魔女と契約2
※東の塔の騎士団編※
「アーリア。僕と《契約》して」
専属護衛リュゼからの『お願い』に、アーリアは一瞬の間を置いて「え?」と驚きの表情を浮かべた。アーリアからリュゼへは大小様々な『お願い』を何度もしてきたが、逆にこれまでにリュゼから『お願い』された事が殆どなかった。その為、見当も付かず身構えていたアーリアは、予想を超えた内容に対して頭の処理が追いつかなかったのだ。
「えっと……それはどういう意味?」
「そのままの意味だよ。僕と《契約》して欲しいんだ」
《契約》とは商売などのやり取りにおいて、受け手と貰い手とが互いに条件を出し合い、互いの利益に見合った『合意』を見出した時に取り交すものだ。
特に魔術が発展したシスティナでは、魔術による《契約》を取り交わす事が多々ある。紙媒体の契約書よりも確実で、一旦取り交わした《契約》は魔術によってしか消去する事ができない。互いの魔力を持って互いの身体に印を入れる為、文字通り『消せない』契約なのだ。《契約》が完了すれば、また互いの魔力を持って《契約解除》を行う決まりとなっていた。
「アーリアってさ、獅子くんと《契約》を取り交わしてるでしょ?それは未だ《契約解除》していない。違う?」
「うん、そうだよ」
アーリアはジークフリードと《契約》を取り交わしている。それは『互いに何か起こった時には助け合う』といった内容のものだ。
「魔術による《契約》って、心が通じ合っちゃうんだってね?」
「うん。私もジークと《契約》を交わしてから知ったんだけど、魔術による《契約》って精神世界を媒介するみたいなの」
精神世界とは簡単に言えば『心』だ。契約とは即ち約束の最上位に当たるもので、約束を守るも守らないも、人間の心が決めるものなのだ。魔術による《契約》とは、精神に約束事を刻み込むという仕様をとっている。しかも、契約という性質上、互いに互いを監視し合えるようになっているので、身体に直接触れれば相手の考えが筒抜けになるという、ある意味、悪意の持ちようのない代物なのだ。平たく言えば『嘘がつけない』。だからこそ、一方の身に何か起こればその事がもう一方にも伝わる、という事情に繋がるのだが……。
と、リュゼにそこまで説明したアーリアは魔術《契約》について『残念仕様』だと締めくくった。
「残念仕様?」
「うん。だって個人のプライバシーがゼロになっちゃうんだよ?」
「あぁ、そう言う意味で……」
実はリュゼはジークフリードから《契約》の話を聞いた事があった。ジークフリードがアーリアを連れて獣人たちから逃げ回っていた時の事だ。声が出せないアーリアの言葉を《契約》を通じて知覚していたと聞いたのだ。
「でも、残念な事ばかりじゃないんでしょ?」
「……?」
「獅子くんは『アーリアに危険が迫った時には、それが自分にまで伝わってくる』って言ってたよ。心が騒つくんだってね?」
「そう、なの……?」
「ふぅーん。アーリアは聞いてないんだ?」
アーリアが『北の塔の魔女』シルヴィアによって『北の塔』の最上階から突き落とされた同時刻、王都にいたジークフリードは得体も知れぬ不安に襲われたそうだ。心が騒つき、居ても立っても居られない状態になったらしい。
「アーリアは『残念仕様』だって言うけどさ。それって裏を返せば、互いの状況が常に確認出来るってコトでしょ?」
「そういうコトなのかなぁ……?」
どちらかに重大な何かが起こればそれが瞬く間に相手へと伝わる。それはリュゼにとっては大変有り難い機能だった。
「どこまでハッキリ分かるのかは分からないけど。ーーあ、でも生死は直ぐに分かると思う。精神世界を媒介してるから……」
