騎士団の治療士2
※東の塔の騎士団編※
「待たせちゃって悪かったわね?」
原因不明の胃痛の為に診察を受けていた青年騎士が治療室を去った後、この部屋の主は振っていた手を下ろし、振り向き様にアーリアへと話し掛けた。
「大丈夫です。お気になさらず」
「ふふふ。私相手に畏まらなくて良いのよ?」
「あーーはい……」
アーリアから思わず出た貴族用の社交辞令に、治療士は苦笑で返した。
自身を守る騎士たちと言えど彼らの身分は貴族子弟。子爵から公爵までピンキリの貴族身分を持つ彼ら騎士に対して、『塔の魔女』と言えども平民でしかないアーリアの対応は実に社交的だった。通常より敬語を使うのは当たり前で、心許した騎士にしか内心を露わにする事はまずない。顔には営業スマイルを浮かべているのが当たり前になった昨今、アーリアは気の許す相手以外なら誰彼構わず外面で対応する事が日常になっていた。
そんなアーリアに心を痛めているのは、アーリアの体調管理を任されている治療士だけではない。アーリアを守る騎士たちとて同じ気持ちだったのだ。
ー守るべき主によそよそしくされて喜ぶ騎士なんて、いないじゃない?ー
そうは思えど、麗しの治療士はアーリアを咎める事などしなかった。ただ苦笑するだけに留めたのは、アーリアの心情を慮っての事だった。
「護衛くんは?」
麗しの治療士はアーリアの背後を見るや否や視線をすぐに戻した。
「外で待ってもらってます」
「今日は赤毛くんかしら?」
「いえ。ナイル先輩です」
「あら、残念。外れちゃったわ。じゃあ、黒ワンコちゃんはついてきてないのね?」
「はい。レオはセイと散歩に出てます」
「あら、黒ワンコちゃんは赤毛くんと一緒なのね?」
「なんだかあの二人、気が合うみたいなんですよ」
アーリアはレオを飼うことになった直後にこの治療士の下へと訪れていた。それはレオに変な病気がないかを診てもらう為だった。野生の動物には人間にはない病気を持っているものがいる。その病気には人間に感染する類の物もあり、貴族が動物を飼う際には治療士によって健康状態を診てもらう事が必須なのだという。この騎士団の騎士たち全てが貴族の出身であり、平民のアーリアには無いその認識は常識であった。
アーリアが初めて大型犬レオを美麗治療士と出会わせた時、治療士はレオを見るなり何故か大笑いした。涙を浮かべて笑う治療士にアーリアが困惑したのは記憶に強く残っている。
「雄同士だからでしょう。私たちには分からない事があるのかもしれないわねぇ……」
「種族は違うけどもね」と、美麗治療士は口元に手を当ててウフフと笑う。小麦色の髪がフワリと揺れ、翡翠のような瞳が美しく揺らめいた。弧を描いた唇は蠱惑的で、その微笑を見た者を尽く虜にしてしまう魅力がある。仕草は実に優雅極まりなく、女性的にしなる腕は天女のようだ。
「あの、ヴァンゲート先生……」
「ダメダメ。アリスって呼んでって頼んだでしょ?」
「アリス先生?」
「そ。アリストル・フォン・ヴァンゲートなんて私には相応しくないわ!両親ももう少し優雅な名をつけてくれたら良かったのにねぇ……」
「アーリアちゃんもそう思わない?」と付け加えて問われたアーリアは、返答に困り兼ね、苦笑するに留めた。治療士は木の椅子を片手で軽々と運ぶとそれをアーリアの前に下ろした。しなやかな腕には見事な筋肉。それはどう見ても男のソレだった。
「でも、『アリス』って言う響きだけはイイと思わない?」
「はい。可愛いらしい雰囲気がします」
「でしょ?だから私、普段から『アリス』で通してるのよぉ」
にっこり微笑むアリストルーーアリスは実に美しい。十人に問えば十人ともアリスの事を『美人』だと答えるだろう。
ーでも、先生は男の方なんだよね?ー
アーリアは自称アリスの顔をとっくりと眺めると、世の中の不思議を再確認せざるを得なかった。アリストルにせよ、第二王子ナイトハルト殿下にせよ、なぜ神はこのように女神と呼べる程の麗しい男性を生み出したのか、と。
