争乱は日常の中から起こり得るもの6
※争乱編※
ーどうなってんだ……⁉︎ー
リンクは燃え盛る住宅街を見上げながら、慌てふためく大人たちを呆然と眺めていた。
突然の火災に訳もわからず混乱し逃げ惑う住民たち。その中には家財を捨てきれず炎に巻かれた住民もいた。馬鹿だと一刀して嘲る事は出来なかった。炎という名の暴力は、人間の平常な精神を麻痺させるには十分な威力を持っていたからだ。
家屋から女子どもは投げ出され、路上で途方に暮れている。非常事態だというのに火事場泥棒を行う悪党も勿論いた。北区は特に治安も悪い。軍事都市と云えどーーいや、だからこそ力自慢の脳筋どもが溜まるのだと考えられた。『力こそ全てだ』と起こる全ての事象を力で解決しようという力自慢が幅を利かす場面を、リンクはこの街でしょっちゅう見かけていたのだ。その力自慢たちも、街の複数箇所で同時に発生した『火災』という事態に対しては、まるで無力だった。普段、屈強な肉体を自慢する男たちもいざ燃え盛る炎を目の当たりにすると腰が引けてしまい、まともに動ける者は多くはなかった。
「くそぉ!」
リンクは手にしたバケツの中の水を燃え盛る家屋にぶっ掛けながら、口から絶えず出る毒付きを抑えられずにいた。やらないよりマシ程度の消火作業。リンクと同様、自らの意識を虚空から現実へと戻した者たちは各々、慌てた様子でバケツや鍋などを持って燃え盛る家屋へと水をかけ始めていた。
「親父、大丈夫か?」
「ああ。お前も無理はするなよ?」
「そりゃ、こっちのセリフだから!」
はぁと息を吐いて地面に腰を下ろした父親に、リンクは声を掛けた。
リンクの父親は煤臭い匂いにいち早く気づき、集合住宅の住民に声を掛けて回ったのだ。リンクの住まう集合住宅は女子どもが多い。孕ませるだけ孕ませて出て行った男たち。残された女たちが子どもを産み片親で育てているという家庭も多い。そんな中で最近、脚を治したリンクの父親は数少ない男手だった。その為に最近では自然と頼られる事が増えていた。リンクの父親は『都合の良い事だな?』と苦笑しながらも嫌とは言わずに、細々とした雑務を引き受けていた。そんな父親をリンクは『お人好しだ』と思ってはいても嫌いになる事など出来なかった。そんな『お人好し』な父親の事がリンクは大好きだったからだ。
ー男は女子どもを守ってなんぼだ!ー
そう日頃からリンクの父親はリンクに言い聞かせていた。最初は『何言ってんだ』と突っぱねていたリンクも、最近では父親の言を当たり前のように捉えるようになっていた。何故ならば、トアル魔女との出会いがリンクの中の倫理観を形成させ始めていたからだ。
ー姉ちゃん、無事でいろよ!ー
リンクは午前中に会っていた一人の少女の事を思い出していた。こんなゴミ溜めに住む一組の親子を救った、それこそ『お人好し』の女魔導士だ。一見すると偽善者だと言われ兼ねない行為を行った事に対して、『私は魔導士らしくしたい事をするだけだから』と言って、理屈にもならない理屈で押し切った自己中魔導士。
リンクはその魔女の事を思い浮かべて顔に苦いものを奔らせた。自分たちを『自分勝手に』助けたくらいだ。この火災に対しても『自分勝手に』対処しに行き兼ねない。だが、その魔女は本人が思っている以上に『鈍い』のだ。自分の右足に左足を引っ掛けて転ぶというマヌケを素で行うほどに……
「あ、そうだ!」
リンクは鈍臭いーーだが、可愛いくて仕方がない魔女の事を心配していた時、ある事を思いついた。
「魔術を使えば……」
習いたての魔術。最近やっと身体の中を巡る魔力を感知できるようになった所で、習った初級魔術ですらまだ発動できる確率が低い。そんな状態の魔術だが、この時のリンクは試さざるを得なかった。
