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魔宝石物語  作者: かうる
幕間4《誘拐編》
264/498

その涙は痛みからか?それとも……

 

 木々の隙間に洋燈ランプの灯りが揺れ動いている。ひずめが一定間隔に地面に痕をつけ、馬は鞭を受けていななきを小さく漏らす。


 ーカラカラカラカラー


 車輪が回り山道を直走る。時折、硬い石が車輪に絡み、車体をガタンと左右に揺らす。空には薄雲が棚引き、野山には薄紫色の霧が立ち込めている。すると、東の山の隙間から橙色の光が漏れ始めた。

 人の手により舗装されていない山道は、木々の間を縫うように南北へ続いていた。何度も人や馬が行き来する事で踏み固められた山道を、夜も明けきらぬ時間にも関わらず数台の馬車が連なり、北へ北へと走り行く。馬車の塗装は漆黒。その側面には真紅の垂れ幕があり、縫い付けられた紋章から王家直属の軍馬車である事が知れた。


「珍しい。黒馬車だ……」


 木こりは朝焼けの空の下に漆黒の馬車を見つけるとそう呟いた。その呟き声にはややトゲがあった。


「軍人様のお帰りか?それにしても、何処ぞへ行っておったのか……」


 山道を南へ下った先にあるのは隣国システィナとの国境があり、システィナとライザタニアとは今も戦争継続中。今では商人ですら越境が禁止されている事は、ここいらに住む者なら誰でも知っていた。

 システィナに攻め入ったライザタニアが()()であったにも関わらず撤退して早くも三年。国境線沿いに築かれた西都は、戦争に勝っている時こそ栄えていたが、正規の軍隊が暇を持て余している昨今では、傭兵崩れの破落戸ならずもののアジトと化している。


「正規兵がもうちっと仕事をしてくれりゃあなぁ。せめて商人の出入りだけでも可能になりゃマシにもなるんだろうが……」


 現在他国から軍事国家と呼ばれるライザタニアは、元は多数の遊牧民族から成る新興国家であった。民族同士の抗争より、より強い民族が他の民族を吸収合併していき、現在の領土と民族とを支配するようになったのが国家の始まり。

 建国よりおよそ百五十年。領土を広げ力をつけたライザタニアは更なる富を得る為、領土拡大を目指して隣国システィナへと戦争を仕掛けた。しかし、ライザタニアはシスティナからの思わぬ抗戦に遭い、敢えなく撤退を余儀なくされた。

 当てが外れたのはライザタニア国民であった。ライザタニアの民は『システィナとの戦争に勝利し暮らしが豊かになる』と、根拠もない確信を抱いていたからだ。

 遊牧民であった頃の気質が根強く残る彼らにとって『掠奪行為』は生活上当たり前の行為ーー正当化された『正義の行い』であり、商売による金品交換や物々交換よりもずっとポピュラーな行為でもあった。

 だが、戦争によってライザタニアとシスティナとの国交が途絶えた事により、侵略を受けたシスティナ国民よりも侵略を行ったライザタニア国民の方が多大な影響を受ける形となった。

 ライザタニア・システィナ間での交易、行商人の出入りが自由でなくなった事で、ライザタニアはシスティナからの海産物を始め便利な魔宝具マジックアイテム、日用品すら手に入れる事が困難になってしまったのだ。元は遊牧民の集まりであるライザタニアには特出した産業はなく、自給自足による生活だけでは立ち行かぬ昨今、国交断絶は死活問題であった。


「また戦争でもおっ始めるのか?」


 木こりの声にはウンザリとした響きがあった。それもその筈であった。システィナとの戦争では多くの民間人が徴集され、その中には木こりの親兄弟も含まれていたのだ。そして、ついには帰らぬ人となった親兄弟。愛する者と引き離された悲しみは今も癒えてはいない。


「初めっから亜人どもを投入すりゃ良かったものを……」


 ライザタニアと呼ばれる国、その領土内には太古より『人非るモノ』ーー精霊の化身である『妖精』ーー竜、エルフ、ドワーフ、獣人……といった妖精族の住まう聖なる土地が点在していた。人間ヒトよりも長命であり、知識も深く、何より強い肉体を持つ妖精族は、脆弱な人間ヒトとは積極的な関わりを持つ事はなかった。人間ヒトもまた同じであり、価値観の異なる妖精族との関わりを多くは望まなかった。

 しかし、お互い不干渉を貫く中でも、種を超えての交配ーーつまり、人間ヒトと妖精族とがつがいとなり交わる者が現れた。その交配により産まれた子孫たちをライザタニアでは『亜人』と呼んだ。

