花の祝祭日1
※東の塔の騎士団編※
軍事都市アルカードは東の国境にほど近く、他国からの侵攻に備えた設備が其処彼処に存在する。その殆どがアルカードの街を囲む石の壁の内側に設けられている。アルカードには城はない。しかし、人々はその壁の事を『城壁』と仮称していた。城壁の高さは街の中心部にある鐘楼よりもまだ高く、長方形のレンガ状の石が隙間なく積むようにして建設されていた。その強度は竜族の体当たりでさえ揺らぐ事はないという。
入場門は東西南北に四箇所。門は関所の意味も兼ね備えている為、各門には領主館役員と街を警備する騎士とが駐在している。
その中で一番メインとなる門は領主館の一階部分と接地している南の正門だ。街の南には領主館を始め公共施設が数多く点在する。正に街の要所だ。それに比べて北の門の辺りは主要な施設はない。北区は住宅街といえば聞こえが良いが、決して身なりの良いとは言い難い者たちが住まう集合住宅が所狭しと並んでいるのだ。
南区は貴族、東区は騎士や軍人、西区は商人など裕福層、そして北区は平民・貧民層と、アルカードは区画毎に住まう住民の質が異なっていた。
ここは北の門から出て徒歩数分。アルカードの東から北に広がる広大な森の出入り口だ。森には野生の動物を始め魔物も住まうのだが、街に近い場所にはそれほど危険な動物が出る事は殆どない。動物は基本的に臆病な生き物。人間の多い場所には近寄って来ないものだ。
「ーーそう。そのままリラックスして」
森を少し入った野原から、その柔らかな声は聞こえてきた。白詰草の敷き詰められた野原に座り込んでいる人影が二つ。
「……これで良いのか?」
「うん、そう。そのままそのまま……」
少年の言葉に少女が応えた。少年の焦げ茶の髪の隙間から汗が流れている。赤茶の瞳はいつになく真剣な光を宿していた。
「魔力の流れを感じて」
年の頃17、8の少女は10歳前後の少年と向かい合って地面に座り込み、少年と両の手を繋ぎ合わせている。少女は自身の魔力を少年へと手を通して流し込んでいるのだ。
己の右手から少年の左手へ、そして少年の右手から己の左手へと、体内に巡る血液のように身体中に行き渡らせていく。
「姉ちゃん、なんだか身体がポカポカするよ?」
「それが魔力だよ」
「ほぁ〜〜これが魔力かぁ⁉︎」
少年は生まれて初めて感じる体内の魔力に感嘆の声を挙げた。少女の顔には少年の無邪気さから思わず笑みが溢れた。
「リンク、私と一緒に唱えてね?」
「お、おう。分かった!」
少年ーーリンクはやや緊張した面持ちで頷いた。少女ーーアーリアは笑顔で頷くと、脳内に魔術の構築式を思い浮かべた。『光』を表す図式だ。そこへ光量、時間、効果、範囲……構築したそれらをイメージともよべる図解に魔力と共に編み込むことで魔術は完成する。
準備が整うとアーリアはリンクへ合図を送る。そして互いに頷き合うと同時に、力強く《言の葉》を紡いだ。
「「《光ノ玉》」」
力ある言葉に呼応し、魔術は発動した。
ぽうっと重ね合わせた二人の手の真上に小さな魔術方陣が展開すると、そこから光輝く球体がポッと姿を現したのだ。
「おおおおっ!すっげー!!」
リンクは初めて発動させた魔術に興奮しきり。繋いだ手を離すと、野原をぴょんぴょん飛び跳ねた。
ふよふよと空中に浮かぶ光る球体は、一定の光量を放っている。今が昼間で、しかも野外に居るので少々分かり辛いが、夜の暗がりであればこの《光ノ玉》がどれだけの明るさを放っているかがもっと良く分かった筈だ。
掌に収まりそうな程小さな光の球体は、時間が経つにつれ徐々に光量は落ちていき、やがてパチンと弾けて宙に消えていった。
「あれ?もう消えちゃった」
「うん。そう設定したからね」
