オカシナ休日2
※東の塔の騎士団編※
※(リュゼ視点)
「アーリア、入るよ?」
僕は軽くてノックすると中からの返答を待たずに扉をそっと押し開いた。すると室内へ入るとすぐにアーリアの姿が目に入ってきた。アーリアは丸卓の上にお菓子を広げてお茶を飲んでいた。どうやら休憩をしていたようだ。足元を見ると例の黒いイヌモドキが寝そべっている。
「あ、リュゼ!お帰り〜〜!」
アーリアは椅子から立ち上がると軽やかは足取りで僕の元へと駆けてきた。
「ただいま……って、えぇッ⁉︎」
アーリアは何故か僕の胸に思いっきり抱きついて来たのだ。僕は反射的にアーリアを受け止めながら目を白黒させた。
「鍛錬どうだった?楽しかった?」
「楽しく……はないかなぁ?ーーってどうしたの⁉︎ アーリア」
アーリアは僕に抱きついたまま話し始めた。そのまま上目遣いで見上げられた僕は心臓をドギマギさせていた。
ーいつものアーリアじゃない……⁉︎ー
僕からアーリアにちょっかいかける事はあっても、アーリアから僕にちょっかいかける事はほぼ無い。だからこの状況、このパターンには流石の僕も驚きを隠せなかった。
「どうもしてないよぉ?」
「えぇっと……魔宝具作ってたんじゃないの?」
「作ってたよ。ほらぁ!」
アーリアは僕の腕をグイグイ引いて作業台の方へと連れていく。僕は動揺から足を縺れさせながら何とか作業台まで歩いた。
「これは《回復》の魔宝具。高位の回復呪文を仕込んだら魔術の重ね掛けが出来なくなっちゃったの。多分、この品質の宝玉ではこれ以上の魔術に耐えられないんだと思うの。その代わり大体の怪我なら治るよ。あーーでも、魔力消費量が多いからそこがネックかなぁ……?魔力の少ない人間なら、使用した途端にごっそり持ってかれて昏倒しちゃうかも」
やけに饒舌なアーリア。僕は顔を顔を痙攣らせながら「へぇ」と曖昧に呟いた。
「これはまだ試作品だけど保温が効く水筒だよ。保冷の水筒はよく見るけど、逆もあっても良いんじゃないかって思って」
その他にもアーリアが試作した魔宝具をアレやコレやと説明しては手渡された。それらを手の上に乗せられながら、流石に耐え切れずに口を挟んだ。
「ま、待って待って!どうしたの?今日のアーリア、何かちょっと変じゃない?」
「ヒドイ、リュゼ。私のどこが変なの?どこも変じゃないよ!」
「そ、そぉ?なら、変な物でも食べた?」
「んと?お菓子なら食べたよ。今朝、セイに貰ったケーキ」
僕のツッコミにプゥッと膨れっ面になるアーリア。アーリアは頬を膨らませながら丸卓の上を指差した。箱から覗くお菓子は形状からパウンドケーキだと思う。その内の何切れかを切り分けたのだろう。皿に上には食べかけのケーキが一切れ、乗せられていた。
「美味しかったよ。ね、レオ?ーーあ、リュゼも食べる」
「う、うん……」
アーリアにレオと呼ばれた大型犬に視線を向けると、何故か大型犬の首にはお洒落なリボンが巻かれていた。大型犬はいつも以上に虚ろな目をしている。しかも、僕からの視線を受けと直ぐにサッと目線を逸らしたのだ。
ー何でリボン?しかもレースの……?ー
「はい。どうぞ?」
僕はアーリアに差し出されたケーキを手掴みで取ると、恐る恐る口に含んだ。
「アレ?美味い、けど……?」
毒は入っていない。セイに限って毒入りケーキなど渡す訳はないと思いたいが、アーリアはその職業柄命を狙われ易いので、顔見知りからの贈り物でもどうしても疑惑は生まれてしまう。けど、このケーキには毒の類のモノは含まれてはいなかった。だから僕はその時、一旦は胸を撫で下ろした。
エステル帝国では日常的に毒を盛られてきたアーリアは、何かを食べる前には《毒消》の魔術をかけているし、万一に備えて《解毒》の魔宝具も身につけている。その習性はシスティナ帰国後も残っていて、ここアルカードでも毎食同じ行程を行なっていた。だから、大概の物は口にしても平気なのだけど……。
このお菓子には特段おかしな点はなく、何の変哲もないパウンドケーキだったんだ。ココアが効いているのか、少しほろ苦さが感じられた。でも、味付け自体は如何にも女の子受けしそうなお菓子で、何より、アーリアの大好物である生クリームとの相性も良さそうだった。
ーーと、そこまで考えて、僕は顔を上げた。
「あのさ、アーリア。コレ、セイに貰ったってーーッ⁉︎」
僕の言葉はアーリアのトンデモ行動によって途切れさせられた。ーー仕方ないと思わない?アーリアが再度、僕の腰に抱きついてきたんだ。しかも、アーリアは僕を縋るような目つきで見上げてくる始末。嗚呼!こんなの、僕にどうしろって言うのさっ!
