※裏舞台3※ 添い寝
※東の塔の騎士団編※
※(リュゼ視点)
「アーリア、入るよ?」
形式的に軽くノックをすると、返事を待たずに入室した。ここは、アーリアに与えられた部屋は騎士団の所有する客間の一つ。執務室と寝室とに分かれていて、尚且つレストルームと簡易キッチンも設けられているので下手な集合住宅よりも広い。さすが貴族子息から構成された騎士団の寮、その客室だと感心してしまう。貴族や王族がこの東の要所アルカードを訪れる事もあるから、このような客室が用意されている事は当たり前の事なんだろうね。
扉を開けると正面には陽の差し込む大きな硝子窓。その窓の手前にはこれまた大きな作業台がある。魔宝具製作の為の作業机だ。執務机は隅に追いやられていて、そちらの方には革張りの本が山のように積み上げられていた。
「あーあ。まーた、こんなに借りて……」
アーリアがアルカード領主館に併設された図書館から、頻繁に本を大量に借りてくるのだ。
システィナに於ける本の流通は他国よりも優れていると言われる。勿論、魔導士の存在が大きく関わっている。彼らは自分たちの欲求の為だけに魔術を応用し、本を大量に複写できる技術を開発したんだ。それこそが魔宝具による大量印刷技術だった。まだ量産化には至っていないみたいだけど、最近ではその技術によって印刷された貴重な本が、国内に流通するようになったらしい。しかも、国から魔導士認定を受けた者ならば、ほぼ無償で貸し出してもらえるそうだ。
でも、そんな美味しい特典はタダじゃ受けられない。世の中持ちつ持たれつーーギブアンドテイクだからだ。現に、『本の無償貸し出し』という特典は、このシスティナに於いて『国家認定』を義務付ける制度ーーその役割の一端を担っているのだ。
システィナは魔導士という存在を国家が管理し独占する為に『等級制度』を『国の制度』としても採用したんだ。国家公認の魔導士となれば、国からの優遇がハンパない。身分保証、援助金、補助金、研究所無償貸与ナドナド。等級7以上の魔導士にはなんと爵位まで与えられるのだ。魔導士を囲い込む為とはいえ、エゲツない策だと思う。
それに加え、国家魔導士と呼ばれる魔導士は名誉職とされているとも聞いた。システィナ四大魔導士と呼ばれる魔導士は王都にでっかい屋敷を構えていて、王宮のお抱え魔導士として日夜、大好物な魔導研究に勤しんでいるらしい。僕から言わせれば完璧な引きこもり連中だ。国から給料貰って堂々と引きこもり生活を謳歌しているのだから、才能があるっていうのは羨ましい限りだ。
でも、近頃はその考えもちょこっと変わってきていた。身近に引きこもり予備軍アーリアがいるからだ。
アーリアはああ見えて等級9の大がつく魔導士。見た目はただの小娘なもんだから初対面の相手からよく舐められている。そんな彼女は、『東の塔』なんて所の管理をうっかり引き受けてしまったが為に、自分の自由な生活を侵されてしまっていた。
護衛騎士と名のつく王宮からの監視。
王宮政策への強制参加。
ーそして命の危険ー
アーリアが本当にしたい仕事は新たな魔宝具を創り出すこと、魔宝具職人として認められることだ。
アーリアは『自分は結局、師匠の真似事をしているんじゃないか?』なんて落ち込んでいる時もあるけどさ。魔宝具を造るのは確かにアーリアの趣味であり仕事であり『やりたい事』ーー『意思』なんだ。才能も十二分にあると僕は思う。でもその意思は、今みたいに身柄を国に管理されている現状で潰されようとしているように見えて仕方ない。
身分を保証され、補助金を貰い、場所を与えられ、仕事を優遇される……。確かに一般国民ーー魔導士としては幸せな事かもしれない。でも、僕にはそれがアーリアの幸せにはならないんじゃないかって思っているんだ。
そんなコトをごちゃごちゃ考えながら開け放たれた扉を潜ると、窓際の大きな寝台の上に白い髪が見えた。
「あ……リュゼ……?」
アーリアは寝台の上に上半身を起こして座っていて、肩から大判のストールを掛けていた。
「どう?具合は」
僕は持ってきた大きな紙袋を寝台の隣に備え付けられてている丸卓に置く。そして中から林檎や蜜柑、クッキーやパン、牛乳などを取り出しながら丸卓の上に並べていった。
「朝よりはマシ」
「そ?」
