辺境伯2
※システィナ帰国編※
アーリアはアルテシア辺境伯イルバートの誘いに応じ、急遽、アルテシア領を訪れていた。
アルテシア領はシスティナ国の西方に位置する豊かな領地だ。港町をいくつも有し、海外との貿易で富を得ている。また、マニアの間で有名になりつつあるティオーネ紅茶、その生産地もアルテシア領内だ。近年では、ティオーネ紅茶を求めた各国の王侯貴族との間でも取引が行われている。
アルテシア辺境伯の領主館は『西の塔』のある街より北、スィールというの街にある。遠浅の美しい海が広がり、船が発着するのには向かない地なのだが、それ故に、この地に領主館を建てるに至ったという。
「アリア姫、ようこそおいでくださいました」
アーリアを迎えてくれたのは、一足先に領地へ帰っていたアルテシア辺境伯イルバートとその妻シャーレだった。アルテシア辺境伯がアーリアに会わせたい人物とはシャーレ夫人の事だったのだ。
「シャーレ様、ご無沙汰しております。お加減はいかがでしょうか?」
アーリアは『アリア姫』として挨拶をした。アリア姫は王城に上がるまでこのアルテシア辺境伯領でーーそしてこの領主館で過ごした事になっている。だからここで、シャーレ夫人に対して『初めまして』の挨拶をする事は悪手だった。
アーリアのその挨拶にはシャーレ夫人もほんの少し驚いたようで、その目に僅かな動揺が見えた。
「え、ええ。お久しぶりね、アリア姫。私はこの通り、変わりなく過ごしているわ」
シャーレ夫人は椅子から立とうとはしなかった。ーーいや、立てないのだと容易に知れた。シャーレ夫人は車椅子に座っていたのだ。先天的なのか後天的なのかは聞いていないので分からないが、脚か腰か、そのどちらかが悪いのだろう。そうアーリアは当たりをつけた。
アーリアはシャーレ夫人に近づくと、夫人の前で膝を折った。
「具合はいかがですか?」
「大丈夫よ。雨の日はたまに膝が痛むのだけど、最近はずっと晴れ続きだからましなのよ」
「そうですか。ご無理なさらないでくださいね」
シャーレ夫人はアーリアに向かって手を伸ばすと、頬にそっと触れた。瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。
「あぁ、本当に……」
シャーレ夫人の言葉は、そこで途切れた。
領主夫妻とアリア姫との再開の挨拶ーーその重要な一場面で、一人の青年紳士がノックもせず、派手な音を立てて広間へと入って来たのだ。
アーリアは予想外の珍客、そして出来事に驚きを抱きつつ、シャーレ夫人の前に跪いたまま背後に身体を向けた。
二十代前半だろうか。薄い色の金髪に薄青の瞳、背は高くも低くもなく、システィナでは平均的な身体つき。脆弱とは言えないが、その細い身体、身に纏う空気から騎士よりも魔導士に近いと思われた。
アーリアにはその青年の容姿から、彼が『何処の誰なのか』、正体の見当がついた。
「どけ!」
青年紳士は高圧的な態度で『アリア姫』の護衛として王都からついてきた近衛騎士に、ワザと肩を当てながら入室すると、部屋の中をぐるりと見渡した。
「随分と大所帯だな?偽の姫の護衛ごときにっ!」
「「ーー!」」
青年紳士の棘ならぬ毒を含んだ言葉に、近衛騎士の目に怒気が篭る。
今回、アルテシア領内視察は魔導士アーリアとしてではなく『アリア姫』としての訪問の為、アーリアには専用の護衛騎士リュゼだけでなく、近衛騎士からも一個小隊がついて来た。またこれは、『北の塔』での出来事を踏まえての措置だとも考えられた。
「こんな小娘一人に対して近衛が動くなんてな……!」
そう吐き捨てる青年紳士の言葉。
「ーー無礼な物言いはやめて頂きたい」
その言葉を、流石に聞き逃す事は出来なかったのだろう。一人の近衛騎士が抗議の声を上げた。
ウィリアム殿下より命を受け『アリア姫』の護衛を仰せつかった近衛騎士たちは、システィナ国の為、任務遂行の為に『システィナの姫』を演じている魔導士アーリアを守護する事に誇りを持っている。また、王太子ウィリアム殿下には生涯の忠誠を誓っている為、ウィリアム殿下を侮辱するかのような青年紳士の発言には、我慢ならなかったのだ。
だが、近衛騎士の抗議を受けてなお、青年紳士の態度は改まる事はなかった。それどころか、青年紳士は近衛騎士をーーアーリアを嘲るように見下してきたのだ。
「ーーそうだろう?『システィナの為に帝国の人質になった王家の血を引く魔女姫』。そんな嘘クセェ噂、誰が信じるって言うんだ⁉︎」
「「ーーーー‼︎」」
アーリアとリュゼの二人は、ユークリウス殿下からアーリアを皇太子殿下の下で保護する為の言い訳ーー偽装工作はシスティナ国内に於いても異例とも言える急ピッチで進められたとは聞いていた。しかし青年紳士の言い分と態度から実情を見るとすれば、偽装工作は不信感だらけの突貫工事だったという事だろう。