「リュゼ、どこに行ってたの?」
「え……どこって、鍛錬場……」
「私ね、リュゼがいなくて寂しかったの」
「ーー⁉︎ アーリア?」
「リュゼは私といつまで一緒に居てくれるの?また、何処かに行っちゃうの?私はこれからもリュゼとずっと一緒に居たいよ」
ーぴしりー
僕は瞳を潤ませたアーリアから見つめられて思考を停止させた。言葉が見つからずに口をモゴモゴと開閉させた。背中には冷や汗、額には脂汗をダラダラ流しながら首をゆるゆると振った。
「……。幻聴、だよね?疲れてるのかな?幻聴が聞こえてくる……」
だって、アーリアが僕に対してここまで素直に心の内を暴露したコトなんてない。そもそもアーリアはめちゃくちゃ頑固頭なんだ。特に自分と他人との差異に敏感なんだ。どうも、彼女は自分自身がこの世界に於いて『異質』だと思い込んでいる節があって、その所為なのか、自分に向けられた好意に対しては特に懐疑的なんだ。だって、これまでだって僕はアーリアに対して何度も好意を口にしているし態度にも示してもいるのに、トンと響かなかったんだから。それなのに、今のアーリアはこんなにも『素直』に自分の気持ちを口にしている。こんな事が素面であり得るだろうか。
ー夢でも見てんのかな?僕ー
両手を降参とばかりに上げ、汗をだらだら流す僕をアーリアはキョトンと首を傾げながら見上げてく。すると、何故か今度は顔をパァっと明るくさせた。
「あ、そっか!リュゼは疲れてるのね?じゃあ、こっちで休んで」
アーリアは僕の腕を強引に引いて寝室へと連れて行くと、寝台の上にドサッと押し倒した。体格も体重もまるで違う僕が、か弱い筈のアーリアに簡単に押し倒されてしまったのはどう言う理屈なんだろうか。
しかも、僕が停止してしまった思考を再開させた時にはもう、僕の身体は寝台の上だった。見上げればアーリアの顔が吐息がかかるほど間近にあって、僕は息をヒュッと飲み込んで再び思考を停止させてしまった。
アーリアの頬はほんのりと色づき、瞳はトロンとしていて普段よりずっと色気があった。サラリと肩から流れ落ちる白い髪。紅薔薇のような瑞々しい唇。近づいてくる甘い吐息。芳しい香りに顔がーー身体が熱っていく。
「えッーーさすがにコレはマズ……」
僕の心臓は早鐘のように脈打った。差し詰め震度は7。理性が大地震を受けた大地のようにグラグラと揺れ、僕は耐えきれずに情け無い声を上げた。案の定、僕の声は裏返ってしまっていた。
「リュゼ。ーーハイ、毛布」
アーリアは問答無用で僕の身体の上に毛布をかけてくる。
「ハイ、どうも。って、違ッーー⁉︎」
「ん?リュゼどうしたの?一人で寝るのが寂しいの?」
「そんなコト、ひとっことも言ってないから……!」
これ以上は理性がポッキリ折れてしまいそうで、僕はどうにかなる前に慌てて上半身を起こした。
サッと足を寝台から下ろそうとした僕だけど、無慈悲にもアーリアは「えいっ」と言って僕の胸を押し、寝台の上に留めたんだ。
「ダメだよ?リュゼ、お疲れなんでしょ?」
「平気……」
「きっとまた、私の所為で眠れてないんだ……」
「えーー⁉︎」
アーリアは悲しそうに目を伏せた。
「今日のリュゼはお休みの日なんだから、ゆっくり休んで良いんだよ?」
アーリアは僕に毛布をもう一度掛け直した。そしてあろう事か、アーリア自身も僕の横にゴロンと横になると、僕の頭を引き寄せてその柔らかな胸の中に抱きしめてきた。
「ーーーー⁉︎⁉︎」
僕はアーリアの柔らかな身体に包まれてクラクラと目眩を起こした。優しい香りが鼻から入り込んで、まるで心まで支配されてしまいそうで……
「もう、大丈夫?寂しくない?」
アーリアは僕の頭を優しく抱きしめながら囁き、髪を何度も何度も撫でた。
「リュゼはもう、死んでも良いなんて、思ってないよね?」
「なん、で……?」