ふと、アーリアとの仲を邪魔をしてくる存在が部屋の中にいない事に気付いた僕は、辺りを見回しながらアーリアに問いかけた。
「あのイヌは?」
「レオはセイのところ。何だか、気が合うみたい」
「ふーん?」
レオとは暫く前に飼い始めたイヌモドキだ。大型犬レオと若手騎士セイ。彼らは種族を超越して似通った雰囲気を醸し出していた。もし、セイが犬だったら人懐っこい犬になっただろうと思うことすらある。きっとウザイ。
僕は視線を寝台の周囲からアーリアへと戻した。横目で見るアーリアの顔色はあまり良くない。元々から色白な肌だけど、陽の光を浴びてより透明度が増しているように見えるんだ。
「まだ顔色、良くないよ?」
「そう?」
「うん」
アーリアの白い頬がほんのりと桃色に色づいている。
僕はアーリアの側へと近寄ると、徐に寝台に上に腰掛けた。そして手を伸ばしてアーリアの額にそっと触れた。
ー熱いー
「あぁ。こりゃ、まだ熱あるね」
アーリアのトロンとした潤んだ瞳。少しぼんやりした虚ろな目線。上気した体温。
「しっかり休まなきゃダメだよ?」
「休ませて貰ってるよ?」
「ふーん……なら、この本は何なの?」
「アッーー!」
僕はアーリアの腰に敷いてあるクッションの中に手を突っ込んだ。そして一冊の本を探り出すと、その本をアーリアの目の前に掲げた。よく見ればこの本の他にも、枕や上掛けの下には本やら魔宝具やらが見え隠れしているじゃなか。
「これは何なのさ?」
「返して」
「だーめ。眠れないからって読んでたんでしょ?」
「……。良いところなの」
「だからダメだって」
手を伸ばして僕の手から本を奪おうとするアーリア。僕はヒョイっと手をあげる事でそれを阻止した。
僕が訪ねてきた時に焦ってクッションの下に隠したんだろう。一応、栞は挟んであるみたいだけど、本の端がヨレて折り曲がっている。
「返して、リュゼ」
「そんな目で見てもダーメ。僕はナイル先輩みたいに甘くないからね?」
僕は本をそのまま取り上げると、丸卓の上に置いた。
「……リュゼのいじわる」
「なんとでも言って。君の健康管理も僕の仕事」
そう。アーリアを物理的な攻撃から守るだけが専属護衛の仕事じゃない。精神的な攻撃から守る事もまた僕の仕事なんだ。このズボラな引きこもり魔導士の健康管理も。
「アーリア、何か食べる?適当に持ってきたけど?ーーあ、ミケールさんが『何かお作りしましょうか?』って言ってたけど、どうする?」
ミケールさんとは、この騎士寮に於けるお抱えシェフだ。まだ若いけどその腕前は一流。元は騎士だったらしいけど、何やかんやあってシェフに転身したらしい。いつもアーリアの事を気にかけていてくれている好青年。アーリアが体調不良で寝込んでいると知って、とても心配していた。
「ミケールさんが?」
「うん。スープとかリゾットとかそういうの。食べれるなら作ってくれるって」
アーリアは悩みだした。アーリアもミケールさんの作る料理が好きなんだ。ミケールさんも騎士寮に住むムサイ男どもに作るよりも、騎士寮の紅一点魔女に作る方が楽しいらしい。そりゃそうだ。若くて可愛い女の子に『いつも美味しい食事をありがとう』、『また作ってね』等と言われたら、誰だってテンションが上がるってもんだ。
「じゃ、取り敢えずさ。林檎でも食べながら考えてよ」
僕は腰から一本の短刀を取り出すと、林檎の赤い皮をスルスルと剥き始めた。赤い皮は一本つなぎの紐のように剥けていく。
「わぁすごい!リュゼは林檎の皮むきまで上手なんだね?」
「これぐらい普通でしょ?」
「そうかな……⁇ すごいと思うけど」
言いながら思い出したが、アーリアは料理が不得意だった。一度、野菜の皮を剥いている所を見た事があるけど、とてもじゃないが見ていられなかった。
ー指が飛んじゃいそうだったしー
思い出すだけで僕の背中にゾクリと寒気が奔った。
「お兄さんは料理上手なのにねぇ……」
「す、すみませんね!料理下手で!」
アーリアは顔を真っ赤にさせて怒り出した。
「はーいはいはい。そんなにカッカすると、また熱が上がっちゃうよ?」
僕はアーリアの茹でタコみたいな顔に笑いが込み上げてきたが、これ以上揶揄うとアーリアの熱が本当に上がってしまいそうだから笑うのをやめた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
