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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と塔の騎士団
251/498

争乱は日常の中から起こり得るもの2

※争乱編※

 満月に向かって吠える一頭の獣。その獣に呼応するかのように何頭もの獣が吠えて応えた。一頭の黒い獣の下に集うべく、獣たちは闇夜の中を駆け行く。

 やがて黒い獣の下に集った獣たちは、命令を受けて行動を開始する。

 街に火を放ち、人々を混乱に導き、月影に乗じて目的のモノを得る。その為だけに、夜を巡る月と共にこの日この時まで待った。

 一度動き出した獣たちを止める事はできない。彼らが目的を達成するその時まで……



 ※※※



 遠い空から犬の遠吠えが聞こえる。その鳴き声は闇夜を切り裂き、水面に広がる波紋のように遠くまで広がっていく。

 ドクンと心臓が一つ高鳴り、ピクリ身体が一つ痙攣を起こした。アーリアは得体も知れない悪寒に肌が泡立つのを感じて、閉じていた瞳をポッカリと開けた。


「あれ?私、いつの間に眠って……?」


 アーリアは今朝方リンクへの魔術指導ーー途中からリンクを放ったらかして魔術創作してしまったがーーを終えて騎士団へと戻り、午後からはアルカード領主と会談と言う名のお茶会に参加した。

 麗しの領主様との茶会に疲れが出たのだろうか。騎士寮の食堂で夕食を済ませた後、急に眠気に襲われて自室に戻るや否や、倒れるように眠ってしまっていた。

 重い身体を起こせば、パサリと上掛けが足下へと滑り落ちた。瞼を擦りながらキョロキョロと見渡せば、そこには見慣れた光景があった。記憶にはないが、どうやら自力で自室の寝台ベッドまで辿り着いていたようで、アーリアは自身の行動にほんの少し感心を覚えた。

 寝台の上で半身を起こしたアーリアはあまりの喉の渇きを覚え、寝台の側にある丸卓テーブルの上に置かれた水差しに手を伸ばした。水差しからガラスのコップに水を注ぎ、それを一気に喉に流し込む。スルリとした喉越し。冷たい水が喉を潤していく。


「レオは……?」


 幾分頭がはっきりしてきたアーリアはこの時、この部屋のもう一人の住人である大型犬レオが側にいない事に漸く気付いた。

 普通の犬より大型のレオは人に恐怖を与える為、アーリアは散歩と食事の時以外は極力部屋から出さぬようにしていたのだ。最近はレオの存在に慣れてきた騎士団員が多数ではあったが、あの様に大きな獣が館内をウロついていれば、騎士団員の仕事の迷惑になるだろうとの判断からであった。


「レオ……」


 アーリアは寝台から降りると素足のままペタペタと歩いて隣室へ繋がる扉に手をかけた。灯りのない執務室は闇に包まれている。その闇の中、ゆらりゆらりと動く影に視線を動かせば、バルコニーへと続くガラス戸を覆う薄いレースのカーテンが、揺れ動いているのが見えた。


「あ、レオ。こんな所に……」


 窓を背にして黒い大型犬が置物のように鎮座していた。アーリアはレオに近づくと、ほんの少し開いていたガラス戸に手をかけてパタンと閉めた。


「さむっ。まだ、夜は冷えるね?」


 外から差し込む光は強い。カーテンの隙間から夜空を見上げればそこには満月が輝いていた。月の光が眩しく、逆に星の光は弱々しく数も疎らだ。


「あ、満月……」


 この世界の空には大きな月が一つ浮かんでいる。月は満ち欠けを繰り返し、東から登り西へと沈んでいくのだ。

 月には女神が住んでいるとの謂れがある。その謂れを体現するかの如く、女性は月の魔術を得意とし、男性は太陽の魔術が得意とする理がこの世界にはある。男女の肉体構造や役割の違いからなる相違点が齎している作用のではないか、との説もある。


「どうりで、身体の調子が良いと……」


 アーリアは自分の手を握ったり開いたりしながら、体内の魔力を出し入れした。女性は満月の日には身体を巡る魔力量が多くなり、新月に向かって徐々に少なくなる。また、月の満ち欠けに応じて体調も変わってくる。それは故に、女性が子どもを宿す身体だからなのだが、アーリアには『なぜ女性だけが?』と理不尽な思いを感じ得ない時があった。『男性もこの理不尽さを知れば良いのに』と思った事は、一度や二度ではない。