ションボリと項垂れるリンク。アーリアはそんなリンクの表情すら愛らしくて仕方がなかった。
「設定?」
「そう。君の中に魔力と一緒に魔術の構築式を送ったでしょう?」
「うん。あんまし良く分かんなかったけど……」
「大丈夫。そのうち慣れるから」
魔術を構成するのには構成や術式が必要なのだが、考えるよりも慣れた方が早いのだ。また、大人より子どもの内の方が飲み込みが良いとされている。余計な固定観念がない方が融通が利くのだろう。魔術は頭の良し悪しよりも柔軟性が重要だと、アーリアは師匠から習った事があった。
アーリアは子どものリンクにも分かるように、出来るだけ噛み砕いて説明した。
「魔術はね、想像力で出来てるの」
「イメージ?」
「そう。例えばさっきの《光ノ玉》だったら、どれくらいの時間光っていてほしいか、どれくらいの範囲を照らしておきたいか……なるべく詳しくイメージするの」
「あー、何となくわかってきた」
「時間、範囲、光量、一つひとつ具体的にイメージする方が、魔術は上手く発動するの」
この世界の人間は魔力を体内に有している。しかしその魔力を有意義に活用できる者は魔法士、魔術士、魔導士といった術士に限られる。魔法士は精霊の力を借りて世界に奇跡を起こす術者。魔術士は精霊の要素を根幹にして思い浮かべたイメージを現実に発現させる術者。魔導士は魔法と魔術の双方を理解し、新たな術を生み出す術者だ。
「同じ光の魔術であっても、持続時間、効果範囲、光量などのイメージ違えば、発現する魔術も違ってくる」
例えばとアーリアはもう一度、同じ魔術を発動させた。
「《光ノ玉》」
ーカッー
「わぁッ⁉︎」
目も眩むような眩しい光が現れたが、一瞬の内に消えて無くなった。
「あ、あれ?」
「ほらね?さっきのと今のは全く同じ魔術なんだよ」
「そっか!光量と時間が違うんだな?」
「うん。君は賢いねぇ!」
リンクの言葉にアーリアは満面の笑みを浮かべた。そしてリンクの頭を撫でた。
「〜〜アーリアッ!子ども扱いすんなって!」
「ごめんごめん。つい嬉しくて」
可愛い弟子が賢くて、ついつい嬉しくなってしまったアーリア。リンクは頭を撫でられて顔を赤くしたが、アーリアの手を無理に振り払う事はしなかった。リンクもまた、アーリアから褒められる事が嬉しかったのだ。
「魔術はイメージありきなの。その分、術者が危ない妄想に囚われてしまって、暴走した時が大変なんだけど……」
過去に起きた悲惨な事件の数々。それは魔術の危険性を世に知らしめる結果となった。それでも魔術が廃止されず民間に広まっていったのは『生活魔法』と『魔宝具』の存在が大きい。
「魔術は人の暮らしを良くする為の術。だからリンクも、魔術を自分や親しい人の為に使ってね?」
アーリアはリンクの手を握りしめて、魔術を扱う上で一番大事な事を話して聞かせた。
「分かった。アーリアがそう言うんなら俺は約束を守るよ」
リンクはアーリアの願いに対して約束で返した。
※※※
※(リンク視点)
キラキラ光る美しい瞳に見つめられながら、俺はアーリアのいつになく真剣な表情に魅入っていた。
俺は自分より7つも年上のーーこれでも成人もしているらしいーーアーリアの事を呼び捨てにするのもなんだし、普段は『姉ちゃん』と呼んでいる。アーリアは俺の事を『可愛い弟』としか思っていないらしい。でも実の所、俺はアーリアの事を『可愛い女子』として認識してる。だからこうして長時間見つめられると、心臓がバクバクと忙しなく鳴るんだ。
ーにぶいアーリアにはバレてねぇみたいだけどー
