守られるべき者
※東の塔の騎士団編※
夕刻になっても未だ上層階しか掃除が終わらず、アーリアはげっそりとした気分で『東の塔』から外へ出た。アーリアは白いエプロンを脱ぎながらリュゼと明日以降の予定を相談していると、外で整列していた騎士たちが一斉に膝をついたのだ。
ーザッー
軍隊のように揃った動作。屈強な騎士たちが一糸乱れぬ動作で自分の前に跪く光景。アーリアは驚きのあまり反射的にビクリと肩を震わせた。
「魔導士様、『東の塔』へようこそおいでくださいました。私は『東の塔の騎士団』団長ルーデルスと申します」
アーリアはドン引きしながらも、仕方なく腰を折った。アーリアは社交辞令が出来ぬほどの愚か者にはなれなかったのだ。それが例えどれだけ不本意な状況であったとしても。
軽く膝を折って頭を下げると、アーリアは定型文とも呼べる挨拶をした。
「はじめまして、ルーデスル様。私はアーリアと申します」
「やはり!貴女様が『東の塔の魔女』様でおられましたか!?」
『アーリア』の名を聞いて俄かに騒めき出す騎士たち。それに対してアーリアは僅かに眉を潜めた。口元に笑みを浮かべたままだが、瞳は大変冷ややかだ。
だが、熱に浮かれた騎士の多くの者はアーリアの醸し出した雰囲気に気がつかないでいる。その光景にリュゼが小さな嘆息を漏らした。
「アーリア様。アルカードにーー騎士団に滞在して頂くことはできませんか?」
ルーデルス団長の口から紡がれた言葉に、アーリアは『意外な提案』とばかりに驚きを露わにした。だが、少し考えてみれば彼らの要望は意外でも何でもなかった。これまで主不在だった『東の塔』に主たる魔導士が姿を現したのだ。『塔の騎士団』としては側で主を守りたいと思うのは当然ではないか、と。
騎士たちの反応、そして感情は、唯一守りたい者を持つリュゼの方が強く理解できるものだった。守るべき主の不在。それは、騎士にとっては最も辛い現実ではないだろうか。
『東の塔の騎士団』は約二年半、主不在の『塔』を守ってきた。その間、『東の塔』と《結界》とを見守る中で、主への想いが溢れていったであろう過程は想像に難くない。
しかし、アーリアには騎士たちの事情を理解する事はできても、残念ながら情に靡く事はなかった。
「申し訳ございませんが、その申し出をお受けする事はできません」
「なぜ……」
「国からそのような仕事を依頼されておりませんので」
あまりにアッサリ下された返答に、騎士たちは唖然とした。
アーリアの中に奉仕精神はない。この世の中、情で動いて得する事はあまりないのだ。そう考えるアーリアだが、人間に対して薄情だという訳ではない。勿論、困っている人がいれば出来る範囲で助けたいと思っている。『東の塔』に常駐する『塔の騎士団』は『塔』をーーいや、《結界》を守っているのだ。それが彼ら騎士の『仕事』だ。そしてその仕事は愛する国をーー愛する国民を守る事に繋がる大事な任務なのだ。
つまり『塔の騎士団』は《結界》を守る為に術を施した魔導士を守っている。これが正しい認識だろう。
それでいくと、《結界》を施した魔導士アーリアを騎士団が守るのは『仕事』の一部ではあるのだろう。だが、この場にいる騎士たちの『主を守りたい』という騎士の欲求の為だけにアーリアをアルカードに留め置きたいーーアーリアには騎士の態度からそう見えるーーとは、当のアーリアからすれば『ありがた迷惑』としか思えない行為だったのだ。
国のヤヤコシイ情勢に自分から首を突っ込んだ挙げ句、自由本邦にしているアーリアにも勿論、その責任の一端はあるだろう。でも、だからと言って国から依頼もされてもいない仕事を引き受けるほどアーリアはお人好しではないかった。
それに……
ー私にはリュゼがいるものー
