トアル侯爵の甥の焦燥
※東の塔の騎士団編※
ー何故、この俺様がこんな目に遭わねばならん⁉︎ー
ベントレン・フォス・ハーベストは機嫌が頗る悪かった。と言うのも、春先まで勤めていた騎士団を退職させられたからであった。そう、退職は自身の意思ではなく不本意の結果であったのだ。
近衛騎士団に次ぐ実力派集団ーー『塔の騎士団』。そこへの入団は生半可な実力では入団試験さえ受ける事すらできない騎士団だ。ベントレンはその騎士団に所属する栄誉を与えられ、昨年一年間をアルカードで過ごしてきた。国境を守る騎士団に配属された事、それは自身の実力が王宮へ認められた証であり、分家と言えどもハーベスト侯爵家の一族に属するベントレンにとっては当たり前とも言える地位であった。
『塔の騎士団』所属といえど、ベントレンの所属は東の最果てにあるアルカード。ライザタニアとの国境を守護する『東の塔』。ベントレンが配属した当初、その塔に管理者たる魔女の姿はなく、勤務内容は設備点検や国境線監視、巡回、そして鍛錬と、正直それほどの労力など必要はなかった。逆に言えば、拍子抜けであったのだ。上官の言に忠実であり、ソコソコ従順に仕事に従事すれば誰からも文句の出ないヌルイ職場。それがベントレンが肌で感じた『東の塔の騎士団』であった。
ベントレンは意表に突かれた。『何だ、こんなモノなのか?』と……。
『東の塔の騎士団』とは屈強な猛者の集う騎士団の総称。およそ三年前の春頃にライザタニアからの侵攻を受け、およそ半年もの間、ライザタニア軍と死闘を繰り広げた騎士団の経緯は、当時王都に住んでいたベントレンの耳にも入っていた。惜しくも『東の塔の魔女』を戦死させてしまったが、魔女を亡くした『東の塔』を騎士たちは死にものぐるいで戦ったという逸話には、同じ騎士として胸が熱くなったものだ。
しかし、その憧れの騎士団へ入団したベントレンは入団早々に抱いていた憧れを打ち砕かれた。淡々と過ぎていく平和な日常に退屈を覚え、平凡な日々を享受してヘタレた上官に絶望したベントレンは、次第にその精神を腐らせていったのだ。
そして遂に出会った『東の塔の魔女』。ライザタニアとシスティナとの国境に再び《結界》を築き、ライザタニア軍を全て退かせたという魔導士は、ベントレンの想像していた魔女とはかけ離れていた。
確かに白い髪と白い肌、虹色に輝く瞳は美しく神秘的でさえあった。しかし、一人佇む姿には威厳などこれっぽっちも無く、ベントレンにはタダの小娘にしか見えなかったのだ。
ー本当に『東の塔の魔女』なのか?ー
そう疑問に思ったのはどうやらベントレンだけではなかったようで、ベントレンのように戦死した騎士の代わりに補充された若手騎士の殆どが新しく現れた魔女に懐疑的な目線を向けた。
そこからはもう、坂道を転がり落ちるかのようだった。ベントレンは思いを同じくする若手騎士とつるみ始め、連日、魔女に対する悪態を吐くようになった。最初こそ当人の居らぬ所でのみ吐いていた悪態も、次第に本人に直接向けられていく事になっていった。
そのような日を過ごしていたある日、ベントレンは実家から『東の塔の魔女』へと接触し、魔女を誘惑してハーベスト家に取り込むように命令を受けたのだ。勿論、ベントレンは即座に反発した。『何故、平民魔女などをハーベスト侯爵家に取り込む必要があるのか⁉︎』と。しかし、そんなベントレンを宥めるように父親から齎された情報には確かに納得できる点も多々あり、最終的には頷くほかなかった。