俺はアーリアに初めて会った時、その佇まいを見て『なんて良いカモなんだ』って思った。周囲への警戒心が低く、無防備な佇まい。自分の左足に右足を引っ掛けて転びそうな鈍臭さ。小綺麗な格好はいかにも『箱入り娘』で、俺のような駆け出しのスリには実に良いカモだった。しかし、実際のアーリアは俺の想像の斜め上をいく女だったんだ。
借金取りの破落戸相手に臆するどころか、魔術を使って無双するなんて、誰が予想できると思う⁉︎ ましてや、北区の端に住む小汚い移民の小僧とその家族を無償で救うなんて……。
今もこうしてあの時交わした約束を違える事なく、俺に魔術を基礎から教えてくれている。しかも無償でだ。そんな魔女、この世の中のどこを探してもいやしない。
ーアーリアは俺の天使だ!ー
アーリアは俺からそんな風にに思われているとはつゆ知らず、俺を見ながら何故か満足顔でしきりに頷いている。
「弟ってイイね!」
無防備にも「可愛い!」と抱きつくアーリアにさすがの俺も焦った。
「オイ、コラ、ひっつくなよ!姉ちゃんはもう少し貞操観を持った方がイイよ!」
役得と言えばそれまでなんだけど、今は背後でアーリアを見守っている黒髪の青年の視線が俺の背中に刺さって仕方がないんだ。はっきり言って怖ぇ。
今日はどういう訳かあの時会った茶髪の青年ではなく、黒髪黒目の青年がアーリアのお守りに付いて来ている。この黒髪の兄ちゃんはあの路地裏での事件の時、アーリアの事を迎えに来た騎士だと思う。たぶん。
ー騎士がお守りにつくって、アーリアは一体何者なんだ?ー
未だにアーリアの正体は知れないけど、これ以上踏み込んじゃいけないんだって事くらい、子どもの俺でも理解できる。世の中、知らないままでいた方が都合が良い事がたくさんあるって、父ちゃんにも言われたからだ。
「彼の言う通りです。リンクは少年とはいえ男児なのですから」
「ナイル先輩!」
ぬっとアーリアの背後に現れた黒髪黒目の青年ーーナイルという名らしいーーは、俺の首根っこを掴んでアーリアから引き離した。
「別に良いよね?リンク」
小首を傾げるアーリアがクソ可愛いが、ここは否を唱えておかないと兄ちゃんから刺されそうだ。
「良くねぇよ!」
「良くありません」
アーリアは二人から叱られたのに「こんなに可愛いのに可愛がっちゃダメなんて」と項垂れている。
今は渋々引き下がったアーリアだけど、これまでにも同じ事を何度もやらかしている。アーリアは隙を見ては俺を犬猫みたいに可愛がろうとするんだ。俺としてはアーリアに抱きつかれて嬉しくない訳がない。けど、これ以上騎士の兄ちゃんの前で抱きつかれたら、俺の命はいくつあっても足りやしねぇじゃねぇか。
「ったく……」
額に流れた汗を冷やすように前髪を搔き上げる。そして、その手の隙間から地面に座るアーリアを見下ろした。
陽に透けるような白い肌はすぐにでも日焼けしてしまいそうで、俺は太陽を背にして立った。ちょっとでもアーリアの日除けになれば良いと思う。
ーどっかの姫サンなのかもなぁ……?ー
魔導士と名乗るわりに世間知らず。簡素な服装だけど、よく見れば上質な生地で仕立てられている事が分かる。陽に焼けていない白い肌、アカギレもない綺麗で柔らかな手は外で仕事をしていない証拠だ。おまけに騎士の護衛までつく。となれば、最低でも『お忍びのお姫様』としか考えようがない。
ーそのわりに感覚が平民寄りなんだよなぁ……?ー
例えば金銭感覚。ここへ来る前、街でアーリアの買い物に付き合わされたけど、アーリアは値段と品物の釣り合いが取れる物をしっかりと見極める事ができていた。
それに護衛の兄ちゃんへの態度。普通、姫とかご令嬢とかってヒトが自分の護衛相手にイチイチ敬意を示すだろうか。アーリアは騎士の兄ちゃんたちに対して態度こそ砕けた感じはあるけど、すごく敬意を払っているように感じるんだ。
