隠れんぼ3
※東の塔の騎士団編※
ートンッー
背中に軽い衝撃を受けてナイルが肩越しに首を向ければ、そこにはアーリアの頭が見えるではないか。
「ーーな、何を⁉︎ アーリア様、そのように引っ付かれては動けません!」
ナイルの背中に張り付いて顔を埋めているアーリアはナイルの叱責を受けても尚、首をブンブン振って一向に離れる気配はない。
ーキィシャァァァァアアア!ー
再び大蜥蜴がけたたましい咆哮を上げた。すると木々の間から更に二頭の大蜥蜴が現れたではないか。
大蜥蜴は竜と同じく群れをなすと聞く。三頭の大蜥蜴はアーリアとナイルをーー人間を狙ってアーモンドのような目をギラリと光らせた。そして尾をゆらりゆらりと揺らしながら人間たちの様子を伺い始めた。
大蜥蜴は単体であれば大した脅威はない。だが三頭ともなると厳しい状況になる。更には足手纏いが居るのであれば考えるもがなだ。しかし……
ー騎士とは本来、守るべき主の戦闘力をアテにしないものだー
ナイルはこんな緊迫した状況にあるにも関わらず柔らかな笑みを浮かべた。そして己の背中に張り付いて身体を震わせるアーリアの背にそっと手を添えた。
どうやら大蜥蜴の方はここに居る人間たちが脅威ではない、と結論を出したようだ。ジリジリと距離を詰めながらその上半身を大きく仰け反らした。
「失礼します」
ナイルは震えながら引っ付いているアーリアを無理矢理引き剥がすと、今度は自分から片腕で抱き込んだ。そして有無を言わさずアーリアを抱き上げると、大蜥蜴からの一撃を避ける為に後方へ大きく跳んで距離を取った。
大蜥蜴の一撃は地面を抉り、土を跳ねさせた。その間にも、残り二頭がアーリアを片腕に抱いたナイルへと襲いかかろうとその手を振り上げる。ーーとその時、ナイルの目の前をキラリと光が疾った。
ーザシュッー
ーギィァァアア!ー
耳を劈く悲鳴。視線を向けると、自分たちに襲い掛かろうとしていた大蜥蜴の横腹に一本の大槍が突き刺さっていた。大蜥蜴はダンスを踊るようなステップを踏みながら後退していく。断続的に上がる悲鳴。口から吹き出す青い血は地面に水玉模様を作っていった。
「先輩、下がって!」
その聞き慣れた声を耳にするや否や、ナイルはアーリアを抱えて背後に大きく跳んだ。すると、ナイルと場所を入れ替わるようにして一人の騎士が茂みから飛び出してきた。
騎士は手に構えた長剣で一閃し、一頭の大蜥蜴の首をストンと落とす。腹に突き刺さったままの大槍を引き抜き、振り向きざまにもう一頭へと大槍を一突きした。戦闘に於いてフル装備の騎士は、装備の重さなど気にさせぬ軽やかな動きを見せる。
「蜥蜴野郎が騎士サマに向かってくるなんて百年早ぇよ!」
悪態を吐く騎士は頭からヘルムを毟り取った。ヘルムの下から赤茶髪が流れ出た。
「ーーセイ!」
「先輩!あの奥にまだ何頭かいます。援護を!」
ナイルは後輩騎士セイの言葉に即座に視線を飛ばした。こちらの様子を伺っていたのだろうか。木々の隙間から何頭かの大蜥蜴の姿が見え隠れしているではないか。
「アーリア様。ここで暫しお待ちを!」
ナイルはアーリアを大蜥蜴から離れた木の下へ降ろした。するとアーリアはナイルへと縋るように手を伸ばしかけ、何かを思い直したかのように引っ込めた。ナイルはそんなアーリアの手に手を伸ばすと自分から握り締め、不安そうな表情で見上げてくるアーリアの頭をそっと撫でた。
ー確か、虫がお嫌いだと聞いたな。アノ類いがそうなのか……ー
年齢以上に冷静な判断力を持ち、常に気丈に振る舞うアーリアの意外な弱点に、ナイルは呆れはしなかった。寧ろ、そのような可愛らしい弱点がある事に安堵すら感じていた。
ナイルは後髪を引かれる思いでアーリアの目線を吹っ切ると、襲いくる大蜥蜴へと意識を切り替えた。
セイから大槍を受け取ると、ナイルは大槍を振るった。ナイルは剣よりも槍を得意とする騎士なのだ。ナイルの大槍は風を唸らせ、大蜥蜴に襲いかかった。
セイにナイルも加わり、戦闘は人間側が優位に立った。一頭、二頭、三頭……とナイルとセイの二人の騎士は大蜥蜴を片付けていく。五頭目の大蜥蜴の命を絶った所で、ナイルが大槍片手に視線を巡らせた時、背後から「キャア!」と小さな悲鳴が上がった。
「っ……アーリア様⁉︎」
慌てて振り向いた先には、手足に巻きついた太紐によって宙づりにされたアーリアの姿があった。
※※※
「ーー⁉︎」
大蜥蜴の出現に腰が抜けて地面に座り込んでいたアーリア。
