浜辺の再開
※システィナ帰国編※
地平線に沈み行く夕陽。その夕陽に向かって鴎が水平線上を飛んで行く。さざ波が耳心地良く響く。
「帰りたい……」
アーリアは遠浅の海、その砂浜にしゃがみ込んでいた。膝に顔を埋めながら、サラサラと砂が波に攫われていくのをただ呆然と眺めていた。
「おっ。久しぶりの本音じゃん」
リュゼがアーリアの背後から笑い声混じりのツッコミを入れる。
ここはアルテシア領主館近くの浜辺。アルテシア辺境伯との話し合いも一通り終わり、『家族の晩餐』という行事までにはまだ間のある時間帯を見計らって、アーリアはリュゼと共に領主館を抜け出してきた。
勿論、護衛の近衛騎士には『砂浜を歩く』旨は伝えてある。しかし、近くに姿が見えない所を見ると、アーリアに気を遣ってくれているのだと知れた。姿はないが、彼らは何処かから見守ってくれているのだ。
それが分かっているから、アーリアもおおっぴらな事は言えないで、こんな風にしゃがみ込んでブツブツと本音を漏らす事しか出来ないでいたのだ。
「なに?その言い方。しかもその笑い声」
「ククク。いや〜さ〜〜。子猫ちゃんてば、あの『北の塔』以来、本音言う事なんて滅多になかったデショ?」
思い返して見れば、渋々を通り越して嫌々『北の塔』へ行った時以来の本音の暴露だった。そう考えてみると、随分長い間我慢してきた事になる。
「……。だって、言ったらダメみたいな雰囲気がずっとあったし。私だって空気ぐらい読みますっ!」
「みたいだねー。僕も最近は空気読むようにしてるよ?」
アーリアはリュゼの『空気が読める』発言にジト目になった。先ほど、アルテシア辺境伯の子息リストの事でアーリアが部屋から叩き出したとき、リュゼの顔は実にイイ笑顔だった。
「さっきのアレは……」
「アレは仕方ないっしょ?子猫ちゃん地味〜にキレてたし。叩き出された息子さんなんて、顔面真っ青にしてさ……プククク……!」
「あれは……!い、良いじゃない。アレ以降、私に近づいて来なくなったし」
「逆にアルテシア辺境伯は子猫ちゃんに興味深々だったよね?辺境伯も魔導士なんでしょ?」
「……。みたいね?」
家族の再開の場面を言葉通り『やり直し』た時、リストは顔面を青くさせ戦々恐々としていて、反対にイルバート卿は顔を赤らめて興奮していた。左右対称な顔色に、シャーレ夫人は始終苦笑していた。
「等級は聞いた?」
「聞いてないなぁ……」
「アルテシア辺境伯の領地には『西の塔』があるから戦えないといけないんだってね?」
「領主が率先して戦場に出るんだって。逞しいよね!」
「確かに!イルバートさんは魔導士にしてはガタイが良いと思うよ」
「剣の腕も良いって聞いたよ」
「文武両道か〜〜。そりゃすごい!」
システィナの貴族には文武両道が求められる。特に国境を管理する貴族は、有事の際に率先して指揮を執らねばならないからだ。だが、誰しも向き不向きがあるもので、魔導に秀でた者もいれば、剣術に秀でた者もいる。どうやらアルテシア辺境伯の一族は魔力保有量が多く、魔導士になる者が多いそうだ。現に今代の『西の塔の魔女』はアルテシア辺境伯の血筋の者であるらしい。
ー……ザザーン……ー
冬の海は寒い。だが今日は比較的に穏やかな気温と風で、外にいても然程寒さを感じなかった。
「一度、帰っちゃう?」
「……え?」
アーリアはリュゼからの言葉に問い返した。言われた意味がすぐに理解できなかったのだ。
顔を上げたアーリアをリュゼが膝を屈めて覗き込んできた。
「だからさ。夜会が終わった、師匠サンのトコロに帰らない?」
「……。帰りたいなぁ」
リュゼの顔は至って真面目で、いつもの様に巫山戯て言っているのではなかった。その顔に笑みは浮かんでいるが、アーリアを茶化す様子はない。
「じゃあ、帰ろーよ!お仕事のコトなら大丈夫大丈夫!アーリア一人居なくなって困るような国なら、ほっといても滅びるよ!ってお師匠サンも言ってたデショ?」
「ーーそ、だね?」
「大丈夫。ルイスさんが何とかしてくれるって」
「……だね?」
アーリアは『大丈夫』と反復するリュゼに、リュゼの提案に胸が高鳴った。長期間に渡る重労働をさせられたのだ。そろそろ休暇を貰っても良いではないか。そう思えてきた。
その時、アーリアの背後からこんな場所では逢えぬ筈の人物の声が聞こえてきた。
