下街事変3
※東の塔の騎士団編※
破落戸たちは舌舐めずりしながらアーリアへと歩み寄ってくる。アーリアは、自分の男たちを見る目が冷え冷えとしていくのが分かった。
「リュゼ」
「ん?」
アーリアの幾分冷えた声にリュゼは首を巡らす事なく答えた。リュゼの目は眼前の男たちを注意深く見据えたままだ。アーリアもまた同じように男たちを真っ直ぐ見据えていた。
「これって正当防衛が成立するよね?」
「それ以前に人身売買なんて、この国では極刑だよ」
システィナでは国王陛下のお言葉の次に法制度に重きを置いている。法律違反を起こせばそれに応じた罰を与えられるのだ。その中でも特に重い罪だとされているのは宗教抗争、魔宝具の軍事転用、男女問わず強姦、そして人身売買だ。
システィナでは国王陛下を頂点に王族、貴族、平民、という身分制度があり、職業以前に身分が重視される。しかし、どの身分にあっても『個人』という権利は優先されるのだ。どれほど高い身分にあろうと個人を蔑ろにする事は全面的に禁じられていた。それもまた、紛争を起こさせない為の措置であった。
システィナ国内でも孤児や浮浪者を誘拐し、他国に売る事を商売とする貴族が残念ながら存在する。そのような悪徳貴族を摘発し裁くことは、同じ貴族官僚であっても難しい。そうアーリアはウィリアム殿下より伺った話を思い出していた。ウィリアム殿下は以前、エステルの貴族と通じ人身売買を行なっている貴族を摘発したそうなのだが、その貴族はシスティナからエステルを通りライザタニアへという流通ルートを使っていたらしい。
システィナやエステルにはないが、ライザタニアには奴隷制度というものがあり、奴隷を多く保有する者が裕福であるという伝統があるらしい。しかも、ライザタニアでは奴隷を洗脳し、恐怖を恐れぬ兵士を作りあげた上で戦争に投入するのだという。
その事実を知るシスティナは、ライザタニアと戦争中であることからも、人身売買については大変敏感であった。
「じゃあ……?」
「何も問題ないよ」
リュゼの言葉にアーリアは口元に笑みを浮かべた。しかし、破落戸たちにはその笑みが気に入らなかったようだ。
「何をゴチャゴチャ言ってんだ?アァッ⁉︎」
「お前らこの状況が分かってねぇのか?」
「オイ兄ちゃん。3対1で勝てるとでも思ってんのか⁉︎」
破落戸たちは短刀や鉄拳など思い思いの武器を取り出すと、リュゼの目の前でチラつかせた。武器に舌を這わせるような動作はどう見ても悪党にしか見えない。
「余裕デショ?」
「「「ーー⁉︎」」」
「負ける要素がないね」
リュゼの言葉に破落戸たちの顔が一瞬て赤く染まる。
「生意気、言いやがって!」
「お前みたいな小僧に何ができるってんだ!」
リュゼはアーリアとお忍びデートする為に、今朝は騎士服を着て来てはいない。白いシャツに黒いズボン、そして茶色の革靴といったラフな装いだ。それでも平民からすれば良い生地を使った服には変わりはないようで、この破落戸たちには何処かの貴族のボンボンか商人の息子辺りに見えるのだろう。
アーリアもチュニックにズボン、革靴に髪がすっぽり隠れるフードつきのポンチョ姿という装いで、お忍びで遊び歩いている何処かの令嬢と思われても仕方がない雰囲気だ。
「はぁ……。アンタら素人なの?犯罪を行うならさ、きちんと相手の素性を調べてからにしなきゃ。足がついちゃうよ?」
「「「なーーーー⁉︎」」」
「これだからハンパ者は」とリュゼは首を振った。こういう中途半端な犯罪者が一番困る。やるならトアル魔導士くらい突き抜けてくれないと。
「くっそ。言わせておけばッ!」
破落戸その1が怒りに任せて駆け出し、リュゼのニヤケ面に向かって拳を振り上げた。しかし……
ーヒュッ、ドゴッー
何がどうなったのか。地面にドサッと倒れた破落戸その1を前に、破落戸その2とその3はアッと目を見開いた。
「さってと。これで2対2だね?」
何の事はない。リュゼは破落戸その1の足を払うと、体制を崩した男の腹に一発拳をお見舞いしただけだった。
リュゼはパンパンと手を払うとゆらりとした動作で立ち上がり、破落戸その2とその3を見定めた。
「ハン!その女が戦力に入るワケーー」
強がりなのか本気なのか、リュゼに向かって啖呵を切り始めた破落戸その2は、自分の身に起きた出来事に開いた口を閉じざるを得なかった。
「《銀の鎖》」
青年の後ろで身体を震わせていると思われた少女が声ーー魔術の詠唱に、破落戸たちの顔色が露骨に変わる。
破落戸三人の足元に浮かび上がる魔術方陣。そこから何本もの鎖が飛び出すと、鎖は彼らの身体に絡みついた。
「な、な、何だこりゃ〜〜⁉︎」
「魔術⁉︎ くそっ!魔導士か⁉︎」