アーリアはナイルとセイの活躍を見ながら『これではいけない!』とようやっと奮起し、何とか立ち上がろうと木の幹に右手をついた。その時、何か紐のような物がしゅるっと右手首に絡まったのだ。そして次の瞬間……
「キャア!」
右手首に絡まった太紐が思いっきり引かれた。その拍子にアーリアは地面へと引きずり倒されていた。ドテッと受け身も取れずに地面に倒れ、拍子に右腕の肘と右頬とを地面にぶつけ、痛みに顔を顰める。
「痛ぁ⁉︎ な、なにがーーって、ひぃえぇ〜〜⁉︎」
ジンジンと痛む右頬。痛む右肘からは血が滲む。痛みに顔を顰めながらアーリアは地面に手をついた。体勢を整えるべくどうにか起き上がろうとしたその時、今度は左足首にも太紐が巻かれてしまったのだ。驚く間もなく巻きついた太紐はそのまま引かれ続け、何とアーリアは地上から空へと引き上げられて行ってしまった。みるみる間に高度が上がり、地面からかなり高い位置で身体を宙吊りにされてしまったアーリアは、ただただ悲鳴を上げる事しか出来なかった。
ミノムシか何かのように木の上から宙吊りにされたアーリアは、混乱して手足をバタつかせた。しかし案の定、もがけばもがくほど手足に巻きついた太紐は締まり、それと同時に鋭い痛みが伴うのだった。
「ぃーー!」
「アーリア様!」
「な、な、な、ナイル先輩!」
アーリアの声を聞きつけたナイルは、大槍についた大蜥蜴の青い血を振り落としながら、慌てた様子でアーリアの元へと駆け寄ってきた。
「動かないでください!」
「わ、わ、分かっ……!なに、これぇ〜〜⁉︎」
アーリアは自分に起こった出来事に対して完全に混乱していた。突然現れた大蜥蜴。突然発動した罠。その2つがアーリアの正常な判断能力をこれでもかと乱してしまったのだ。
「これ、罠なの⁉︎ あのボンクラ騎士たちが仕掛けたモノ⁉︎」
混乱絶頂のアーリアは普段言わない本音をぽろっと零してしまっている。ナイルはアーリアの本音を聞いて苦笑するに留めると、アーリアをこれ以上混乱させないように声をかけた。
「動いてはダメです!」
「は、は、はいぃ〜〜」
「取り敢えず落ちついて!」
「はい……あ、ズボン履いてて良かったぁ!」
「……。」
『落ち着けとは言ったが心配するトコロはソコか⁉︎』と、ナイルは一瞬冷静にツッコミを入れそうになってしまった。真面目なナイルが思わず半眼になってしまったのは致し方ない。
だが、アーリアにとっては切実な問題だったのだ。『何が悲しくて、こんなトコロで異性に下着を晒したいものか⁉︎』と考えるのは、女性として当たり前の気持ちだろう。
半泣きになっているアーリアの表情を見て、ナイルも漸くその乙女心を察知した。アーリアの発言に張っていた気が抜けそうになったナイルはフゥッと息を整えると、宙吊りにされたアーリアに向かってできるだけ優しい声音で呼びかけた。
「大丈夫ですから、無闇に動かないでください。すぐに下ろしますから」
ナイルの言葉にアーリアはコクコクと何度も頷いた。
太紐はナイルが剣を片手に高く跳べば届く距離にある。だが、跳んだ勢いで太紐を切れば、アーリアの身体に負担がかかってしまうのは必至だった。アーリアの手足に巻きつく片方の太紐だけを切れば、必然的にもう片方の太紐だけで身体を支える事になるのだから。か弱い少女が左足首だけ己の全体重を支える事は容易な事ではない。アーリアの細い手足には耐えがたい負荷がかかる事は、ナイルにも容易に予想できた。
ナイルは大槍を地面に突き刺すと腰の剣を抜き、剣を片手に構えたままアーリアの手足を縛る太紐の行方を目線で探し始めた。そして左手側の太紐に目線を定めると、太紐の先を追って歩いて行った。
アーリアはナイルの身体が木々の間に消えて行くのを見届けてから、今度はセイに視線を移した。セイは新たに現れた二頭の大蜥蜴相手に奮闘している場面だった。
「そ、そうだ。ま、魔術を……!」
アーリアはここに来て漸く、魔術を使う事に考えが及んだ。
「とりあえず大蜥蜴を仕留めなきゃ……《銀の鎖》!」
アーリアはセイに襲い掛からんとする大蜥蜴を魔術の鎖で縛り付けた。そこをセイが剣を一閃する。
「あと、太紐を切って貰ったら《浮遊》魔術を使って……」
そう考えた時……
「ーーアーリア様!これか手の方の太紐を切ります!」
「分かりました!」
どうやら右手首を縛る太紐の先は、茂みの奥の木の幹にでも括られていたのだろう。木々の向こうから聞こえてきたナイルの声に、アーリアは大きな声で返事をした。すると次の瞬間、プツリと太紐が切れる感触が右手首に伝わってきた。右手首と右腕から負荷が消えた事にほっと胸を撫で下ろすが束の間、何故か左足首からもふっと負荷が消えたのだ。