契約主が死ねば精神世界間の繋がりも切れる。当たり前だが、この場合には《契約》も強制的に消滅する事になる。
「最高じゃん!」
「ーーえ?」
リュゼは指をパチンと鳴らした。
「僕がアーリアと《契約》を結べば、アーリアの身に危険が迫ったら、僕はすぐにそれに気付く事ができる」
「う、うん……?」
「それに、アーリアに触れていれば《念話》の必要もないよね?」
「で、でも!その代わりに、触れているだけで互いの心が通じ合っちゃうんだよ?リュゼはそんなの嫌じゃないの?気持ち悪くない⁇」
「ぜーんぜん!寧ろ、アーリアなら大歓迎!」
専属護衛とは言うが、四六時中一緒にいる事は不可能なのだ。どうしても離れなければならない時がある。例えばアーリアが寝室で寝ている時、例えばアーリアが夜会で見知らぬ貴族にダンスを申し込まれている時、そんな時にこそ外敵から命が狙われ易いのだ。
本来、『東の塔の魔女』は専属の騎士団である『塔の騎士団』の騎士たちに守られて然るべき存在だ。しかし、リュゼは『塔の騎士団』を完全に信用し切れずにいた。ど初っ端から若手騎士たちがヤラカシタからだった。
五百余名もいれば中には二、三人、フザケタ騎士もいるだろう。だが、リュゼからすればその二、三人がいるだけで十分信頼するに値しない。それはどうやらアーリア自身も同じであるようだった。表面上では騎士たちに信頼を寄せているが、内心では『大丈夫だろうか?』とアーリアが小さな不安を抱いている事を、リュゼは知っていたのだ。
そんな騎士団に身を置く事になって早くも二ヶ月強。リュゼは、騎士団内の雰囲気を把握しつつ騎士たち一人ひとりの性格を探り、信頼に値する騎士を見つけなければならなかった。それがいかに途方も無い労力が必要かが分かるだろ。
今、リュゼが騎士団内で信頼する騎士はルーデルス団長、アーネスト副団長、そして騎士ナイルの三名しかいない。前魔女と共に戦ったという古参騎士はほぼ大丈夫だと考えていた。しかし、その後に入った新参騎士たちは未知数過ぎて、探りを放置せざるを得なかった。
「僕はアーリアを守りたいと思ってる。でも、僕一人では守り切れないとも思っているんだ。情けない護衛でごめんね」
「そんな事ない!私の方こそ情けない魔導士なんだから……!」
迂闊で騙され易くどうしようもなく鈍臭いアーリアを、リュゼは常に側でフォローしてくれている。リュゼは必ず己の側にいると安心しているからこそ、これまでアーリアは『塔の魔女』として、そして『システィナの姫アリア』として頑張って来れたのだ。
「リュゼが居なかったら私は今頃、ココには居ないよ?」
アーリアはリュゼの右手を取って握りしめた。日頃からの感謝が少しでも伝わるように想いを込めて。
リュゼは自分を見上げてきた虹色の瞳を見つめ返しながら、左手でアーリアの頬をそっと掬い上げた。
「ありがとう。ーーでもね。だからこそ僕はアーリアと《契約》を交わしたい」
「でも、《契約》は……」
リュゼの心をーー自由をこれまで以上に縛ってしまう《契約》に、アーリアの心は騒ついた。唇をキュッと噛んで瞬きを何度も繰り返し、アーリアは思案した。
「リュゼのこと、信頼してるの……」
「アーリア……?」
「《契約》まで持ち出して、そうまでしてリュゼの心を縛ってしまったら、わたし……」
アーリアはリュゼと《契約》を結ぶ事で、二人の関係がこれまでと全く違うモノになってしまうのではないだろうか、と恐れを抱いた。これまでもリュゼの人生をーーいや自由を散々縛っておいて、更にそれ以上に束縛してしまうなど、アーリアは反対だった。
