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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と塔の騎士団
252/497

争乱は日常の中から起こり得るもの3

※争乱編※

 

「アーリア、さま……お逃げ、くださいッ……!」


 アーリアの肩口に顔を埋めながらナイルが呻いた。床に右手をつき擡げていた顔を上げてナイルはアーリアに訴えかけた。ナイルの口の端からは血が流れ顎を伝い、アーリアの膝にシミを作っていく。


「ナイルッ!」


 アーリアはナイルの身体を必死に支えながら治癒魔術を発動させた。淡い光がナイルの身体を包む。ナイルはアーリアの行動に狼狽しながらアーリアの肩を抱いた。


「私の事、より……早く!ここから……っ!」

「そーだよ。『敵』の前でなぁに悠長な事しているんだか……。アーリアちゃんって、ドコか抜けたトコがあるよねぇ?」


 セイが長剣を片手に苦笑を浮かべた。剣を軽く振って刃についた血を床へ払うと、ノーモーションで振り下ろせるように構え直した。


「さぁアーリアちゃん、先輩から離れて。トドメを刺さなきゃなんないから」

「ーーーー⁉︎」


 アーリアはセイの言葉に息を呑んだ。信じられない状況ーーいや、信じたくない状況に目を見開いて首をゆるゆると左右に振り、驚愕に顔を硬くしたまま、自分の前に立ちはだかる赤茶髪の青年騎士を仰ぎ見た。


「セイ……ナイル、は、貴方の……」

「うん、俺の良い先輩だよ。分かってるよ、そんなコトは」

「なん、で……?」

「さっきも言ったでしょう?僕は君たちの『敵』だって」


 アーリアはキュッと唇を噛んだ。心は未だ乱れたままであったが、頭はこの状況を理解しつつあった。セイはナイルを背後から刺した。何の躊躇いなく。何の感情もなく。更にはナイルの息の根を止めようとしている。しかも……


 ーセイは『敵』だと断言したー


 何処の、誰の、何の目的があってなのか。国内の刺客か、他国の刺客か。そのような事情、今のアーリアにとってはどうだって良い事だった。それよりも重要な事は、これまで『味方』だと信じてきた騎士が『敵』だったという事実、『敵』が騎士団なかまの中に紛れていたという事実、そして、今まさに反旗を翻されたという現実だった。


「さぁ、大人しくして。無意味なコトはしたくない」


 セイは穏やかな笑みを浮かべると、ノーモーションで剣を振り上げた。


 ーパキンー


 弾ける魔力残滓ヒカリ。宙舞う長剣ロングソード


 アーリアの作り出した《結界》はセイが振り下ろした剣を受け止めた。拍子にセイの長剣ロングソードが弾き飛ばされ、壁に当たるとカランカランと乾いた音を立てて床へ落ちた。


「やっぱり……アーリアちゃん、無詠唱で魔術が使えるんだね?」


 アーリアは『対人戦』を教わる時に、無詠唱での魔術をセイに一度だけ見せた事があった。その時には有耶無耶にはぐらかしたのだが、どうやらセイはその事を覚えていたようだった。


「可愛い顔して君って本っ当〜〜に脅威だよねぇ……騎士団ここの連中はあまり分かってないようだけど」


 セイは何事もなかったかのように弾かれた剣を拾いに行く。アーリアはセイが自分から背を向けた瞬間に重力を制御してナイルの身体を持ち上げると、引きずるようにして室内へと運び込んだ。


「アーリア、さま……私の、事は、捨て置いて……」


 ナイルは息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。アーリアはナイルに簡易的な治療を施しはしたが、怪我が完治した訳ではなかった。高位の治癒魔術を発動させるには構成する為の時間が必要だった。


「狙いは、貴方だ……!」

「分かってる!」


 アーリアは泣きそうに顔を歪めながら叫んだ。ナイルに指摘されなくとも分かっていた。全ての狙いは自分ーー『東の塔の魔女』と魔女の施した『東の塔』の《結界》だという事は。《結界》を壊さんとする為に自分が狙われているという事は。


