それぞれの決断3
※争乱編※
※(アーリア視点)
ーポタ、ポタリ、ポタ、ポタ……ー
鉄錆の匂いが鼻につく。生暖かい液体が頬に落ちてくる。風が肌を撫で髪を揺らす。
『ーー⁉︎ ーーッ!』
耳の奥で誰かの怒声が聞こえる。どちらも聞き覚えのあるーーいや、一つは聴き馴染みのある声だ。だけど、これほど余裕のない声を聞いた事があるだろうか……?
『ーーリュゼ殿‼︎』
『ーー僕は良い。副団長サマはアーリアをッ』
リュゼの声は何時になく緊迫感を帯びている。まるで余裕のなく後がないような声音は、本当に彼らしくなく……
ー起き、なきゃ……!ー
そこで、唐突に覚醒し始める意識。意識が途切れる前までの状況が、脳内を嵐のように駆け巡る。
ーリュゼ!ー
リュゼの声音を便りに、意識を手繰り寄せるように闇の底から這い上がる。そして、水底から水面へ顔を出すように意識を現実世界へと覚醒させていった。
「ーーリュゼ……」
あれだけ重かった瞼がパッと開かれた。
真っ先に目に飛び込んできたのは紅ーー炎。血に濡れた甘栗色の髪……
「アーネスト……さま……」
「ーー!アーリア様……!」
見下ろされてくるアーネスト様の顔には驚きが広がった。アーネスト様の柔らかな髪がハラリと垂れ下がり、私の頬を擽る。
「アーネスト様……お怪我を……?」
アーネスト様の美しい容貌ーー右頬にはザックリと縦に裂かれたような傷があり、そこから血がポタリポタリと落ちていた。私はアーネスト様の右頬に手を伸ばすと迷わず回復魔術を施していく。淡い光がアーネスト様の傷を徐々に癒していく。
「私の事など、良いのです……。嗚呼、目が覚めて良かった……」
意味が分からず瞬きを繰り返す私に、アーネスト様は苦笑しながらも、差し出した私の手を上から包み込むように柔らかく握り込んだ。
「……あの……今、どのような……?」
アーネスト様は私をその膝上に抱き込むように屈んでいた。私はアーネスト様の手を借りて身体を起こすと激しい目眩に襲われた。額に手を置いて何度か頭を振る。
セイがナイルを刺して、レオが人間の姿をとった。その後、私はそのレオらしき男に気絶させられてしまった。そこからずっと記憶が途切れたまま。あれからどうなったのか全く検討つかない。
「貴女は襲撃者たちに連れ拐われました」
「はい……」
「私は貴女を連れ去った襲撃者たちを追いかけて庭園まで来ました。しかし、そこで予想外の出来事が起こったのです」
「セイ、ですか……?」
「ああ……セイの事も予想外でしたが……それよりも、彼ら襲撃者があのような姿になるなど……!」
アーネスト副団長はこれまでに見た事のないような焦りの表情を浮かべている。
ーパキ、パキパキパキ……ー
炎は庭園を包み込もうとしていた。木々に燃え移った炎に幹や枝が悲鳴のような音を立てて爆ぜ割れていく。
「あの……リュゼは……?リュゼの声が聞こえた気がしたのですが……」
私は首を巡らせながらリュゼの姿を探す。どうやらここは、騎士寮の裏側ーー馬房と東の門との間に広がる庭園、その管理棟の屋上のようだ。便宜上『東の門』と呼んではいるが、正解には駐屯基地の通用口の一つ。騎士を含め関係者はアルカード城壁にある東西南北にある四つの正門を通らなくても街の外へ出られる事から、私もよくこの門を利用していた。『東の塔』へ行くのに便利だからだ。一々、面倒な手続きーー通行手形を見せなくても良いのが利点だった。
『四季の花が楽しめる』と笑っていた庭師自慢の庭園は今、炎に包まれ始めていた。
「リュゼ殿はあそこです……」
アーネスト様の硬い表情にドキリとした。私はアーネスト様の視線の先を追って庭園をもう一度見下ろした。
「ーー‼︎」
炎の中に黒光りする一対の翼。咆哮を上げながら口から炎を吐き出す黒き竜。黒竜は腕を振り上げると鋭い爪が煌き、眼前の小さな人影を切り裂いた。
「ーーリュゼッ!」
アーネスト様の肩に手をついて立ち上がると、そのまま駆け出して管理棟の屋根の縁へと手をかけた。
「お待ち下さい!」
「待てません!離してください!」
慌てた様子でアーネスト様が私の左手首を掴んできた。そして腕をそのまま軽く引いた。それだけで私の身体は一歩も踏み出せなくなってしまった。
「やっとの思いで貴女をアレから引き離せたのです。ここで貴女があそこへ行ったら、我々の努力が意味を無くします」
「でも、リュゼが……!」
「リュゼ殿の『想い』をムダになさりたいのですか⁉︎」
「ッーー⁉︎」
血が逆流する。足先から脳天へ。ザァッと血が流れていく。ヒュッと息を飲んだ後、私はアーネスト様の顔をキツく睨んだ。
「貴女にとってリュゼ殿がどれほど大切かという事は私も存じています。ですが……」
「何を、何を知っているのっ⁉︎」
「ーー!?」
アーネスト様の『私のリュゼに対しての想いを知っている』と仰る言葉に、私は苛立ちを覚えた。
ーこんな時にこんな事を言い争って何になるの?ー
そう思いながらも、口から注い出る言葉は堰き止める事ができなかった。
「アーネスト様は私の何を知っていると仰るのですか!? 私の想いの何を知っていると……!」
気を抜けば涙が出そうになるほど、私の心の中はグラグラと揺れていた。
リュゼに対する私の想いは自分でも一言では言い表せない。ただ、敢えて一言で例えるのなら『大切な人間』だ。私の生い立ちを知っても尚、離れて行かなかった人間。自らの意思で私の側に居てくれる人間。私の全てを受け入れると言ってくれた奇特な人間。
私はリュゼを大切に想っている。側にいたいーー共に生きていきたいと想っている。そういう『想い』は人間は『何』と呼ぶのだろうか。
自分でも測れはしない程の大きな『想い』を何故、アーネスト様がーー他者が理解できるのだろうか。ーーいや、出来る筈がない!
