とある公爵家の兄妹2
※システィナ帰国編※
「ハイ、もっと背筋を伸ばして!いち、にーー、さん!」
「はぃ!」
「足の指先まで意識して。腰を柔らかにッ」
「あ……っ!」
「歩幅を合わせてッ」
「〜〜〜〜⁉︎」
ジークフリードがリディエンヌに連れられて来た先はなんと王宮だった。
日差しの差し込むその一室には確かに目当ての人物はいた。いたのは良いのだが……。
「リディ……これは?」
「見ての通り、ダンスレッスンですわ」
「アーリアが何故……?」
「もうすぐ夜会が行われますでしょう?その時に向けてのものだと聞いておりますわ」
「あぁ、成る程。……ん?そう言えばあの馬鹿……リュゼは……?」
「ーーあの護衛なら、ついさっき叩き出されましたよ」
「リヒト殿下!」
ジークフリードは周囲に視線を向けながらアーリアの専属護衛の姿がない事をリディエンヌに聞けば、その質問に答えたのはリディエンヌではなく、いつの間にか現れた第三王子リヒト殿下であった。
膝を着こうとしたジークフリードをリヒト殿下が手で制す。
「今日は公務ではない。私も見学だよ。それにジークも非番では?」
「そうではありますが……。え……?リヒト殿下がダンスの見学を⁇」
「このダンスレッスンは今や宮中のちょっとした話題なんだよ」
「は……⁇」
「ついさっきまでは彼女の護衛騎士がソコにいのだが、ライズ先生に叩き出されてしまってね」
「叩き出された?」
「そう」
ライズ先生とは今、アーリアにダンスのステップを指導している青年紳士だろう。ジークフリードもその名だけは聞いたことがある。歳は若いが王都でも有名な社交ダンスの名手だ。偽装工作上とはいえ国王夫妻の養女のダンス指導となれば、それくらいの大物が引っ張り出されて来たとしても不思議ではなかった。
そのライズ先生とやらが、仮にも護衛と名のつく騎士を追い出したなど、只事ではない。只事ではないが……どうもそうジークフリードに教えたリヒト殿下の顔には厳しい表情はなく、逆に爽やかな笑顔が見えるのが不思議だった。
「何か……ございましたか?リュゼが何かご迷惑でもおかけして……?」
ジークフリードは怪訝な表情でリヒト殿下に伺いを立てた。
「ハハハ!ジークが心配するような事ではないよ。ちょーーと笑いが過ぎただけさ」
「笑いが過ぎた?」
「ーーまぁ、見ていてごらんよ」
リヒト殿下が指差した先はライズからの指導を受けているアーリアと、そのペアの紳士だ。紳士には見覚えがある。確か軍務の制服官吏の筈だ。
「彼女のダンスって、ほら、少し独創的でしょう?」
「もう、リヒト殿下!それはアーリア様に対して失礼ですわっ」
リヒト殿下の表情はいつもの爽やかな王子様仕様ではない。どこか悪戯を仕掛けた少年のような表情のリヒト殿下。リディエンヌに叱られているにも関わらず愉しそうに笑っていて、大変、楽しそうだ。こうしていると年相応で、普段よりも随分幼い印象に見える。
ジークフリードはリヒト殿下の仰りたい事の意味が訳が分からず、アーリアの方へと視線を送る。
アーリアはライズの言葉を一生懸命聞きながら、ペアの青年紳士のリードに必死について行こうとしているように見受けられた。確かに少しギコチナイ動きではある。ではあるが、アーリアの運動音痴を嫌というほど知っているジークフリードどしては「まぁ、あんなもんだろう?」くらいにしか思えない。
ー寧ろ、良くやっている方ではないか?ー
だが、リヒト殿下にとってはそうではないのだろう。仮にも王族だ。英才教育を幼少の頃より受けているリヒト殿下にとって社交ダンスなど、普段から練習せぬともその身に染み付いているだろう。
ジークフリードとしてはアーリアの独創的なダンスより、リヒト殿下の今の言動の方が気になったほどだ。紳士としても王子としても『それは如何なものか』とツッコミたい言動だったのだ。王族教育はどうした?仮にも年頃の女性に対して失礼ではないだろうか?と頭に様々な叱責が過ぎる。
ー殿下、それは王族としてどうかと思うのですが……?ー
「あぁ、まただ……」
ジークフリードが腕を組んでリヒト殿下を嗜めるべきかと思案していた時、真横からリヒト殿下の声が聞こえた。
「きゃあっ!」
「わっ……」
ーバタンッ!ー
「ーーすみません!大丈夫ですか?」
「……お、お気になさらず」