不思議そうに首を傾げるアーリア。そのアーリアの手をアリス(自称)は徐に手を取った。
「さぁて、本題に入りましょうか」
治療士アリスは弧にしていた唇を引き締めると、アーリアの向かいに置いたの椅子に腰を下ろした。
「貴女を呼んだのは他でもないわ」
「定期検査ではないんですか?」
「それもあるけどね」
アーリアは治療士の言葉に驚いた。てっきり週に一度の定期検査だと思ってこの治療室を訪れたのだが、実はそうではないようだ。
「そうね。じゃあ、定期検査から始めましょうか?」
そういうや否やアリスはアーリアの許可を得ずに両手を取ると、優しく握りしめたのだ。そして一度アーリアの瞳を覗き込むと、アリスは小さく頷きそっと瞼を落とした。
体内を血と共に巡る魔力。普段は意識していないその流れを肌の表面から感じる事ができた。それは、治療士がアーリアの体内に己の魔力を流しているのだと、アーリアには理解できていた。
向かいに座る美麗治療士の揺れる長い睫毛をぼんやりと見ていたアーリアは、両の掌を通じて自分の身体の中に流れ込む魔力の暖かさを感じながら、自身もそっと瞼を閉じた。
「少し、消化機能が低下しているわね?お腹の調子があまり良くないみたい」
自称アリスは瞳を閉じたまま、ゆっくりと口を開いた。
「消化の良い食事にした方が良いわね」
「はい。そうします」
「あら。あまり眠れていないのかしら?」
「え……はい。もともと眠りは浅い方なので……」
「ダメよぉ。睡眠不足はお肌の天敵なんだから」
美麗治療士はアーリアの体調不良を的確に言い当てていく。それに対してアーリアは少し気恥ずかしい気分になっていった。
自己の体調は護衛騎士にもあまり言わないプライベートな事柄だ。元来からアーリアは我慢強いタイプで、多少の体調不良で休息を取ったりはしない。微熱程度なら無視して普段通り過ごしてしまう程なのだ。しかも、普段から薬に頼るタイプでもなく、よっぽどの高熱でも出ない限り薬師に薬を処方してもらう事もない。怪我や食中毒の類には魔術や魔宝具で対処する為に、こうして治療士の元を訪れる事がこれまでなかったのだ。
最近では過保護な護衛騎士がアーリアが自分から体調不良を言わずともアーリアの不調に気付いてしまう為、何かと世話を焼かれがちだった。だから、こうして偶に護衛騎士が側を離れた時には、アーリアの体調不良に気づく騎士は居なかった。
「それに、少し微熱気味なんじゃない?」
「そうですか?」
「困った娘ね?私にも黙って置くつもりだったの?」
「そんな事はないですよ」
「どーだか!」
スウッとアーリアが瞳を開けると、間近から美丈夫が自分を覗き込んでいた。美麗治療士はアーリアから手を離すと、代わりとばかりにアーリアの頬を両手で挟み込んだ。
「護衛騎士くんがいないからって、ズボラな生活してちゃダメよ〜」
「うっ……」
「貴女って、見た目よりもずっと大雑把みたいね?他人の身体の心配はできても、自分の身体の事はトンと放ったらかしなんだから」
「……」
痛い所を言い当てられたアーリアは、僅かに顔を痙攣らせた。
初対面の人間からは『良いトコロのお嬢さん』で通るアーリアだが、実は面倒臭がりで大雑把、ハッキリ言えばズボラ女子だった。魔術と魔法、魔宝具の研究となると寝食を忘れて没頭するのだが、いかんせんそれ以外の事はどうでも良くなる傾向が強いのだ。食にしても然程拘りがなく、一人であれば一食二食抜いてもどうと言う事はないと考えていた。今では入浴に於いて湯船に浸かる事が大好きなアーリアだが、以前は沐浴すら面倒な時にはパッと魔術で済ませる程のズボラさだった。
これまで、そのズボラな性格を見抜かれたのは護衛騎士リュゼをおいて他にはいない。三ヶ月ほど一緒に旅をしたジークフリードですら、アーリアのズボラさには最後まで気づかなかったほど。それは、口の効けないアーリアが『ジークフリードに迷惑をかけまい』と振る舞った所為でもあるのだが……。
「これじゃあ、リュゼくんも心配する訳ねぇ?」
「え……?」