 その中でも片親を妖精族に持つ亜人は妖精族の特徴を有しており、人間(ヒト)からは『奇跡の子』『神の子』として崇められる一方で、その『人非る力』は卑下される対象となるには時間がかからず。人間は自身にはない力を恐れ、畏怖した者たちは亜人たちを『バケモノ』と呼んで差別するようになる。

 迫害が次第に広がる中、『人非る力』を持つ亜人たちを保護したのは王家であった。畏怖の対象から王家を守る英雄へと立場を変えた亜人。恩ある王家へと忠誠を誓った亜人たちは、自身の力を王家の為だけに使うと宣言した。その亜人たちから構成された部隊ーーそれこそが『月影』呼ばれる王家直属の特殊工作部隊であった。


「現王様も一体何をお考えなのか……?システィナの魔女など亜人どもに殺させれば良いものをっ」


 ーーそうすれば『卑しい亜人』と『卑しい魔女』、その両者を共倒れにする事ができるではないか……!


『国民の生活を脅かしているのは、システィナの魔女である』


 現王は、ライザタニア国民が貧困に喘ぐ原因はシスティナーー延いては、国境に万人の通れぬ《結界》を築いたシスティナの魔女にある、と御触れを出した。国民たちは誘導操作されているとも知らず、その御触れを鵜呑みにした。

 殿上人の事情など、木こりには知る由もない。元より政治に干渉できぬ平民にとっては自分たちの生活さえ豊かであれば良いのであって、それ以外のーー国の政策などは王侯貴族の役割であり、自分たちには全くの無関係な問題だと捉えていた。


「考えたって仕方ねえやな……」


 全ては現王様がお決めになる事なのだから……。

 考える事を放棄した木こりはまた、日銭を稼ぐ為に仕事へと戻っていった。



 ※※※



 鉄格子の嵌まった窓には遮光カーテンが引かれており車内は真暗だった。二つの人影は身動ぎもせず、静かな車内にはただただ車外から車輪の回る音と蹄の音が聞こえるのみ。


「……っ……ここ?あれ……いたい……」


 濁る水の中から湧き立つ泡のように、アーリアの意識はゆっくりと浮上していく。現在いま何時いつで、此処ここ何処どこなのか、どのような状況にあるのか、何も分からないまま、何も考えられないままにアーリアは重い瞼を開けていった。


「っさむ……」


 身体が鉛のように重く、寒く、身動ぎすれば背に奔るようなは鈍痛にアーリアは眉をぐっと顰めた。頭にはモヤがかかっているようで何の考えも浮かばず、纏まらず、魔力が底を尽きた時のように手足が氷のように冷たかった。


「目が、覚めたか……?」


 低い声音は男性のもの。何処かで聞き覚えのあるその声音にヒヤリとした冷たさを感じてビクリと身震いを起こした。その声音には殺意や敵意といった悪い感情は込められてはいない事に、少しの安堵を覚えたのも束の間のこと。

 間近から届いたその声音を手探りに、アーリアは重い瞼をゆっくり開閉させながら、自分の置かれた状況を把握するに努めた。

 灯りのない真暗な空間。四角い箱のような部屋は馬車の車内だろうか。外から蹄の音が聞こえ、自分の考えが間違いないだろうと確信する。

 向かい合わせに座椅子が並ぶ形の車内ではなく、ただ一つの広い空間が広がる車内には毛足の長い絨毯が敷かれている。大きさは乗合馬車に近く、用途は荷馬車に近いだろう。ただ、今はその中にある荷物はアーリアと、先程の声の主の二人だけではあるようで……。


「動かない方が良い。未だ傷は癒えていない」


 ー傷?ー


 アーリアは小首を傾げた。すると、その小さな動きだけで右肩から背の中頃にかけてビキっと鋭い痛みが疾ったのだ。


「痛ッ……」

「言っただろう?未だ傷は癒えていない、と……」


 そっと肩を支える大きな手。もう一方の手がアーリアの手を支え、身体を支えると、アーリアがくつろぎ易いように身体をもたげさせてくれる。ジットリと浮かぶ脂汗。首筋を流れる冷汗。アーリアは痛みをやり過ごす為に目をギュッと閉じ、じっと鈍痛に耐えていると、身体を支える大きな手からジンワリと温かな体温の伝わりを感じて、思わずホッと安堵のため息をついた。