「時々、遠い目をしてたから……」
僕の今までとは別の意味でドキリとしてしまった。
まさか、アーリアに自分の中にある弱い部分に気づかれているとは思ってなかったんだ。充実した日々のふとした瞬間に、此処ではない何処かに行きたくなる衝動があることを。死んじゃいたい気持ちになる日があることを。けど、アーリアと共にある事が常になりつつある今日、そんなコトを考える時間はなくなっていた。
「大丈夫だよ。僕は君を置いて死んだりなんてしないから」
僕はもう、アーリアの奇行を諦める事にした。そして『これも役得だ』と納得すると、アーリアの胸に擦り寄りながら柔らかな匂いを堪能した。
「じゃあ、私がリュゼより先に死んでも追って来ちゃダメだよ?」
「アハハ。それはどーかなぁ?君の居ない世界になんて、僕は興味ないからね」
「ダメだよ。リュゼは長生きしなきゃ。ジークも寂しがるよ……?」
リュゼはアーリアから出た『ジーク』の名にムッとした。今でもアーリアの中にいる『ジーク』の存在に嫉妬してしまう時があんだ。
ー獅子君よりも先に、君と出会えれば良かったー
そんなコトを思った事さえあった。
「獅子くんにはルイスさんもリディもいるでしょ?」
「うん。でも、リュゼは死んじゃダメ」
「それは、約束できないなぁ……」
今度は僕からアーリアの腰を引いて抱き寄せた。幼子が母親を恋しがるように、僕はアーリアに寄りすがった。触れた場所からアーリアの暖かな体温がじんわりと移っていく。心まで暖かくなっていく。
「リュゼの人生はリュゼのモノだから、私がリュゼの命を自由にして良い訳ない。なのに……ごめんね、リュゼ」
「ふふふ。良いんだよ。アーリアがそんなコト気にしなくても」
ー僕の人生は君のモノなんだからさー
アーリアへの『想い』で、『熱』で心がドロドロに溶けていくみたいだ。アーリアの身体に包まれてると真綿に包まれたように暖かく居心地が良くて、いつまでも離れたくなくなってくる。
「リュゼ、大好きだよ」
アーリアは僕に何度も『大好き』と呟いた。それは今のアーリアが持てる『好意』の現れだった。精一杯の心だった。
アーリアは僕への感謝と謝罪の気持ちを交互に呟きながら、緩やかに眠りへと落ちていった。
スウスウと寝息を立て始めたアーリアに僕は苦笑する事しかできない。何となく僕の気持ちを弄ばれた気がしたから、腹いせとばかりに今度は僕からアーリアを胸の中に抱き込んだ。そして、これくらいは許されるだろうとその柔らかな髪に、頬に、瞼に、一つずつキスを落とす。それから僕もゆっくりと瞳を閉じた。
「愛してるよ、アーリア」
こうして僕たちの公休日は幕を閉じていった。
※※※
陽が沈む頃に目を覚ましたアーリアは自分が置かれた状況に混乱した。いつ寝てしまったのか、なぜリュゼに抱きしめられているのか、全くもって記憶にないのだ。思い返してみてもケーキを食べた所で記憶が途切れている。
『何故?どうして?どういうコト?』と混乱したアーリアは、リュゼに抱きしめられながら寝台の上に居るという自分の置かれた状況に、ここに来て漸く羞恥心がうずき始めた。暖かなリュゼの胸の温もりと頬を擽る感じる吐息に、ブワリと顔に血が昇り、瞬く間に顔が真っ赤に染まっていく。
そこを実は先に起きていたリュゼに抱き寄せられ、額に唇を落とされたアーリアは情け無い声を上げた。
「おはよ、アーリア。よく眠れた?」
リュゼはアーリアの頬に触れ、長く白い髪を梳きながら極上の笑みを浮かべた。
アーリアは間近に見るリュゼの甘い笑顔にドキリと心臓を跳ねさせた。自分の鼻先がリュゼの顔に触れそうな距離にある事に、ドキドキと胸を高鳴らせていく。
「お、おはよ、リュゼ。あ、あの、こ、これって……?」