そしてベントレンは件の魔女へと接触を果たす為に機会を窺った。魔女には専属護衛がつけられており、四六時中、魔女の周辺警備を行っていた。ベントレンはそんな護衛騎士がルーデルス団長に呼ばれて執務室へと入って行く瞬間を見計らい、魔女の腕を強引に引いて柱の影へと連れ込んだ。か細い声で『離してください』と抗議する魔女に適当に謝罪すると、ベントレンは用件を話し始めた。『自分の家に迎えてやっても良い』と。
『自分はハーベスト侯爵家に連なる由緒ある家系の出自であり、騎士になったのは箔付けする為だ』
『任期を終えるまで恙無くやり過ごそうと勤務していたある日、突如、『東の塔の魔女』が現れて正直、迷惑している』
『だが、お前を見て気が変わった。特別に我が家に迎えてやっても良い。お前のような平民魔導士を由緒ある家系の仲間に入れてやろうと言うのだから、有り難く俺の申し出を受けるが良い』
……と。そう立て続けに言われた魔女の表情は話を聞き終わった時には暗く曇っていった。ベントレンに掴まれた手首を撫でながら不快そうに眉を潜めた魔女は、キッパリ『お断りします』と拒絶の言葉を述べたのだ。
これはベントレンにとって予想外の反応だった。ベントレンは魔女が自分の提案を断る筈がないとの確信を持っていたのだ。平民を貴族にーーそれも侯爵家の一員にしてやろうと言うのだ。このような提案を平民が断る筈などないと思い込んでいたベントレンは、拒絶を口にした魔女のその表情からも揺るがぬ決意を判断できた時、ギリギリと奥歯を噛み、知らず屈辱感を顔一杯に浮かべていた。次いで、自分は軽んじられたのだと誤解したベントレンは魔女へと掴みかかろうとした。しかしその時、何故か足が縫い付けられてその場から動かなくなり、その間に魔女に逃げられるという醜態を晒したのだ。
そのような経緯からも、その後のベントレンは益々魔女を敵視していく事になる。
そして迎えた『特別訓練』。実は、訓練に参加する意思を示した者にはその時点で不合格者の烙印を押されていたのだが、そのような事には一切気づきもしなかったベントレンは訓練中に事故と偽装を施して件の魔女を害そうと企んだ。しかし、その企みも虚しく、魔女自身の魔術によってベントレンは報復を受ける事となる。
その先に待っていたのは騎士団の綱紀粛正と称した断罪。しかも、落第騎士に解雇宣告を突きつけたのは、なんと、アルカードを訪れていた王太子殿下、その人であったのだ。
ベントレンは騎士団から正式に解雇宣告を受け、即日の内にアルカードより追放され実家へと戻された。
屈辱も冷め切らぬまま王都オーセンの実家へと帰ってきたベントレンを更なる屈辱が襲う。それはハーベスト侯爵家本家から齎された自宅謹慎通告だった。ベントレンは当主ハーベスト侯爵自らよりキツイお叱りを受けたのだ。しかも、『ほとぼりが冷めるまでは屋敷より出る事を禁じる』という、ベントレンが予想していたよりもキツイお灸だった。
自分の浅はかな行動がこの未来へ繋がったと云えなくは無い。しかし、それを認めるには彼のプライドと精神は誇大し過ぎていた。
一、不本意の中で騎士団を解雇にされたこと。
一、騎士団長含め上官たちが自分を無能者扱いしたこと。
一、家長命令を出したにも関わらず父親が自分に責任を全て押し付けたこと。
一、平民魔女と平民騎士に見下されたこと。
それら全てがベントレンにとって不満でしかなく、無能騎士のレッテルを貼られた挙句、大人しく屋敷へ引き篭もらねばならぬ現状を受け入れる事など、到底出来はしなかったのだ。
※※※
自宅謹慎を言いつけられていたにも関わらず、ベントレンはこの日、王城内にある近衛騎士専用の鍛錬施設へと足を運んでいた。それもこれも、自分の現状を嘆き、自分自身の手で何とか現状を打破しようと画策した上での行動だった。しかし、自己愛から取ったベントレンの行動が、自身の人生を更なる苦行へと誘うなど、この時のベントレンは知る由もなかった。