ジークフリードと《契約》したといっても、二人は互いに別々の人生を歩んでいる。しかし、リュゼはアーリアの専属護衛として十分以上に行動を共にしているのだ。ジークフリードとアーリア、リュゼとアーリア。二組の立場と関係はまるで違っていた。
「大丈夫。《契約》はあくまでも僕が君の身を守りたいからするだけであって、それ以上の意味はないよ?」
うんと頷いて押し黙るアーリア。アーリアはリュゼからの思わぬ『お願い』について考えあぐねていた。アーリアはこれまで散々、リュゼに色々な『お願い』を叶えてもらってきた。ワガママも沢山言ってきた。だからこそ、リュゼからの『お願い』をできる事なら叶えてあげたいと思った。しかし、その『お願い』が彼の人生を縛るモノなら……
ーどうすれば良いんだろう?ー
唇を噛み締めて考え込んだアーリア。リュゼは自分の為にここまで考え悩んでくれるアーリアを愛しく思った。だからリュゼは愛しいアーリアに自分の想いを伝えた。嘘偽りのない想いを……。
「アーリア、僕は何があっても君の側にいるよ。君の側から離れたりしない。君の事を嫌いになる事なんてあり得ない」
ーーだから僕と《契約》して。
リュゼの言葉に込められた『想い』に、アーリアの瞳はゆらゆらと揺れ動いた。リュゼの人生はリュゼのモノ。だけど、リュゼは自分と共に居てくれると言う……。
「リュゼ、本当に良いの?」
「うん」
「本当に本当に良いの?」
「うん」
「嫌になったらいつでも《契約解除》するからね?」
「うん。大丈夫!嫌にならないから」
「本当に良いんだね?」
「アーリアって意外にシツコイんだね?良いんだ。寧ろコッチからお願いしてるんだから」
アーリアはリュゼの胸にしがみ付くとその身体を揺すぶるように問い詰めた。リュゼはアーリアのシツコさに思わずハハッと笑った。リュゼはアーリアの腰を攫って、手を柔らかな頬に添えるといつになく甘い甘い笑みを浮かべた。アーリアにだけ見せる本当の笑みを。
「アーリア。君に僕のココロをあげる。僕は君が好きなんだ」
ー君を失いたくはないー
自分の知らない場所でアーリアが窮地に陥ったら。自分の知らない場所でアーリアが辛い目に遭ったら。想像するだけで胸が押し潰されてしまいそうだ。
アーリアの事を自分を含めた大勢の騎士が守るこの状況では、本来なら、アーリアが襲われて害されるなどあり得ない事態だろう。だが、リュゼはエステル帝国での経験で『絶対などない』という事を思い知っていたのだ。
「僕は、君をもっと近くで守りたい」
リュゼの言葉にアーリアの心は大きく震えた。自分を守りたいと言ってくれるリュゼの心が嬉しかった。その為にココロまでくれるというリュゼの事がーーーー
知らず、アーリアの頬から涙が溢れていた。
「ありがとう、リュゼ」
ーこんな私を好きになってくれてー
アーリアにとってリュゼは『特別』だ。アーリアの正体を知ってなお、自分を他の人間と同じように扱ってくれるリュゼの態度に、言葉に、アーリアは何度救われたか分からない。エステル帝国においても、この『東の塔』においても、文句の一つも言わずドジでマヌケな自分を助けてくれるリュゼに、どれだけ感謝してもしきれない思いだった。
リュゼと一緒にいると心が安らぐ。
リュゼと一緒にいると心が満たされる。
これを『特別』と言わず何と言うのか。
普通の人間なら、これが『愛』なのだと言っただろう。しかし、普通の感覚を持たないアーリアには自分の想いを正確に表す言葉を知らなかった。
「私からもお願いして良い?ーーリュゼ、私と《契約》してください」
アーリアの言葉にリュゼは微笑みながら頷いた。
※※※
アーリアとリュゼは手と手を重ね合わせた。右手、左手、大きなリュゼの掌にアーリアの小さな手が重なる。互いの掌を通じて互いの魔力が身体を駆け巡るのを感じてから、二人は同時にそっと瞳を閉じた。