「リュゼくん、出掛ける前に貴女の身体の事を私に頼んで来たのよ?」
「その様子じゃ知らなかったみたいね?」と続ける治療士の言葉に、アーリアはパチクリと瞬きした。
「貴女は放って置くとすぐ無理をするからって……」
「リュゼが、そんな事を……?」
アーリアはこの場に居らぬ護衛騎士の顔を思い出していた。いつもそばに居てアーリアをフォローしてくれる頼もしき青年騎士。常に余裕のある笑みを浮かべた表情。だが、その瞳が油断なく外部を警戒している事をアーリアは知っていた。アーリアを害する外部からの圧力に対して身を呈して守ってくれている事も。
いつの間にかアーリアはリュゼの前では己を飾らなくなっていた。言葉も態度も、そして性格も生活スタイルも。そのような事は家族ーー師匠や兄弟子、姉弟子以外には有り得ぬ事だったのだ。
「彼がいなくて、寂しいの?」
アーリアはアリス(自称)の言葉にキュッと唇をひき結んだ。緩みそうになった瞳と頬を引き締める。
「そうね。そんな事、他の騎士たちの前では言えないわよねぇ?」
アリスは嘆息混じりで晒された虹色の瞳を目で追った。
五百余名の騎士団員。その全てが『東の塔』と『魔女』を守る騎士だ。その中から『魔女』が誰か一人を贔屓にする訳にはいかない。例えそれが掛け替えの無い者であったとしても、その役職上、仕事上であからさまな優劣を付ける事をしてはならないのだ。
「大丈夫よ。ここは治療室。そして私は治療士なの。患者のプライベートを他に漏らすなんてこと、絶対にしないわ。それが例え王様相手でも、ね?」
アリス治療士はアーリアの頬から右手を離すと、人差し指を赤い唇にそっと押し当てた。アーリアはその妖艶な仕草の中にもお茶目な気配を感じ取って、思わず彼の名を呼んでいた。
「ヴァンゲート先生……?」
「こら!アリス先生、でしょ?」
ウィンク一つ。妖艶美人から笑みを受けたアーリアは固まらせた表情筋を緩め、ほんのりと頬を赤らめさせた。
「はい。アリス先生」
「よろしい。ーーと言うコトで、本題に移るわねぇ?」
アリスは立ち上がるとハラリと落ちた巻き毛を掬い、右手でかき揚げて左肩へと流した。カツカツと無駄のない動きで執務机に置かれた書類を手に取ると、振り返ってその書類をアーリアへと手渡した。
「これが今日の本題」
「これは?」
「話は後。先に目を通してみて」
アーリアは木のバインダーに挟まれた書類を手に、訝しげながらもその中身に目を通していった。一枚目の表題を目にした時にまさかとは思ったが、二枚目、三枚目と目を通す毎に確信を得ていった。
「あ〜〜やっぱりそぉ〜〜ですよねぇ?」
自分でも訳の分からない言葉を口から捻り出すアーリア。その顔には苦い物がはしり、口は酸っぱいミカンを食べた時のように尖らせていた。
「ええ。貴女が副団長に渡した魔宝具。その分析結果よ」
「〜〜スミマセン!」
「ふふっ。良いのよぉ〜迷惑なんて全然、かかってないから!」
「本当にスミマセン!」
アーリアはバインダーを胸に抱くと思いっきり頭を下げた。下げた頭の上から美麗治療士の声が降ってくるが、言葉で言うほど穏やかな物ではなく、ビシビシと圧力が降ってくるのだ。
チラリと目に映るバインダーの表題は『トアル回復系魔宝具について』である。
「まさかこんな魔宝具を造っちゃうなんてねぇ……」
ーチャラー
頭の上に金属の金具の乾いた音がした。アーリアは思わず下げていた頭を上げて、アリスの手の中にあるソレに目を留めた。
「ーーアッ!ソレ……」
「アーリアちゃんが造った魔宝具よぉ」
「副団長サマから預かってきたの」と笑うアリスの目は一切、笑っていなかった。
思わず立ち上がって手を伸ばしたアーリアは、アリスの視線を受けて「ヒィッ」と息を飲み込んだ。それでも必死にその魔宝具に手を伸ばせば、アリスはヒョイっと手を更に高く上げた。手を伸ばしても届かない場所にある魔宝具を前に、アーリアは茫然と立ち尽くした。