「それでもッ!」


 ーー私はナイルに死んで欲しくない。


 ナイルを犠牲にして逃げるなど、今のアーリアには出来はしなかった。殺されようとしているのが見ず知らずの他人ならば或いは割り切れたのかも知れない。しかし、今ここで敵に打たれそうになっているのは自分の大切な騎士であり、その騎士を殺そうとしているのもまた自分の大切な騎士なのだ。


 ーナイルをセイに殺させたくないー


 そんなアーリアの気持ちになど関係はなく、今のセイには先輩であり相棒でもある騎士ナイルを殺す事への躊躇いはないようだった。セイは長剣ロングソードを拾うと飄々とした足取りで部屋の扉を潜った。


 ーどうすれば良いの⁉︎ー


 ナイルを守りながら逃げる事など不可能だ。ただ守る事だけならできる。《結界》を張り続ければ良いだけだ。己の魔力が尽きるまでに異変を察知した誰かがきっと駆けつけてくれる筈だ。しかし、《結界》を張った状態を維持したままでは、ナイルに高位の治癒魔術を施す事は出来ない。傷口を塞ぐだけの簡易的な治癒魔術では、血を止めるのがせいぜいであって、臓器の治癒には至らないのだ。

 流された血は決して少なくはない。このまま放置すれば失血死やショック死は免れないだろう。

 アーリアは目の前に迫る男の影に怯えながら頭をフル回転させた。

 セイを魔術の鎖で捉える、或いは魔術で攻撃して身動きを取れなくするのはどうだろうか。それとも……と、案だけはいくつも浮かんではくるのだが、苦痛に呻くナイルの存在に気を取られ、冷静な判断が下せずにいた。


「どうするの?このままじゃ、どうしたって先輩は死んじゃうよ?」


 自らの手で先輩騎士を刺したにも関わらず、ナイルが死に至る原因はアーリアの判断ミスが招いた結果だとばかりに問いを発するセイ。普段通りのにこやかな笑み、軽い足取り。このような状況を作り出した張本人セイの表情は非常に穏やかだ。

 アーリアはセイの表情に釘付けになっていた。ドクドクと胸を叩き付けるような激しい動悸。唇の隙間からハッハッと漏れ出る浅い呼吸。ヅクヅクと突き刺さる胸の痛み。ズクンと鋭い頭痛が奔りる。それらの苦しみを抑えるように、青い顔をしたアーリアは知らずの内に胸元をギュッと押さえていた。


「あーあ、先輩センパイ。先輩がアーリアちゃんの邪魔になってたら意味ナイでしょうに?騎士は主君を守る為にあるんじゃなかったの?」


そう、セイは他人事のように言い放つと、床に倒れ伏している先輩騎士ナイルをまるで害虫を見るような目つきで見下ろした。


「さぁ先輩、覚悟を決めてよ」


 その時、アーリアはとある策を思いついた。自分自身が今すぐ逃げおおせるはないが、ナイルだけならこの場から移動させる事ができる。この街よりもずっと安全な場所であり、この窮地を伝えるにはうってつけの場所だ。その考えが頭をよぎった瞬間、アーリアは叫んでいた。


「ー影の荊ー」

「なにぃ⁉︎ ちょ、これ、闇魔法……!」


 自分の足下から影が荊となって生み出され、荊の刺はセイの身体を地面へと繋ぎ止めていく。


「アーリア様……何を……ッ⁉︎」


 真下に現れた紅い魔術方陣。紅い魔力光がナイルの身体を包み込んでいく。アーリアは驚愕の表情を浮かべるナイルに向かってニッコリ微笑むとポツリと呟いた。


「《転送》」


 ナイルの身体は宙に魔力残滓だけを残して、その場から掻き消えた。


「ーー後は貴方だけだよ、セイ……」


 アーリアは床に足裏をしっかりつけて立ち上がると、正面からセイに向き直った。影から伸びる闇の荊に身体を拘束されたセイに向かってアーリアはスッと腕を伸ばした。魔力の高まりを受けてアーリアの髪が宙にフワリと広りゆく。