「……アーリア、様……」
感情が高まりによって溢れ落ちた涙に、私の腕を掴むアーネスト様の腕の力が緩んだ。
「ごめんなさい、アーネスト様……わたし、は……」
困惑したアーネスト様の表情に、私の中の怒りの感情が徐々に引いていくのが分かった。私は浅い息を繰り返して逸る心臓の鼓動を落ち着けていく。すると、徐にアーネスト様は掴んでいた私の腕をそっと離してくれた。そして、私の頬を伝う涙を人差し指で拭ってくれて……
「申し訳ございません。出過ぎた事を申しました」
「い、いえ。私の方こそ、アーネスト様に生意気な事を……」
「お気になさらず……と言いたい所ですが、貴女をあそこへ行かせたくないのは本心ですので」
「っーー⁉︎」
アーネスト様は割れた眼鏡をかけ直すと、いつものように柔らかな笑みを浮かべた。私にはそれがとても意地悪な笑みに見えた。
「襲撃者の目的は貴女自身なのですよ?もう少し、ご自身の価値を自覚なさってください」
「でも……リュゼが……!」
「もう間も無く援軍が参ります。それまでの辛抱です」
「援軍?」
「ええ。王都から送られてくる筈です。それに、『東の塔』から団長たちも帰還でしょう。ですから……」
ここでアーネスト様の言葉は途切れた。アーネスト様は何かに気づいたようにピクリと眉を上げサッ顔色を硬くすると、私の腰を抱いて跳び退がったのだ。しかし、アーネスト様の腕の中で一瞬の浮遊感を覚えた時、ドンッと重い衝撃を受けて身体が傾いだ。何がどうなったのか分からない。天と地とも分からない視界の中、私はアーネスト様に抱かれたまま地面をゴロゴロと転がっていた。
「ーー」
アーネスト様に頭と背を抱かれていた私には、それ程の大きな怪我はなかった。擦り傷・切り傷程度だ。でも、攻撃をまともに受けたアーネスト様の方は重傷だった。
「ご無事ですか⁉︎」
私は強く抱かれた腕の中から、苦痛に呻くアーネスト様に呼びかけた。騎士は怪我を負う事など滅多にない。また、怪我を負ったとしても痛みに呻くなど早々ないのだ。しかし、今、アーネスト様は額に冷や汗を流しながら小さく呻いていた。
「アーネスト様!血が……」
「わ、私の事より……早く、ここを離れて……」
アーネスト様の腕から抜け出した私は治療魔術を発動させようとした。でも、それを制したのはアーネスト様ではなかった。いつの間にか背後から突き出された大きな手が私の腕を掴んでいたの。
「えっ……⁉︎」
掴まれた腕に驚いて振り向くと、そこには長身の男性が立っていた。年齢を判じさせない整った容姿。鋭い眼光。夜の闇を切り抜いたような漆黒の髪が夜風に揺られている。瞳は炎と同じ色。表情はなく、ただ無言で驚く私を見下ろしている。
「れ……⁇」
私はこの男性によく似た犬を知っていた。周囲がどれほど騒がしくても、常に物静かに佇んでいた大型の犬。『レオ』と名付け、暫くの間、共に過ごしていた大型犬のやる気のない無表情は獣の時も人間の時も大した差はなかった。
黒髪の男性は私が『レオ』と呼ぼうとした事に眉尻を少し動かしたがそれも一瞬のこと。漸くといった雰囲気でその重い口を開けるとただ一言「来い」とだけ呟いた。意味が分からず首を傾げると、また、ほんの少しだけ面倒そうに目を細めた。
「共に来い」
「え?」
「あの男が死んでも構わぬのか?」
「痛いっ……!」
黒髪の男性は有無を言わさず、強引に私の腕を引いた。
「お前が素直に我々に付き従えば、間もなく襲撃者たちはこの街を去るだろう」
これ以上の無益な争いを起こしたくなければ大人しく自分の言葉に従え。そう脅しを掛けてくる黒髪の男性の言葉に私は唇を噛み締めた。
「私を連れ去って何の意味があるの?貴方たちの目的は『東の塔』にあるのなら、今ここで私を殺せば済む話でしょう?」
「アーリア様ッーー!」
私は暗に『早く殺せ』と言った。それはさぞ自殺願望のある言葉に聞こえたのだろう。アーネスト様の非難に満ちた声が足下から聞こえた。私はそんなアーネスト様の言葉を無視して黒髪の青年の顔を見上げ、その炎のような瞳を睨み据えた。
「どうしたの?貴方たちはライザタニアの工作員でしょう?システィナを攻略する為に邪魔な《結界》を排除したいんじゃないの?」
「……」
「何を躊躇うの?前任の魔女様を殺めたように、私もその手で殺せばいいわ」
私の言葉に黒髪の男性は眉を潜めた。どうやら僅かな苛立ちを覚えたようだ。無表情の顔に見えるがその小さな表情の揺れで、私には男性の気持ちが少しだけ分かる気がした。
「……。『魔女を殺せ』との命は受けていない」
「え……?」
「我々の任務はお前をシスティナより連れ去る事だ。それに……」
ーーあの塔はお前が死んだところで《結界》は解かれはしないだろう?