ぽつり、ぽつりと暗がりに光が灯る。その光は次第に辺りを埋め尽くすほど灯されていく。
ーサァァァアアア……ー
草原に風が吹き抜けていく。
爽やかな風。穏やかな陽の光。
アーリアとリュゼの二人は風薫る草原に立っていた。暫くの間、この場が精神世界だという事が気づかなかったほど、そこは美しい場所だった。
「僕が君を守りたい気持ちは義務なんかじゃない。誰に頼まれたワケでもない」
リュゼはアーリアの小さな手、その指に自分の指を絡めた。
「僕に君を守らせて。君が大切なんだ」
そう言うリュゼの表情にはいつもの巫山戯た笑みはない。真剣な眼差しでアーリアの瞳を真っ直ぐ見つめている。
「うん。私もリュゼに守って貰いたい。それは私の本当の気持ちなの」
リュゼの美しい琥珀色の瞳を見つめながら、アーリアはリュゼの心に真剣に向き合った。
「貴方に私を守ってほしい。ーーでも、私にもリュゼを守らせてほしい。貴方は私の『大切な人』だから」
アーリアは今、心に持っている想いの全てをリュゼに曝け出した。
「っーーーー」
リュゼは真っ直ぐ自分の瞳を見つめてくるアーリアにーーアーリアの口から語られた言葉に、その想いに驚きを露わにした。これほどまで、アーリアが自分の事を想ってくれているとは思わなかったのだ。そして、まさか、ここまで自分の想いを曝け出してくれるとも思っていなかった。
リュゼは一度目を伏せると瞼をそっと開いた。そして、やっと紡いだ言葉は震え、瞳は涙で潤んでいた。
「ありがとう、アーリア」
リュゼがアーリアに『好き』と言った言葉は、未だアーリアに正確には伝わってはいない。しかし、アーリアがリュゼを『大切な人』だと言った言葉の意味と、リュゼがアーリアに『好き』だと言った言葉の意味とはそっくり同じだった。
今ある最大限の想いを最大限の言葉で表してくれたアーリアを目にしたリュゼは、自分の心が温かいもので満たされていくような多幸感を得た。
「ありがとう、アーリア……!」
リュゼはアーリアを抱きしめていた。腰と頭に手を回し、思いの限り自分の胸の中に抱き込んで、その柔らかな髪に顔を埋めては何度も感謝と愛を伝えた。そしてリュゼは、アーリアの耳の下ーーその白く艶めかしい首筋に唇を落とした。
ー僕の人生を全部あげる。だから、アーリアの人生も僕にちょうだいー
ポゥッと光が天から降り注ぐ。光は二人の周りを飛び交うとシャボン玉のようにパチパチと弾けていく。
風に身を任せ、鮮やかなシャボン玉の世界から現実世界に戻った時、互いの首筋には薔薇の華のような《契約》の模様が浮かび上がっていた。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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東の塔の騎士団編『魔女と契約2』をお送りしました。
アーリアとリュゼ。互いを想う気持ちは通じているのに、何故か何処かがすれ違っている。とても不器用な二人です。
【契約後】
「リュゼ、どーするの⁉︎こんなトコロに印をつけるなんて!」
「え〜〜。イーじゃない?」
「良くないよ!《契約》印は本当は目立たない場所につけるんだよ?」
「そんなに怒んないでよ。不可抗力じゃん。あ〜ほら、お花の模様みたいで可愛いし、そんな目立たないって」
「ひゃん!〜〜無闇に触らないでっ」
「……。コレ、ヤバイね?ピリッとくる、ピリッと」
「「……」」
「……リュゼ、やっぱり解約ーー」
「しないからね!」
何故か何処かがシマラナイ二人。
次話も是非、ご覧ください!