「アーリアちゃん、やっぱり君って脅威だよ……」


 ギリギリと唸りをあげて身体を這う刺ある蔦は、セイの足下から首下へと向かって締め上げていく。するとグキ、グリッと骨が軋む音が発せられ、セイは僅かに眉根を歪ませた。しかし、その口元には未だに微笑が浮かべたままだ。何処ドコからその余裕が来るのかが知れないだけに全く油断はできない。アーリアは唇の端を噛んだままセイの行動から目を離すまいと睨みつけた。


「ヒュ〜〜その表情、すっごくソソルねぇ!いつもの営業スマイルよりもずっとイイ」


 セイはアーリアに囚われてなお、その態度には余裕が消えずにあった。


「セイ、貴方を団長の下へ送るわ」

「いいや。それよりも先に、君はここで僕に捕まるんだ」


 この期に及んでセイは何を言い出すのかとアーリアは首を捻る思いだった。セイの言葉に反論する時間を惜しんで《転送》の魔術を構成し始めたその時、アーリアは突然背後に大きな魔力けはいを感じ取った。


「えっーー」


 パッと背後を振り返ると黒々とした影がーー闇の塊が気球のようにムクムクと膨らみ始めていた。


「な……な、に……?」


 それは瞬く間の変貌であった。黒犬を模した影は気球のように膨らみ、アーリアの背丈を超えてなお膨張を続け、次第にその影は手足を伸ばすように人間ヒトの形を成していく。アーリアがその大きな虹色の瞳に驚愕の光景を写したのはほんの三拍間、四拍後には黒犬は黒衣を纏った男性へと変貌を遂げていた。

 黒く長い髪。赤く輝く双眸。恐ろしいほど整った容姿。長身痩躯。引き締まった身体を包む漆黒の軍服。纏う雰囲気は帳の降りた闇夜のようーー……


「……レオ?」


 掠れた声でその者の名を呟いた瞬間、腹に強烈な痛みと衝撃が奔る。頬をくすぐる風。目の前に黒く長い髪が靡く。グラリと視界が歪むと同時に、アーリアの視界は闇へと閉ざされていった。



 ※※※※※※※※※※



 ートサッー


 意識を失って傾いだ少女の身体を、黒衣の男の腕が軽々と受け止めた。その小さな身体は思っていた以上に軽く、先ほどまで部下を圧倒していた魔女と同一人物などとは思えなかった。


「すまない」


 黒衣の男はアーリアの柔らかな頬に手を添えると、絡まる白髪を耳から後ろへと梳きやった。


「はぁ。やっと解放されたぁ……」


 アーリアが意識を失う事で解けた魔法の荊から解放されたセイは、痛む足を引きずりながら黒衣の男の下へと歩み寄った。


「遅いですよぉ、隊長。それよか、アーリアちゃんが寝てる間に捕まえておいてくれたら手間も省けたのに……。てゆーか、何でアーリアちゃん起きてたんです?眠らせておく手筈じゃなかったんですか?」


 セイはまくし立てるように黒衣の男ーー自分の本当の上司であり隊長に向かって言葉をかけた。

 黒衣の男は喧しい部下の言葉を丸っと無視しながら腕の中で眠る魔女アーリアの顔をとっくりと眺めている。蒼白を通り越して生白い頬に手を添え、まるで慈しむかのような仕草で頬を撫でた。


「毛布……」

「……ハァ?」


 突然、上司の口から呟かれた単語にセイは訝しげな表情を浮かべた。しかし、上司は二度は同じ言葉は発する事なく、部下の顔をジッと睨みつけてくるのみ。すると、暫くの沈黙の後、セイは額に手を置くと深い溜息を吐いた。