アーリアがバランスを崩し、それを受け止める紳士。ただそれだけなのだが、何故〜か青年紳士の顔色が悪い。
「ねっ!」
「……。そんなに特殊な場面でもないようには見えな……」
「彼で15人目だよ」
「ーーは?」
「再起不能になったのは」
リヒト殿下の目線の先には、部屋の片隅で足を押さえて蹲る紳士が3人いる。どの年齢はまちまちだが、どの紳士も魂の抜けたような表情をしている。
「初めはね、練習でもアリア姫のペアを務められると知って、喜び勇んで来ていた制服官吏たちなんだけど、ああ何度も足を踏まれるとトキメキよりも現実の痛みの方が増したみたいでね。しかもライズ先生の指導は厳しいときた!」
「……では15人というのは、アーリアの相手を務めた末に撃沈した紳士の数ですか?」
「そう。彼らはアーリア殿の見極めも兼ねて来ていたみたいだね。でも、一生懸命な彼女につられてだんだん彼らも本気になっていってさ。まぁ、それ自体は良かったんだけど……彼女ってやる気はあっても身体は相当鈍いみたいだから」
「ああ。成る程……状況は大体理解できました」
つまり、元より『東の魔女アーリア』に目をつけていた貴族、『国王夫妻の養女アリア』に目をつけた貴族、そう言った者たちが、彼女の様子を見がてらダンスの相手を務めに来た。当初はアーリアのダンスのペアという状況に仕事と言えど盛り上がっていた紳士たちも、途中から任務そっちのけでダンスレッスンに付き合う事になった。しかし、アーリアのあまりの鈍さに足を踏まれ続けて精神が削られた。そして、その成れの果てが壁際に転がる放心した紳士の山。
「……と言う訳で、ジーク。君の出番だよ!」
「お兄様、出番ですわよ!」
「え……? 殿下⁉︎ リディエンヌ⁉︎」
右腕をリヒト殿下に、左腕をリディエンヌに掴まれたジークフリードは、ズルズルと引きづられるようにして室内へと足を踏み入れる。
「ーー次は君か?」
ライズはペアの紳士に休憩を言い渡した後、その視線をジークフリードに向けた。神経質そうな表情で、丸眼鏡を左手でクイッと上げる。
「ジーク⁉︎ それにリヒト殿下、リディエンヌ様も……」
王宮付きの侍従から受け取ったタオルで汗を拭き、水を飲んで小休憩していたアーリアは、ダンスルームに現れた意外な人物たちに対し、弾かれたように顔を上げた。
「この者、所属は?」
「近衛第2騎士団所属、ジークフリードと申します」
「ほう、今度は近衛か。君もどこまで演れるものか……」
ライズの目は部屋の隅に転がる紳士へと向けられた。その目線の温度はは絶対零度より低い。
「宮廷で働く者は軟弱者が多くて叶わんな。姫のペア一つ務めあげられぬとは。社交ダンスをお遊びとバカにしているのか⁉︎」
苛立ちげなライズのともすれば不敬にも当たる発言に、隅に転がる紳士たちはビクビクと肩を震わせた。リヒト殿下はそんなライズを咎めることも無く、幾分遜った態度でジークフリードの背を押して差し出した。
「申し訳ございません、ライズ先生。ですが、この者は大丈夫です!根性は折り紙つきですよ」
「ーーほう?」
「お約束通り、どんな階級の者であろうと、どんな役職の者であろうと、ライズ先生の叱咤激励に否を申す事はございません!ご存分にご指導下さい!」
「元より、国王ご夫妻よりそのように承っている。私が指導に於いて手加減する事はない」
ライズの指導のやり方を国王陛下、王妃殿下、お二人ともが推奨しているようだ。そう、ライズとリヒト殿下の会話から読み取ったジークフリードは、ある事に思い至った。
ーこれはアーリアが見極められているのではなく、ペアの紳士たちが……ー
王宮の思惑を瞬時に読み取ったジークフリードは、ここにおられぬ国王夫妻、そしてアルヴァンド宰相閣下ーー父に対して想いを馳せた。
ー父上ならば、やりかねんなー
「では10分休憩の後、再開しよう」
ライズ先生は一方的に宣言すると、壁際まで下がって行った。
こうしてアーリアと改めて向かい合う事は久々であったジークフリードは、何から話そうかなどとガラにもなく緊張した。
「アーリア、こうして会うのも久しぶりだな。元気そうで何よりだ。お前に逢えて嬉しく思う」
「ジーク、ありがとう。その……システィナに帰ってからも何だか忙しくて。ジーク、酷いと思わない?帰国したらゆっくり魔宝具でも作れると思ってたのに……」