僕は再びアーリアの寝台に腰掛けると、皿に乗せた林檎を差し出した。なるべく一口大に切ったから食べやすいとは思う。
アーリアは林檎を一つ摘むとシャリっと音を立てて食べた。
「美味しい」
「それなら良かった」
アーリアの食欲はまだ回復していない。『特別訓練』の最中に体調を崩して早三日。その間、殆ど物が喉を通らなかったんだ。
ー不慮の事故とはいえさぁ……ー
アーリアは騎士団の『特別訓練』、その最中に盗賊に捕まった。その際に嗅がされた薬品が身体に合わずに体調を壊した。元々、訓練日当日もあまり体調が良くなかったみたいで、それも体調を崩す要因の一つだったと思う。
あの訓練にはアーリアの存在に反感を持つ若手騎士たちが参加していた。アーリアは自らが囮となって、彼らの不満を正面から受け取ったんだ。いくら彼女が『気にしない』と言っていても身体は正直だ。受けたストレスは少なくはないと思う。
僕は元々、あの訓練には反対だった。
なんであんなボンクラ騎士の為に、アーリアが出張らないといけないのか。騎士団内の綱紀は騎士団員の手で処理すりゃ良いだろう。
でも、アーリアは参加した。そして、自分に対して不満を持つ若手騎士たちを魔術で圧倒した。
「アーリアは強いよね?」
「……?強くないよ」
続く「ほら、体調も崩してるし」と言葉。僕は念を押すようにもう一度同じ言葉を繰り返した。
「アーリアは強いよ。だってさ、嫌なことからも逃げないでしょ?」
若手騎士からの理不尽な口撃。
王宮からの理不尽な要求。
其々に付随する理不尽な状況。
アーリアはそのどれからも逃げていない。僕だったらとっくに嫌になって逃げてる。
「……そんな事ないよ。私は色んな事から逃げてる。色んな事に目をつぶってる」
アーリアの林檎を食べる手が止まる。
「私は逃げて、逃げて、逃げて……逃げてココにいるの」
ボンヤリと皿の上の林檎を見つめるアーリアの瞳。シャボン玉のように輝く美しい瞳には力がない。
「私はあの魔導士から……」
「アーリア⁉︎」
僕はアーリアの瞳から一筋の涙が溢れ落ちた事に、戸惑った。
「ご、ごめん。大丈夫だから」
アーリアは慌ててその涙を服の裾で拭った。そして、何もなかったかのように微笑を浮かべた。それは、アーリアが自分の心を悟らせない為に浮かべた微笑だった。
「……アーリア。僕にまで、その笑顔を使うの?」
僕は身を乗り出してアーリアの小さな顔を両手で挟むと、彼女の瞳を正面から覗き込んだ。
「僕にはアーリアの本当の姿を見せてよ。腹が立ったら怒ったら良いし、悲しかったら泣いたら良いんだ。それに、嫌な事があったらすぐに教えてよ」
「でも……」
「どんなアーリアを知ったとしても、僕はアーリアのコトを嫌いになったりなんて、しないよ?」
ーこれは僕の心からの言葉ー
合わせたアーリアの瞳がユラユラと揺れた。
「僕はもっとアーリアの事が知りたい」
アーリアは僅かに目を見開いて驚くと、その虹色の瞳を潤ませた。アーリアの中で塞き止められていた蓋が不意に外れたのだろう。アーリアの瞳からは大粒の涙が溢れ出した。
「りゅ……ごめ、ごめん……」
アーリアは何度も謝りながら両手で溢れる涙を拭い、拭いきれずに顔を両手で覆った。
僕はアーリアの頭に手を置くとそのまま僕の胸へ引き寄せた。ポスッとアーリアの小さな頭が僕の胸に収まる。
「……幾らでも泣いていいからさ」
「うん……」
「でも、僕の居ない処では泣かないで」
部屋に入って一目見たときから、アーリアが泣いていた事は分かっていた。目が赤く腫れていたからだ。
ーアーリアはいつも一人で泣くんだー
「りゅ……知って……」
「当たり前でしょ?僕は君だけの専属護衛だよ。君の事なら何だってお見通しだからね」
アーリアは隠し事が苦手だ。彼女は隠しているつもりでも、僕には分かってしまうんだから。
「君が本当は甘い人参が嫌いな事も知ってるよ」
「ーー⁉︎」
「臓物料理も嫌いでしょ?」
「な、なんで……⁈」
「ふふふ。何だってお見通しだって言ったでしょ?ーーだからもう、白状しなよ」
思わずといった体で顔を上げたアーリアの手を掴み、やや強引に下ろさせると、僕は彼女の頬を両手で挟んで上向かせた。そして、未だ瞳から溢れて出す涙を舌でペロリと舐めとった。
「嗚呼、涙まで甘いんだね?」