「ま、仕方ないよね?」


 アーリアは腰にあるレオの顔を覗き込み、自分を見上げてくるレオの首に腕を回して抱き締めると、その柔らかな体毛に顔を埋めて心を落ち着けた。


「今日はごめんね。お散歩、行けなかったね」


 一日中部屋の中では窮屈だろうと、レオを人目の少ない夜に連れ出していたが、今晩は自身が寝落ちした所為で散歩に連れ出せなかった事を、アーリアは素直に詫びた。


「やっぱり、レオは私よりもセイと一緒の方が良いのかな?」


 アーリアがレオの赤い瞳と目を合わせると、レオはなんとも言えないアンニュイな表情を浮かべた。眉を下げたその仕草はまるで人間のようだ。


「とりあえずお風呂入ろ。レオも入る?」


 尋ねられたレオは首を横に振った。


「嫌なの?じゃあ私はお風呂入ってくるから、見張っていてくれる?」


 レオは素直に一つ頷いた。


 相変わらず人間の言葉が分かる賢い犬だ、そう関心したアーリアはレオを連れて浴室バスルームへ向かった。

 浴室のドアの前にくると、レオは足をピタリと止めた。レオはアーリアの浴室の時間はいつも、番犬を務めている。それが当たり前のように。

 アーリアはレオの頭を一つ撫でると浴室へ入った。

 スルリと服を脱ぐと、バスタブに湯を溜めずにぬるま湯で身体をサッと洗うだけに留めた。髪だけは入念に洗うと絞って水を切り、タオルドライした。その後は《乾燥》の魔術で身体と髪を乾かして終いだ。

 面倒な時は、生活魔法《洗浄》と《乾燥》で全てを完結させるのだが、やはり直接水を浴びて身体を洗う方が気持ちは良い。

 アーリアは真新しいシャツに袖を通す時の感触が好きだった。自然に出る鼻歌。それも束の間、着替えを終えると、長い白髪にオイルをつけ、髪に櫛を這わせた。そして、鏡の前で幾度となく櫛で髪を梳かしていたその時ーー……


 ードン、ドンドンドンッ!!ー


 ドアを激しく叩く音がアーリアの耳に届いてきた。

 アーリアは慌てて浴室バスルームを出ると、執務室から廊下に繋がる扉へと向かった。

 平時からアーリアの扉の前では護衛の騎士が見張りに立つのだが、騎士たちは急な来客のある時でもこのようにけたたましい叩き方などしない。親しくしている騎士のナイルやセイであっても、遠慮気味にコンコンと叩く程度なのだ。それが今は戸が軋む程の勢いで叩かれている。その事からも、アーリアは『非常の案件が起きたに違いない』と確信を持った。暗殺者か夜襲かそれとも……。次々と嫌な予感がぎっていく。


 ードンドンドン!!ー


『アーリア様、起きておられますか⁉︎』


 ドアの外から聞こえる声は先輩騎士ナイルのもの。そうと分かった瞬間、アーリアはドアの鍵を開けていた。


「ナイル先輩?」

「ーーあぁ、良かった。アーリア様、このような夜分に申し訳ございません」

「気にしないでください。それよりも、何があったんですか?」


 先輩騎士ナイルの常時いつもの表情ーー真面目一辺倒の表情に隠しきれぬ焦りが見えている。額に汗を浮かべ、所作しょさからも焦燥感が滲む。

 ナイルはアーリアの顔を見るや否やあからさまに安堵の溜息を吐き、次いで姿勢を正すと厳しい表情で言い切った。


「夜襲です」


 ナイルから齎された言葉に、アーリアは僅かに喉を鳴らした。


「まさか、騎士駐屯基地ここにも?」

「はい。この基地を含め、アルカードの主要な公共施設が同時に襲撃を受けたとの報告がありました」

「同時に……!」

「襲撃者の正体は不明。現在、『塔の騎士団』とアルカード領主率いる『アルカード騎士団』とが対応にあたっています」


 アーリアは扉の外から漏れ聞こえる騒音に対し、胸にザワつきを覚え、知らずギュウと手で胸を押さえていた。


「塔の周辺にも火の手が上がったとの事ですが……」

「だ……大丈夫、です。塔の周囲にも《結界》が施してあるから、あそこを傷つけられる事は、ない……」


 アーリアは極度の緊張から喉の奥に急激な渇きを覚えた。同時に、手と足の指先が冷えていく感覚、口の渇きと緊張から舌が良く回らなくなる感覚を覚えた。更に、顔から血の気が引いていく感覚を拾ったアーリアは、知らず唇に指を置いていた。

