とある公爵家の兄妹1
※システィナ帰国編※
ある日の早朝、ジークフリードは久方ぶりに帰った公爵家の屋敷にて、朝食後の紅茶を飲みながら朝刊を読んでいた。
新聞にはシスティナ国内の出来事を中心とした情報が載っている。王都に新聞社は七社あるが、今、ジークフリードが読んでいる朝刊は主に、経済に焦点を当てて書かれているのが特徴だ。中には真実か疑うような内容もあるから全てを鵜呑みにする事はあってはならないが、中には馬鹿にはならない情報もあるので、王宮に務める身としては読まない訳にはいかなかった。
ジークフリードが命に代えてお守りするのは、このシスティナにあって掛け替えのない高貴なお方だ。そのお方には味方も多いが敵も多い。どんな出来事が引き金になって、いつ、そのお方が危険が晒されてしまうか分からない。だからジークフリードには様々な出来事に目を光らせておく必要があったのだ。それが例え、休日であったとしても。
ジークフリードが難しい顔をして新聞の文字を追っていると、歳の離れた妹リディエンヌが声を掛けてきた。
「お兄様、おはようございます」
「おはよう、リディ」
「今日はお休みですか?」
「ああ。殿下に『休め』と言われてしまってね……」
リディエンヌはジークフリードの隣に腰を下ろした。15歳になったリディエンヌは益々美しく可憐な令嬢へと成長した。柔らかな金の髪を巻いて緩く背中に垂らしている。白い肌には薄っすらと化粧が施されていて、唇には薄紅色の紅がさしてある。目元が亡くなった母にそっくりだ。
「あらあら。ウィリアム殿下もお兄様が心配なのですね?」
「ウィリアム殿下も、とは?」
「リヒト殿下も『ジークフリードは働き過ぎだ』と仰っておられましたよ?」
「本当か……?」
「ええ」
ジークフリードは二人の王子たちを思い浮かべて、深い溜息を吐いた。その溜息は自分の至らなさ、不甲斐なさに対してのものだ。近衛騎士であるジークフリードが彼ら王子たちを守る立場であるにも関わらず、自分の方が彼らに気を遣われているのだ。更には、王子たちは一騎士にしか過ぎないジークフリードの行動を良く見ておられるという事に、心が熱くなる思いだった。
項垂れていたジークフリードに対してリディエンヌは、「あらあら」と言って自分の頬に手を添えた。
「でも、良いんですの?お兄様」
「何がだい?リディ」
広げた新聞に顔を埋めていたジークフリードは、擡げた顔を上げながら質問に質問で返した。
「まぁ、呆れた!『何が』などと聞かれるとは思いませんでしたわ!」
リディエンヌが何を言っているのか見当がつかない。ジークフリードはその美しい容姿に怒りを滲ませたリディエンヌの顔をとっくり眺めた。怒り方まで亡くなった母にその面立ちが似てきている。数年もすれば母と同じ様に『社交界の華』と呼ばれるようになるだろう。
「アーリア様の事ですわ!」
「アーリアがどうかしたのか?」
アーリアはエステル帝国より帰国して以降、『システィナ国王夫妻の養女』という『設定』を『真実』にする為の偽装工作として、王城に泊まり込んでいる。そして休む間も無く王族教育を叩き込まれているという。
エステル帝国でも同じような教育を受けたとの情報もあるが、エステルとシスティナとではその文化も歴史も王族の在り方も違う。そこを補う為に、専属の教師をつけて勉学に励んでいるのだと、ジークフリードは小耳に挟んでいた。
何を隠そう、ジークフリードの守護するウィリアム殿下がアーリアの担当である為、その手の情報はよく入ってくるのだ。
ウィリアム殿下警護の都合、何度か王宮でアーリアを見かけたが、二人きりで言葉を交わした事はない。お互い仕事中なので、私的な言葉を交わす事は謀られたのだ。
ジークフリードの態度に気に食わない所があるのだろう。リディエンヌは眉を吊り上げて、ジークフリードの膝に手を置き、ずずいと詰め寄ってきた。
「お兄様はアーリア様をリュゼ様に取られてしまっても、よろしいんですの?」
「ぅッーー⁉︎」
リディエンヌの言葉に飲んでいた紅茶が知らず気管支へ入り、ゴホゴホと噎せるジークフリード。
リディエンヌは噎せた兄ジークフリードの背を撫でながら呆れ顔をした。
「その様子では、それほど危機感をお持ちでなかったのですね……?」
「危機感……」
「そうですわ!危機感ですわ!」
「……」
ジークフリードはリディエンヌに真下からから瞳を覗き込まれ、思考を停止させた。
「アーリア様とリュゼ様のお二人は、それはそれは仲睦まじくていらっしゃいますのよ!やはり、帝国にて二人きりで身を寄せ合って過ごされたからでしょうか?私にはお二人の間に強い絆のようなものが見えますの!」