アーリアはリュゼを仰ぎ見た。
騎士団から守って貰わずとも、自分には信頼できる護衛騎士が一人いる。それだけでも自分には十分過ぎる恩恵だ。
アーリアの美しい光を帯びた瞳で見つめられたリュゼは、柔らかな笑みを浮かべた。
※※※※※※※※※※※
※(副団長アーネスト視点)
部下から報告を受け急ぎ駆けつけた『東の塔』で私は、信じられないモノを目撃した。『開かずの塔』と呼ばれる『東の塔』の窓が開いていたのだ。それは私が赴任して以来、初めて見る光景だった。
私は元、近衛に属する騎士だった。
約二年半前の戦争に於いて戦死した騎士団の穴を埋めるべく、王都オーセンでは『東の塔の騎士団』の騎士の募集がなされた。
騎士団の騎士の任命権は軍務省にある。許可を出すのは宰相閣下と国王陛下だ。
この国で最も戦争の最前線である東の街アルカードと国境防衛の要『東の塔』。そこへ赴任する騎士には国王への忠誠心だけでなく、国の為ならば命を賭して任務を遂行できる揺るぎなき愛国心が必要だった。任命するだけならすぐにできる。しかし、それでは意味がないと国王陛下はお考えになられたという。その為の騎士団員の募集だった。
私は迷わず手を挙げた。
国王陛下には生涯違わぬ忠誠心を持っている。だが、国王陛下が守護なさる国民を守る事こそが、自分の陛下への忠誠心の在り方だと感じたのだ。
ライザタニアよりの侵攻を受けて疲弊したシスティナ東部。大勢の命が散った国境の街アルカード。そのような認識を持っていた私だったが、副団長として赴任したアルカードには『笑顔』があったのだ。悲惨な状態であるだろうと予測していたので悲しみに暮れる街を想像していたのだが、その穏やかな笑顔溢れる街の様子には拍子抜けする思いだったのを覚えている。その原因が何であるか、それは考えるまでもなく『東の塔』を中心に展開する《結界》であった。《結界》はアルカードから敵軍を撤退させ、疲弊していた国民に安らかな休息を与えていたのだ。
あれからおよそ二年半。《結界》はライザタニアからの侵攻の全てを防ぎ、アルカードにーーシスティナに平安を与えている。
噂によれば、『塔』に《結界》を施したのは『白き髪の魔女』と呼ばれる魔導士だという。特徴と呼べる物はただ一つ、『白い髪を持つ魔女』という事なのだが、魔女様はこれまで一度としてアルカードの人々の前にその姿を現した事はなかった。それどころか魔女様は《結界》の設置を国から命じられた訳でもなく、独断で『東の塔』に《結界》を施したというのだ。そしてその後は『塔』には留まらず、姿をくらましたと聞き及んだ。
魔女様の行動は国の上層部にとっては予想外の結果を齎した。しかし、国民にとっては救いの手であったのは確かなのだ。
ー魔女様がついに、この『塔』へお越しくださった!?ー
何故だ。これまで一度として姿を現す事がなかった『白き髪の魔女』が『東の塔』へ来る理由。それは一体、何の理由あっての事なのか……。
私は先日、上層部より『東の塔の魔女』様が『アーリア』様という名の若き魔導士である事実を知らされた。上層部の貴族官僚たちが『東の塔の魔女』の正体を特定し、その身柄を保護し始めたのだという。
当たり前だろう。アーリア様はこのシスティナにおいて救世主とも呼べるお方だ。アーリア様の施された《結界》のおかげで現在のような平穏な日々が送れているのだ。
未だ国境線上ではライザタニアとの小競り合いが続いている。時には《結界》に向かってライザタニア軍が攻撃を仕掛ける事もしばしば見られる。もしも今、この《結界》が無効化されたならば、この国は平穏な日常から大戦争へと傾いていく事を誰も止められはしないだろう。それほど重要な『東の塔』の《結界》。そして、それを施した魔女アーリア様。