そんな事を考えながら、アーリアの肩に止まった羽虫をアーリアに気づかれぬように払っていると、騎士の兄ちゃんから鋭い視線で睨まれた。
ーこれ以上、推測するなってコトだね?ー
俺はコレでもカンは鋭い方だ。でなけりゃ北区で生き残ってやしない。大人たちの顔色を読む事にも慣れてる。だから騎士の兄ちゃんが俺に言わんとする事が視線から読めた。
「そういや姉ちゃん。今日は師匠は来ないのか?」
俺はあからさまに話題を変えた。しかしアーリアは俺の意図には気付かず、素直に質問に答えてきた。
「あ、えっと、リュゼは用事があって。だから今日はナイル先輩が代わりに来てくれたの」
「ふーん?」
俺はリュゼの兄ちゃんの事をスゲー男だと思っている。あの時は知らされてなかったけど、師匠も騎士だと聞かされた時は目玉が飛び出るほど驚いた。あんなスゲー手管を持った騎士が存在するなんて!と。
「じゃあ、さっきの魔術をもう一度復習したら、次は一人でやってみようか?」
「ラジャ!ーーあ、その前に……」
俺は上着の内ポケットに手を突っ込んで、前の日から用意しておいた『ある物』を取り出した。
「はい」
「……?」
「姉ちゃんにあげるよ」
俺は手の中のソレをアーリアの手の上に押し付けるように手渡した。
「髪紐?どうして私に……?」
「あ〜〜その。姉ちゃん、前に、料理してて髪を焦がしかけたって言ってただろ?だから……」
その髪紐は伸縮性のある糸を編んで作ってある。アクセントの小花はワイヤー素材の紐で編まれた造花だ。
俺は言っていてだんだんと恥ずかしくなっていた。自分でも何となくソレを渡す為の口実か言い訳くさく聞こえる。
「ほ、ほら!今日は『花の祝祭日』だろ?世話になってる人に花を贈る日らしいじゃん?だからさ……」
だからって、俺はこんな風に誰かにプレゼントを贈るなんて初めてだった。
ーチクショー!こんなに恥ずかしいなんて聞いてねぇぞ!ー
思いついた時はめちゃくちゃイイ考えだと思ってたけど、実際に渡すとなるとこれほど恥ずかしいもんなのか⁉︎ 心臓の音が耳のすぐ傍で聞こえてくるくらい煩い。
「ありがとう、リンク!」
「ーーわぁ!」
それまでキョトンとしていたアーリアが目を輝かせて俺に飛びついてきた。俺は転ばないようにアーリアの身体を支えるので精一杯だった。
「嬉しい!大切にするね!」
「お、おう……」
髪紐一つでこれほど喜んで貰えるとは思っていなかった。向こうから睨んでくる騎士の兄ちゃんの視線は痛いけど、そんなもん今は無視だ無視。そう決めて俺はアーリアの身体の柔らかさと暖かさをちょびっとだけ堪能する。
「姉ちゃん、俺、一人前の男になるからな!」
「うん。私もリンクの成長を楽しみにしてる」
そう言って俺の事を応援してくれるアーリアの笑顔がめちゃくちゃ可愛くて。それを見ただけで、めちゃくちゃやる気が湧いてくる。
「じゃあ、再開しようか?」
「おっけ」
俺はアーリアの提案に是と唱えると、アーリアと向かい合って座りなおした。
こんな可愛い女子が自分の様な小僧相手に、手取り足取り魔術を教えてくれるって言うんだ。是が非でもモノにしなければ男としてカッコつかないってもんだろ?
こうして俺はアーリアのスパルタ授業について行く事になる……
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、本当に嬉しいです!ありがとうございます‼︎
東の塔の騎士団編『花の祝祭日1』をお送りしました。
下町で出会った少年リンクくん。すっかり年上のお姉さんに絆されてしまいました。アーリアも自分を慕ってくる弟のようなリンクくんには理性が崩壊気味です。
次話『花の祝祭日2』も是非ご覧ください!