「ーー近衛団長殿、どうかお願い致します!私に復職の機会をお与えください!」
「何を言っとるか知らんが、儂に頼むのは筋違いだろう?先ずは軍務省長官の所へ行くのが宜しかろうよ」
鍛錬用の長剣を肩にトントンと当てながら足下に膝をつく若僧へと視線を投げかけるのは、この国に於いて最も尊敬してやまれぬ騎士ーー近衛騎士団長アレクシス総長である。アレクシス総長は己の足下に膝をつき首を垂れる若僧の脳天を見ながら溜息を吐いた。若手を鍛える為に鍛錬場へと訪れたアレクシス総長の前にこの若僧が突然現れて自分の足を止めさせたのだ。しかも、若僧は近衛所属の騎士ではなく、つい先日『東の塔の騎士団』をクビにされて実家へと戻された騎士モドキだという。その騎士モドキが何故か直属の上官でもない近衛騎士団長の下へ来て、意味の分からない事を『お願い』をしに来たのだ。溜息も出ようというものだ。
「エルラジアン長官の下へは参りました」
「ほぅ?ーーで、長官は何と?」
「長官は私の復職はお認めにならなかったのです」
「なら、話はそんで終いだろう?長官がダメだっつーのを儂がヨシとは出来んだろうが?」
アレクシス総長は『あ〜かったりぃなぁ〜〜』と内心呟くと面倒そうな表情を隠しませず、頬を開いた手の指でポリポリと掻きながら若僧から目線を外して明後日の方向を見上げた。偶にこのような勘違い騎士が湧いて出るので、この手の会話は初めてではなかった。忘れた頃に湧いて出る羽虫のようなものだ。それでも、このように自分の自由と動向を阻まれたなら良い気分などしないもの。
「そこをなんとかお願いできませんか⁉︎ 貴方様はシスティナの騎士、その頂点に立たれているお方なのですから……」
ベントレンはアレクシス総長からそのように思われているとはつゆ知らず、総長の足下に纏わり付くと声音も高らかに懇願した。だが、この言葉には鋼の精神力を持つと云われるアレクシス総長も流石にカチンときた。
「ハァ?テメーは儂の権力をテメェ勝手に使おうってのか?バカも休み休み言え」
ベントレンは自分の犯した罪を理解しないばかりか、己の罪の揉み消しと騎士団復帰とを頼んでいるのだ。ーーいや、実際には『頼んで』などはいない。これは『復職させろ』との命令だ。ベントレンの言葉を直訳すれば『近衛騎士団長の権力を己の為に使え』との意味になるのだから。相手を見下した高位貴族特有の物言いだが、それが誰にでも通用すると思い込んで疑わないその腐った性根には、アレクシス総長も呆れを通り越して怒りが湧いてくるというのもであった。
「貴方様の言葉ならば、長官とて嫌とは申されまい」
アレクシス総長の怒気混じりの言葉を受けて尚、ベントレンは食いついて離れなかった。
「だから、何で儂がテメーみてぇな若僧の言う事をハイハイ聞いてやらにゃならん?何を勘違いしてるか知らねぇが、俺の仕事は騎士たちに規則を守らせる事であって破らせる事じゃねぇぞ?」
「そんな!それでは困ります!」
「テメェが何を困るのか知らねえが、今、困ってんのは儂だ。おい、小僧。サッサとお家へ帰んな。近衛騎士団はお前のような者が来る場所じゃねぇからな」
ベントレンは実際にはアレクシス総長の直属の部下でも何でもない、現在は『塔の騎士団』からクビを切られた無職の貴族子弟だ。しかも、騎士団をクビにされた騎士など最早騎士でも何でもなく、王宮から『落第者』の判を押された無能貴族子弟なのだ。そんな者、誰が復職を認めると言うのか。
