※裏舞台4※ 騎士寮の料理番
※東の塔の騎士団編※
※(料理人ミケール視点)
「ミケールさん、これで合ってる?」
「ええ。大丈夫ですよ、うまく混ざっています」
私は銀のボールを手にして、その中身の確認を仰いでくる少女に向かって頷いて見せた。その途端、少女はあからさまにホッとした雰囲気を見せる。
「次は薄力粉と膨らし粉を入れて混ぜてください」
「はい」
私の指示に少女は大変素直に従ってくれる。少女は卵とバターが混ざったボールの中に振るった小麦粉と膨らし粉を入れて混ぜ合わせ始めた。その表情は真面目そのもの。丁寧な手つきだが、いささか肩に力が入りすぎている程だ。
「そんなに力まなくても大丈夫ですよ?ほら、こんな風にリラックスして混ぜて……」
私は少女の背に回ると、肩越しに泡立て機を持つ少女の手を自分の手で包むように掴み、ボールの中身を混ぜてみせた。
「分かりましたか?アーリア様」
「は、はい」
コクコクとぎこちなく頷く少女。少女は一度深呼吸すると、再度泡立て器を使って混ぜ始めた。
先ほどから『少女』と呼んではいるが、聞けば18歳だという。成人年齢が18歳のシスティナでは、彼女は成人を迎えた立派な女性だ。更に付け加えれば、彼女は『塔の騎士団』の食客ーーいや、騎士団員たちの主なのだ。
こんな少女が主?と首を傾げる者も多いだろう。かく言う私もその内の一人だった。
彼女ーーアーリア様はこのアルカードの街の最東に位置する『東の塔』の管理者であり、システィナ国をライザタニア国からの攻撃から守る《結界》を張っている優秀な魔導士なのだ。優秀な魔導士に年齢など関係ないとは聞くが、私も始めてお会いした時は俄かに信じられなかったものだ。
『東の塔』に《結界》が張られてから今年の夏で丸三年。だが、つい最近まで彼女の存在をこのアルカードで知る者は誰もいなかった。それがこの春、突然彼女は『東の塔』へと現れた。魔女は『東の塔』を点検しに来たと言うのだ。
『白き髪の魔女』という髪色の情報しかなかった『東の塔の魔女』は、これまで領民たちから『白い髪=老婦人』と安易に想像されていた。しかし、その噂は二年も経てば『真実』のように扱われていたのだ。そこへ現れた本物の魔女アーリア。彼女は生まれながらに白き髪を持った年若い魔導士だったのだ。
ーそれにしても美しい髪だー
空に浮かぶ真白の雲のような、冬に降り積もる白銀の雪のような、春の野に咲く一輪層のような……。私のような料理人がどう表現するのが一番良いのか迷うのだが、兎に角、絹糸のように美しい白き髪をアーリア様はお持ちなのだ。
『お婆さんのようでしょう?』
私は初対面で彼女の髪に見惚れてしまった。だが、アーリア様は私の視線に気づいて、傷ついたように少し目を伏せた。彼女はこれまで自分の白い髪について、周囲からよく思われて来なかったのでは、とその時思い至った。
『とんでもない!私は貴女の美しい髪に見惚れていたのですよ』
そう弁明した私の言葉に、アーリア様は驚いた顔をなさった。そして小さく『ありがとう』と仰った。その時の儚い笑みを今もはっきりと覚えている。
今、アーリア様はその白い髪を頭の後ろで一つに結び、三角巾を巻いて下へ落ちないように留めていた。不必要な程フリルのついた白いエプロンも含め、セットで大変お似合いです。
ーこれはリュゼ殿の仕業だな?ー
リュゼ殿とはアーリア様の専属護衛だ。彼はアーリア様からの絶大なる信頼を得ておられる騎士だが、いかんせんアーリア様『で』遊ぶ癖があるようなのだ。アーリア様の方はどこか世間知らずな面がおありなので、リュゼ殿のなさる事に素直に従ってしまわれるのだ。
ーまぁ、この姿が『男の憧れ』ではあるのは認めようー
最近ではリュゼ殿の真似をして、アーリア様『で』遊ぶ若い騎士が出だしたようで、近頃よくルーデルス団長の口から『最近の若いモンは!』との愚痴を耳にする。
「ミケールさん、これくらいで良いですか?」
アーリア様は私にボールの中を見せて来られた。
「ええ。では、チョコレートを入れましょうか?」
「はい!」
調理台にボールを置いて、そこへ砕いたチョコレートをいれる。
「アーモンドやクルミなどを入れても美味しいですよ?入れますか?」
「良いんですか?」
「ええ。ここにある材料はどれを使っても構いません」
調理台の上にはアーモンドやクルミ、ナッツなどの豆類、小麦粉、米粉などの粉類。葡萄や無花果、木苺などのドライフルーツ、紅茶の茶葉、香辛料などが所狭しと並んでいる。
「こんなに沢山……。ミケール先生が用意してくださったんですか?」
「『お菓子を作りたい』と仰ったでしょう?」
「ええ」
「お菓子ならクッキーも良いかと思ったのですが、どうせならアーリア様のお好きなケーキの方が良いかと思いまして」
「はい」