彼の手の中には青く澄んだ宝石を中心として、真白の小さな宝玉が三連になって繋がっている護符。一見するとただの装飾品に見えるソレは歴とした魔宝具だった。
「《回復》と《解毒》が込められた魔宝具なんて何処にでも有る代物だけど、これはそれとは少ぉーし違うわよね?」
「そぉですねぇ……⁇」
「どんな魔術を込めれば、ちょん切られた腕まで元通りになる魔宝具が出来上がるのかしらぁ?」
「こ……高位魔術を、少々……」
アーリアのはるか頭上で、アリストルは右手に持った魔宝具をチャラチャラ鳴らしながら、今も虎視眈々と隙あらば手の中の魔宝具を奪おうと目配らせする小娘に生暖かい視線を向けた。
「副団長サマも驚いたらしいわよぉ。何せ、ワイバーンに襲われて負傷した騎士にダメ元で使ってみたら、あーら不思議!止血どころか千切れかけた腕が再生していくじゃなぁ〜い!」
「そんな事件があったの?誰が怪我したのかな?ーーあ、でも、助かって良かったです!」
「だーまらっしゃいッ!」
「あいたッ⁉︎」
満面笑顔のアーリアの額をアリスのチョップが炸裂した。
「確かに騎士には怪我はつきもの!場合によっては大怪我どころか命を落とす事もあるわ!」
アリスはアーリアの前に仁王立ちするとアーリアに説教を始めた。ヒリヒリ痛む額を押さえるアーリアは、迫力美人からのお叱りに肩をビクリと震わせた。
「だから、騎士たちには《回復》の魔宝具を携帯する事が義務付けられているの!」
騎士団に所属する騎士は、その仕事上、危険が付き物だ。だから基本的に魔宝具の携帯が義務付けられている。《回復》、《解毒》など、騎士団から配給される魔宝具もあるが、個人的にも《結界》や《防御率上昇》などの魔宝具などを所持する者とている。彼らは貴族子弟。高価な魔宝具を持てる資金源があるのだ。
「魔宝具の所持は貴族にとってはある種のステータス!どれだけ質の良い魔宝具を持てるかはシスティナ貴族にとって大切な自己表現力よっ。でもね……」
ーギンッー
美麗治療士からの目力。眼力。威圧。腰に手を当てたまま上半身を折ったアリスは、アーリアの額にコツンと己の額を押し当ててきた。
「武器になる魔宝具は御法度なの!」
「ーー!」
アーリアは『《回復》の魔宝具が何故『武器』になるのか』とは問わなかった。先ほどの資料、そしてアリスの叱責から、アーリアは自分の造った魔宝具の危険性に思い当たっていたのだ。
「この魔宝具は人間を助ける為に造られた道具だけど、使い方を間違えば取り返しのつかない『武器』になってしまうわ。貴女にならその事がキチンと理解できるわよね?」
「はい……」
あり得ない威力を発揮した《回復》の魔宝具。人体実験などしていないのでその治療の効果の上限は知れないが、千切れた腕が再生したのなら、普通なら即死してしまう怪我でも治してしまうに違いない。そんなバカみたいな威力を持つ魔宝具を騎士がーー軍人が身につければ、立ち所に『不死の軍団』を生み出してしまうだろう。
「負傷した騎士が完治したのは喜ばしい事だわ。でもね、この魔宝具の存在を良い事ばかりに使おうとする人間ばかりじゃないの……」
残念な事に、魔宝具は使う者次第で善にも悪にもなってしまうのだ。
「だから、この魔宝具は破棄してね?」
ーーこれは決定事項よ。
アリスからそっと手渡された魔宝具を手の中に握り込むと、アーリアは黙って頷く事しか出来なかった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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東の塔の騎士団編『騎士団の治療士2』をお送りしました。
美麗治療費の役目はアーリアのお説教係だったようです。
アーリアの使う治癒魔術はほんのり死にかけの人間まで蘇生させてしまう力があります。しかし、魔術使用には多くの魔力を必要とします。勿論、回数制限もあり、高位魔術は日に何度も使用するのは難しいのが現状です。
次話『騎士団の治療士3』も是非ご覧ください。