ジークフリードはアーリアの表情が以前と何ら変わりがない事に安心し、ほっと胸を撫で下ろした。
「アーリアが無事に帰って来て、本当によかった」
ジークフリードはアーリアの頬に手を触れながら「心配した」と呟けば、アーリアははにかんだ笑顔で「心配かけてごめんね。ジーク、ありがとう」と呟き返した。
「それはそうと、足は大丈夫なのか?」
「う、ん……」
「何度も紳士の足を踏んだと聞いたが……」
「うぅ……。申し訳ないです。ご好意でレッスンに付き合って頂いたのに、怪我をさせてし……」
「いや、彼らの心配はしていない。俺はお前の心配をしているんだ」
ジークフリードはそう言うとアーリアの足下に跪いた。そして、アーリアの足首にそっと触れた。
「イッ……」
「あぁ、やはり少し腫れているな」
「……」
「何時から踊っているかは知らんが、無理をしては元も子もない」
「……ごめん」
「何故、アーリアが謝る?ペアの女性の様子を見るのは紳士の務めだろ?」
ジークフリードはそっと部屋の隅に転がる不甲斐ない紳士たちに目線を送る。そしてそのまま視線をライズへと移動させると、ライズは水を飲みながらこちらの様子を伺っているのが見て取れた。
ーこれも見極めの一つ、か?ー
ジークフリードは内心溜息をこっそり落とすと、立ち上がりながらアーリアを横抱きに抱き上げた。
「ーーきゃ⁉︎ ジーク?」
ジークフリードはアーリアの抗議の声を無視して椅子が配置してある壁際へ行くと、その内の一つにアーリアをそっと下ろした。
「おい、そこの馬鹿猫!見てないで出て来いっ」
扉の向こうから飄々とした体の青年騎士が現れた。近衛騎士と色違いの騎士服を纏ったその青年はアーリアの専属護衛のリュゼだ。
「なぁに?獅子くん。……僕は先生に追い出された身だよ」
「五月蝿いッ馬鹿猫が!自業自得だろーが?」
「相変わらず口が悪いなぁ、獅子くんは……」
リュゼは常にヘラヘラした表情と態度だが、その見た目に騙されては痛い目を見る。ジークフリードはこの何月かでリュゼの認識を改めていた。何と言ってもエステル帝国の人質とされたアーリアをその身一つで守り切った男なのだ。それは誰にでもできる事ではない。
「あぁ。ホントだ。腫れちゃってるね……」
リュゼはアーリアの前で膝をつくと、その足首に手を添えて親指で表面をゆるゆると触って腫れを確かめた。するとピリッと痛みが疾ったのだろう。アーリアの目元が少し揺れた。
「《癒しの光》」
リュゼはアーリアの足首中心に癒しの術をかける。
「痛みは取ってあげられるケド、ダルさや疲れは取ってあげられないよ?」
「うん。ありがとう、リュゼ」
「ん」
リュゼの言葉に対してアーリアの表情は実にリラックスしたものだ。これまでもこのような会話が二人の間で交わされてきたのだろう。
ジークフリードはそれに嫉妬したりはしなかった。ただ、どうしようもなくイライラはするだけで……
「はい、休憩終わり。レッスンを再開する」
そこでライズから再開の言葉があがった。
「アーリア……」
「大丈夫だよ、ジーク。先生から合格を貰えるまで、頑張るよ」
「そうか。では、俺も最後まで付き合おう」
ジークフリードの心配をよそにアーリアの表情は笑顔だ。それも嫌々といった感じを受けない。アーリアは社交ダンスを『仕事』の一つと割り切り、偽とは言え『システィナの姫』として夜会に参加する覚悟を決めているのだ。そのようにジークフリードにはアーリアの決意を感じる事ができた。そうとなれば自分のやるべき事は一つだ、とばかりにジークフリードは腹を括った。
「さぁ、アリア姫。手をーー」
ジークフリードはアーリアの前に膝をつくとそれまでの雰囲気を払拭し、アルヴァンド公爵子息としてアリア姫にその手を差し出した。
まるで別人のような雰囲気を醸し出したジークフリード。アーリアは一瞬だけ驚きを見せたが、すぐに『アリア姫』の雰囲気を纏った。
「はい、ジークフリード様」
アーリアはジークフリードの手にそっと指先を乗せた。
ジークフリードはその白い手をそっと引き寄せ、指先に唇を乗せた。頬を染めたアーリアに視線をスッと送ると、アーリアは益々顔を赤らめさせた。ジークフリードはそんなアーリアの可愛らしさに自然と笑みがこぼれた。
ライズは自分の方へと歩みくるアリア姫とジークフリードに対し、眉根を一つ上げた後、スィっと瞳を細めた。そして満足気に頷いた。