「魔力を巡らせ高める……」
リンクは深呼吸すると足を肩幅に開き、なるべくリラックスした姿勢で立った。そして、手を開いては閉じて、閉じては開いてを繰り返し、魔力の高まりを感知し始める。
「魔術を構成する。水の術式……大丈夫だ、覚えてる」
午前中に水の術式を魔女から習った所だった。リンクは習った魔術を復習するように順序を追って魔術を構成していく。
「威力はそんなになくていい。範囲はこの建物を覆うくらいだ。効果時間は……そだな、とりあえず六十数える間!」
当たり前だが、魔術を使えば身体の中にある魔力を消費する。魔術にもよって魔力消費量は様々であり、また、同じ魔術を使ったとしても術者によって魔力消費に違いが出る。そして何より、魔力量には個人差があるのだ。
簡単な魔術でも連続作動させるとなれば、効果の持続時間中は常に魔力を消費していく。簡単な魔術ーー例えば灯りの魔術でもそれは同じだった。
リンクは己の中にどれだけの魔力があり、どのように消費して行くのかを未だしっかりと把握できていなかった。だから、とりあえず連続作動時間を六十数える間としたのだ。
ー姉ちゃんはイメージが一番大事だって言ってたー
リンクは目を瞑って想像した。空の雨雲から降り注ぐ雨を。肌に当たる雫を。大地を濡らす雨粒を。
「《水よ》」
リンクは力強く言の葉を唱えた。すると広げた両手の上に魔術方陣が展開した。
本来、雨のように水を降らせるなら、別の呪文がある。だがリンクはその習いたての呪文しか知らなかった。しかし、魔女から魔術を基礎から習っていたリンクには固定概念がなく、リンクの確かなイメージに呼応するかのように、魔術はそこに具現化するに至ったのだ。
ーポツ、ポツポツ、ポツポツポツ……ー
雨雲も無いのに天から雨粒が降り注ぎ始めた。雨粒はリンクの頬を濡らし、目の前で燃え盛る家屋へと降り注いで行く。
ーザァァァァァアアアアア……ー
突然の雨。バケツを片手に火を消していた集合住宅の住民たちはハッと空を見上げた。
「雨?雨雲もないのに何処から……」
他の住民たちと同じように首をひねっていたリンクの父親は、隣に立つ息子の異変に気付いて慌てて声をかけた。
「おい、リンク!これ、お前がやったのか……!」
「やったぜ、親父!すげー!成功した⁉︎」
リンクは見るからに興奮していた。手を空に突き出したまま、飛び跳ねん勢いで顔を紅葉させていた。
「魔術を習っているとは聞いたが、こりゃ凄いな……ってリンク、お前、大丈夫か⁉︎」
「……は?何だよーーッ⁉︎」
リンクの父親はリンクの顔色を見るや否や、心配して声を掛けた。リンクの顔色が興奮の赤色から病人のような青白色へと、急激に血の気を失ったかのように悪くなっていったのだ。父親の声に意味がわからず首を捻ったリンクだが、その理由をすぐに理解するに至った。鼻がツーンと痛くなったかと思うと、ツゥーと鼻血が伝い落ちてきたのだ。
「え?何で……?」
グラリと頭が揺れて、リンクはその場にぱったりと倒れていた。四肢から力が抜け、ピクリとも動かなくなったのだ。
「お、おい、リンク!大丈夫か⁉︎」
「頭に星が……回って……⁇」
リンクの父親はリンクを抱き上げると、頭を上にして手でパタパタと顔に風を送った。リンクのその様子が熱中症で倒れた人の症状とそっくりだったのだ。気を利かせた隣人が塩水を持ってきてくれ、父親はそれに感謝しながらリンクに飲ませた。
「親父、俺の魔術……」
「ああ、凄かった。しかし、まだ一人で使うのは早かったみたいだなぁ?」
ぶっ倒れながらも誇らしげに自分の魔術を語りたがる息子に向かって、父親は苦笑するしかなかった。