「ーーあれ?じゃあ、来なかった方が良かったっスか?」
アーリアはその声に弾かれたように立ち上がると、首を左右に巡らせた。180度身体を回転させた所で、その声の人物を発見し、アーリアは大きく口を開いた。
「兄さま……」
「や!アーリア。久しぶりっすね?元気してたっすか?」
「おやおや、私の顔を忘れたの?アーリア」
「ーーお師様‼︎」
砂に足を取られながらアーリアは全速力で駆け出した。そして、その勢いのまま思い切り師匠に抱きついた。師匠は少し蹌踉めきながらもアーリアを受け止めた。
「おっと、俺はオアズケっすか?」
アーリアが兄弟子を華麗にスルーして師匠に抱きついた為、兄弟子は苦笑しながら両手を上げた。しかし兄弟子ーー弟子その1はそれ以外の抗議を上げる事はなかった。
「お師様、お師様、お師様……‼︎ 」
アーリアは師匠に必死にしがみつくと、その胸で師匠の名を連呼した。
「なんだい?アーリア」
師匠は苦笑しながらも、アーリアの頭の上から優しく声をかけた。
「本物のお師様だ!」
「私に本物も偽物もないでしょ?」
「うん。でも、あの時は声だけだったから……」
「そうだね」
師匠はアーリアの頭を何度も何度も撫でた。そしてその小さな背に腕を回して優しく包み込んだ。
甘えを許してくれる師匠の胸の中で、アーリアは師匠の懐かしい匂いを胸いっぱいに感じた。すると、ずっと張っていた糸がスルスルと解けていくような感覚に襲われた。『帰ってきた』という安堵で張っていた胸の支えが解けていった。
「アーリア、大変な目に合ったね」
師匠はまるで我が子にするようにアーリアを抱きしめると、今にも泣きそうになっているアーリアの頭の上から柔らかな声音で語りかけた。
「お師様はどうせ、私の自業自得って言うんでしょ?」
「ハハハ。言って欲しいの?」
師匠の胸に顔を埋めたままアーリアは首を横に振った。
「言わないよ。君の所為じゃないからね」
アーリアは政治の道具にされたのだ。それを知ったとき、師匠はアーリアに『東の塔』に《結界》を張らせた事を、始めて後悔した。
アーリアをこの世界に馴染ませようと、人間に興味を持たせようとした事が、ここまでは裏目に出るとは思わなかったのだ。ましては、アーリアの背後に『漆黒の魔導士』が在ると分かった上で仕掛けてくる馬鹿は居ないだろうと思っていたのは大誤算で、逆にその立場が邪魔をして動き辛くなるとは完全に計算外だった。謂わば、アーリアの苦労は全て、師匠の責任だったのだ。
「ごめんね。……ホントに人間って身勝手だよね?」
師匠はアーリアの頭を緩やかに撫でながら独白した。
「自分の都合を平気で相手に押し付ける。相手の意思などおかまし無しに、ね……」
システィナ国とエステル帝国の政治的な事情。貿易問題。帝室内の事情。王室内の事情。貴族間の事情。……そんなもの一魔導士にはなんら関係がない。自分たちの手腕が不足していたから、素人まで引っ張り出しただけに過ぎないのだ。
彼らは主義主張は一人前だが、使った人間のその後については一切考えていない。一番大切なものは『国』の未来なのだと大義名分を掲げて。
「アーリア。君は人間を嫌いになっちゃったかな?」
アーリアは師匠の問いにそっと頭を上げると、潤む瞳で師匠の蒼い海のような瞳を覗き込んだ。
「私は、人間が嫌いじゃないですよ」
「ほんと……?」
「はい。だって、お師様が……それにリュゼが、大好きですから!」
アーリアのその答えに、師匠は静かに「そう」とだけ呟き、アーリアの頬を愛おしそうに撫でた。
「良かったっすね?リュゼくん」
「……ホントに。だって、お師匠サンの次だよ?それって地味に凄い事じゃない⁉︎」
「あ〜〜まあ、どんな種類の『大好き』かは推して知るべしっスけど……」
「あーー考えないようにしてたのに!お兄さんヒドイ!」
「クックックッ!まだまだ君にアーリアをやれないっスよ?」
リュゼがアーリアの言葉に地味に感動していると、弟子その1から現実を突きつけられた。
その間にアーリアは師匠から離れ、弟子その1に近づいてきた。
「兄さま!」
「おーーよしよし!兄さまがギューーッてしてあげるっすよ!」
言うが早く、弟子その1はアーリアをその腕の中にギュッと閉じ込めた。そしてアーリアの柔らかな頬に頬ずりした。まるで幼子にするような仕草に、アーリアは擽ったさを覚えた。