「えっ……⁉︎」
不意に自由を取り戻した身体は、重力を受けて自由落下を開始する。地面に引き寄せられる身体に、アーリアは驚愕を露わにした。
「ぃーーーー」
アーリアは慌てて《浮遊》魔術を唱えようとした。しかし、魔術を使うよりも早くアーリアの身体は誰かの腕によって受け止められていたのだ。それはナイルでもセイでも他のどの騎士でもなく、全く知らない男の腕だった。
「えぇッーー⁉︎ あ、あなた、誰⁉︎」
「ウルセェな」
「離して!」
「商品は黙ってろ」
アーリアを米俵か麻袋かのように肩に担いだ男は、黒いマスクの奥から冷たい声を発した。そして暴れるアーリアの口元に問答無用で布巾を押し付けた。
口元から鼻へ、そして体内へと甘い果実のような香りが入り込んでくる。アーリアは更に抗議の声を上げようとした瞬間、脳がくらりと揺れて目の前が真っ暗になっていった。
※※※
「そのお方を離してもらおうか?」
ナイルはアーリアを肩に担いだ黒ずくめの男に向けて、殺意も露わに長剣の切っ先を突き付けた。
ーやはりワナだったか?だが、この男は一体誰だ……?ー
アーリアは知らない男に担がれているにも関わらず微動だにしない。その事にナイルは疑問を持ったが、アーリアの脱力した手足を見てその理由を即座に理解した。
ー意識がない、のか……?ー
魔術か薬か、それとも殴って気絶させたか……。この男は何者か分からないが、明らかに表稼業ではないのがその出で立ちから判断できた。案に、アーリアをーー『塔の魔女』を『塔の騎士団』所属の騎士の元から連れ去ろうとしている。それだけでナイルがこの男を斬る理由は十分だった。
「どこに連れ去ろうとしている?さっさとその汚い手を退けろ。お前などが触って良いお方ではない」
ナイルの瞳がじわりじわりと怒りの色に染まっていく。だが、その男はナイルから向けられた殺意を一切無視し、方向転換したのだ。
「ーーおっと、俺もいるよ?」
ナイルの後ろからセイが姿を現した。セイは全身に大蜥蜴の血を浴び、身体の至る場所に青黒い液体を滴らせていた。
「おいおいおい!何をしれっと俺たちの姫サンを攫おうとしているさ?……騎士たちから簡単に逃れられるとでも、思っているのか?」
セイはそう茶化した物言いをしながらも油断なく長剣を構えた。すると男はセイの挑発をハッと鼻で笑ったのだ。
「……。思っているさ」
「ハァ⁉︎」
「こうすれば逃げられるってなッ!」
男はどこからか笛のような道具を取り出すと素早く口に咥え、スウッと息を送り込んだ。するとその笛から甲高い音が辺り一面に木霊した。
ーピュィィィイイイ……!ー
「お前、何を……⁉︎」
ナイルの言葉は森の奥から聞こえてくる地響きによって遮られた。
ーザザザザザザザザザザザザー
草木が騒めきを起こし空気がピリピリと張り詰めていく。次の瞬間、鳥たちが木から一斉に飛び立った。
「何だ⁉︎」
ナイルとセイの二人は肌が泡立つのを感じた。ゾワリと全身に鳥肌が立っていく。
ーパキッパキパキ、パキッ……ー
木々をなぎ倒し草木を踏み散らして、ソレは大群を為して現れた。
「ナイル先輩!」
「あ、あぁ……」
ー大蜥蜴の大群ー
現れた大蜥蜴の大群は、黒ずくめの男とナイルたちとを隔てるように割り込んだ。まるで男を守るように立ちはだかると、大蜥蜴はその凶暴な牙と爪とをナイルとセイにのみ向けたのだ。
「ーーな!こいつら、人間の命令を聞くのかよ⁉︎」
そのマサカだった。黒ずくめの男が笛をもう一度吹くと、大蜥蜴はナイルとセイに向かってその牙を繰り出したのだ。
「ソイツらと遊んでな!」
男はアーリアを担いだままその身を翻した。
「ーー待てッ!」
「ーーチッ!くそっ!」
ナイルとセイは大蜥蜴の群れに揉みくちゃにされた末、戦闘を余儀なくされたのは言うまでもなく。漸くその全てを絶命させ戦闘が終わった時にはもう、男の姿は勿論、アーリアの姿もそこにはなかった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価等、本当に嬉しいです!ありがとうございます!
東の塔の騎士団編『隠れんぼ3』をお送りしました!
大蜥蜴の急襲は人為的に起こされたものでした。虫嫌いのアーリアにはキツイ相手ではないでしょうか。
突然現れた黒ずくめの男。拐われたアーリア。その目的は……?
次話も是非ご覧ください!