アレクシス総長は立場上、『塔の騎士団』で起きた綱紀粛正の経緯の報告を受けていた。それによれば、この男は『塔の騎士団』において守るべき主君に手をかけた反逆者ーーいや、犯罪者だ。本来なら王宮に参内するのも許されぬ立場なのだ。それがどのようにして此処まで来たのかは不明だが、王宮に不法侵入した時点で王族と王宮に刃向かう反逆者の烙印を押されても仕方ない状況であった。
ー何処の衛兵が裏金掴まされたんだ?ー
アレクシス総長の興味は既にベントレンにはなく王城を守る東西南北の門の衛兵へと向けられていた。己に与えられた役割も熟せぬ者など、この王城には必要ない。ただの門番、されど門番なのだ。金を積まれて門を開ける門番などをそのままになどしておける筈はない。
王城内に於ける騎士は衛兵から近衛に至る迄アレクシス総長の部下である。総長は衛兵に責任を問い詰め、処断し、罷免する権利を有していた。
未だに足下にナメクジのように這いずり廻るベントレンの言葉を右から左へと聞き流していた時、ザワザワと正面扉から数人の青年騎士が手に訓練用の長剣を携えて鍛錬場へと入って来た。青年騎士たちはアレクシス総長を目に留めるや否や立ち止まり、脚を揃えると最敬礼を持って挨拶とした。
「おう。お前らも鍛錬か?」
「ええ。久方ぶりに旧友が東方より帰ってきていたので鍛錬に誘った次第であります。それにしても、このような時間にアレクシス総長が此処におられる事の方が驚きましたよ」
「ああ、今日は珍しく会議が入ってないんでな。王宮には副団長を置いてきた」
「なるほど……。で、そちらの御仁は?」
アレクシス総長は青年騎士の一人ーー金髪碧眼のやたらと容姿の整った男に話しかける。何処ぞの国の王子様と言っても過言ではないほど容姿端麗な青年騎士は近衛騎士団長と一通り話し終えると、その涼やかな目線を動かして未だアレクシス総長の足下に這い蹲っている青年へと視線を落とした。
「団長、こちらで処理しましょうか?」
イケメン騎士は爽やかな王子顔を1ミリも変化させずに問う。アレクシス総長はイケメン騎士の完璧な微笑を目に留め、『おっかねぇヤツだな』と内心苦笑した。彼がどう『処理』するのか知れたものではないが、確実にベントレンには死よりも屈辱的な未来が待っているように思えてならなかった。
ーまぁ、コイツの未来なんか知ったこっちゃないがなー
アレクシス総長の憂いを取り払おうと提案してくれる部下の思いを有難く頂戴し、この機会に部下たちに羽虫を押しつけても良いものか思案していたその時、イケメン騎士の背後から一人の青年騎士が進み出てきた。青年騎士は羽虫を繁々と見定めると「あぁ!」と素っ頓狂な声を出した。
「あ〜〜キミ、どっかで見た顔だと思ったら、アーリアにコナかけて来た騎士くんじゃん。ーーあ、今は無職だから『元』騎士くんかな?」
その言葉にバッと顔を上げたベントレンはそこにある顔を見て、目を見開いた。
「てめぇは!」
見上げたそこに居たのは、ベントレンを屈辱の日々に突き落とした張本人の一人だった。
お読み頂きまして、ありがとうございます。
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東の塔の騎士団編『トアル侯爵の甥の焦燥』をお送りしました。
トアル侯爵の甥ベントレンの登場です。脇役であるにも関わらず態度の大きな御仁です。自分の思う通りに事が運ばないと気が済まないタイプの彼は、きっと甘やかされて育ったのでしょう。アテにされた近衛騎士団長様はご愁傷様としか思えません。
最後の方に出てきた青年騎士たちはご想像のあの方たちです。
次話も是非ご覧ください!