国の上層部に位置する貴族だけなら、偽装工作に於ける詳しい内容や自国の置かれた立場、状況を正確に把握できる立ち位置にあるだろう。しかし、それが中級貴族、下級貴族と位が下がる毎に、齎される情報量も少なくなるのではないだろうか。すると情報不足から、自分たちの置かれた状況を把握する能力が薄い者たちが、彼方此方に発生するに違いない。
また、自分たちに都合良く情報を捕捉し脳内補填した結果、都合の良い情報のみを鵜呑みにする貴族も現れてくると考えられる。その結果、訳の分からない国の方針、国のやり方に対して反発するようになる。そういう負の連鎖が出来上がっていくのだ、と想像する事ができた。
特に、中級貴族や下級貴族の中でも、成り上がり貴族や、爵位を金で買ったような貴族は、国益ではなく己の利益重視に偏る傾向がある。そう、アーリアはユークリウス殿下から貴族事情を聞き及んでいた。
そんな事をボンヤリ考えていたアーリアに、青年紳士が大股で近寄ってきた。
「ーー良いご身分だなぁ。お前、元は平民なんだろう?上手く王家に取り入ったもんだ。加えて今度は辺境伯領を我が物顔で歩く、か。顔に似合わずなかなかの悪女だなぁ?」
「……」
「アルテシア辺境伯のーーソフィア姉上の血を継ぐ魔女姫とは言うが、お前が魔導士ねぇ?」
言葉はキャッチボールと言うが、これは明らかに言葉を当てに来ている。しかし、アーリアは青年紳士からの言葉を受けながらも、その表情を変える事はなかった。アーリアはこの程度の悪口で傷つく心など、もう持ち合わせていなかった。エステルで聞き飽きる程に、十分、耳にしてきたのだ。それに悪口なら、リアナ嬢の方がまだ気合いが入っていて耳心地が良かった。
ここに来て漸く、青年紳士の態度を見かねたアルテシア辺境伯が、アーリアと青年紳士との間に割って入った。
「やめないか、リスト」
「魔女め!手始めに父上に取り入ったのか?我が親ながら甘いことだ」
やはり、と言うのだろうか。青年紳士の正体はリスト・ファン・アルテシア。アルテシア辺境伯の息子であり、事前情報によれば『アリア姫』の母ソフィアの年の離れた弟。つまり『アリア姫』からすれば青年紳士は叔父に当たる人物だ。
「リスト、これ以上の暴言は慎め」
「俺はこの魔女の悪業を暴いてやろうとしているんだ!辺境伯ーー我が家にこれ以上、変な噂を立てられないようにな!それに、この魔女を追い出した方が王家の為にもなるだろう?この魔女は国を蝕む毒蛾なのだから」
システィナ国の貴族や官僚も一枚岩ではないという。国王陛下の政策を支持する者もいれば、反感を持つ者も少なからずいる、と。
エステル帝国の皇太子とシスティナ国の王太子による策略、それにアーリアの存在ーーその生存は欠かせなった。そして偽装工作の為の身分も。その上で、実在する『アルテシア辺境伯』が選ばれたのだ。
その事で、アルテシア辺境伯はこれまでよりも更に、国王陛下から目をかけられる事となった筈だ。しかし、逆を返せばアルテシア辺境伯に嫉妬し敵視する者が現れたとしても不思議ではない。しかもその敵はアルテシア辺境伯の内外に存在する、と言う事なのだろう。
アーリアはリストの嘲るような瞳に対して、冷ややかな瞳を持って見つめ返した。すると、リストはアーリアに対して更なる不快感を露わにしたのだ。
「何だ?その目は……」
「いいえ。特には何も……」
「言いたいことがあるのなら、言ってみても良いぞ?」
「……。よろしいのですか?」
アーリアはリストを、そしてアルテシア辺境伯を目線で捉えると、発言の是非を伺った。リストは『言えるものなら言ってみろ』と言わんばかりの表情をしている。アルテシア辺境伯はどこか心配そうにしながらも、アーリアの視線を受けて、その頷きを持って『是』を伝えてきた。
「では……」
アーリアはアルテシア辺境伯の許可を得るとすぐ、部屋全体に防音の《結界》を施した。無言で為されたその魔術に、軽く驚きを見せる面々を放置し、アーリアはスッとその場から立ち上がると、ツカツカと踵を鳴らしてリストの方へと詰め寄った。そして、リストからあと一方手前という距離まで近づくと、アーリアは満面の笑みを浮かべながらリストを見上げた。
「リスト様。これは国王陛下より賜った『お仕事』ですよ?それをお分かりではないのですか?」
ビクリとリストの肩が跳ねた。アーリアに躙り寄られて、半歩、足を引いた。
「しかもこれはエステル帝国皇太子ーー次期皇帝公認の偽装工作です。システィナ国とエステル帝国、二国間の摩擦を無くす為の政策、その一部なのです。その事情を『アルテシア辺境伯』の名を持つ貴方がまさか、ご存知ない筈はないですよね?」
「そ、それは……」
リストはアーリアのあまりの変わり様にドン引きし、顔を痙攣らせながら一歩また一歩と後退っていく。そこをアーリアが一歩また一歩と詰め寄って、一定の距離を保った。