 ーん?体温……?誰の……⁇ー


 温かく感じた体温とは一体誰のモノなのか。

 鈍痛が収まってくると、アーリアの頭は徐々に冴えていった。

 アーリアは恐る恐る擡げていた頭を上げていく。すると、闇に慣れた瞳の中にその人物の顔が映し出されていった。


「ーー!」


 漆黒の髪。切れ長の瞳には真紅の双玉が嵌められている。整った目鼻立ち。エキゾチックな美貌。老成した雰囲気から年齢は分かり難いが、二十代後半に差し掛かる頃か。加えて、その表情から感情を読む事は難しい。

 黒を基調にした軍服の襟首は緩められ、白いスカーフが外されている。軽い中綿の入ったマントは今、アーリアの身体を包む布団シーツ代わりとなっていた。そんな事よりも驚くべき事態は、アーリアが黒髪の男性の腕に抱かれているという状況にあった。


「動くな」


 身動ぐアーリアの動きをその一言だけで止めた。


「傷に響く」


 男のその表情から感情を読む事は難しいが、どうやらアーリアの身体の事を案じて忠告しているようだ。


「身体を楽にしていろ。道中長い」


 身体を氷のように固くしたアーリアに、男の冷たい視線が突き刺さる。本人には自覚はないようだが、彼のその目線だけで子どもならば確実に泣かせる事が可能であろう。と、そのようにどうでも良い事を考えしまったアーリアは、自分がどうしようもなく混乱しているのだと理解した。


「どう、して……?」


 小さな身動ぎだけで痛む背。吐き気を催す胸のムカつきに、アーリアは一度は起こそうとした抵抗を諦める事にした。

 どうにもならない状況というものはある。

 今がそれなのだと……。

 背中の痛みは黒竜となったセイから受けた傷によるモノ。脱力した身体の怠さは魔力の欠如による現象。纏まらない思考力は流れた血液の量が多かった事による。加えて、車内の四隅には魔力の込められた魔宝石が配置されている。車内の人物に抵抗させない為の措置だと思われた。


 ーあぁ、詰んでいるー


 アーリアはフゥっと溜息を吐くと、男の赤い瞳を見上げた。そして再び「どうして?」と繰り返した。


「何がだ……?お前を殺さなかった事に対しての理由か?それともお前の怪我を治癒していない理由か?」


 自分の疑問に対して答えて貰えるとは半信半疑だったアーリアは、僅かに瞳を見開いた。


「お前を殺さなかった理由は簡単だ。我々はお前を生かして連れて来るようにとの命を受けているからだ」


 男は無表情のまま説明し始めた。


「お前の傷が完全に癒えていない理由は、単純に治癒士との合流が遅れている所為だ。簡単な治癒魔法をかけてあるのだが、それだけではお前の背の傷を完璧に塞ぐには至らなかった」


 男はそこまで説明すると口を徐につぐみ、じっとアーリアの顔を見下ろしてきた。その表情から、アーリアには『未だ疑問はあるか?』と言っているように思えた。


「……どうして?」

「……?」

「私一人なら、いつでも拉致できたでしょう?」


 ーーねぇ?レオ


 男の眉が僅かに動いた。アーリアにはその無表情の中にも僅かに感情が揺らめいたのが分かった。それはアーリアが眼前の男とーー黒毛の愛犬レオと過ごした日々の賜物であった。


「貴方はこの2ヶ月の間、ずっと私の側にいた。その間、私を連れ出す事はいくらでもできたはず」


 アーリアは男ーーレオの胸に預けていた身体を起こすと、背の痛みを無視してレオの胸ぐらをぐっと掴んだ。 


「どうしてなの⁉︎ アルカードを火の海にする必要があったの⁉︎」


 背の皮膚がピリピリと引きつる。冷や汗が流れ、痛みと熱に頭がクラクラと揺れる。それでもアーリアはレオに問わずにはおれなかった。

 アーリア一人を拉致するだけなら何時でも可能だった。誰にも気づかれず、誰も傷つけずに、彼らは犯行を行う事ができた筈なのだ。それなのに、彼らは仲間だった者たちを裏切り、傷つけ、街に火を放った。アーリアはセイに向かって『他人がどれだけ傷つこうが関係ない』とタンカを切ったが、そう断言できるほど自身が外道に成り切れない事を知っていた。世話になった人たちの健やかな健康と生活をーー幸福を願う気持ちを持ち合わせていた。