ーーこの後、少年が魔術を使って火を消そうとしたと聞きつけた大人たちは、生活魔法を扱える者が中心となって消火活動に勤しむ事になり、街中で起こった火災は徐々に収束していく事になる。
※※※※※※※※※※
甘栗色の髪を振り乱した騎士が指揮棒を片手に、主人のいない魔女の自室より指示を飛ばしていた。部下の一人が広げた館内見取り図を指示棒で指し示しながら館内に残る騎士たちに指示を出していく。地道な作業だが魔力妨害により魔宝具が使えぬ今、出来る事は人海戦術しかなかったのだ。
ー思い通りになどさせるものか!ー
騎士は拳を痛いほど握り込んで、奥歯を噛み締めた。握力によってミシミシと指揮棒が軋むが構いはしなかった。
『東の塔の騎士団』は凡そ三年前、当時の『塔の魔女』を喪った。いや、死なせてしまったのだ。守る筈の主を守り切れず無残にも死なせてしまうなど、騎士として有るまじき失態であった。それを体験した『塔の騎士団』の傷は決して浅いものではなかった。
当時を経験した騎士たちの胸の内には、前魔女を喪った屈辱感と悲壮感とが闇となって渦巻いていたのだ。それは古参騎士の心だけでなく新入した騎士たちの心にもまた、同じ想いが宿っていた……
ー主を喪ってなるものか!ー
……と。彼らが主現魔女アーリアが無知な貴族から『年若い魔女』等とどんな嘲りを受けようとも、彼ら騎士にとっては『大切な主君』であった。三ヶ月という短い期間であったが、『塔の魔女』を守るべき大切なお方であると定め、心から忠誠を誓うに至った騎士も決して少なくない。それは、騎士団の副団長という立場を受け持つアーネストとて同じであった。アーネスト副団長はどの騎士に対しても気さくで謙る事も嘲る事もなく、ともすれば対等な立ち位置で向かい合うを厭わぬ若き魔女に対して、尊敬の念を向けていたのだ。
「各棟の火災の対処はそのまま継続」
アーネスト副団長は魔宝具ではなくスキル《念話》を使って、自分の指示を執務室で受け取っている補佐官に向けて指示を出していた。
《魔力妨害》が敷かれた中では一定量の魔力しか受け付けない魔宝具よりも、自身で威力を操作できる魔術やスキルの方が幾分有効であったのだ。しかし、やはり《魔力妨害》の影響下である事は確かであり、スキル《念話》でさえ、途中途中で会話が途切れたりノイズが奔ったりと通常時よりも効果が不確かであった。
『了解。ですが、現在は火災に紛れ侵入した賊の対処に追われております』
「第二波ですか。姑息な真似を……」
補佐官からの言葉に怒気を強める。
アーネスト副団長は各所へ指示を飛ばしながら二人の部下と共にアーリアの自室を隅々まで調べ回ったのだが、やはり部屋の主人は滞在しておらず、残されていたのは扉から部屋の中へと続く真新しい血痕のみであった。
襲撃者たちはアーリアの行方を探ろうとする騎士団の捜索を何が何でも邪魔する手筈なのだろう。大規模火災に続き賊の不法侵入。アーネスト副団長にはその一連の騒動が、『塔の魔女』アーリアを連れ出す為の時間稼ぎに思えてならなかった。
「部屋にはアーリア様はおろか、向かわせたナイルの姿もありません。ーーそちらにナイルは戻ってはいませんね?」
『はい。連絡も途絶したままです』
アーネスト副団長は血痕の前にしゃがみこむと、人差し指でその血に触れた。血痕はまだ生乾きで、ここで起きた何らかの事件から然程時間が経っていない事が知れた。
「そうですか。ではライナス、後の対処はお前に任せます」
『了解であります』
「私はアーリア様を探します。賊狩りは貴方が指揮を執りなさい」
『お任せを。副団長、アーリア様を頼みます』