「初心者にはスポンジケーキやシフォンケーキは難しいですからね。それならばパウンドケーキを、と考えました」
「成る程」
「パウンドケーキにも様々な種類がございます。中に入れる物をその日の気分で変える事ができるのが、良い点ですね」
アーリア様は私の説明に対して至って真面目な表情で頷かれた。うむ、やはり素直なーー良い意味でスレてない女性の様だ。
「それにしてもこんなに沢山……」
「お気になさらず。このアルカードは軍事都市ではありますが、他国からの行商人も行き交う行商の街でもあります。この程度ならば、簡単に揃える事ができますよ?」
「そうなんですか?……そう言えば見たことのない調味料が沢山ある……」
「システィナ産だけでなくエステル、ライザタニア、ドーア、ルナティア……様々な産地の物があります」
「他国の物まで……!」
アーリア様の張られた《結界》は特殊な効果があるようで、ライザタニアからの行商人も未だに行き来があるのだ。どうも、非武装の民間人の行き来はできるようなのだ。そのおかげで、高級品であるライザタニア産の乳製品もシスティナへ届くという訳だ。
「では、木ベラで生地を混ぜ合わせてください。ざっくり、ざっくりといった感じで」
「ざっくり、ざっくりとですね?」
「はい」
アーリア様は調理台の上のボールを左手で押さえると、右手で木ベラを持って中身を混ぜだした。手つきは悪くない。教えた通りにできている。
「混ざったらこの型に生地を流し込みます」
私は長方形の金属の型に紙を引いた調理道具を調理台に置いた。そこへアーリア様がボールを傾けて中の生地を少しずつ流し込んだ。
「焼いたら膨らみますから半分くらいまでで止めてください。そう、そのくらいで」
三つの金属の型に生地を流し込み、私はその内一つを手にとって、机の上でトントンと叩いた。
「ミケールさん、それは?」
「こうして中の空気を抜いておくと、上手に焼きあがるのです。アーリア様もやってみてください」
アーリア様は金属の型を手に取ると、私の真似をして数度、机の上でトントンと空気を抜いた。
「では、これからこの魔宝具でケーキを焼きます」
私は予熱していた釜の蓋を開けた。この釜は普通の釜ではなく、なんと、魔術の込められた魔宝具なのだ。予め何種類かの温度設定が可能であり、温度を選択して魔力を流し込むと、釜の中に入れた食材を一定の温度で焼いてくれるというスグレモノなのだ。料理人ならば一人一台は持ちたい垂涎の代物だ。
「これが魔法釜ですか?」
「そうです。あの魔導士でありながら料理人でもあるエインセが造った魔法釜です!」
「おぉ〜〜!」
「選べる温度は10種類!予熱、保温機能有り!使用魔力も極小。安全機能つき!お子様から奥様、料理人まで使える安全設計!これが魔法釜です‼︎」
「おお〜〜〜〜!」
私のやや熱のこもった説明に、アーリア様もまた、目を輝かせて拍手している。
「はぁ〜〜。これがエインセ先生の魔宝具かぁ……」
アーリア様は魔法釜をしげしげと見て感嘆の声を上げている。
「あぁ、成る程〜〜これは魔力付与した金属で造ってあるのね?何処の鉱山から掘り出した金属だろう?……火の魔術と風の魔術を併せて使っている。状態維持まで掛けてある。はぁ……芸が細かい。なんて緻密な魔術方陣……」
虹色に輝く不思議な瞳を持つアーリア様。その瞳が赤い輝きを帯び始めた。アーリア様はオーブンを覗き込みながら関心と感嘆とを繰り返し、しきりに頷いている。
「さすがエインセ先生!調理道具を作らせたら右に出る者がいない、と言われるだけはある!」
「……?アーリア様もエインセ先生をご存知でしたか?」
「はい!魔宝具職人の風雲児エインセの名は業界内で知らぬ者はいませんよ!」
アーリア様は両の拳を握ってキラキラした瞳を私へ向けた。
「私も魔宝具職人の端くれ!いつかは彼のように魔法の手を持つ職人になりたいと思っているんです!」
「なんと。アーリア様は魔導士であると同時に魔宝具職人でもあったのですね?」
「はい。まだまだ新参者の類を出ない魔宝具職人ではありますが……」
アーリア様は恥じらうように頬を赤らめられた。いつも騎士たちの陰に隠れるように佇んでいるアーリア様の、このような表情を私は初めて見た。キラキラした瞳にはご自身の未来への希望や期待、展望が写されていた。
ーこれが本来のアーリア様なのですね?ー
「なれますよ」
「え……?」
「アーリア様ならきっとなれます。人々の生活に根ざす魔宝具が作れます」
私はアーリア様の瞳を覗き込んだ。七色の色を内包した虹色の瞳は、アーリア様のまだ見ぬ未来のようだ。
「自分の未来は自分で選ぶのです。どこへ向かいたいかを選ぶのは自分のーー自分だけが持つ最大の権利なのですから」
ーーだから、お好きな未来をお選びください。