「毛布を取ってこいって事ですね?」

「早くしろ」

「ハイハイ。分かりましたよっ」


 セイは頭をボリボリ掻きながら毛布を探しに寝室へと向かった。上官とは久々の邂逅だが、相変わらずの無口振りには感心するしかなかった。

 セイは寝台から毛布を取ってくると、それを上官へ手渡した。上官である黒衣の男は手慣れた手つきで毛布を少女の身体に巻きつけると、荷物袋のように肩へと担ぎ上げた。


「過保護ですねぇ〜」

「この魔女には恩義がある」

「はぁ?それって飼い犬根性ですか?飼い主に恩義を返す忠犬的な……」

「いや。今まさに恩を仇で返しているところだ」

「……最低ですね」

「そうだな」


 セイは嫌味を言ったつもりだったのだが、上官は部下の嫌味を軽くいなした。部下からの無礼千万の言葉に怒る訳でもなく、顔色さえ変える事はない。セイは上官の澄ましたその表情からは何の感情も読み取る事は出来なかった。上官の芯にあるのは『任務を遂行すること』のみ。任務遂行能力は尊敬に値する。だからこそ、セイはこの男を唯一の上官と認めつき従っているのだ。


「それにしても、何で任務内容が変更されたんです?」


 セイはバルコニーに続くガラス戸へと向かって歩き始めた黒衣の男の背に話しかけた。しかし、上官の言葉はあっけないものだった。


「どの様なめいでも、主君からの命ならば遂行する」

「ま、極論、そうなんですけどねぇ……」


 黒衣の男の肩ーー毛布の中に見える白い髪を目に留めながら、セイは溜息と同時に肩を竦めた。騎士であった己が『守るべきあるじ』と一度は認めた魔女。しかし、セイが本来の自分が『何者』なのかを思い出したあの日あの時から、セイは『騎士』から『襲撃者』となり、魔女は『主君』から『宿敵』となった。


 ー人生って上手くいかないモンだよねぇ……ー


 セイが自分の正体を、自分の目的を忘れたままだったなら、アルカードはーー『塔の騎士団』は楽園のままだっただろう。だが、そうはならなかった。


「現実ってヒドイもんですね?こーんなか弱い女の子を寄ってたかって狙う襲撃者がいるんですから」


 セイはそっと毛布から覗くアーリアの頭を撫でた。柔らかな髪の感触が指の間をするりと滑っていく。


「お前自身が決断し行動に移した。それがこの現実を招いたのだ」


 ふと顔を上げれば、ガラス戸に手を掛けた上官が肩越しに振り向いていた。真紅の瞳がセイの顔をーーその表情を睨め据えている。瞳の色は血のように紅く、それでいて氷のように冷たい。ゾクリと背に冷たいモノが疾る。上官の絶対零度の視線から『後悔しているのか?』と問われてているように思え、セイは知らず噛んでいた唇を開いた。

 ここで『そうだ』と答えれば上官は迷わず自分を殺すだろう。そう判断したセイは、背中を伝い落ちる冷や汗に上官からの威圧感プレッシャーを感じて肝を冷やした。久々に感じるその威圧感に、セイは乾いていた唇をペロリと舐めた。


「隊長。その殺気、抑えてくださいよ。俺は後悔なんてしていませんから」


 そう言って浮かべた笑みは、セイがこれまでの騎士団生活で一度も見せた事のない獰猛な笑みだった。


 ーこれは俺が始めた戦争だー

 ー後悔など、ない。しては、ならないー


「行くぞ」


 上官は部下の浮かべた笑みを興味なさげな表情で見留めると、徐に顔を晒した。そしてそのままバルコニーの柵に足を掛けると力強く蹴り上げ、宙へと躍り出た。



お読み頂きまして、ありがとうございます!

ブックマーク登録、感想、評価など、とてもとても嬉しいです(*'▽'*)ありがとうございます!


争乱編『争乱は日常の中で起こり得るもの3』をお送りしました。

後輩騎士セイの裏切り。先輩騎士ナイルの負傷。

争乱の種は日常の中で育ち、月光を受けて芽吹き始めました。誰が味方で誰が敵か……⁇


次話『争乱は日常の中で起こり得るもの4』もぜひご覧ください!

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