執事から差し出された布巾で口元を拭いながら、ジークフリードは熱弁するリディエンヌをそっと見る。背中には冷や汗か油汗か、流れた汗でビッショリと濡れているのが分かるが、ジークフリードはそれを認めてしまいたくはなかった。
「まさか、お兄様がこの件に関して余裕があるだなんて、驚きですわ!私、てっきり焦っていらっしゃるのかと思っておりましたのに……」
平静を装っているジークフリードに対して、リディエンヌは深い溜息を吐きながら頬に手を当てた。
ー余裕なんてモンはないが……ー
アーリアがエステル帝国に囚われたと知った時、ジークフリードの心は荒れに荒れていた。アーリアの身の心配をするよりも国の未来の心配をする貴族たちの態度に身勝手にも憤りを覚えていたものだ。
ジークフリードは騎士として王宮に復帰して以来、近衛騎士として、アルヴァンド公爵家の一員として『どのように生きるべきか』という自分のアイデンティティに迷いがあった。迷いながらエステル帝国へ向かった先でリュゼに喝を入れられ、有り難い事に近衛騎士団長、副団長、更にはウィリアム殿下、リヒト殿下、その他大勢の方々から背中を押してもらったのだ。
その過程でジークフリードは自分の思い違いを見つけ、正す事ができた。その事があるからなのか、ジークフリードには以前よりも心に余裕ができたのは確かだ。
だが、その余裕はアルヴァンド公爵家の騎士としての役割や在り方であって、アーリアに関してのものではない。
「私てっきり、お兄様はアーリア様の事を愛していらっしゃるのだとばかり思っておりましたが、どうやら違ったのですね?」
「ーー! そ、それは……」
「あら?本当に私の思い違いでしたの?でしたら、私の早合点でしたわね……」
「……」
騎士の中の騎士。近衛騎士団に所属するジークフリードは、日々、大勢の騎士たちに囲まれて生活している。一に鍛錬、二に鍛錬、三に鍛錬……と頭を動かす事は殆どなく、身体を動かす事が八割。脳みそを動かす事がない分、悩む事や深く考える事が少なくなる。
だが、それは言い訳だろう。
仕事に没頭し身体を動かす事で、自分の内面を見据えてじっくり考える時間を放棄してたいのだ。ーーいや、無意識の内にアーリアとリュゼの関係を考えないようにしていたのかも知れない。
「お兄様がアルヴァンド公爵家に戻られて半年。未だ婚約者を設けずにおられるのは、アーリア様の存在がお兄様の御心にあるからだとばかり思っておりましたわ」
近衛騎士団に復帰し、最近ではウィリアム殿下に着くことが多くなったジークフリードは出世街道に乗ったとも言える。自然、国の政策の内部に近い立ち位置にいる事が多い。今は月にに一、二度、実家へ帰る事ができるが、その内、騎士寮と王宮とを往復する日々になるだろう。
古き良き血筋、由緒あるアルヴァンド公爵家の三男であり、近衛騎士団所属の最優良物件ジークフリードには現在婚約者がいない。それは彼が一度死んだ人間だからだ。
ジークフリードは前宰相サリアン公爵の謀略によって、悪の魔導士に獣人と変えられ、二年もの間、魔導士の下僕とされていたのだ。
様々な経緯を経てサリアン公爵の悪事が白日の下に晒された後、ジークフリードは漸く、元の人間の姿を取り戻す事ができた。その時、ジークフリードと共にサリアン公爵の策謀を暴く手助けをしたのが『東の魔女』と呼ばれるアーリアだった。
リディエンヌは兄ジークフリードが公爵家へ連れ帰ってきたアーリアを目に留めたその時、そして、アーリアを愛しそうに見つめるジークフリードを見た時、兄はアーリアを愛してるのだと感じたのだ。
「はぁ……違いましたのね……」
ガッカリと項垂れるリディエンヌ。
「……違うこと、もない、が……」
顔を背けながら、ジークフリードは微妙な発言をした。
しかし、リディエンヌの目には兄ジークフリードの顔が心なし赤らんでいるように見えた。それをリディエンヌは見逃さなかった。カッと目を見開くと、リディエンヌは更に兄ジークフリードへと詰め寄ったのだ。
「で、で、でしたら!何故、そんな悠長な態度をなさっているんですの⁉︎ 男女の仲は生物ですのよ!」
「こ、こら!痛……くはないが……。それに、生物って……」
「そのままの意味ですわ!今日、想い合っていたとしても、明日になれば分からないものなのですからっ」
「そう、は、言っても……」
「アーリア様のお心はアーリア様のものなのですよ?お心は繋ぎ留めておけはしないのです……!」
「そう、だな……。だが、な……」
ジークフリードとアーリアが二人で旅をした約三ヶ月間。その短い期間に、ドン底にいたジークフリードの心をアーリアが救ってくれた。だが……
ー俺は、アーリアの心を救えたのだろうか?ー