「わーー兄さま!これちょっと恥ずかしい」
「何、言ってるっすか?コレは姉貴の分も入ってるんすからね!」
「姉さまの?」
「そ!姉貴はまた師匠の仕事の肩代わりっす!『今度帰ってきたら、いっぱい遊びましょう』って言ってたっすよ〜」
アーリアはその言葉に胸がワクワクし始めた。兄弟子も大好きなのだが、姉弟子はアーリアの母親代りのようなものなので、姉弟子には兄弟子以上のもっと特別な感情を持っていたのだ。
頬を紅潮させたアーリアに、弟子その1が満足そうに何度も頷く。
「アーリア、遠い所でよく頑張ったっすね?無事に帰って来てくれて嬉しいっすよ!」
「本当にね。ーーリュゼくん、この娘を守ってくれて、ありがとう」
リュゼは師匠と弟子その1に頭を下げられて、堪らずに頬を掻いた。普段、どうしようもなく自己中な師弟が、他人に対して頭を下げる事などない事を、リュゼは知っていたのだ。
「あーー。その、お礼を言われる程の事ではないから!それに、僕の守りが不十分な所為でアーリアを危険な目に合わせてしまったし……」
リュゼは今でも、アーリアをシルヴィアに突き落とされた事件に対して、護衛の不十分さを悔いていた。あの時、シルヴィアの暴挙さえ防げていれば、アーリアはエステル帝国に行くこともなかったのだ、と。
「そんな事ないよ。運命はなかなか変えられないモノだよ。アレがなくとも、アーリアはきっとエステルに行くことになっただろう」
ウィリアム殿下もシルヴィアの暴挙までは予測していなかった。だが、どうにかしてアーリアをエステル帝国に捕らえさせようとしていたのだ。それに抗う事は容易ではなかっただろう。
師匠はその事を言っているようではなかったが、アーリアとリュゼはそのように理解した。
「君がアーリアの隣に居てくれたおかげで、アーリアは独りぼっちになる事はなかった」
「ありがとう、リュゼくん。僕の大切な妹を守ってくれて」
人間に対してーーいや、自分に対しても、ともすれば無関心になりがちなアーリア。その為、他人の言葉に流されてしまいがちだ。そんなアーリアがエステル帝国に一人っきりで囚われていたなら、アーリアはここまで奮起しなかっただろう。システィナに帰れないと知るや否や、簡単に生きることを放棄したかも知れなかった。そんなアーリアを側で支えたのはリュゼだったのだ。
師匠や弟子その1が楽観してシスティナで待っていられたのは、常にリュゼの存在がアーリアの側にあると分かっていたからだ。リュゼがアーリアを『生かしてくれる』と信じていたからだ。
リュゼはいつの間にか、師匠と弟子その1からの信頼を勝ち得ていたのだ。
リュゼは照れ臭いけど嬉しい、そんな感情を人生で初めて味わった。こんなに他人に感謝された事は初めてだった。
「リュゼ、私からもお礼を言わせて」
アーリアは弟子その1の腕から抜け出すと、リュゼに正面から向かい合った。そしてリュゼの夕陽に輝く琥珀色の瞳を覗き込んだ。
「ありがとう、リュゼ。貴方のおかげで私は此処へ帰って来られた。リュゼがずっと、側に居てくれて本当に嬉しいかった……!」
「アーリア……」
「できれば、これからもよろしくお願いします!」
アーリアは心からのお礼の気持ちを込めて、そしてこれからも一緒に居て欲しいという願いを込めて、頭を下げた。
リュゼは頭を下げたアーリアに、それを見守る自己中だけど優しい人たちに、心から降参した。
ーこの人たちには一生敵わないー
リュゼの心を知ってか知らずか、欲しいものをそっと差し出してくれる優しい人たち。
リュゼは慣れない感謝と彼らからの想いに困り果てて、頬を掻いたまま下手な笑みを浮かべた。それは、アーリアがこれまでに見たことのない、リュゼの本当の笑顔だった。
お読みくださいまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、すごく嬉しいです!ありがとうございます!
システィナ帰国編『浜辺の再開』をお送りしました。
やっとアーリアは大好きな人たちに会う事ができました。やっぱり師匠はアーリアの一番のようです。
リュゼは師匠と兄弟子たちからいつの間にか合格点をもらってたようです。家族公認の仲(意訳)ですね。
次話はあの人が登場!よろしければ是非ご覧ください!