現在、『東の塔』は彼女の人生を捕らえてしまっている。彼女の行く道を妨げているのだ。そうこの時の私は不謹慎にもそう思ってしまった。
私もこのシスティナーーアルカードに住まう料理人。システィナ国民は『東の塔』の《結界》の恩恵を受けている。だが、『東の塔』の《結界》は、アーリア様ご自身の自由を犠牲にして成り立っているのだ。だからと言って料理人でしかない私が国の政策にとやかく言える権利などない。料理人にできる事は料理を作る事だけなのだから。
「あ、ありがとうございます」
アーリア様は笑みを浮かべられた。その笑みはこのパウンドケーキのように、色々な感情が混ぜ合わさっていた。
「……。では、焼きましょうか?昼の休憩時間に間に合わせたいのでしょう?」
「ハイ!」
アーリア様はそれまでの感情を振り払うように明るい声を上げると、魔法釜の中にケーキの生地を流し込んだ型を並べた。
※※※
お茶をしながら待つ事、約四十分。焼き上がったパウンドケーキは素晴らしい出来上がりを見せた。ふっくらと膨らんだ生地。香ばしいバターの香り。甘いカカオの香り。アーリア様はなんとも言えない幸せな表情を浮かべられている。
「ミケール先生……!」
「完璧ですね!」
アーリア様と私は頷き合った。そしてハイタッチを決める。
「ありがとうございます!」
「いえいえ。この程度であれば、いつでもお手伝いしますよ?」
「本当ですか?」
「ええ。ーーあぁ、このケーキを今日の昼休憩の茶菓子としてお出ししてもよろしいのですね?」
アーリア様は少し口籠ってから言葉を紡がれた。
「はい。あ……あの、これを出しても騎士たちは……」
「大丈夫ですよ。このケーキは素晴らしい出来上がりです」
「そうですか……?」
「ええ。奴らは貴族ですが脳筋集団。基本的には、腹が膨れるなら何でも良いのですから」
アーリア様は料理人でもない者が作ったケーキが彼ら貴族子息の舌に合うのかを心配しているのだろう。だが、そのような心配は無用だ。貴族子息と言えど彼らは騎士集団。暑い、臭い、むさ苦しい、の三重苦の男集団なのだ。朝から晩まで鍛錬づけの男たちはどんな料理にも文句を言う事はない。どれだけ時間と手間をかけて作った料理も、一瞬で胃袋の中だ。この騎士寮の調理場ーーその料理人たちは彼ら騎士団員の料理には、作り甲斐が有るのか無いのか悩んでいるほど。
そんな騎士たちに対して、彼らの主が手ずから料理を作ったのだ。喜ばない筈がないだろう。
「きっと驚かれますよ」
「ふふふ。だと良いなぁ」
はにかむアーリア様の笑みがなんとも愛らしい。ーーと、そこで私はある事に気がついた。
「そもそも、アーリア様は何故、お菓子を作りたいと思われたのですか?」
私の問いにアーリア様はパチパチと瞬きを繰り返すと、その目をキッと釣り上げられた。
「ミケール先生、聞いてください!リュゼに『アーリアには料理の才能が皆無だね』って言われたんです!酷くないですか⁉︎ 私がちょ〜っと林檎の皮が剥けないからって馬鹿にして……!」
「はぁ……?」
「林檎くらい剥けます!ナイフを使わなくったって、エインセ先生の魔宝具《皮剥機》があるんだから!」
ー嗚呼、成る程。やはり原因はリュゼ殿でしたかー
アーリア様は言われた事、習った事はキチンと熟されます。ナイフの使い方も手ずからお教えすれば、すぐに使えるようになる筈です。
そもそも、その話を最初に聞いてさえいれば、お菓子作りをパウンドケーキではなく林檎パイにしたのですが……。
「リュゼをギャフンと言わせてやるんだから!」
拳を掲げて意気込むアーリア様。
「きっとギャフンと言われますよ」
自分の事を想い考えながら作られたお菓子は、格別に美味しいに違いない。
ーさすがリュゼ殿。抜け目がありませんー
このアーリア様の行動すら、リュゼ殿の掌の上だろう。
アーリア様の作ったパウンドケーキを美味しそうに頬張る護衛騎士の姿が目に浮かび、私の胸には呆れと共に小さな溜息が溢れます。
「アーリア様、明日は林檎のパイを作りましょうか?」
私の提案に、アーリア様は満面の笑みを浮かべられたのでした。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、とても嬉しいです!ありがとうございます‼︎
東の塔の騎士団編『裏舞台4:騎士寮の料理番』をお送りしました。
前話に続きパウンドケーキ繋がりで、この話ではアーリアがお菓子作りにチャレンジしています。アーリアには残念ながら料理の才能はありません。愛され末っ子なので食べる専門です。
料理人の名はこれまでも出ていましたが、ご本人は今話が初お目見えとなります。これからも騎士寮で働く職員がちょこちょこ登場する予定です。
次話も是非ご覧ください!