「ーー!りゅ、りゅぜ……⁉︎」
慌てるアーリアの声を無視して、甘い雫を舐め取っていく。そして、ついでとばかりに瞳に、瞼に、頬に口づけを落としていった。
「ひゃ……⁉︎ リュゼっ……くすぐったい……」
「ん。黙って」
「〜〜〜〜⁉︎」
僕の行為に驚いた事で引っ込んでいくアーリアの涙。その涙を最期の一雫まで、僕は綺麗に舐めとる。そして最後にはアーリアの額にキスを落とすと、もう一度正面からアーリアの顔を覗き込んだ。
「ふふふ。アーリア、その表情は反則」
「え……?」
「分かってないだろうから、もういいよ」
安定の鈍さに僕はくすりと笑う。
そして再度、僕はアーリアの腰を拐うと胸の中に抱きしめた。頭を撫で、肩を撫で、背中を撫でた。
「さぁ、僕に話してみてよ。最近良く眠れてなかったでしょ?怖い夢でも見たの?」
暫くして、アーリアの肩から力が抜けたのを見計らってから、僕はアーリアに問いかけた。
「……最近、よくあの魔導士の事を夢で見るの……」
「あの魔導士って、あの変態?」
「……うん。それに……あの赤い髪の女性も……」
アーリアの言う『赤い髪の女性』とは、魔導士バルドの『最愛の女性』だ。バルドの研究室に並べられた水槽。その一つにその女性はいた。長い期間、バルドの下で犯罪者の一員として働いてきたリュゼも、その女性を直に見た事があった。
ー確か、アーリアのオリジナルだって……ー
アーリアはその女性を甦らせる為だけに生み出された存在だという。
「あの女性が泣いているの……『生きたい』って……」
「……」
アーリアは僕の胸の中でまた嗚咽を漏らし始めた。
「あの女性が私を呼んでいる……?私は、あの女性の、糧にな……」
アーリアの呼吸は乱れ、荒くなり、終いには過呼吸を起こしたかのように胸を押さえて苦しみ出した。
「アーリア、息をゆっくり吸って……大丈夫だから。そう、ゆっくり吐いて、吸って……」
僕は胸を押さえるアーリアの背を優しく撫でながら大丈夫だと何度も声をかけた。
「アーリア。あの女性はもう何年も前に死んでる。だから、もう、甦る事はないよ」
「で、でも……」
「アーリアはあの女性の為に生まれたのかも知れない。けど、今は自分の為に生きているんだよ」
アーリアの奥底から消えない女の亡霊。創造主バルド。彼らは何時迄、アーリアの心を蝕めば気がすむのだろうか。
ーあの魔導士、執念だけで生きてたからなぁ……ー
苦節15年。惚れた女の為に人生を捧げる鬼畜変態魔導士バルド。
「大丈夫!あの魔導士がアーリアの事を欲しいって言ってきても、僕がきっちり追い返してあげるから」
「ほんと……?」
「あったり前じゃない。『アーリアはもうお前のモンじゃねーぞ!』って言って追い返してあげるから」
「うん……ありがと、リュゼ」
アーリアの呼吸は少しずつ穏やかになっていく。身体の強張りが和らぎ、肩の力が抜けていく。とくん、とくんと安らかな心臓の鼓動が聞こえてくる。
「君は僕の唯一なんだから。誰にもあげない」
ー愛しいアーリア。僕が君を守るからー
「だから今日はゆっくり眠って。僕が側についていてあげる」
悪い夢も追い出してあげる。君が魘されたら起こしてあげる。そして優しく抱きしめてあげる。
何も心配する事はないよ。君の不安を僕が拭い取ってあげるから。
ー甘い涙のようにー
暫くすると、コテンとアーリアの頭が僕の胸にもたれかかってきた。泣き疲れたアーリアは僕の胸の中で眠りに落ちていた。
僕はアーリアの額にキスを落とすと、寝台の上にそっと横たえて上掛けを掛ける。そして僕もアーリアのすぐ側に横たわると、彼女を優しく抱きしめながら目を閉じた。滑らかな髪の感触、芳しい香り、柔らかな肌の温もりを感じながら、僕はアーリアの中に堕ちていった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、とても励みになります!ありがとうございます!
東の塔の騎士団編『裏舞台3:添い寝』をお送りしました。
病人の弱った心につけ込むリュゼ。確実にアーリアの精神状態の揺れを感じ取った上での行動です。本人曰く『役得』。使える策は迷わず使う。大変抜け目ない紳士に成長中です。
そんなリュゼを、これからも生温かく見守って頂ければ幸いです。
次話も是非ご覧ください!