「漸くマトモな紳士が現れたか……」
ライズは唇を人差し指で撫でながらほくそ笑んだ。「楽しくなりそうだ」とクツクツと笑う。
「さぁ、もう一度初めからーーワルツの基礎から開始する」
ライズの合図に、アーリアとジークフリードはお互いに礼をし合い、お互いの手を重ね、お互いの身体をピッタリと重ね合わせた。ジークフリードはアーリアの背に右手を回し、アーリアはジークフリードの肩に左手をそっと置いた。
「まぁ、美しいですわ……!」
リディエンヌは口元に手を置いて、ほぅっと溜息を吐いた。
三拍子のワルツが流れ始める。するとジークフリードの左足が一歩左へ進み、それに合わせてアーリアの右足が右へ一歩進み出した。ジークフリードのリードに合わせて1、2、3、1、2、3……と二人はリズムに合わせて踊り始めた。
「呼吸を意識して。そう。いち、に、さん、いち、に、さん……」
これまでの雰囲気とはガラリと違うアーリアに、ペアを務めた落第紳士たちは悔し気に奥歯を噛んだ。それもその筈で、アーリアにはこれまでのような焦りや混乱が見えなかったのだ。その理由は青年紳士ーージークフリードのリードが優秀だったからに他ならない。
姫の魅力を引き出したのは間違いなく目の前の青年紳士だと、彼らは認めざるを得なかった。
『アーリア、あまりリズムを意識し過ぎるな。俺に身を任せれば良い』
『うん。ジーク、ありがとう』
ジークフリードとアーリアとはライズの指導を受けながら、繋がった手を通して言葉を交わし合った。交わし合った言葉から、お互いの心ーーそして想いを伝え合う。
『アーリア。俺はお前に誇れる騎士となろう。お前から安心して頼って貰えるような騎士に……』
『私もジークに頼って貰える魔導士になる。助けて貰うばかりじゃなくて、私もジークの助けになりたい』
ジークフリードはアーリアの心を救えなかったと思い卑下しているが、実はそれは思い違いであった。アーリアにとってジークフリードとの旅は自分自身を見つめ返す上で必要な時間だったのだ。そして、自分を変えるきっかけとなったジークフリードの事を、アーリアはとても大切に思っていた。
『アーリア、待っていてくれ。俺がお前に相応しい紳士となったら……』
『なったら……?』
そこでジークフリードは満面の笑みを浮かべた。優し気な蒼い瞳。陽に煌めく金の髪。通る目鼻立ち。そして弧を描く唇。
「その時まで、秘密だ……」
ジークフリードはアーリアの手を引くと右手の内側、《契約》の印の上に唇を這わした。
「ーー!」
ピリッと手首から全身に走る熱にアーリアの驚きの表情を見せた。しかし、そんなアーリアの身体を華麗にリードすると、ジークフリードは腰の引けたアーリアの身体を引き寄せ、優しく抱きしめ。
ー愛しているー
この『想い』を伝えるのは『今』ではない。
ジークフリードは自分の想いをアーリアに押し付ける気持ちは全くなかった。アーリアの精神がまだ成長途中にある事を気づいていたからだ。そして自身の精神もまた、成長途中であると分かったからこそ、例えリュゼに先を越されようと、ジークフリードには先を急ぐ気持ちはなかった。
ーいつでも俺はお前の味方だ、アーリアー
だから、どれだけ離れていたとしても自分はアーリアを想うだろう。それだけは、リュゼにも譲れない気持ちだった。
こうしてこの日のダンスレッスンは終了していった。
この後、夜会までの間、ジークフリードは仕事の合間を縫って、アリア姫のダンスレッスンのパートナーを務める事になる。
お読みくださいまして、ありがとうございます!
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システィナ帰国編『とある公爵家の兄妹2』をお送りしました。
愛ある鬼コーチ☆ジークフリード先生はできの悪い生徒が可愛くて仕方ありません。出来るまで付き合う、が通常よりのスタンスです。
このダンスレッスンでもアーリアは駒にされています。不憫。リュゼはその事情を察知しています。
三人の王子たちはライズ先生の元生徒です。鬼畜コーチなのを知っていて、楽しんで見ています。
リディエンヌは単純にお兄ちゃんを応援しています。
ダンスレッスンの成果は夜会にて発揮出来るのか⁉︎
次話も是非ご覧ください!!