アーリアは緊張と羞恥と混乱の中で、声を上ずらせた。そんなアーリアとは対照的に、リュゼの方はすっかり余裕のある態度で顔を赤く染めたアーリアを更に揶揄うように口角を上げた。
「アーリアって大胆だよね?」
リュゼの胸の中でーーしかも耳元で甘く囁かれ、アーリアは背筋を震わせた。
「ーー⁉︎ わ、わた、わたし……」
「アーリアが僕を寝台に押し倒したんだよ?」
「ひぇっーー⁉︎」
「あんなに沢山語り合ったのに、子猫ちゃんはすっかり忘れちゃったの?」
「ーーーー⁉︎」
ボンっと乾燥玉蜀黍でも弾けるような音を立てて、アーリアの脳が弾け、停止した。完璧にキャパオーバーだった。
リュゼは停止したアーリアを一頻り楽しんだ後、漸くネタバラシを始めた。
「多分だけど、原因はあのパウンドケーキだよ」
「え⁉︎ 普通に美味しかったよ?」
「うん。美味しかったね」
「チョコレート味の……」
「うん。実は僕、甘いモノそんなに得意じゃないんだけど、あのパウンドケーキは美味しく感じたんだよねぇ」
「……?」
意味深な言い回しをするリュゼにアーリアは小首を傾げた。
「あの時は気づかなかったんだけどさ。あのパウンドケーキ、ひょっとしてブランデーが入ってるんじゃない?」
「あッ……!」
得心がいったとばかりに、アーリアは仕切りに頷いた。
記憶が急に途切れていつの間にか眠っていたアーリア。それは、酒を飲んだ時の症状に似ていたのだ。ただ今回はいつもとは異なる点が少しあるだけで……。
「今度からはさ、お菓子食べる前にも僕が味見するからね?」
「う、うん」
「仕方ないデショ?お酒には《解毒》魔術が効かないんだから」
酒成分は毒だと認識されない。そして、毒だと認識されないモノは《解毒》魔術の対象にならない。勿論、《毒消》の魔術をかけても酒成分は無くなったりしないのだ。
これを利用して、酒の弱い者に強い酒を飲ませて殺害すると云った殺害計画を立てたり、殺害まで行かなくとも、ある種の犯罪を犯したりする者がいる程なのだ。
「アーリア。もしかして、お酒に耐性がついてきたんじゃない?」
「そう、なのかな?」
「ま、でも、それが良い事なのかどうかは微妙だけどね……」
「……?」
覚えてない本人には酷な話だ。酔った挙句にからみ酒。終いには笑い上戸に泣き上戸になってしまう可能性すら出てきた。
更に困った事に、今回は酔った挙句にリュゼを寝台に連れ込んでいる。
ーこれで僕が本能のままイッちゃってたら、どうしたのさッ⁉︎ー
アーリアが寝台に連れ込んだのが自分で良かったと思う反面、手を出さなかった自分のヘタレ具合に溜息が出る思いだった。
「はぁ……僕ってばヘタレかも。獅子くんのコト、もう悪くは言えないよねぇ……」
「え……?」
「どういう意味?」と首を傾げるアーリアに、リュゼはコツンと額を突いた。そしてニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。
「アーリアのエッチ」
「〜〜〜〜⁉︎」
「イタ、イタイよ、アーリア。あ〜も〜暴れないで!落ちちゃう。落ちちゃうから……ッ!」
意味不明な言葉を喚き散らしながら寝台の上で暴れ出したアーリアに対して、リュゼは大変イイ笑顔だ。叩かれようが蹴られようが、リュゼはその全てを笑顔で受け入れた。
結局、最後は拗ねて泣いて暴れたアーリアが子どものように泣き疲れて眠ってしまうまで、その騒動は続くのだった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価等、ありがとうございます!励みになります!
東の塔の騎士団編『オカシナ休日2』をお送りしました。
可笑し✖️お菓子=オカシな休日でした。
リュゼは相当、忍耐強いと思います。それもこれも、アーリアとの関係を大切にしているからではないでしょうか?
次話も是非ご覧ください!