「まさか『知らない』なんておっしゃいませんよね?貴方は次期アルテシア辺境伯ーーこの領地の領主となられるお方なのですから」
「ーーっ!」
リストは生唾を飲んだ。
「私とイルバート様、シャーレ様との会話は、貴方にとってはさぞ茶番に見えたでしょうね?ーーですが、あの茶番こそが必要なのですよ?アリア姫とアルテシア辺境伯との関係が『本物』だとする為に」
近衛騎士がアリア姫の護衛に従事しているのも、『システィナの姫アリア』を真にシスティナ国の姫とする為の小道具だ。先ほどの茶番もすべてが魔宝具によって記録され、国へと提出されるのだ。アリア姫の領地訪問はその『全て』が仕組まれた政策なのだ。
その事をアーリアは『仕事』と割り切って受け入れている。勿論、国からの報酬も受け取っているので、アルヴァンド宰相閣下や国王陛下、ウィリアム殿下とはビジネスライクな関係だ。その事はこの場にいるアルテシア辺境伯イルバートとて同じ事なのだ。
一貴族が国王陛下からの頼みーー仕事を断れる筈がないではないか。忠臣ならば尚の事、自ら志願するほど名誉な仕事なのだ。
これまでシスティナ国は、架空の姫である『アリア姫』を作る為に大勢の人物が関わり、務め、努力してきていた。それをリストは、彼の言動一つで無駄にしようとしているのだ。
ー許せる筈、ないじゃない!ー
『仕事』を邪魔されたアーリアは、静かに怒っていた。
「今、ここにいる『私』は『システィナ国 国王夫妻の養女アリア』。システィナの姫です」
「だから何だと言うのだ……!この俺を、辺境伯を脅すのか⁉︎」
「そう取られても結構です。これは国王陛下が望まれたこと。私は一臣下として望まれた役を演じるのみ」
アーリアとて好きでやっている『仕事』ではない。忍耐、忍耐、忍耐!とエステルへの島流しからここまでの半年近く、碌な休みも貰えないまま働かされ続けているというのに、ここに来てリストの下手な演技の結果、その忍耐と努力を無駄にされてしまうなど、たまったものではなかった。普段温厚なアーリアでも、さすがにそれは黙って見てはいられなかった。
「さて、リスト様。これからどうされます?これ以上騒がれますと、私としては非常に面倒なのですが……」
アーリアはリストに対してガラにもなくまくし立てると、怒りの瞳はそのままで、口元だけにっこりと微笑んだ。
リストの方はいつの間にか、額から脂汗を流している。その表情には先程までのような高圧的な雰囲気はない。
「ーーああ、降参だ。貴女がどれほど国の意図を理解されているのかを試した」
リストは詰めていた息を吐くと、両手を上げて降参を示した。
「先程までの非礼を詫びよう。申し訳なかった」
リストはアーリアがどこまで国の意図を把握できているのかを試したかったのだろう。噂が一人歩きしている中、リストは自分の目と言葉で『魔導士アーリア』という人物像を確かめたかったに違いない。アーリアの対応如何で、リストは付き合いの程度を決めるつもりでいたのだろう。
「そうですか?分かって頂けたようで何よりですわ」
アーリアのその言葉に、ホッと息吐くリストとそして周囲の人々。先程のやり取りに於いて、アーリアから漏れ出た魔力が威圧感となって放たれていた為、本人たちよりも周囲の者たちの方が、内心ヒヤヒヤしていたのだ。始終ニヤニヤしていた護衛騎士リュゼを別として、リストが降参を表した事で近衛騎士までもがあきらかに安堵の表情を浮かべている。
「……では、リスト様。もう一度初めからやり直しで良いですよね?」
「ーーは?」
「じゃあ、本場二回目を始めますよ?」
アーリアの言葉と共に、リストの姿がその場から忽然と消え失せたのだ。リストをガン見しついた者がいたならば、足元に広がった魔術方陣の中にリストが吸い込まれるようにして消えていった事が分かっただろう。
「「「ーー⁉︎ 」」」
近衛騎士たちは目を白黒しながらアーリアの周囲を見渡している。そんな中、アーリアは平然と広間の扉に向かって声をかけた。
「もう一度最初からやり直しましょう!この遣り取りを国王陛下に報告しなきゃならないので、今度はちゃんとしてくださいね!」
アーリアはアルテシア辺境伯の腕を取って元の位置に立たせると、自分も最初の立ち位置に戻っていった。
その後、広間の扉にノックがなされ、外から顔色を白くしたリストが現れたのを見た者たちは、アーリアがリストに『何』をしたのかを察して、背筋に冷たいモノを走らせたのは言うまでもない。
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システィナ帰国編『辺境伯2』をお送りしました。
アーリアは威厳のない見た目から舐められがちです。仕方ないと諦めつつも、今回はエステルでの仕事を潰されかけて、珍しく本気で怒っています。
次話はあの人が……?
よろしければ次話もご覧ください!