 だからこそ自身を、そして彼らを許せなかった。


 自分一人の犠牲に留まらず、アルカードの人々が争いに巻き込まれてしまった事が。大切な護衛騎士ひとを傷つけてしまった事が。


「それ以上動くな。傷にさわる」


 『レオ』と呼ばれる事を否定しない男は、自身の胸ぐらを掴むアーリアの手に自身の手を重ねると、手を離すように促した。しかし、脂汗を浮かべてもなお訴えるアーリアは、なかなかその手を離そうとはしない。男は手を下ろし小さく息を吐くと、何処か諦めたような口調で語り始めた。


「……当初、魔女おまえに対して殺害命令が出されていた」

「そう……」

「だが、その命令は変更となった。ーーだが、そのような此方こちらの事情など、其方そちらには関係のない事だろう?」

「確かにそうね。其々(それぞれ)の事情が異なるもの……」


 アーリアは『お前には関係ない』と断言するレオの言葉に肩を落とした。アーリアがどれだけ怒りをぶつけようが、言葉で訴えようが、何時迄経っても分かり合える事はない。其々(それぞれ)の『立場』と『願い』が異なるのだから。何処まで行っても平行線。一方通行でしかない『想い』が、交差し理解し合える事などない。

 それは其々(それぞれ)が所属する国の事情も同じ事であった。

 システィナにはシスティナの、ライザタニアにはライザタニアの『正義』がある。其々の『望む未来』の為に、其々の国は政策を考え進める。例え、その政策が他国民を傷つけ苦しめようとも、自国民の幸せの為ならば『正義』の名の下に政策は断行されるのだ。

 偽姫として王族教育を受けたアーリアには、それらの事情ことが嫌というほど理解できた。だが、理解できたとしても到底、納得できる事ではなかったのだ。


「ーー〜〜……っ!」


 アーリアはレオの胸をもう一度強く掴むと引き寄せると頭を擡げ、肩を震わせた。


「……泣いて、いるのか?」


 アーリアは男の言葉に答えなかった。突如、瞳から溢れ出した涙を止める事ができなかったからだ。涙は頬を伝い落ち、男の胸を、そして自らの膝を濡らしていく。


 傷を負った騎士たち。

 傷を負った国民たち。

 傷を負った大切な護衛ひと


 何処どことも分からぬ場所。

 何処どこへ向かうか分からぬ馬車の中。


「……ゅ……」


 アーリアは専属護衛かれの顔を思い浮かべた。脳内に浮かぶ彼の顔には困ったような笑みがあった。

 アーリアはあれ以上、大切な専属護衛が傷つく姿を見たくはなかった。だからこそ、彼の意思を無視して転送したのだ。その事に今も悔いはいない。あれ以上の血を流せば、生命の危険があった事も確かなのだから。

 なのに、彼はそれをらを承知で、当然のように自身の生命よりも主である魔女の生命を優先する選択を下した。それをアーリアはあの時、あの場面で、唐突に理解した。彼の選択を理解できてしまったからこそ、アーリアは彼がその選択を実行に移すより先に『専属護衛の生命を優先し、戦場から遠ざける』という選択を下し、強制した。


 ー今さら『助けて欲しい』なんて、言えないよー


 アーリアは声を殺して涙を流した。異国の襲撃者の胸の中で泣くのは実に情けなく、泡のように消えしまいたい気持ちが沸き起こった。なのに、アーリアの胸中を無視して一度溢れ出してしまった涙は止め処なく流れていく。

 男は自分の胸中で嗚咽を上げる少女に戸惑いを覚えていた。どんな苦難の時も表情一つ変えずに仕事だと割り切り、黙々と対処していたシスティナの魔女。魔女の飼犬レオであったとき、少女が一度も涙を流す姿を見た事がなかった。


「すまない……」


 これは飼犬レオとして飼主アーリアを謀った事への謝罪であり、決して、アルカードを襲撃した事への謝罪ではない。そんな『言い訳』をしなければ己の胸の中で嗚咽を鳴らす少女に言葉すらかけられぬ自身を、男は恥じた。

 ハァと小さな息を漏らすと、男は異国の魔女の涙が枯れるまで黙って胸を貸しながら、その小さな肩を優しく撫で続けた。






お読み頂きまして、ありがとうございます!

ブックマーク登録、感想、評価など、とても嬉しく思います(*'▽'*)ありがとうございます‼︎


第4部『魔女と狂気の王子』を開始します。

自分自身の求めた選択と結果。選択に後悔はなくとも、その結果に対しては納得できずに苦悩するアーリア。誰かが望んだ筋書きの中で、アーリアはこれからどの様な選択をしていくのでしょうか?


次話も是非ご覧ください!


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