気づくのが遅い。破落戸たちは魔術の鎖に絡み取られ、ギュウギュウに縛られていく。
「くっそ!」
「外れねぇ⁉︎」
「どーなってやがる⁉︎」
鎖から手足を出して、そこから無理やり脱出しようと試みている破落戸たち。そんな男たちを横目にアーリアはリュゼに質問した。
「リュゼ。熱いのと冷たいの、どっちが良いと思う?」
「うーん。どっちがオススメなの?」
「熱いのは運が悪いと死んじゃう」
「じゃ、却下。冷たいので」
「分かった」
アーリアはリュゼの背から出ると、鎖に締め上げられながら唸り声や罵声を上げている元気な犯罪者たちの前に仁王立ちした。
「ねぇ、お兄さんたち」
「な、何だ⁉︎」
笑みを浮かべながら近くアーリアに気圧されたのだろうか。破落戸たちは声を上擦らせた。
「死にたくなかったら、貴方たちのボスの名を教えなさい」
一瞬の沈黙が落ちた。
破落戸たちは目の前の少女に何を言われたのか分からなかったようだ。しかし、頭の処理が追いつくや否や、男たちは一斉に叫び出した。
「はぁ!?」
「教えるワケねぇだろ!」
「俺らが殺されちまう!」
最もだ、とリュゼはゴロツキたちに同意した。アーリアの発言ーーいや命令は犯罪組織の下っ端にとって鬼畜以外のナニモノでもない。
街の吹き溜まりで犯罪行為をしようとすれば必ず、その元締へとぶち当たる。どの犯罪行為も必ず誰かが裏で糸を引き、業界を牛耳っているものなのだ。その大元は大商人であったり貴族であったりする。
もし、この場で破落戸たちが元締の名を教えようものなら、今日の夕方には彼らの死体が路地裏に転がっているだろう。つまりそういう事なのだ。
「え〜〜?そんな大したコト、聞いてないよ?貴方たちの上司を紹介してって言ってるだけで……」
破落戸たちの反応が意外だったのか、反論を受けたアーリアは拗ねた子どもように口を尖らせた。そのまま「ねぇ?」とリュゼへと振り返れば、リュゼは頭痛がするのか額に手を置いて溜息を吐いている。その表情はやや暗い。
「あれ?リュゼ、どうしたの?」
「ノーコメントで」
不良少年リンクまで「そりゃひでーよ、姉ちゃん」とアーリアに突っ込みを入れた。しかし。アーリアはそんな二人の目線をまるっと無視して、破落戸たちに向き直った。
「じゃあ貴方たち、ここで死ぬ?」
「なーー⁉︎」
「だって、貴方たちは私に負けたんだよ?この世界は弱肉強食なんだよね⁇」
「そっ……⁉︎」
「教えて欲しいなぁ?」
「お、教えるワケねぇだろ!」
「そう?早く教えた方が身のためだよ?」
「お、俺たちをどうしようってんで?」
完全に形成逆転した互いの立場。蜘蛛の糸に囚われた羽虫のように破落戸たち身動き出来ずにいる。そして、目の前の女郎蜘蛛に喰われまいと、必死な形相で身体を強張らせている。
アーリアは微笑を浮かべながら破落戸たちの精神をゴリゴリとすり潰していた。それは如何にも計画的犯行に見えて、実はその場のノリだけ動いているアーリアの行動には、流石のリュゼも舌を巻いた。
「あれ、気づいてないの?」
「何を……?」
その時になって初めて、破落戸たちは自分の足元からヒヤリとした冷気が上がってくるのに気づいた。冷気は腕を伝い頬を撫で、頭の先へと昇っていく。身動きの取れぬ状態から漸く首だけを足元へと巡らし、視線を足元へ落とした破落戸たちは無意識の内にヒュッと息を飲んでいた。いつの間にか、地面が氷に覆われていたのだ。
「ね?早く教えた方が良いでしょ?」
アーリアとリュゼ、そしてリンク少年の周囲を除き、破落戸たち三人の足元は完全に氷の膜に覆われており、その氷は地面から靴へ脚へと、徐々に身体を覆い始めていた。
「教える気になった?」
「こ、これは……?」
「貴方たち、さっき言ったじゃない?私が魔導士だと……」
「ほ、本物の、魔導士だと……?」
「魔導士に本物も偽物もあるの?」
ーパキ、パキパキ……ー
空気の温度が下降していく。吐く息が白くなっていく。氷に覆われ始めた身体は寒さからか、それとも恐怖からなのか、カタカタと震え始めた。
「さぁ、教えなさい。この氷が貴方たちの身体を覆い尽くす前に……」
そう言って微笑んだ美しい魔女。
美しい瞳に魅入られたように男たちは呆然自失となり、白目を向いて気絶したのだった。
※※※
「あれ?やり過ぎだった?」
アーリアは気絶した破落戸たちを見て、キョトンと首を傾げた。
「ちょっと脅しただけだったのに……」
アーリアは手を軽く上げた。破落戸たちの拘束を解かぬまま、周囲を覆った氷だけを蒸発させていく。
「脅した自覚はあったんだね?」