アーネスト副団長は立ち上がると指揮棒の両端を押しながら伸ばした指揮棒をペンのサイズまで小さく畳み、それを胸元のポケットに仕舞うと、代わりとばかりに腰の長剣を抜いた。
「それと、ライナス。内部の者にも気をつけなさい」
『内部の者とは……?』
「敵は施設の内部構造を熟知している可能性が高い。騎士の住まう施設……その中を誰からも不審に思われずに火をつけて回れる者……それは一体『誰』でしょうね?」
『ーー⁉︎ まさか……』
ーー仲間の中に『裏切り者』が潜んでいる⁉︎
ライナスの言葉は、執務室にいる騎士たちの心を激しく揺さぶった。しかし、考えて見れば辻褄が通る事ばかりだった。
騎士の駐在施設で不審火など、普通は起こり得る事態ではないのだ。施設の出入り口には見張りの騎士が立ち、施設内の各所には不審者対応に特化した魔宝具による強固な防犯対策が施されている。しかも、『塔の魔女』が騎士寮に住まうようになってから、防犯対策はより一層強化されていた。にも関わらず、賊は防犯対策を軽々突破し、遂には『塔の魔女』の誘拐にも成功しているのだ。果たしてそのような荒技、外部の人間に可能だろうか。
ー不可能だー
ここは仮にもシスティナで近衛騎士団に次ぐと云われる騎士の巣窟だ。王宮を守る近衛騎士に次ぐ実力者集団の砦なのだ。その騎士集団が外部からの襲撃者にこうも易々、防犯対策を突破されるような事があるだろうか。いくら入念な下調べと準備が為されていたとしても、不可能に近い。
ー襲撃者がもし、内部の人間だったならどうだろうか?ー
騎士団の駐屯基地ーーそれも、騎士団員の住まう寮の内部を知り尽くした内部の人間ーー騎士や職員ならば、この計画的な同時多発襲撃を起こす事は不可能ではない。
「襲撃者はアーリア様の自室を知っていた。それが何よりの証拠だとは思いませんか?」
息を呑む鋭い緊張感。アーネスト副団長は《念話》により互いの意思の回廊が出来ている相手方ーー補佐官の精神に震えが疾るのを直に感じられた。そして、アーネスト副団長はここに来て冴え渡ってきた己の思考力を呪いたい気分になっていた。
ー何が悲しくて内部の人間ーー仲間を疑いたいものか⁉︎ー
……と。
「私も疑いたくはない」
しかし、それ以外に考えられない……と続く副団長の遣る瀬無い思いの詰まった声音に、補佐官ライナスはグッと目頭を押さえた。
『分かりました。不審な動きをする騎士がおれば、その場で迷わず拘束致します』
「頼みましたよ。大人しく拘束されない騎士には『文句があるなら後で副団長が直接聞く』と伝えなさい」
『了解致しました』
アーネスト副団長は《念話》を一旦切ると、剣を持つ手に力を入れた。ギリっと柄に巻いた鞣し革が汗で軋みを上げる。
「さあ。狩りを始めましょうか?」
アーネスト副団長は誰にも見せた事のないような壮絶な笑みを浮かべると、棚引くカーテンを左手で開け放った。そしてバルコニーの柵に足を掛けると、足裏を思い切り蹴りつけバルコニーから飛び出した。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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争乱編『争乱は日常の中から起こり得るもの6』をお送りしました。
習いたての魔術を使って火を消そうと試みたリンク。術は発動したものの、数十秒後にはリンクが倒れてしまいました。それは街にも《魔力妨害》なされていた事による所が多いのですが、この時のリンクはその様な事情を知りません。
攫われたアーリアを探すべく捜査に乗り出したアーネスト副団長。彼らはアーリア救出に至る事ができるのでしょうか?
次話『襲撃者1』も是非ご覧ください‼︎