ー彼女は『守られるべき者』だー
騎士を引き連れ『塔』へ赴いた私たちはそこで開かれた窓を見上げた。
そして『塔』の中から現れた青年と対面したとき、自分たちは胸の中から溢れる『想い』に酔いそうになった。だが……
『えー?なになに?こんな大勢で押し掛けちゃってさ。ここに何かご用でも?』
軽い雰囲気を身に纏う青年。彼の登場に私はーーいや、我々は動揺した。それはルーデスル団長も同じだった。
『貴殿が魔女ーー』
『ーーンなわけないじゃん。僕が魔女に見える?』
『魔女殿でなければそこで何を?』
『このカッコ見て分かんないかな?掃除だよ掃除。三年もほっとくと、中がカビ臭いのなんのって。初めは点検だけして帰る筈だったんだけどさ。これ見たら彼女もさすがに帰るに帰れなくなったみたいなんだよね〜〜』
約二年半を経て『東の塔』にお越しになった魔女様はなんと、自ら塔内の掃除をしているというのだ。
塔内から此方の様子を伺う頭巾とマスクの隙間から覗く青年の瞳は鋭く、その身に纏う雰囲気とは全く真逆のモノであった。
ルーデルス団長が『塔』に入るべく門の金属柵に手を掛けると、パチンと小さな火花が起こったのはすぐ後のこと。
『今のは……!?』
『『塔』の守りが消えた訳ではないのですか!?』
私がこのように思わず声を荒げてしまったのは、通常の精神状態ではなかった為だろう。それほどまでに『塔の魔女』様の来訪に、自分は興奮を覚えていたのだ。
『あ〜〜君たちは入れないよ。ココは『開かずの塔』だから』
青年は扉の横に貼り付けてある『関係者以外立入禁止』の張り紙にくいっと親指で指差した。
『ーーならば何故、貴殿は『塔』の中に入れているのだ?』
『僕はトクベツさ。入る事ができるのは彼女が許した者ダケらしいから』
『彼女とはやはり……貴殿は?』
『僕?僕は彼女の護衛だよ』
明確な表現を避けている青年の言葉。だが、彼の口から齎された『彼女の護衛』との言葉に胸が高鳴ったのは私だけではなかっただろう。
ルーデルス隊長が再び口を開き青年に問いを投げかけようとした時、青年の背後に小さな気配が生まれた。青年はその気配に一瞬、眉を潜めた後、青年は身を翻してそそくさと扉を閉めようとしたのだ。
青年は恐らく魔女様の護衛であり、彼は魔女様と私たち騎士とを会わせなくないのだろう。彼の言動から私はそう予想した。
『ちょっと待てーーいや、待ってください!』
それまで青年に対してやや高圧的な態度であったルーデスル団長は、その姿勢を一変させた。
『ーー何?僕、呼ばれてるんだけど』
『中におられるのは、本当に東の魔女殿なのでしょうか?』
『そーだよ。この期に及んでウソついても何の意味もないでしょ?この『塔』に入れちゃってるんだから』
怪訝な態度を隠しもせず溜息を吐いた青年。そうしている内に青年の背後から一人の少女が現れたのだ。
絹のように柔らかな白い髪。陽の光を受けて輝く虹色の瞳。陽に透ける白い肌。鼻筋の通った整った容姿。そして手には箒。裾にレースがたっぷり施された白いエプロン。『東の塔』の中にさえいなければ、彼女が魔導士だと判らなかっただろう。
『白き髪の魔女』の登場に騒めき出す騎士たち。普段ならば、そのような平静を欠いた態度は懲罰モノだ。だがその時の私は、それすら気にならないほど興奮に酔い痴れていたのだ。
ー我々の態度に苛立ちを覚えられたのだろうか?ー
魔女様は表情こそ変える事はなさらなかったものの、快い返事はなさらなかった。我々の存在に驚きこそ見せておられたが、言わばただそれだけであり、その後は『何もなかった』とでも言いたげに我々の存在を無視して『塔』の中へとお戻りになられたのだ。