アーリアの中に深い闇がある事には気づいていたが、アーリアは最後までジークフリードにその闇を明かす事はなかった。
その闇の正体をアーリア本人ではなく、魔導士から聞かされた。そのアーリアが隠したがった真実とは、余程信じられぬ非人道的なものだった。その真実の中にアーリアが抱えた闇があったのだ。
『あの者は人間ではない。私が造った人造人間ーーある人物の複製だ』
ーそんな非道な事が許せるか⁉︎ー
この世の中、親に望まれて産まれてくる子ばかりではない。だがそれでも、どんな者にも親と呼べる者はいるのだ。アーリアには親と呼べる者すらなく、唯一親と呼べる存在ーー創造主たる魔導士は、彼女を道具として生み出したというのだ。それも、自分の愛する女性を甦らす為に。
ジークフリードは確かにアーリアに心を救われた。だが、ジークフリードにはアーリアの心を救えはしなかったように思うのだ。
「俺の持つ感情は『一方的な想い』だからな……」
「お兄様⁉︎ そのような事は……」
「本当の事だよ、リディ」
「……。でしたら、お兄様は諦めますの?諦められますの?」
「……」
「リュゼ様はアーリア様を愛してらっしゃいますわ。これは私のカンですけれど」
「そうだな。それは俺も分かっている」
リュゼはエステル帝国から帰国して以来、その身に纏う雰囲気が以前とまるで違っていた。あの真実を隠す笑みーーニヤついた笑み、そして巫山戯た態度はそのままだったが、その立ち居振る舞いや主を護衛するリュゼの姿は正に騎士のソレであったのだ。
騎士出身ではないリュゼを当初は馬鹿にする者とていただろう。しかし、真に彼を見ている者は、リュゼの在り方を馬鹿にする事などしない。リュゼはただ一人の主を守る為だけに、騎士道を身につけたの男なのだから。
ジークフリードはリュゼの変化に一目で気づいた。そしてリュゼのアーリアに対する想いにも……。
ーリュゼはアーリアに対して、主として以上の感情を持っているー
「何故、お兄様はそんなに……」
「ーー心配してくれてありがとう、リディ。諦める気は、ないんだ。いや、とても諦められない……!」
ジークフリードはグッと右の拳を握り込む。その顔には苦悩が見えた。
リディエンヌは兄ジークフリードのその苦悩の表情にそっと瞼を閉じる。
リディエンヌは窮地にあった父と兄を救ってくれたアーリアとリュゼに対し、心から感謝していた。身分は違うが、アーリアとリュゼを尊敬できる人物だと思っているし、彼女たちが幸せになる事を心から望んでいる。
しかし、その二人よりも兄ジークフリードには今度こそ、幸せを掴んで欲しいと強く望んでいたのだ。
「ーーでしたら、お兄様!行動あるのみですわッ」
「リディ⁉︎」
「アーリア様は遅かれ早かれ王都を去られますわ!そうなってしまってはもう、お兄様はアーリア様に会う機会すらほとんどなくなってしまうのですよ!」
「それは分かってはいるが……」
「今しかないのです!」
「そうは言うが、どうすれば……?」
「アーリア様のお心にお兄様の想いを刻むのですわ!」
リディエンヌは天高く手を掲げると、その拳をぐっと突き上げた。
「アーリア様にお兄様の想いを刻んでおくのです!そうすれば、離れていてもお兄様の想いはアーリア様に届きますわ」
「そう、か……?しかし、俺は想いを伝える気は……」
「ーーそうと決まれば即行動です!実は私、アーリア様の今日のご予定をお聞きしておりますの」
そう言うとリディエンヌはふふふふと不気味な笑い声を上げた。とても由緒あるアルヴァンド公爵家のご令嬢とは思えぬ言動だが、ジークフリードは別段、咎める事はなかった。背後に控える執事も家令も、それは同様であった。
こうなったリディエンヌを止める事のできる者は、このアルヴァンド公爵家には存在しない。アルヴァンド公爵家は男系系譜の筋なのだが、兎に角、男性陣は女性陣にめっきり弱いのだ。父ルイスも亡き母には滅法弱かったそうだ。
「さぁ、行きますわよ!お兄様!」
ジークフリードは九歳も離れた妹リディエンヌの言に押され腕をぐいぐい引っ張られながら、急に痛みだした頭を押さえて『嗚呼!』と嘆く事しか出来なかった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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システィナ帰国編『とある公爵家の兄妹1』をお送りしました!
リディエンヌが強いです。15歳にしてその恋愛観はどうなのだろう?と疑問に思います。きっと母上の気質を受け継がれたのでしょう。
ジークフリードは見た目は極上の王子様なのに、ヘタレ具合は健在です。次話でどう出るのでしょうか?
次話も是非ご覧ください!