を見られてやろうという気分にはなれなかった。自分が彼らの『仕事』に付き合ってやる必要があるだろうか。いや、無い。と……!
「さぁ、これを飲め。少しは楽になる」
「いやよ。放っておいて」
アーリアは男の手を払い除けると、熱によってクラクラする身体を奮い立たせるように声を張り上げた。
「貴方の言いなりにならなきゃいけない理由なんて、私にはない。貴方は私に死なれちゃ困るだけでしょ?」
男は前髪に隠れる瞳ーー長い睫毛を僅かに揺れた。
「システィナの魔女がどうなろうと構いはしない」
ーーそうでしょう?
そう瞳で問いかけてみれば、男から否定の言葉は一言も上がらなかった。
魔術国家システィナはライザタニア国民からは『悪魔の国』と呼ばれている、とアーリアは聞いていた。
システィナには魔法という概念から魔術を生み出した魔導士が存在する。魔術の発明は、奇跡を起こす魔法を遣わした天の神を冒涜する行為だとする考えはエステル由来の考えではあるが、精霊の住まう地ライザタニアでも然程変わらぬ考えだという。
ライザタニアは遊牧の民。星を読み、暦を読む民。彼らは輪廻転生を信じ、神殿の姫巫女から齎される神託を仰ぎ、日々を生きる道筋としている。
そんな彼らからすれば、システィナの魔女は神に仇をなす背徳者代表。しかも、ライザタニア国軍に撤退を余儀なくされた原因を作った『東の塔の魔女』は、悪意の対象、殺害対象でしかない。
「元々、殺すつもりだったんでしょう?だったら、このまま放っておいたら良いじゃない?」
そこまで言うのが関の山だった。アーリアは揺れる頭を押さえて襲い来る目眩にぐっと耐えた。目の奥がチカチカと光り、ツキンツキンと頭痛が激しさを増した。
ーああ。言わなきゃ良かったー
意味のない押し問答。アーリアと同じく宮仕えでしかない男に八つ当たりした所で、現状は何も変わらない。辛い背中の痛みが取れる訳でも、気分が晴れる訳でもないのだ。
頭を手で押さえていると頭上に影が差し掛かった。アーリアはふと頭を上げると、青年の顔が間近に迫っていた。
「確かに、お前に俺たちの事情など関係がなかったな」
「え……?」
「お前の意思など考慮せずとも良かった、と言う意味だ」
「は……?」
意味が分からず首を傾げるアーリア。男はそのポカンと惚けたアーリアの顎を掴むと、無理矢理上向かせた。途端、整った顔がアーリアの視界にぐっと近づいてくる。ギョッと驚いたアーリアは瞬間的に顔を背けようとした。だが青年の手の力は予想以上に強く、アーリアは顔を背ける事などできず、それどころか更に顔を上向かされてしまった。
「えっ……ちょ……ンんん……⁉︎」
中腰になる身体を膝立ちで支え、狼狽しながら男の顔を見上げる。アーリアは顎を掴まれた手を退けようと両手で男の腕を掴むがビクリとも動かなかい。そのままぐっと顔が近づく。男の鼻が頬を掠めた後、あっという間にアーリアの唇と男の唇とが重なっていた。
「んっ……、ン……」
隙間なくピッタリと重なる唇。驚くほど柔らかで艶かしい唇。息も漏れず重なる唇の隙間から男の温かな舌が差し込まれ、アーリアはその感触に背中を震わせ身悶えた。男の舌は生き物のように蠢き、アーリアの舌を絡め取っていく。
すると、男の舌からアーリアの舌の上へと小さな錠剤が受け渡された。錠剤は忽ち唾液の暖かさで溶けていき、ジワリと苦みが口の中に広がっていく。
「ん〜〜!んぅう……!」
アーリアは苦しげに喘ぎながら、男の胸を何度も叩いた。しかし、男はその涼やかな瞳を細めるだけで、一向にアーリアの唇から離れようとはしない。
「ぃあ……んっ、ん……」
温かな舌の感触に翻弄されるアーリアは、次第に身体の力まで抜けていき、最後にはくったりと男の腕に身を任せてしまっていた。
ーこくんー
アーリアが涙目になりながら唾液と共に錠剤を飲み込んだ後、男の唇はスッとアーリアの唇から離れていった。
「あ、なた……なに、を…………!?」
狼狽しようにも口が回らず、真っ赤な顔をして座り込むアーリア。腰が抜けて立てないアーリアに対して、男の方は澄ました顔のままだ。
「コチラの都合を押し付ける事にしたまでだ」
「はぁ……?」
「お前を拉致したのはコチラの都合。そして、お前を生かすのもまたコチラの都合だ」
「だ、だから……?」
「薬を飲ませなければならないのもコチラの都合。ーーお前の都合など聞かずにコチラの都合を押し付ける事にしたと、言っただろう?」
「えッ⁉︎」
ーなんて自己中発言を……⁉︎ー
先程まで散々文句を言った手前、アーリアには発言の撤回などできはしなかった。しかし、その爽やかな程の『身勝手』で『自己中心的』な発言は如何なモノだろうか。
「これでこの問題も解決だ」
男はアーリアの驚愕を知ってか知らずか、この日初めて笑顔を見せた。とても『爽やかな微笑』とは言い難い笑みは、アーリアから見れば悪魔のような意地悪な微笑であり、アーリアはその笑みを見た瞬間に背筋を凍らせた。
「『良薬、口に苦し』と言うが、本当だな?」
男は自分の唇に親指を這わすと、その指でアーリアの唇を撫でた。ヒュッと息を飲むアーリア。男のその艶かしい流し目と溢れ出た色気に、アーリアの心臓は早鐘のように打ち立てた。
「口直しに果実水はどうだ?」
果実水の入った水差しを片手に、男は唇をペロリと舐めながらアーリアの顔を見下ろした。その台詞に顔面蒼白にしたアーリアは、まるで幼子のように首をゆるゆると振る事しかできなかった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、とても嬉しく思います。ありがとうございます(*`▽´*)
『良薬、口に苦し』をお送りしました。
隊員たちから草食系だと思われていた飼犬レオがまさかの反旗を翻しました。彼は表情と態度こそ淡泊ですが、頭の中では様々な事を思案しています。※ムッツリでは非ず(笑)
次話も是非ご覧ください!