『お掃除中にお邪魔をして申し訳ありません。できれば私たちにもお手伝いさせていただきませんか?』
最後の策とばかりに提案を挙げてみれば、『お断りします』とキッパリ見事に振られてしまった。当然と言えば当然の返答だ。
私はーーいや我々は、『東の塔の魔女』様を勝手に偶像化し、崇拝にもにた想いを浮かべていたのだろう。魔女様に己の理想を押し付けていたのかも知れない。アーリア様の可憐な見た目も相俟って『優秀な魔導士』だという事をトンと忘れてしまっていたのだ。
ー第一印象が大事な場面であって、我々は自ら出足を挫いてしまったー
いじけたように草を毟る大男、ルーデルス団長がブツクサと呟いた。
「うむ……。どうも魔女殿は我々の思っていたお方と違うようだ」
「そのようですね。ですがそれは我々の言動が原因ですよ、団長。我々はアーリア様に妄想とも呼べる自分勝手な理想を押し付けたのですから」
「……自分勝手な理想?」
「ええ。慈悲深き魔女、奉仕精神を尊ぶ魔女、救いを求める者に迷わず手をさしのばす魔女……。我々はどれほどの理想をアーリア様に抱きましたか?」
「そ、れは……」
「アーリア様はそんな我々の態度を、見透かしておられたのではないでしょうか?」
「だが……アーリア殿は我々にとって主君であられるのだぞ?」
「我々にとっては、ね。あぁ、納得できないようですね、団長。ーーもうすぐ陽も沈みます。さすがにアーリア様も塔から出て来られるでしょう。その時に今一度アルカードへのーー騎士団への滞在を提案してみてください。その答え次第で彼女の本質が見えてくるでしょう」
私の予想が正しければ、アーリア様は合理的な考えを元に判断なさるだろう。
そもそも、冷静に考えれば分かる事なのだが……
ー国から仕事の依頼を命じられていなければ、こんな辺境の地にはお越しにならないのではないか?ー
それが副団長としてーーいや私個人の結論だった。
簡単な魔術なら扱える自分から見ても、『塔』の《結界》に使われている魔術にどんな術式が組まれているのか、見当もつかないのだ。また、『東の塔』に立ち入れなくされている封印魔術がどういった構造になっているのかさえ、分からない。しかも、そのどちらもが魔導士本人がその場にいなくても効力が維持できているのだ。ならば、術を施した魔導士本人が『東の塔』にーーアルカードに滞在する必要がないのではないか。そして、今一つきになる事は……
ー国はアーリア様に、正式な依頼を出していないのではないか?ー
その後、『塔』から出てこられたアーリア様の口から出た答えは、私の結論を裏付けるものだった。
「国からそのような仕事を依頼されておりませんので」
更には……
「ルーデスル様。申し訳ないのですが、私はこの事態を望みません」
笑みをスッと消したアーリア様の瞳は虹色から真紅へと、魔力を帯びて煌めきだした。
ー女神イシスのようだー
慈悲深き魔女は合理性を好む。現実を知り、現実を受け止め、現実を打破する力を持つ。
「《転送》」
鈴の音のような美しい声の後、私の身体は赤光に包まれていた。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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東の塔の騎士団編『守られるべき者』をお送りしました。
体育会系騎士団の行動に、文化系魔導士のアーリアは終始ドン引きです。
その様子に気づいたアーネスト副団長。その神秘眼はお見事です。見事に正解を引き当てました。
仕事が絡まない場合のアーリアは、基本的に『面倒な事は避けたい』、『お家に帰りたい』という引きこもり思考。ダメな子全開です(笑)
次話も是非、ご覧ください!