未だ頭が痛むのだろうか。リュゼは額に手を置いたままアーリアに言葉をかけた。アーリアがこの程度の破落戸相手にビビる事はないと踏んではいたが、まさか自分の背後でこのような恐ろしい魔術を使う算段をしていたとは、リュゼにも思い至らなかった。その為、アーリアが破落戸どもを脅し始めた時、リュゼはあまりの事態に言葉も出なかった程だった。
ー誰にこんな脅し方を習ったんだか……?ー
リュゼの脳内には三人の候補者の顔が浮かんだ。その誰もにその可能性を見出したリュゼは、また深い溜息を吐いた。
「ほら、こういうのって最初が肝心でしょ?」
「ま、まぁねぇ〜〜」
「ビビらせた方が勝ちだって兄さまも言ってたし。それに、この人たちを捕まえても大元を断たなきゃ意味ないから」
アーリアは『東の塔』の管理者。アーリアの職務に犯罪者の摘発、逮捕なんてモノはない。更に言えば、人身売買を行う犯罪者集団を捕まえる義務なんてものはない。地域の犯罪が減る事に越した事はない。しかし、それは他人の仕事なのだ。他人の職分を侵す行為はご法度。加えてアーリアに奉仕精神はない。
リュゼはその事を理解していたので、この時のアーリアの言動には大きな矛盾を感じていた。
「アーリアは何がしたかったの?」
「何って?絡まれたから対処しただけ。それに……」
アーリアはリュゼから目線を外すと、ある人物へと目線を移した。
「これくらい脅しておいたら、もう、この子に絡んで来ないでしょ?」
アーリアはスッと、リュゼの後ろて顔を痙攣らせている少年リンクを見た。
「あ〜〜成る程ね。アーリアはその為に……」
リュゼはアーリアの行動の意味を理解した。すると不思議な事に、頭の痛みもスッと消えて無くなっていった。
アーリアの先ほどの行動は全て、この不良少年の為だったのだ。
自分を誘拐しようとする犯罪者たちの手から逃れる為だけなら、ここまで脅す必要はない。いつも通り魔術で拘束し、電撃でも食らわせて転がしておけば良いだけの話。だが、アーリアはあえて犯罪者たちを脅した。小娘だと侮っていた男たちを締め上げ、『従わなければ殺す』と魔術をもって精神的に追い詰めたのだ。男たちは得体の知れぬ魔術と冷えて動かなくなっていく身体、そして目の前の魔導士の存在に完全に怯えていた。
「でもさ。この世界には『お礼参り』ってのもあるよ?」
「お礼参り?」
「ムカついたからやり返すってやつ」
「あ〜〜じゃあ。彼らが目が覚めたらもう一度、ちゃんと言って聞かせておかないとね?」
「……。そだね」
破落戸たちの不運はまだ続くらしい。リュゼは自分の不用意な一言で破落戸たちを追い込んだ事を知った。
その時……
「ーーアーリア様!ご無事ですか⁉︎」
騎士団の良心。アーリアの保父さんにして騎士たち皆のお兄さんこと、先輩騎士ナイルが数人の騎士と憲兵とを引き連れ、細い路地裏を一直線に此方へと走ってくるではないか。
「そろそろ来るとは思ってたけど、ナイスタイミングだね?」
「さすがナイル先輩!」
リュゼはヤケクソ気味に指を鳴らし、アーリアは嬉しそうに手を打った。
しかし、こちらへと向かってくるナイルの形相は鬼のようだ。どうやら、アーリアとリュゼとが街に出かけたままなかなか駐屯基地に戻らない事を心配し、騎士団から何人かの騎士を選りすぐって捜索隊を組織したようであった。ナイルの背後にはセイを始め、見知った騎士が数名。第二小隊の面子が多い。
騎士たちが到着すると、その場の惨状からある程度察したらしい憲兵たちは地面に転がる破落戸たちを縄で拘束し始めた。リュゼからある程度の事情を聞いた憲兵たちは、リュゼとそしてアーリアとに一礼すると、破落戸たちを引っ捕らえて行く。
「アーリア様、その少年はーー」
「あぁ。この子はいいの」
「はぁ?」
ナイルはアーリアの言葉に眉を少しひそめたが、それ以上追求する事はなかった。
「じゃあ、ここは騎士団のお兄さんに任せて。少年ーー君、リンクくんだっけ?」
「あ、うん……」
「君のお家に案内してよ?」
アーリアは少年リンクの手を掴むと、有無を言わさず連れ歩いて行くのだった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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東の塔の騎士団編『下町事変3』をお送りしました。
アーリアの言動、その鬼畜さには、某犯罪組織のメンバーであったリュゼも真っ青です。彼女に破落戸たちの対処を教えたのは勿論、彼女の兄と姉に当たるあの方たちです。特に姉弟子はアーリアを目の中に入れても痛くない程、可愛がっているので、この手の犯罪者には容赦がありません。アーリアの身に何か起きては大変だと、あの手この手と対処法を教えています。
不良少年の手を取ったアーリアのその行動の意味とは……?
次話も是非ご覧ください!