 それを見たナイルは、言葉より先にアーリアの僅かに震える肩に手を置いていた。


「ご安心を。貴女は私がお守りします。今はなにぶん状況が不明瞭です。連絡があるまで、アーリア様はこの部屋から一歩もお出ましにならないでください」

「で、でも……」

「我々を信じてください」

「う、うん……」


 ナイルの言葉を信じていない訳ではないが、ナイルの言葉だけではアーリアの不安は拭い切れずにいた。

 実の所、『暗殺者による夜襲』は今夜が初めてではない。エステル帝国でも幾度となく襲われて来た。このアルカードにやって来てからも、不審人物が騎士団に突撃して来た事は一度や二度ではなかった。ーーなのに、今夜は何時もよりも嫌な気持ちがしてならなかった、胸が騒いで仕方がなかったのだ。


「大丈夫です」


 ナイルは青ざめたアーリアの顔を見下ろしながらその小さな肩を、震える身体を抱きしめたい衝動に駆られた。恐怖を取り除いて差し上げたいと強く思った。

 しかし、弱っている女性の心に漬け込むなど、ナイルの中にある騎士道精神が許さなかった。己の中で生まれた欲望をぐっと抑えると、アーリアの頭をそっと撫でるに留めた。


「私がお側におります。ですからーー」


 ナイルの言葉は最後まで続かなかった。背後に気配が生まれたからだ。

 途端、背から首かけて悪寒が這い上がる。己に向けられる殺意に瞬時に身体が反応し、弾かれたような動作で反射的に剣の柄に手を伸ばし、ナイルは迎撃の態勢に移った。だが、アーリアを自分の背に庇い、勢いよく振り返った先には、ナイルのよく知る人物がポツンと佇んでいた。


「セイ⁉︎ お前、今まで何処どこに行っていた!」


 後輩騎士セイは、何時いつもの軽い足取りでヒョコヒョコと歩いて近づいてくる。


「いやぁ、ほら、今日は俺、非番だったでしょ?」

「それはそうだが……!」


 ナイルはこの非常事態時にも変わらず、相変わらず軽薄な態度を隠しもせずのらりくらりと現れた後輩騎士に対して、小さな苛立ちを覚えた。

 非番に何をしようがその者の自由だ。だがしかし、明らかに自分たちのあるじ狙いだと分かる夜襲に相対してさえも普段と同じ態度を崩す事のない後輩騎士には、一言も二言も言ってやりたい気分に駆られたのだ。


「いやぁ、酒場で意気投合した小父おじさんと話が弾んじゃってさぁ……!」

「街中でも何箇所か炎が上がったと聞いたが……?」

「だから飛んで帰ってきたんですよ。ちらっとしか見てないけど、特に街の北側がよく燃えているみたいですよ?」


 アーリアは『街の北側』という単語に息を飲んだ。

 北区はリンクが住んでいる地区。そこは貧しい者が多く、魔術を使える者は少ない。


「街の各所には防火魔術が施してあるから、そろそろソレが起動するんじゃないですかね?」

「だが、それまでにも何人もの人が焼け出されるだろう」


 システィナはある程度の大きさの街ならば火事に備えて街の各所に防火魔術が施されているのだ。また、国から派遣された憲兵や魔術士が在中しているので街が全焼する事はまずないと言われている。しかし、それでも怪我人が出ない訳ではない。


 ーリンク……!ー


 アーリアは災害や戦争では弱い立場の者から被害に遭う事を知っていた。何の罪もない者たちが真っ先に巻き込まれるのだ。この世は理不尽に満ちていると分かっていても、アーリアには到底納得する事はできなかった。


「ナイル先輩、やっぱりわたし……」

「ダメです。ここで待機なさってください」

「でも……!」


 アーリアはナイルの背に訴えた。『塔の魔女』が出て行けば襲撃者の思う壺ではないか。襲撃者の狙いには確実に『塔の魔女』が含まれている。それが頭で理解できていても心では納得し難いもので、アーリアは改めて自分の持つ立場や身分に付随する責任を堅苦しく、面倒なものだと認識し、同時に身軽に動けない現実に悔しさを覚えた。


「あれあれ?アーリアちゃん、起きてたの?」


 アーリアが歯痒さに足踏みする中、セイが心底意外そうな声を上げた。

 アーリアはナイルの背から廊下の窓を背にして立つセイに視線を向けた。満月の光を受けたセイ、逆光になっていてその表情は良く見えないが、アーリアにはセイが薄っすらと微笑んでいるように思えた。そう見えたた瞬間、ゾクリと背に寒気が疾った。