腕を引かれ、耳ともで囁かれた言葉に身震いを覚えた。男性の口からもたらされた低音の声音には何の感情もこもっていない。でも、その声音は私の心臓をギュッと掴んでしまうような威圧感があった。
「なんで……?」
「ずっと、側で見ていた。お前は意味の無い事などしない……」
私は他者から『鈍臭い、迂闊、浅はか、やる事なす事全て空回り、人の話を鵜呑みにしがち』と散々な酷評を受ける。確かにその通りだと思う。今までの自分の行動を見返すと、早とちりの上に空回りな行動をしてしまっている事も多くて、時々、目もあてられない事もある。だから、仕方なくそのツケを払いながら生きている。『東の塔』の《結界》の件もそう。誰に頼まれた訳でもないのに《結界》を施した所為で、現在進行形で自分の首を締めている。でも、《結界》を施した事に対して後悔はしてはいない。これまで『自分の出来る事をしたまでだ』と割り切っていたし、現在もそう思っている。
このアルカードへ来て以来、『東の塔』に関わる多くの人々と関わりを持つ事で、私はシスティナに於ける『東の塔』の役割を自分なりに理解する事ができたと思う。過去に在籍した魔女たちの想い、現在に繋がる騎士たちの想い、未来を見据える王太子殿下の想いを受けて、私は私なりに『東の塔』を理解しようと心がけた。その結果、私は『東の塔』を『平和の象徴』にしなければならないと考えた。
ー『東の塔』は決して堕ちる事はないー
私がウィリアム殿下に言った言葉は嘘ではない。もうーー決して『東の塔』は堕ちる事はあってはならない。だから私はその為の『措置』を施した。
「無駄を嫌い、無意味を嫌い、合理的な物事を好く。そうだろう……?」
黒髪の青年がやや首を傾げながら問う。私は思わずポカンと口を開けて男性の顔を見上げていた。
「……話過ぎたな。さぁ、来い」
「えっ⁉︎ーーい、いや、行かないからね!」
やや憮然とした顔の黒髪の男性はくるりと身体の向きを変えると、私の腕をグイグイ引いて歩き出した。私は無理矢理腕を引かれながらも、逆に手を引いて拒否感を表した。
「私はどこにも行かない。行きたくないの。ーー離して!レオ!」
黒髪の男性の背に、私は『レオ』と呼びかけた。するとレオと呼ばれた青年はゆっくりと私の方へと振り向いた。掴まれていた腕、青年の大きな手から力が緩んでいく。青年は私に何かを言おうと口を開きかけたその時……
ードォォォオオンー
「きゃあ!」
男性は横から突っ込んできた黒き竜に激突されて吹っ飛ばされていく。巻き起こる暴風に私は思わず悲鳴を上げた。足元がふらつき、足裏が屋根の縁を踏み外した。グラリと揺れる上半身。手足をバタつかせてバランスを取ろうとするが意味を為さず、身体は宙に放り出された。
「ひゃんーー!」
ー落ちる!ー
これで何度目だろう?そう思ったのも束の間、空中遊泳はそう長くはなかった。木の隙間から飛び出して来た猫目の青年の力強い腕が私の身体を下から支えたからだ。
「僕ってば、ナイスキャッチ!」
「リュゼ!」
「は~い、子猫ちゃん」
「遅いよぉ!」
「ごめんごめん。でも、ナイスタイミングだったでしょ?」
「うん」
私はリュゼの首に抱きついた。そして私はまるで猫のようにリュゼの頬に自分の頬をすり寄せた。
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争乱編『それぞれの決断3』をお送りしました。
目を覚ましたアーリアの目の前に広がる光景。それは炎に包まれた庭園、傷ついた騎士、そして大切な専属護衛の姿だったーーーー
次話、『それぞれの決断4』も是非ご覧ください!