「う〜ん。これは想定外かも……」


 よく分からない事を呟き始めたセイに、漸くナイルが不信感を表した。


「……何が『想定外』なんだ……?」

「今頃、アーリアちゃんは夢の中だと思ってたんで。あれぇオカシイなぁ?アイツ、ちゃんと仕事したのかなぁ……?」


 セイはナイルの質問に答える訳でもなく、顎に手を置いて独り言のようにぶつぶつと呟いている。ナイルはそんな相棒騎士の仕草に強い不審感を覚えた。

 セイはいつもの態度こそ軽いと言われるが、仕事となればキチンとこなす騎士なのだ。これまで大きなミスなどした事はなく、剣の腕前も若手の中ではダントツで、ナイルにとっては誇れる優秀な後輩騎士であった。

 それなのに今、この時、アルカード全体が夜襲を受け、この騎士寮にも襲撃者の手が迫っているという最悪の事態に於いて、セイの態度は異様な程落ち着いて見える。その表情からも態度からも、まるで緊張感はなく、焦燥感の類の感情なども感じられない。自分たちの主が狙われているというのにだ。


「ーー!」


 そこで、ナイルはある事に気がついた。


「セイ。お前、その剣……誰か、斬ったのか……?」


 ポタリ、ポタリとセイが手にした長剣の切っ先から床へと赤い雫が落ちている。セイはナイルの指摘に「ああ」と声を上げると、シュッと剣を一振りして血を床へ飛ばした。


「ええまぁ、ここに来るまでに数人、ね……」


 セイは薄ら笑いを浮かべた。


「そうか。騎士寮の襲撃者は副団長が対応なさっているのだが……セイ、お前、下で副団長とお会いしたか?」

「いいえ。俺は此処には直接来ましたから」


 ナイルは得体も知れぬ不信感を拭えぬまま、先ずはすべき事があると気持ちを切り替える。アーリアを部屋に押し込んで、取り敢えず身柄の保護を優先したのだ。

 ナイルはセイを背にして振り返ると、アーリアの両肩に手を掛けた。


「兎に角、アーリア様はこの部屋からお出にならないでくだーー……」


 言葉は途中で途切れた。表情から焦燥が消え、代わって驚愕が浮かぶ。


「ナイル先輩……?」


 アーリアはナイルの顔を見上げながら、自分の肩に置かれたナイルの手がカタカタと震えている事に気づいた。


「せ、セイ……お前……」


 ナイルは肩越しにセイを振り返る。そして、クッと眉を苦しげに潜めると突然、口から血を吐き、膝から崩れ落ちた。

 アーリアは壊れたブリキの玩具の様に崩れ落ちるナイルの身体を咄嗟に支えながらも、事態の急転には思考が追いつけずにいた。一体何が起きたのかが分からず、口から言葉も発せぬまま、ただただ浅い呼吸を繰り返す事しか出来ない。


「先輩って本当に、身内には甘いですね?」


 ナイルの背からズルリと引き抜かれる長剣。その切っ先から血が伝い流れていく。

 アーリアは力の抜けたナイルの身体を支え切れずその場にズルズルと膝をつくと、崩れ落ちたナイルを見下ろしているセイの顔を見上げた。

 セイの顔には微笑が浮かんでいる。しかし、その笑みから感情を読み取る事は出来なかった。

 セイの手に、血に塗れた長剣が握られているのを目に溜めたアーリアは、ナイルの身に何が起こったのかをこの時になって理解するに至った。


 ーセイが、ナイルを刺した……?ー


「なん、で……」


 掠れて上ずった声が、アーリアの口からこぼれ落ちる。


「そりゃ、俺が『敵』だからだよ」


 セイの冷たい視線に射抜かれたアーリアは、喉をヒュッと鳴らした。

 ドクンドクンと心臓の音が耳に煩く響いてくる。膝が、手が、指先が震え始める。あまりの息苦しさにアーリアは胸元をギュッと掴んだ時、肩口に顔を埋めていたナイルが声も絶え絶えに叫んだ。


「アーリア、さま……お逃げ、くださいッ……!」




お読み頂きまして、ありがとうございます!

ブックマーク登録、感想、評価など、とても嬉しいです!ありがとうございます‼︎


争乱編『争乱は日常の中から起こり得るもの2』をお送りしました。


アルカードに放たれた襲撃者たち。その手は思わぬ所からも齎されました。


次話も是非ご覧ください!

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